319話目
私もそう思います。
何をしに来たんだ、ヒドインちゃん。
「何をしに来たんだ、スリジエ」
聞き間違いでなければ、すれ違いざまエノテラさんはそう言っていた。
スリジエ──つまりは、ヒロインちゃんが来ているということだ。
ちょっと失敗して逃げちゃったけど、心配になって戻って来たんだな、ヒロインちゃん。
「……もしかして一緒に作業とか出来るかな」
エノテラは何か落ち着いた雰囲気になったから、ヒロインちゃんを上手く説得してくれそうだし、そうしたら一緒に依頼を達成出来るかもと思って呟いたら、ソルドさんとナハト様から何言ってんだこいつという目で見られてしまった。
イオはヒロインちゃんのことを知らないので、きょとんとした表情で可愛らしく首を傾げて口を開く。
「ナハト様もソルドさんも、どうしてそんな目でジルを見てるの?」
「いや、たぶんだけど、来てるやつ、オレの同級生だ。で、何かジルを訳わかんない理由を叫んでいじめるらしいんだ」
「見た目は……まぁ、そこそこ可愛いが、野猿みたいな声でキーキー喚いて、ジルヴァラへ喧嘩を売ってくるんだ。イオも気をつけないと絡まれるかもしれないぞ?」
イオの質問に、ナハト様もソルドさんも、ヒロインちゃんのこと何だと思ってるんだという説明をしているのを聞きながら、俺はエノテラが向かった方をじっと見つめる。
エノテラと会えたからか、ヒロインちゃんの元気の良い声は聞こえなくなった。
絡まれていたのはおじいさんかおばあさんかわからないが、具合とか悪くなってないといいけど。
ヒロインちゃんの声って、かなりよく通るから。
「えぇー、そんな子がいるの!? ジル、そんな子に近づいちゃ駄目よ!」
俺の心配を他所に、イオが目を真ん丸くして可愛らしく驚いて声を上げ、俺に忠告してくれたのだが、何故かその場でぴょこりと跳ねてる。
小動物みたいで可愛い。
「ぢゅっ……?」
可愛い女の子の驚いた声に、俺の襟首辺りで爆睡していたテーミアスが反応して目を覚まし、頭だけを覗かせてきょろきょろしている。
さすが紳士で男前なテーミアスだな。
そしてイオを見つけると、テーミアスはするりと俺の服の中から抜け出してイオの肩へと飛び乗る。
「ぢゅぢゅ?」
で、キメ顔をして「どうしたんだ?」と囁いたテーミアスだったが、イオはヒロインちゃんのことが気になるらしく、声のした方と俺の方を交互にちらちらと見ている。
「同級生じゃなければ、オレも信じられないかもな」
「あれでジルヴァラより二つぐらいしか変わらないんだよな」
ナハト様とソルドさんが思いもよらないところで意気投合したらしく、それぞれボソッと呟いた後、視線を交わし合って大きく頷いてる。
ヒロインちゃんのおかげ……と言って良いのか、これは。
そんな判断に困る効果を及ぼすあたり、さすがヒロインちゃんはヒロインなんだろう。
エノテラさんが言い負かされて、ヒロインちゃん連れてこないかってことだけが少し心配なのは内緒だ。
●
[エノテラ視点]
俺の呟きが聞こえてしまったのか、俺を見送るジルヴァラの眼差しは「大丈夫か?」と言いたげだった。
今までの俺とスリジエの関係性を見てればそう言いたくなるのも当然だろうと内心で自嘲する。
俺はスリジエ可愛さに甘やかして、結構色々やらかした自覚は今さらながらある。
あんな年下を相手に恋に似た感情に浮かれてなんて言い訳を、さらに年下なジルヴァラ相手に口には出来ない。
でも、本当に一目惚れというか、事故というか……。
あの日、冒険者ギルドで初めてスリジエを見て、その傲岸不遜ともとれる荒唐無稽な発言を聞いた瞬間、とても心が躍って、一緒にいたらきっと面白い、そう思ってしまった。
そして月並みだが、俺を見てパァッと輝いた笑顔が忘れられない。
何の打算もない無邪気で明るい天真爛漫な笑顔。
後見となってからは、破天荒なスリジエに振り回されてばかりだったが、それも楽しいと思っていた。
ただ、たまに意味のわからない事や、まるで未来でもわかるような不思議な事を口にする。
そういう時は俺が何も言ってもスリジエには届かない。
それだけは困りものだったが、それを差し引いても可愛く楽しい『友人』だった。
それが少しおかしくなってきたのは、幻日様と遭遇し、幻日様が子供──ジルヴァラを連れ歩く姿を見てしまってからだ。
ジルヴァラが幻日様の隣にいる事を頑なに認めず、常に何かブツブツと文句を口にするようになった。
スリジエがそんなにも幻日様へ憧れていたとは知らず、最初は苦笑いをして見守っていたのだが、それも徐々にそうはいかなくなる。
まるで何かに取り憑かれたかのような表情で幻日様へと迫り、ジルヴァラへは「偽者だ!」と言いがかりとしか思えない事を口にする。
魔法で幻覚などを見せ、自分が相手にとって愛しい存在だと錯覚させる方法があるというのは俺も知っている。
スリジエは幻日様がそういう魔法にかかっていると言いたいのだろうか。
基本的にそういう魔法は、かける相手がかけられる相手より魔力が高くないといけないというのは、魔法が使えない俺ですら知ってる事実だ。
それを魔法が使えるスリジエが知らないとは思えない。
何を言いたいかというと、化け物じみた魔力を持つという幻日様へ幻覚を見せられるとしたら、それはもうどんな生き物なのか想像すら出来ない。
スリジエはジルヴァラをそんな想像すら出来ない生き物だと思い込んでいるのだろうか。
可愛らしく幼い見た目で周囲を騙し、幻日様すら手玉に取っているとでも?
