30話目
かなり痛い子、ナハト様。
イラッとさせたらすみません! 先に謝っときます!
目があった瞬間からハッキリと向けられた敵意に、思わず嫌味であんな自己紹介したけど、ナハト様には通じなかったらしく、なんか俺様っぽい仕草で偉ぶって頷いて、なんか大声で独り言を言っている。
俺が自分より下だと認めたように見えたのか?
ま、仲良くなる気もないし、無駄な喧嘩にならないならいいかと、俺はそんな事を考えながら、チラリと主様を見やる。
ずっと喋ってないし、寝てるんじゃないかと心配したのだが、主様はきちんと目を開けていて、観察するようにナハト様を見つめている。
主様が興味を持つなんて珍しいと思うと同時に、ちょっとだけ寂しくなってしまい無意識に隣に座る主様の服の裾を掴んでいた。
「ロコ?」
主様に呼ばれて、俺ははじめてそこで主様の服を掴んでいたことに気づき、ハッとして手を離し、誤魔化すようにへらっと笑った。
独り言を言いまくっていたナハト様は、トルメンタ様から引き摺られて、色々喚きながら俺達から離されたので、ちょっとだけ静かになった。
「そろそろお暇しましょうか」
俺の反応を見た主様は、俺が疲れたとでも思ったらしく、ぽやぽやしながら立ち上がる。
「まあ、ナハト。ジルちゃんは、あなたより小さいのよ? そんな言い方したら駄目よ? お兄さんなんだから、仲良くしてあげなさい」
トルメンタ様から引きずられていったナハト様を、ノーチェ様がおっとりやんわりと注意しているのが聞こえてるが、ナハト様の視線は変わらず俺を睨んでいる。たぶんだが、ナハト様はノーチェ様が俺へ優しくするのが気に食わないんだろう。なので、あの叱り方は逆効果だ。
どうしたもんかと思わずため息を吐くと、主様が俺とナハト様の間を遮るように位置を変え、俺を背に庇うようにしてナハト様へと視線を向けている。
「行きましょう、ロコ」
フシロ団長に帰ると挨拶もしてないし、しっかりお礼も出来てないし、と俺がためらっていると、お説教から抜け出して来たナハト様が駆け寄ってきて、勢いのまま怒鳴られる。
「おい! 逃げるのか、平民! 黒い髪も銀の目も気持ち悪いんだよ!」
フシロ団長の面影があるな、と思いながら、何も響かない罵倒を聞き流し、俺はへらっと笑って見せる。
「平民の何が悪いんでしょう? 平民がいるから、お貴族様が存在出来てるとは考えないんでしょうか? つーか、黒髪も銀目も生まれつきですし、俺は気に入ってるんで、お前になんか言われても全く気にならねぇよ!」
訂正。ちょっとイラッとしてたみたいで、思わず主様の後ろから飛び出し叫ぶと、取り繕ってた口調は乱れまくり、お前とか呼んでしまっていたが、後悔はない。
「俺の大好きな人が、この髪も目も気に入ってるって言ってくれるからな」
ふんっと鼻を鳴らして言い切ると、顔を真っ赤にしたナハト様がぷるぷると震えて拳を握ったのが見える。
一発くらい殴られてやるかと身構えていると、俺の体はひょいと上へと持ち上げられる。
「挨拶して帰りましょう」
俺を抱えて何事もなかったようにそう言った主様は、ナハト様をちらりと見やってから、ぽやぽやと微笑んでノーチェ様達の方へと歩いていく。
「帰ります」
簡潔過ぎる挨拶に、ノーチェ様とトルメンタ様がきょとんしてるので、俺は主様の腕の中でわたわたとしてペコリと頭を下げる。
「あ、もー、主様! ……今日はありがとうございました! ナハト様に酷いこと言って申し訳ありません! 悪いのは俺なんで、鞭打ちでも殴られるのでも甘んじて受けるんで……」
どんと来いとばかりに胸を叩く俺に、ノーチェ様とトルメンタ様はよく似た表情で笑って首を振った。
ナハト様はフュアさんではないメイドさんがやって来て、回収されていったのが視界の端で見えたので、もう近くにはいない。
「いや、子供の口喧嘩だ。せいぜいくすぐり刑ってとこだよな、母上」
「ええ、あの人ならそう言うでしょうし、ジルちゃんがくすぐり刑なら、ナハトもくすぐり刑ね」
ほのぼのとしか言いようのないこの母子の反応とやり取りを見てると、余計ナハト様のあの発言が謎で仕方ない。
なんであんな腐れ貴族の典型みたいなことを、七歳の子供が叫ぶのか。
意味がわからないまま、ノーチェ様(母親)を取られないように、俺へ攻撃するため覚えたての悪口を言った?
