75話目
おやおや、ついに……な回です。
いつもみたいに馬車を呼びつけるのかと思ったが、今日は普通の馬車で帰るつもりらしく、俺を小脇に抱えた主様が向かった先は乗り合い馬車の停留所だ。
と言っても、馬車の窓から見つけて、ドリドル先生から『あそこが乗り合い馬車の停留所ですよ』と教えてもらったんだけど。
ちょうど良い時間だったのか、停留所には一台の馬車が停まっていて、待っていた数人が乗り込むところだった。
その数人に続いて俺達が馬車に乗ると、先客達は小脇に抱えられた俺を見て一瞬ギョッとした顔になるが、へらっと笑いかけるとすぐに皆さん安心した表情になり……何故かそのまま表情を強張らせて視線を外される。
「主様、いい加減降ろしてくれ。この馬車、貸し切りじゃないんだからさ」
視線を外したくなる気持ちは俺にもわかる。俺が馬車に乗ってたとして、子供を小脇に抱えた人が乗って来たら、どんな美人さんだろうが関わりたくはない。
「……貸し切ればいいんですか?」
かなり不服そうに俺を降ろした主様は、今にも金を取り出して御者へ渡しに行きそうだ。
「そんなことしたら、他の人乗ってるのに迷惑だろ。普通に、おとなしくしてればいいだろ?」
もしかして主様は、手を離したら俺が逃げるとでも思ってるのかと、主様の左手をギュッと掴んで先に席へ腰掛ける。
「ロコ」
俺の名前を呼び、渋々といった風に隣へ腰かけた主様は、相当不安なのかピタリとくっついてきていて、他の乗客からの視線がなんか生暖かい。
「主様が手を離さなきゃ大丈夫だろ?」
湧き上がる羞恥心を抑え込み、俺は甘えるように主様へ寄りかかって体重を預ける。こうすれば主様もやたらと動けないだろう。
「はい」
やっと納得してくれてぽやぽや頷いた主様に俺が安堵の息を吐くと、周囲の乗客達も安心した様子を見せる。
もしかしたら、俺達が喧嘩でもするんじゃないかと心配してくれたのかもしれない。
しばらく静かにガタゴト揺られていると、近くに座っていた人の良さそうな青年から話しかけられる。
「坊や、お兄さんを困らせちゃ駄目だよ?」
「え……あぁ、うん、気を付けるよ」
どうやらさっきの運ばれ方から、俺が脱走して捕獲されたと思われたようだ。いや、確かに脱走という名の家出はしてたけど今回に関しては違うんだよなぁ、という複雑な気持ちを飲み込んで、へらっと笑い返しておく。
「いい子だねー。……あの子とはそう変わらないはずだけど、随分違うもんだ」
素直に答えた俺を誉めてくれた青年は、思い切り気になるボヤキを洩らしていて、俺が思わず馬車の中を見渡すと、数人頷いている人がいるのまで確認出来た。
「何かあったの?」
手を繋いでいるせいか、主様は青年を警戒する気配もなく、無言でぽやぽやしてるだけで喋らない。
まぁ主様に関しては通常運転なので、俺は主様を気にしつつ、ちょっとだけ可愛子ぶって(当社比)訊ねてみた。
ほんの少し嫌な予感がしたのだ。
「いや、ね。君と真逆みたいな、白い髪をした女の子とよく馬車で一緒になるんだけど、ちょっと元気過ぎてね。騒がしいぐらいなら、君よりほんの少しお姉さんなだけだから仕方ないなぁと思えるんだが……」
真逆みたいな女の子と言われて、思わず苦笑いする。
どう考えても、ヒロインちゃんだ。
今は主様と手を繋いでいる安心感のせいか、前みたいな恐ろしさは感じず話を聞ける。逆に何をしたか気になるぐらいだ。
「その俺よりお姉さんな白い髪の女の子は何したの?」
気になるなーと小首を傾げてみせた俺は、上目遣い気味に青年を見てさらに訊ねる。
「その子も、君のお兄さん程ではないけど格好良い人達といつも一緒なんだけど、その女の子がやたらと絡んだり、他の人へ酷い言葉を浴びせたりするんだ。この間なんか、物乞いに来た浮浪児を、ね……。それを一緒にいる人達は笑って見てるし……」
