214話目
たぶん大人組はナハト様が話しちゃうことを想定してます。
ふっと目が覚めて周囲を見渡した俺は、夜の闇と静けさに満ちた見覚えのある室内に苦笑いをする。
「……本当にフシロ団長んちにお持ち帰りされたのか」
ポツリと洩らした呟きに応える声はなく……と思ったら隣から伸びて来た腕に引き寄せられる。
「もう少し、寝てなさい……」
服に顔が埋まってしまって腕の持ち主は確認出来なかったが、聞こえて来た声は大好きな主様の声で、深呼吸すると胸いっぱい主様の匂いと……ほんの少し鉄錆た臭いがした。
怪我をしたのかと一瞬不安になったが、たぶん主様のことだから返り血だろうと思い直して、今日は思いきって主様へぎゅっとしがみついて目を閉じる。
いつもはプリュイとか謎ぬいぐるみ相手にしかしないが、今日ぐらいは良いよな?
こうすると、あの不安感があっという間に消えて、ふわふわとした幸福感に満たされていく。
「ふへへ……」
気の抜けた笑い声を洩らしていると、寝なさいとばかりに主様の手が優しく髪を梳いてくれる。
「おやすみ、ぬしさま……」
「おやすみなさい、ロコ」
甘やかすような優しい声音に送られて、俺の意識はまたあっという間に眠りの中へと転がり落ちていくのだった。
「……で、気付いたら朝なんだけど、いくらなんでも寝過ぎだよな。起きたら主様いないし」
しっかりとしがみついたつもりだったが、やはり遠慮があったのかなぁと思いながら、体を起こして誰もいない隣を見つつブツブツと呟いていると、何処からともなくやって来たテーミアスが肩の上に着地する。
「何処で寝てたんだ? 森へ帰ってたのか?」
「ぴゃ」
毛繕いをしながらテーミアスが教えてくれた寝床は、ベッド脇のテーブルの上に置かれた籐っぽい植物で編まれたバスケットだ。
中にはタオルが敷かれていて、テーミアスの寝床用に置いてあるように見える。
「ぢゅっ」
「同じようなひらひらした服を着た女の人の一人が置いていってくれたのか。たぶんメイドさんの誰かかな」
テーミアスの説明を聞いて思いついたことを口にする俺に、テーミアスは無言で前足を差し出してくる。
「お腹空いてるよな。確かポケットにビスケットが……」
そこではたと自分の格好を見下ろした俺は、自分が着替えさせてもらっていて、初めて見るパジャマを着せられていることに気付く。
つまり、今現在当然だがポケットに食料はない。
一瞬どうするべきか悩んだが、下手に動かない方が良いかと判断した俺は、枕元に置かれていた呼び鈴を鳴らす。
呼び鈴から軽やかな音がしたと思った数秒後、扉からノックの音がしてきて、俺は目を見張ってから瞬きを繰り返す。
扉の前で待機してたかと思うような反応の早さに仰天だ。
「……失礼いたします」
しずしずと入って来たのはすっかり顔馴染みとなったメイドのフュアさんだ。
もしかしたら主様にも慣れてるフュアさんが俺担当のメイドになってくれてるのかもしれない。
「おはよう、フュアさん」
「おはようございます、ジルヴァラ様」
そんなどうでも良いこと考えながらへらっと笑って挨拶すると、フュアさんからも笑顔の挨拶が返ってくる。
ついでに俺の肩の上のテーミアスから、フュアさんが俺を着替えさせてくれてテーミアスの寝床の用意もしてくれたという情報が補足される。
「着替えありがと。それとこいつの寝床も」
「あら。起きてらっしゃったんですか?」
俺の発言が思いがけなかったのか、着替えさせてくれようとしていたフュアさんの手が一瞬止まり、驚いたように俺の顔とテーミアスを交互に見ている。
「俺は寝てたけど、テーミアスが起きてて、教えてくれたんだ」
「ぢゅぅ」
俺の着替えの邪魔をしないようにベッドへ降りていたテーミアスは、ドヤッと鳴いて前足を振っている。
「寝心地良いってさ」
「……それは何よりです」
テーミアスの可愛い仕草がツボったのか、フュアさんは小さく笑い声を溢しながらも俺の着替えを手早く終わらせてくれる。
そのまま椅子に腰掛けて髪の毛を整えてもらっていると、部屋の扉が勢いよく開いてナハト様が飛び込んで来る。
「ジルが泊まってるって本当か!?」
「おはよう、ナハト様。本当だよ。しばらくお世話になります」
あまりの勢いに驚いたテーミアスは、肩の上から開いた襟ぐりの所から服の中に飛び込んで来て隠れてしまった。
「その、大丈夫なのか?」
服の中でゴソゴソするテーミアスのくすぐったさに身悶えていると、ナハト様が少し歩調を緩めて近寄って来る。
あの勢いのまま突っ込んで来られなくて良かった。
「傷のことか? それなら平気だぜ?」
こっそり安堵しつつ、笑いかけながら怪我をしている方の腕を掲げてみせると、ナハト様は一回笑顔になった後、ハッとした表情でふるふると首を横に振って俺の手をぎゅっと握ってくる。
「傷は何ともなくて良かったけど、そっちじゃなくて!」
「そっちじゃない? じゃあ、どっちだ?」
焦りまくっているナハト様の様子に首を傾げて訊ねると、視界の端でフュアさんが珍しく焦っているというか何事か悩むような表情で、ナハト様へ向けかけた手をさ迷わせているのに気付く。
何だろうとそちらを見ていると、ナハト様がこっちを見ろとばかりに手を引っ張ってきて、間近で見つめ合うことになる。
「ジル、狙われてるんだろ!? 何かあのぽやぽやが悪いやつ倒しまくったから、その悪いやつの仲間が仕返ししようとしてジルを餌にするために狙うかもしれないって! それで、危ないからうちの屋敷で保護するって聞いたんだよ……で、それはジルには絶対言うな……って……あ……」