だとしたら、誰がナハト様へそんな悪口を覚えさせた?
そこまで考えて、主様がじっと俺を見ていることに気づいた俺は、へらっと笑って見せる。
「あの小さくてうるさいの邪魔ですか?」
「まさか、ナハト様のこと? 邪魔じゃないよ。というか、もう関わることもないだろ?」
主様が心配してくれたことが嬉しくて頬を緩めた俺は、ぶんぶんと大きく首を横に振る。
「本当にあなた達仲良しね。ジルちゃん、ナハトが酷いこと言ってごめんなさい。あの子、あんなこと言う子じゃなかったのよ? 最近、あの人が忙しくて遊んであげられてなかったからかしら?」
「もともと小生意気だったけどな。久しぶりに俺が騎士団から帰って来たら、ああなってて、話もまともに聞いてくれない。兄として不甲斐ないばかりだ」
二人の言葉によりさらに謎は深まるが、俺の中では何となく吹き込んだ犯人であろう相手の予想はついていた。あくまでも俺の想像だが。
フシロ団長は、俺や他の人達に対する態度から見ても、平民風情が! とか絶対言う人ではない。そもそもそんな人なら、主様は仲良くしてないだろう。
そうなると、貴族の子供だから家庭教師が、というのもあるかもしれないが、フシロ団長がそんな家庭教師を選ぶ訳ないし、使用人に関しても同じことが言える。
最後に残る有力な容疑者は一人。
結局会えなかった次男、ニクス様だ。
トルメンタ様はお屋敷から出てて側にいられなかったみたいだし、ナハト様は近くにいた方の兄から影響を受けた可能性は高いと思う。
もとからヤンチャでママ大好きタイプなちっちゃな暴君だったんだろうけど。
ナハト様は全身で『ママは俺のだ!』と言わんばかりで、良くも悪く素直に見えた。
「大丈夫、俺は気にしてないから。主様が俺の髪も目も気に入ってるって言ってくれてるし?」
負け惜しみではなく、心からそう言ってるのだが、ノーチェ様もトルメンタ様も、なんだったら主様も心配そうだ。
「実は気持ち悪いとか思ってるのか、主様?」
「そんなわけないでしょう。一度も思ったことなどありません」
心配そうに見下ろしてくる主様へ、悪戯っぽく笑って問うと、珍しく眉間に皺を寄せ、怒りの表情を覗かせて主様は首を横に振る。
「うん。だから、平気だよ。大好きな人が言ってくれた事の方が強いに決まってんだろ?」
主様の返事にニッと笑って胸を叩くと、やっと納得したのかいつも通りぽやぽやしている
で、そのままの流れで玄関へと向かう俺達を、トルメンタ様は何度か引き止めたが、主様はぽやぽや受け流してるので、すでに俺達は玄関ホールまで辿り着いていた。
そこには先回りしたのか、フシロ団長とノーチェ様が寄り添って待っていた。
「悪かったな、ジルヴァラ」
主様に抱かれたままの俺と目線を合わせ、フシロ団長は申し訳なさそうな表情で頭を下げる。
「気にしてないから。ま、遊び相手にはなれそうもなくてごめんな。あと、服ありがとう」
「あの服は丈を直して、明日にでも届けるわ。あと、これはお昼ごはんにどうぞ召し上がって」
そう言ったノーチェ様の言葉を受けて、空気と化していた執事さんから、持ち手のついたかごバッグ……確かピクニックバスケットっていう名前だったはずのそれを片手で受け取った主様は、ちらりと俺を見て即座に収納してしまう。
