571話 昔の夢
「はぁ…疲れた…」
俺は溜息交じりの言葉を吐きながら、
自宅の自分の部屋のベッドに寝転がったままでいた。
俺の名前は鳴鐘 慧河。
そこそこ大きな企業で働いている会社員である。
上司の黒川課長は大変仕事が出来てそこは尊敬に値するのだが、
取引先や下請けに対する対応が容赦なさすぎるところがあって、
正直見るに耐えない所がある。
そんな課長の元で働いて、心身共に疲労困憊と言った状態なのである。
「しかし、これじゃあ…
”妖”のバケモノ達と戦っていたほうが気楽だったかもだなあ…」
俺は会社員の前は、
人に仇名す存在”妖”と戦う気士をしていた。
俺の家のお隣さんが地ノ宮神社という神社で
そこの斎主が代々、地ノ宮流気士術の気士を務めており、
近所づきあいの延長で俺も気士術を学ぶようになったのである。
人の世を脅かす”妖”は人にとって明確な敵である。
そんな”妖”との戦いの日々よりも、
今の会社員の生活が精神的に来るものがあるとは…
所詮人間の敵は人間、ということになるのだろうか…?
「兄さん、お疲れの様ですね」
隣の地ノ宮神社の娘さん、
地ノ宮 静里菜が俺の部屋にやって来て
心配そうに声を掛けて来た。
彼女が生まれた時から一緒に過ごしてきて、
血のつながりこそ無いが俺にとっては”もう一人の”大切な妹だ。
ちなみに彼女は巫女さんでもある。
「ああ、死ぬほど疲れている…」
「それはいけませんね、それでは…えいっ!」
静里菜はいきなり俺の胸の中に飛び込んできた。
俺は咄嗟に彼女を受け止める。
「どうですか兄さん?
妹掛け布団の感触は?」
「ああ、軽くて柔らかくて気持ち良い…
控えめに言って最高だな!」
「ふふっ、それは何よりです兄さん」
「ちょっとお兄!静里菜!
アンタ達まっ昼間から何してんのよ!」
16年間、一つ屋根の下で一緒に暮らしてきた俺の大切な妹、
鳴鐘 優羽花が
ベッドで抱き合っている俺と静里菜に向かって怒りの声を上げた。
「兄さんがお疲れのご様子でしたので、
わたしが慰めていたのですけれど…それが何か?」
「な、な、慰めるって…!?
何言ってんのよ静里菜あ!
それよりもお兄!
女子中学生をベッドに引きずり込むなんて!
ヘンタイよヘンタイ!」
「いやあ俺からは別に…ふぎゅっ」
優羽花の投げつけたクッションが俺の顔面に命中する。
「このヘンタイお兄!馬鹿!ばか!出てけえっ!」
「ちょっ、おまっ…出て行けって此処は俺の部屋なんだが…うおっ」
優羽花の二発目のクッション攻撃が俺の顔面に突き刺さる。
続いて優羽花は三発目を装填すべく新たなクッションを手にとった。
これはたまらん。
俺は静里菜を速やかに自分の身体から降ろすと
ベッドから飛び降りる。
「ああっ兄さん…」
俺に向かって手を伸ばし名残惜しそうに見つめる静里菜。
そんな彼女にちょっと後ろ髪を惹かれるものの、
此処は優羽花の理不尽な怒りから逃げることが最優先。
まったく、俺が静里菜と仲良くしていると
優羽花の機嫌が悪くなるのは何故なんだろうな?
まあここは触る妹に祟りなし!
俺は脱兎のごとく自分の部屋から逃げ出した。
「もう、優羽花。
わたしに兄さんを盗られそうになってお怒りはもっともですけど…
それで肝心の兄さんがいなくなったら本末転倒じゃないですか?」
「と、盗られるって別にあたしはそんなこと!?
あたしは静里菜をヘンタイお兄から守っただけだし!」
「はいはい、わかりましたよ優羽花。
でも大丈夫です、兄さんの残り香は
このベッドにたっぷりと残っていますから。
さあ優羽花…遠慮せずにどうぞ!」
「な、なに言ってんのよ静里菜あ!
お兄のベッドになんて、入れるわけないじゃない!」
「むう…強情ですね優羽花は。
それでは、えいっ!」
静里菜は優羽花を抱き付くと、
一緒になってそのままベッドに転がった。
「ちょっと、静里菜っー!?」
「こうやって兄さんの匂いに包まれたら、
少しは落ち着いて来せんか?優羽花」
「そんな訳あるかー!」
「だって子供の頃、兄さんとわたしと優羽花で
よく川の字になって一緒に寝ていたじゃないですか。
その時を思い出して落ち着いては来ませんか?」
「…う、ん…
言われてみれば…
ちょっと落ち着いてきたかも」
「兄さんの事抜きにしても、
優羽花は何だか落ち着かない感じでしたからね。
ひとは話せば楽になると言います。
優羽花、何か悩み事があるならわたしが聞きますよ?」
「あ、うん…
あのね静里菜、実は部活の事でね…」
俺は部屋を出た後、ドアに聞き耳を立てて二人の様子を伺っていた。
流石は静里菜。
優羽花が何だかいつもより元気が無いことに気付いていたか。
静里菜と優羽花は生まれてからずっと、
本当の姉妹の様に過ごして来た。
ここは気兼ねない姉妹同士のやり取りで、
兄の俺よりも上手く優羽花の悩みは解決出来るだろう。
そもそも静里菜が最初に俺の部屋に来たのも、
仕事のことで落ち込んでいた俺を気遣ってのことだろう。
まったく…俺たち鳴鐘兄妹は揃って静里菜には敵わないなあ…。
…ん?
何で俺は昔の夢を見ているんだ?
まさか、これが噂に聞く走馬灯?
いやそうだとしても急に何故?
そんな俺をまぶしい光が包み込んだ。
光が…広がっていく…!?