そこで青年は人の良さそうな顔を歪め、言葉を濁らせ言い淀んでしまう。それで、何となくは察した。
確かに気の強いキャラだったからな、ヒロインちゃん。変な正義感を浮浪児相手に発揮しちゃったのか。
俺が青年と顔を見合わせてうわぁという表情をしてると、背後から伸びて来た手にギュッと引き戻されて、膝の上へ移動させられた。
「そんな屑と私のロコを同列に扱わないでください」
「あ、ああ、そうだな。すまない」
主様の不服そうな呟きに、青年は微笑ましげな顔して大きく頷いてくれる。顔の通りの人柄だ。
「君達は何処で降りるんだ?」
「えっと、もう少し行った街外れの方かな?」
俺を膝に乗せて満足した主様はまたぽやぽやに戻って無言だし、俺は地名とか番地はわからないので何となくの感覚で答えると、青年は良かったと笑ってくれる。
「そこで降りるなら、あの女の子達と会う心配は少ないだろう。あの集団がよく乗り込んでくるのは、そこからもう少し行った先の停留所だからね」
「心配してくれてありがと、お兄さん」
へらっと笑ってお礼を言うと、お兄さんは俺の頭を撫でてくれ、次の停留所で降りていく際にお菓子までくれた。
他の乗客達も降りていく際にお兄さんを倣うように俺を撫でたり、食べ物を置いていってくれた。別に俺はお地蔵様じゃないんだけど。
ふと気付くと馬車の中は、俺達だけだ。
「まさか、皆その女の子と会いたくないから早めに降りてるとか?」
「さぁ?」
興味なさそうに答えた主様が今何しているかというと、皆に撫でられて乱れた俺の髪をブラシで熱心に梳いている。
「楽しい?」
「はい」
ぽやぽやして微笑む主様は、本当に楽しそうなので俺は飼い猫の如くおとなしく膝の上でブラシをかけられ続ける。
そうやって静かにしてると、ガタゴトと一定間隔に揺れる馬車と主様の温もりと匂いの安心感で、六歳児な体にはすぐ睡魔が襲ってきてしまう。
「ロコ、眠いんですか? 大丈夫、運びますから、寝てて構いませんよ」
しばらく頭をグラグラさせながら睡魔と戦っていたが、そんな甘やかな主様の声と背中をぽんぽんと叩く優しい手に、俺は何とか「ありがと」とだけ口にして襲い来る睡魔へ身を任せて眠りへ落ちていった。
夢現で、主様が誰かと言い争う声を聞いた気がしたが、目が覚めた場所は見慣れた主様のベッドの上。
主様の匂いのするベッドが何か嬉しくてゴロゴロしてると、様子を見に来た主様にガン見されていた。
「えっと、その、あ! 主様、誰かと喧嘩してただろ? 大丈夫だったか?」
照れ臭さから誤魔化すため半分と心配半分で夢現で聞いた声のことを訊ねると、主様はぽやぽや微笑んで首を傾げる。
「さぁ? 記憶にありませんが……」
「え? そっか、俺夢見てたのか、あれ」
主様が嘘を吐いてる様子も吐く必要もないので、俺が寝惚けて外の音か何かを聞き間違えたんだろうと納得して、俺はベッドから起き上がろうとして、近寄って来た主様により再びベッドへ転がされる。
「ロコ」
「なに?」
確かめるような声音の呼びかけに、俺は欠伸を噛み殺して、ベッドへ膝をついた主様を見上げる。
主様の体重でベッドが少し傾いで、俺の体はそちらへ転がる。
何かそれが面白くてくすくすと笑っていると、主様はそのままベッドへ寝転がる。
「もう少し寝ててください」
「んー、からだ、なまっちゃいそうだ……」
そう答えながらも、俺の体はまだ睡眠を貪る気満々らしく、すぐに頭がとろんとしてくる。
もしかしたら、イオの家でもフシロ団長の屋敷でも、警戒してて眠りが浅かったのかもしれない。
安心できる匂いに包まれながら、俺は深い深い眠りへまた落ちていった。
「あんな屑の声なんて、覚えなくていいですから」
そんな主様の声が、完全に意識の途切れる寸前聞こえた気もしたが──。
いつもありがとうございますm(_ _)m
絶妙にヒロインちゃんとの直接対決を避けるジルヴァラ。