俺を抱えてるから、片手が塞がるのが嫌だったんだろう。主様の中で俺を降ろすという選択肢はなかったらしい。
「ありがとうございます、ノーチェ様。ごちそうさまです」
「お茶会は三日後だ。忘れるなよ? 時間や会場はあの手紙に書いてある」
「わかりました」
「頼んだぞ、ジルヴァラ」
「おう! 帰ったら確認してもらうな」
何故か俺に念押しするフシロ団長。
この言い方だと、主様はドタキャンというかど忘れして行かなかったりしたことあるんだな、と推測して大きく頷いておく。
本人を前にしてかなり失礼すぎるやり取りだが、主様は気にした様子もなくいつも通りぽやぽや笑っている。本当に気が長いというか、器が大きいよな主様は。
「じゃあ、またな。フシロ団長、ノーチェ様。トルメンタ様も。ナハト様には、まあ一応謝っといてくれ」
俺は主様の腕の中で、ぽやぽやしてるだけの主様に代わって愛想を振り撒いておく。
フシロ団長夫妻と使用人さん達に見送られ、俺達は用意されていた馬車で帰宅の途につく。
主様に抱えられたまま馬車へ乗り込もうとしていた俺は、ふと視線を感じた気がして今出てきたばかりのお屋敷を振り返る。
拗ねたナハト様かな、と視線を辿った俺の目にちらりと映ったのは、眼鏡をかけた鮮やかな紫の瞳を持つ少年の険しい顔だ。
「あれがニクス様……?」
ズキリと頭を苛む痛みと同時に、ゲームの四角いプレイ画面が脳裏に蘇る。
あの寂しげだが鮮やかで美しい紫の瞳は覚えている。というか、思い出せた。
ということは、芋づる式に弟であるナハト様も攻略対象者だったはず。
いつの間にか走り出した馬車の中、ニクス様のルートがどんなストーリーだったか思い出そうとするが、きっかけがないと駄目なのか攻略対象者だということ以外全く思い出せない。
そもそも、兄弟で攻略対象者だとまでは思い出せたが、どんなに思い出そうとしてもそこに長兄であるトルメンタ様の影はない。
「オズ兄の方なら……」
同じ騎士になって攻略対象者となるオズワルドの方のストーリーから思い出そうとしてみたが、やはりトルメンタ様の名前は出てきてない気がする。
イケメンだし、騎士団長の息子だし、キャラは立ってると思うが、騎士でオズ兄と被るから攻略対象者じゃないのかもしれないと、ひとまず結論づけた俺は、いつの間にかほぼゼロ距離にある主様の顔に驚いて目を見張る。
「ロコ? ずっと呼んでたんですが……」
「ごめん、ちょっと疲れたのか、頭が痛くて……」
痛くての『て』を言ったとほぼ同時に、俺の体はころりと座席に転がされて、主様から膝枕される体勢になる。
「寝ててください。………………あの医者を呼びますか?」
相当嫌なのか、かなり間が空いた後に、ドリドル先生を呼ぶかと提案してきた主様に、俺はくくく、と喉奥で笑って首を横に振る。
「大丈夫。ありがと、主様」
誤魔化すための言葉だったが、思いの外疲れていたのか、目を閉じたと同時に俺の意識は、坂を転がるように安らかな暗闇の中へと落ちていった。
いつもありがとうございますm(_ _)m
寝る子は育つ。頑張って大きくなるんだジルヴァラ。




