298話目
もうすぐ通して300話。あの方は出られるのか。
運ばれた先は幽霊屋敷な母屋の中で、いくら埃っぽい室内とはいえ、ぽたぽたと足先から垂れる水が申し訳ない。
「あの、床が……」
「地下室が終わったら、ここも掃除してもらうんじゃ、構わん」
そういうことならとおとなしくしていて到着したのは、もうもうと湯気が立つ浴室だ。
「……次はお風呂の掃除ですか?」
掃除の途中でここへ運ばれた意味がわからず俺がそう訊ねると、おじいさんはカッと目を見開いて声を荒げる。
「何でそうなるんじゃ! ひ、冷えたせいで、風邪なんかひかれては困るからの!」
思いがけず可愛らしい理由に、俺が目を見張ってきょとんとしていると、くすくすと柔らかい笑い声がして、
「まぁ、おじいさん。そんな言い方をしたら、前の子みたいに怖がって逃げてしまいますよ?」
とその声と同じぐらい柔らかい笑顔を浮かべた可愛らしいおばあさんが奥の部屋から出てくる。
「わ、わかっておる!」
「うふふ、ごめんなさいね。この人、少し声が大きいから、びっくりしたでしょう?」
おじいさんの手から降ろされて床へと着いた俺へ、相変わらず柔らかく話しかけて来るおばあさん。
そして、有無を言わせない素早い手つきでおばあさんから服を脱がされて、俺はお風呂へと押し込められてしまった。
見た目幼児な俺一人だと危ないと思われたのか、すぐに腕捲くりをしたおばあさんが入って来て、優しい手つきで手際良く体を洗われて、温かい浴槽へドボンだ。
テーミアスは「あらあらあら」と笑ったおばあさんに捕獲され、お湯を張った洗面器に入れられて、その気持ち良さにまったりしている。
逃げ上手なテーミアスとはいえ、おばあさんに敵意がないのがわかっていたから、無抵抗だったんだろう。
「うふふ。男の子をお風呂へ入れるなんて久しぶりね。……あなた、ジルヴァラちゃんっていうのよね?」
「っ、はい! お風呂、ありがとうございます。あの、あなたは……」
「あら、あの人何も言わなかったのかしら? 私はあの人の奥さんよ?」
思わず「生きてたんですか」と出そうになった突っ込みを飲み込み、俺は無言でしぱしぱと瞬きを繰り返す。
俺の沈黙をどう捉えたかは知らないが、おばあさんは相変わらず楽しそうに笑っている。
「私、病気でね。ずっと臥せっていたのよ。おかげで、お家がこんな状態になっちゃって、あの人だけじゃどうにもならないから冒険者ギルドでお手伝いしてくれる人を募集してたの」
うふうふと楽しそうに笑う顔に病の影はないが、その体は細身であまり丈夫そうには見えず、俺は思わず浴槽の中で立ち上がる。
「あの、起きてて平気ですか? 俺なら一人で上がれますから」
「あら、心配させちゃったかしら。病気はすっかり良くなったのよ。完治にはたかーい薬草が必要って言われてたのだけど、その薬草がたまたま沢山採れたらしいの。そのおかげで、この通りベッドから起きても大丈夫なの」
元気になったのが嬉しいのか、おばあさんは力こぶを作る真似をして見せながら悪戯っ子のような明るい笑顔を見せてくれる。
「さぁさぁ、もう少し肩まで浸かって、しっかりと温まらないと駄目よ? 明日からも来てくれるのでしょう?」
「はい! もちろん、お手伝いさせてください!」
俺も嬉しくなって笑顔で力強く頷いて答えると、伸びてきたおばあさんの手に優しく頭を撫でられる。
「ジルヴァラちゃんは、お利口さんね」
あの子もたまには顔を見せに来てくれないかしら。
優しく微笑みながら、おばあさんはここにはいない誰かへ向けて、そんな寂しげな呟きをそっと洩らす。
「あの子……」
指し示す相手はたぶん攻略対象者だろうが、残念ながら俺の記憶にはそれが誰かは残っていない。
大した問題ではないので、そんなことはさっさと忘れてしまった俺は、のぼせる前にお風呂から上がらせてもらい、おじいさんが乾かしてくれていた服を着て無事に帰宅の途へ着くのだった。
もちろん、帰る時にはおじいさんとおばあさん二人で見送ってくれたのは言うまでもない。
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ここでヒロインちゃんなら、濡れたせいで風邪を引いちゃって、それなのに体調不良を隠して無理におじいさんの家へ行って倒れてしまい……そこへ攻略対象者が、みたいな展開とかありそうだな。
