272話目
ジルヴァラ、口を滑らせる。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
思えば悪戯心から発したこの一言がまずかった。
おにぎりをプリュイと一緒に量産して出かける準備を終えた主様に持たせ、その場で食べたそうなのをなだめて送り出すため玄関へ向かう。
俺は明後日が問題のお茶会の日なので、その日までに怪我や病気などしないよう念の為今日明日は冒険者活動は休むことにしたのだ。
玄関先まで出て主様とフシロ団長を見送る最中、ふと昨日のフシロ団長を相手にした従者の練習を思い出してしまった。
そして悪戯心から俺はフシロ団長を仕えるべき主人と想定して、ニコリとかしこまって微笑んで口を開く。
「いってらっしゃいませ、旦那様」
そして、ぺこりと頭を下げてお見送りで終わるはずだったが、顔を上げて見たフシロ団長は苦虫を噛み潰したような顔で俺を見ていて、俺は何か間違ったかと首を傾げる。
「頭下げるの先だったっけ?」
「いや、そこは間違ってない。頭を下げる角度も、ヘイズの教えた通り出来てる」
上手だったぞと誉めてくれる大きな手に頭を撫でてもらうが、その手の持ち主であるフシロ団長の表情はやはり優れない。
「やっぱり何か変だったか?」
「大丈夫だ。──ただ、こいつの前では止めて欲しかったな」
苦笑いしたフシロ団長が『こいつ』なんていう相手は一人しかおらず、俺はその相手である主様の顔を見やる。
「……なんて顔してるんだよ」
思わずそんな何処かで聞いたような台詞を呟いた俺は悪くないよな?
よく美形の真顔は怖いなんて聞くがその話に何度も大きく頷きたくなる真顔っぷりで、美貌まで人外な主様が真顔でこちらをガン見しているのだから。
「旦那様……?」
じろりという擬音がつきそうな眼差しでフシロ団長を見ながら、真顔の主様からそんな呟きが聞こえてきて、俺は何となく主様の真顔の理由を察する。
「フシロ団長は練習相手をしてくれただけで、本当に『旦那様』だと思ってる訳じゃない……って、何かこの説明も変か?」
「私は?」
上手く説明出来ず首を捻っていると、屈み込んだ主様が俺の肩を掴んでそんなことを訊ねてくる。
「主様は、主様だろ? えぇと、主様もかしこまって見送ればいいのか?」
どう答えたら満足なのかと思いついたことを口にすると、主様の宝石色の瞳が持ち主の機嫌を示すようにとろりと溶ける。
どうやら正解だったらしいので、俺の肩から手を離して見送られる体勢になった主様へ見送りの言葉を紡ごうとして、はたと気付く。
フシロ団長と同じ呼び方で主様は納得するのかと。
答えは否だろう。
俺がぐるぐるとする頭を抱えている中、主様は期待に満ちた顔でこちらを見ている。
まるで某◯ゅーるを前にした猫──というか、猫科の猛獣ぽい。
そこまで考えて、俺の思考は一つの呼称へたどり着いた。
「──いってらっしゃいませ、ご主人様」
これでどうだとばかりにニコリと笑って見送りの言葉を紡ぎ、フシロ団長にしたより幾分深めに頭を下げておく。
ゆっくりと頭を上げた俺は、ゼロ距離にあった主様の美貌に目を見張って固まることになる。
「いってきます」
蕩けるような微笑みと共にそう囁いた主様は、驚いて固まって半開きになった俺の口に自らの唇を押し当て、順繰りに頬と額へ海外を思わせるお出かけ前の挨拶を残して、颯爽と出かけていった。
呆気に取られているフシロ団長を置き去りにして。
●
「あー……行ってくる」
疲れ切った表情のフシロ団長はそう言って主様を追いかけていったが、あの状態の主様に追いつけたかはわからない。
「……行き先は一緒だろうし、向こうで会えるよな」
うんうんと一人頷いた俺は、閉じられた玄関の扉から目を離して家の中へ戻っていく。
目指すのは待ってくれているであろうプリュイの所だ。
せっかくというのはおかしいけど、主様が出かけたから今日はプリュイと朝ご飯を食べられる。
そう思っていつもご飯を食べる場所となっている──この空間の名前が未だにわからないがそこの暖炉前のテーブルにプリュイは待っていてくれた。
テーブルにはきちんと二人分の朝ご飯が用意されている。
主様へたくさんおにぎりを作った時に、ついでに自分達の朝ご飯分も握ったので今日の朝ご飯はおにぎりだ。
おかずは具をたっぷり入れたからお漬物だけで良いだろう。
味噌は相変わらず見つからないので汁物は卵スープだ。
「プリュイ、お待たせ! 主様は無事に出かけて行ったから、朝ご飯にしようぜ」
「ハイ」
つるりとした面でにこりと笑って頷いたプリュイは、ソファに腰かけた俺の隣へと座ってくれ、並んで朝ご飯を食べ始める。
「いただきます」
「イタだきマス」
思いがけず挨拶の声が揃って、何となくくすぐったい気分でプリュイと視線を交わし、朝ご飯を食べ始める。
おにぎりは箸で食べても構わないが、ここには俺とプリュイだけなので遠慮なく手で持ってかぶりつく。
「何回見ても不思議だよなぁ」
手品のようにプリュイの口の辺りに吸い込まれて消えるおにぎりを見て思わずそんな感想を洩らすのはいつものことで。
プリュイは悪戯っぽくふるりと震えてみせると、手からおにぎりを食べるという本職の手品師も真っ青な手品じみた食事を見せてくれた。
「おぉ」
「……ヤはり、口カラ食べタ方が美味シイ気ガしマス」
驚きと感嘆の声を洩らした俺に、プリュイはフムと真面目な考証をしたりしながら、二人きりの朝ご飯の時間は何事もなくまったりと過ぎていくのだった。
いつもはプリュイに任せっきりが多い片付けも二人で終わらせて、俺は掃除や家のメンテナンスをするプリュイについて回っていた。
よく考えればプリュイは主様の従者みたいなものだから、参考になると思って──なんて真面目な考えではなく、ただプリュイと一緒にいたいからだ。
プリュイにもバレてしまっているのか、少し困ったようにふるふるとしただけで、プリュイが俺を邪魔にしたりすることはなかった。
「えへへ」
プリュイの掃除の手伝いなんてほとんど出来ることはないので、俺はほとんどプリュイの背中に貼りついているような状態だ。
正確にはほぼ埋まってるというべきだけど。
他人から見たら討伐待ったなしだろうが、ここは主様の家で、今ここにいるのはプリュイとプリュイに埋まる俺だけ。
俺にとってはとても落ち着くからな、この体勢。
プリュイも俺を慮って人肌より少し温かいぐらいの温度で包んでくれてるし、太陽の光を透かす青色は美しく水の中みたいで見てると癒やされる。
こんな状況に置かれたお腹いっぱいな六歳児がどうなるかというと──。
「ジル? ……オヤ、眠クなりマシたカ? オヤすみナサイ」
遠くでプリュイの優しい声を聞きながら、俺はうつらうつらと覚醒と眠りに落ちるの繰り返し、最終的には睡魔に負けてプリュイの背中で寝息を立て始めることになった。
いつもありがとうございますm(_ _)m
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プリュイはちょー高級なウォーターベッドな感じです。
某眼鏡くん並みに寝つきの良いジルヴァラには天敵(?)かも。
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