きっと訊ねても、返ってくるのはただ一言。
「あたしが正しいのよ!」
自信満々に胸を反らせて朗らかに笑う、そんな顔まで簡単に想像出来てしまう。
「なによ! あたしがわざわざ来てあげたのよ!?」
重い足取りで門へと近づくと、脳内のスリジエの声に、現実のスリジエの声が重なって聞こえてくる。
また誤解されるような言い方をしているスリジエに、俺は思わずため息を吐いてしまう。
貴族としての教育のせいか、スリジエの喋り方はどうしても偉ぶって聞こえてしまうのだ。
見た目と反したその喋り方は、俺にとっては可愛いだけなのだが、やはり普通の人には受け入れづらいのだと思う。
そのせいで揉めたのは一度や二度じゃない。
特例冒険者や駆け出し冒険者用にと用意されていた、安全でそこそこ報酬の良かった街の中での配達依頼も、そのせいで回ってこなくなったらしい。
スリジエが「失敗したのはあたしのせいじゃないって説明したのに、わかってもらえなかったの」と言って悲しげな顔で笑っていて慰めたのは記憶に新しい。
今回もきっと何か行き違いがスリジエとゾンネさんの間で──。
そんな俺の考えを遮ったのは、
「モブのくせに、あたしに意見するの!? そんなのおかしいわ!」
そう声高く叫ぶ、刺々しいスリジエの声。
「この屋敷の主はわしじゃ。意見するのは当然じゃろう」
「戻って来てくれたのは嬉しいわ。でも、本当にもういいのよ?」
それに応えているのはゾンネさんの落ち着いた声。それと優しくなだめるようなカエルラさんの声。
早く行かなければ……そう思うのに一度止めてしまった足が動かない。
「なんなのよ! まず、なんで、あんた生きてるのよ!? 妻は、病気で死んでて、独り孤独に生きてるじいさんじゃないのっ!? これじゃ、あたしの有難みが……っ」
それ以上聞きたくなくて、俺は勢いをつけて駆け出し、向かい合うスリジエとゾンネさん達の間へ滑り込む。
「スリジエッ! なんて事を言うんだ! 言っていい事と悪い事があるぞ!」
ゾンネさん達を背に庇い、俺の登場に驚いているスリジエを睨んで、思わず声を荒げる。
「え……、なんで、エノテラがこのタイミングでここにいるのよ?」
大声を出してしまってから、スリジエを怯えさせてのではと心配になったが、スリジエは全く怯えてはおらず、きょとんとした表情で俺を見て首を傾げている。
まるで俺の怒鳴り声など聞こえていないかのように、いつも通りのスリジエだ。
「ゾンネさんとカエルラさんは、俺の大切な人達だ」
肩透かしを食らった気分で脱力しそうになりながらも、俺がゾンネさん達の事を伝えると、スリジエは可愛らしく瞬きを繰り返し……『ニヤリ』と笑った。
「なぁんだ、これってエノテラのキークエストだったのね。あたし、勘違いしてたわ。…………なら、別にいいわ」
先ほどまでの熱意が嘘のように突然すとんっと落ち着き払ったスリジエに、俺は「は?」と言っただけで二の句が継げない。
俺の背後にいるゾンネさん達も同じ状況らしく、背後からの声もない。
言っている内容も訳がわからない。
「俺がスリジエの後見として責任をとって依頼を受けたんだが……」
今にも帰りそうなスリジエへ思わず声をかけると、スリジエは不思議そうに瞬きをしてから首を傾げてから、にこりと微笑む。
「そうなの? ありがとう、エノテラ」
想像した通りの言葉と、想像した通りの笑顔。
だが、想像したような感情は欠片も湧き上がらない。
そして、去り際を見送って、聞こえてしまった。
「なぁんだ、だったら、わざわざこんなきったない所へ来ないでおけば良かった」
そんな可愛らしい声の独り言が。
俺はその声を──『聞こえなかったこと』にして、地下室の作業へ戻るため、心配そうに見てくるゾンネさん達へ軽く頭を下げて足を動かす。
庭に生えている草が絡むのか、足取りが重くて前へ進めている気がしない。
そこへ、パタパタと軽い足音が三つ近寄って来る。
「エノテラさん! ひ……あの子、帰ったんだろ? ちょうど良いし、昼ご飯にしようぜ?」
「ったく、ここまで声聞こえてたぞ。あいつ、大声過ぎるだろ」
「ちょっと見てみたかったけど、ジルとナハト様が心配するから止めたのよ?」
明るい笑い声と共に現れ、重かったはずの俺の足へ無邪気にじゃれて来るジルヴァラ達。
ジルヴァラ以外の二人は、最初の警戒ぶりはすっかり鳴りを潜めている。
認めてもらえたのかと胸の辺りがあたたかくなる。途端に現金なもので足取りは軽くなり、嘘のように前へと進める。
「……あぁ、そうだな」
俺はもう一度きちんとスリジエを見ないといけないのかもしれない。
何故だか、強くそう思った。
いつもありがとうございますm(_ _)m
感想などなど反応ありがとうございます(^^)反応いただけると嬉しいです(*^^*)
ついにボロが出て…………なんて訳ではなく、ヒロインちゃんはずっとヒロインちゃんでした。
ただ、エノテラは見えて──見ていなかっただけ。
もう一人の後見であるグロゼイユは、エノテラより年上なせいもあり、冷静にヒロインちゃんを『面白い生き物』として観察してる面があり、あまりヒロインちゃんに溺れていません。
グロゼイユ、わ、忘れてた訳じゃないんだから!←
あとヒロインちゃんも、しっかりとエノテラを見てあげてー。