そんなことを考えている俺はというと、昨日のおじいさんとおばあさんの思いやりのおかげで、本日も体調ばっちりだ。
「こんにちは! ジルヴァラです!」
明日はそのまま地下室へ行って作業してて良いぞ、と言われていたので、一応声をかけてから地下室のある小屋へと向かう。
家の中からは「おう」というおじいさんの声が聞こえたので、留守ではないようだ。
たぶん後で顔を出してくれるだろうから、それまでしっかりと地下室の掃除をしとかないとな。
今日もお風呂を貸してもらえるという話になっていたので、今回は着替えの用意もきちんとしてきた。これで気兼ねなくお風呂を借りられる。
「ぢゅっ!」
俺の肩の上でテーミアスも気合を入れて一鳴きし、一人と一匹で本日も水没した地下室へと足を踏み入れる。
今日はまずは少しだけあるという貴重品を先に運び出し、排水した際にまた溝を詰まらせそうな物などを片付けてから溝のゴミを取り除く……という流れでいく予定だ。
長靴というかロングブーツ的なのを用意しようかとも思ったが、全く水が引いてなければ太腿まで水位があるので、諦めた。
「じゃあ、そこまで重要じゃないけど気になる探し物を見つけてくぞ?」
この何とも言えない表現な探し物は、昨日お風呂上がりにこにことしているおばあさんから頼まれた探し物だ。
小さな猫の置物と写真立て。
どちらもおじいさんとの思い出らしい。
十分重要な物に分類して良いのに。おばあさんは控えめな性格なんだろう。
棚の下の段に置いておいたかもしれないから、もしかしたら流されてしまっているんじゃないかと心配だったらしい。
その他に棚の下にある物は空き箱だったり、流されるような物ではないらしいので、その二つを見つけた後は水抜きを優先して良いとおじいさんから言われている。
言外に『ばあさんの探し物を見つけてやってくれ』という感じがして、ニマニマしてたらおじいさんから睨まれてしまった。
そんな微笑ましいやり取りを思い出しながら水を掻き分けていると、足先にそこそこの大きさの硬い物が触れ、俺は慌てて水の中へ手を突っ込む。
予想通りというか、幸先良く手に掴めたそれは、デフォルメされた丸っぽい体型でちょこんとお座りをする猫の置物だ。
いかにも転がりやすそうなそれを確保出来て、とりあえず一安心だ。
あとは写真立てだ。
木製らしいからもしかしたら浮いているのではと期待して、棚ごと水没している地下室を見渡していると、ギリギリ水に沈まないかぐらいの位置にそれっぽい物を見つける。
「お、もしかしたら、あれか?」
ザバザバと水を掻き分けて近寄って手に取ると、どうやら正解らしい。
写真立ての中では、今より若いおじいさんとおばあさんが写っていて、その二人と共に笑顔の少年が写っている。
「あれ……?」
何だか既視感の少年の顔に首を捻るが、とりあえず報告を先にしようと思い直して階段へと向かう。
その間も意識は写真立ての中の少年に向かっていて、俺はかなり注意力散漫だった。
ダンジョンや森の中とかならともかく、ここは安全な街中で、家人も良い人達だからと気を抜いていたのは認める。
数段階段を上がったところで地下室を振り返り、もう一度しっかりと写真を確認した俺は、既視感の正体に気付いて、アハ体験的なスッキリ感を味わい…………、
「てめぇ、ここで何をしてやがる!」
突然の怒声に振り返った瞬間、その相手に顔面を殴られ、勢いよく背中から水面に叩きつけられる。
油断しきっていた上に、叩きつけられたのは水の上で。
「かは……っ!」
思い切り水を飲んでしまい、それでも咄嗟に体勢を立て直そうとして──テーミアスのことを心配したのを最後に俺の意識は真っ暗な闇へと落ちていった。
いつもありがとうございますm(_ _)m
感想などなど反応ありがとうございます(^^)反応いただけると嬉しいです(*^^*)
主人公痛めつけたくなる悪い癖がバリバリ出ちゃってます。
忘れがちですが、まだまだ作内の季節は真冬に近いです。
そして、攻略対象者のせいで出番がなくなりそうな主様……。