息せき切って話すナハト様に突っ込む隙もなく、俺は無言でナハト様の言葉を聞いていたが、どうやらそれは俺が聞いてはいけない話だったらしい。
それでフュアさんがあの妙な手の動きをしていたんだなぁと妙に納得してしまう。
軽く現実逃避をしていた俺は、口元を手で覆ってあわあわとしているナハト様に、へらっと笑いかけながらその肩をぽんぽんと軽く叩く。
「大丈夫。今のは聞かなかったことにしとくから。主様が俺をここに連れてきたってことは、ここは安全ってことなんだし、ちゃんとおとなしくしてるよ」
俺に話すと怯える……とかではなく、下手に話すと俺が『主様狙ってるやつを誘き出してやる!』とか暴走するとか思われたのかもしれない。
うん……もしかしたらしてたかも。
でも、俺を心配してついつい口止めされてたことも忘れて突撃してきたナハト様を見たら、心配させるのは申し訳なくなってしまったので、しばらくはちゃんとおとなしくしていよう。
主様にはフシロ団長も一緒なんだろうし、俺が心配しなくても大丈夫だろう。
ただそうなるとプリュイとしばらく会えないのは寂しいな。
「ん、ありがとな! あのさ、オレもしばらく学園休みにしてもらったから、たくさん遊ぼうぜ?」
俺の胸にちょっと湧きかけた寂寥感は、満面の笑顔になったナハト様の突撃によって掻き消えてしまう。
「おう。あ、せっかくだから、ニクス様とも遊べるかな?」
ナハト様からの嬉しい提案に、俺は喜色を隠さず頷いて、言葉通りせっかくだからとナハト様のもう一人の兄であるニクス様の名前を口にする。
それに答えてくれたのはナハト様ではなく、ましてや微笑ましげに俺達を見守ってくれていたフュアさんでもない。
「──えぇ、僕で良ければ。ですが、僕とナハトは家庭教師の先生がいらっしゃるので、その時間以外になりますが」
「ニクス様、おはよう。もちろん、構わない。あ、どうせなら俺も家庭教師の先生の話聞いてみたいんだけど、駄目かな?」
答えてくれたのは、ナハト様が開けっ放しにしていた扉から入って来ていたニクス様で。
挨拶をしてから、貴族のお勉強が気になって思いつきでおねだりしてみた。
「構わないですよね、ヘイズ」
「はい。ジルヴァラ様なら問題ないと思われますが、念の為、家庭教師の先生の方へは一言連絡を入れておきましょう」
思いの外簡単に許可は下りてしまい、振り返ったニクス様の言葉を受けた執事のヘイズさんがその場でさらさらと手紙をしたためて飛ばすのを見守る。
これはフシロ団長のお宅が特別なんで、他所の貴族の屋敷で同じこと言ったら罵倒の一つや二つ飛んでくるよな。
そもそも前提として、他所の貴族の屋敷に俺が入れてもらえることなんて無いだろけどさ。
あり得ない仮定をしてしまった自分を自嘲するように笑っていると、勉強が嫌らしく「ええー」と言っていたナハト様が不思議な物を見るように俺を見てくる。
「ジル? あ、もしかして、手紙送るとこ初めて見たのか? うちの使用人は全員じゃないけど魔法使えるんだぜ?」
「へぇ、そうなんだ。あ、そういえばフュアさんも魔法使えたよな?」
的外れな台詞だったが、誇らしげに使用人達のことを自慢するナハト様が微笑ましくて俺はふっと笑い混じりで相槌を打ってから、フュアさんが魔法を使っていたこと思い出して、ポツリと付け足す。
ヘイズさんが手紙を送るところを見て、一つ思いついたことがあったのだ。
「はい。使えます」
「なら、手紙送りたいんだけど、あれって魔法使える人なら誰でも出来るのか?」
にこりと微笑んでくれたフュアさんに手を引かれて歩き出しながら、俺は目線だけで『あれ』と手紙を飛ばすヘイズさんを示す。
ナハト様の方はニクス様に連れられて少し前を歩いているが、こちらが気になるのかチラチラと振り返り、ニクス様から「危ないですよ」とやんわり注意をされている。
「出来ます。ですが、魔力量で届けられる距離の限界が変わりますので、私ですと街中までが限界となります」
「そうなんだ。じゃあ、後で手紙送るの頼んで良いか? 留守番してくれてるプリュイに手紙送りたいんだ。何も言わずにフシロ団長んち泊まることになったからさ」
フュアさんからの答えを聞いた俺は、へらっと笑いながらフュアさんと繋がれた手にぎゅっと力を込めると、じっと見上げてそんなお願いをする。
プリュイは怒ったりはしないだろうが、きっとたくさん心配してくれてるから安心させたい。
主様は説明しなさそうだし。
「かしこまりました。では、朝食後にお手紙を書く道具を部屋へお持ちしますね。……代筆は必要でしょうか?」
「ありがとう、頼むな? 代筆は大丈夫だよ」
「さすがです、ジルヴァラ様」
何がさすがなのかは不明だが、微笑んでいるフュアさんは心から誉めてくれてるみたいなので、俺は空気を読んで無言で照れ笑いしておいた。
そんなこんなで服の中に隠れていたテーミアスの存在をすっかり忘れてしまっていて、思い出せたのは朝食のテーブルに着いてからで。
幸いにも心の広いノーチェ様は気にした様子もなく「まぁまぁ、可愛らしいわ」の一言で流してくれて、何事もなく家長不在の朝食は和やかに始まるのだった。
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