第2章 52『怪我と疲労と想定外』
──魔力の暴走、それは、歳に見合わぬ一定量以上の魔力を保持する者だけに起こる。魔力は普段、魔法やそれに準ずる物を扱う時に身体の内側から外に出され、その威力を発揮する。魔力の暴走は、これを一度に溜まった魔力を全て出す、言わば暴発である。並の魔力量ならば、こんな事は先ず起きない。何故ならば、魔力は普段の生活をする上でも少しずつ消費されていく。そして、並の魔力なら一日生活しただけでも最大魔力量の半分を使い切ってしまう。だから、普段の生活をしているだけなら魔力の暴走が起こる事はない。だが、許容範囲内に収まらない魔力を保持している者は別である。そういう者は時折り、魔法を使い外に魔力を出す必要がある。アスタの場合、週に三回ある魔法基礎の授業で多少の魔力は発散出来ている。しかし、それはボルスピにいた頃と比べてしまうと、軽微なものである。ボルスピではほぼ毎日裏山に篭って魔法の練習をしていた。時には魔力が無くなるギリギリまで撃っていた為、魔力の最大量も増え、今では同年代でアスタ以上の魔力量を持っている者は一人とていない。その結果が災いし、今、自由に魔力を発散出来ていないアスタにとってはかなり深刻な問題となり得る。
「そして、溜め込んだ結果の上発生するのが魔力の暴走と」
時間にして一時間、アスタはその間保健室のベッドの上で横になっていた。隣には担任講師のサム、それと保健の講師、ケイトが万が一体調が崩れた時の事態に対応するために鎮座している。
「そうだ。お前の魔力量がそこまで多いとは考えてなかった」
「たっく…、あんた担任ならしっかりしなさいよ」
「……すまん」
「……取り敢えず栄養剤出しとくから、何かあったら呼んでちょうだい」
嘲る表情をしたケイトが保健室から退出した。
「……身体の方は大丈夫なのか?」
「はい。少し筋肉痛っぽいですが、大丈夫です」
「そうか」
サムも責任を感じているのだろう。自分のクラスの生徒が自分の授業で保健室に運ばれる事になったこと、そして、この事態を予測出来なかった己の不甲斐無さに。
「……すまなかった」
少しの間の後、サムは頭を下げ、アスタに深謝した。
「え?」
「あれは、俺も予想外だった。魔力の暴走……知ってはいたが、見るのは今回が初めてだった。ホーフノー、まさか、お前がそれ程の魔力量を持っていたとは……想定外だった」
「いや、サム講師が謝る事はないですよ!僕もこんなのは初めてで……」
「知らなかったのか?」
「あ……はい。確かに数日魔法を使わないでいると、身体がムズムズしますが、ボルスピにいた頃はそんなのお構いなしに魔法を使ってましたので……いや、授業でも魔法を使って魔力は出しているんですよ。ですが、まさかこんな事になるなんて……。あっ!皆は大丈夫なんですか!?」
「ああ、問題ない。誰も怪我はしていない」
「──良かったぁ」
ホッと一息吐き、自分の所為で誰かが傷付いていない事を知り、安堵した。
その直後、保健室の扉が開き、一人の生徒が入ってきた。
「失礼します。先生、そろそろ」
「ああ、そうだったな」
おそらく入ってきたのは三年の生徒だろう。要件は次の授業について。サムも雇われの身だ。授業があるのならそっちを優先しなくてはならない。
「すまんな。俺も自分の授業に行かなくてはならない。次の授業、無理して出なくていいからな。クラークには俺から伝えておく」
「あ…はい」
サムも保健室からいなくなり、アスタ一人が保健室に残った。
自分以外誰もいない一室に多少の心地良さは感じる。窓の外の木に止まって毛繕いしている鳥を一目見て、ベッドの上に寝転がる。
「疲れた」
久しぶりの疲労にアスタの身体は悲鳴を上げている。もうこのまま瞼を閉じて楽になってしまいたいとも思え、その快楽に身を任せようとした寸前だった。
「……けど、行かなきゃな」
アスタの次の授業は剣術基礎だ。勿論、今日の件はサムが事情を説明するだろうから行かなくても単位が落とされる事はないだろうが、一つ、気になっている事があった。
それは、ミカエルの事だ。
あの時、授業に遅刻する寸前までトイレにいた理由を話そうとしていたが、タイミングが悪く、聞く事が叶わなかった話だ。少し前にシンナーの件もあったばかりでまだミカエルの精神も安定していない可能性もあるし、ドリス家関連の事なら、アスタも首を突っ込んでしまったのだ。まだ残り火があるのなら、それを消すのに自分も責任を果たさなくてはならない。
「ミカエルの奴、大丈夫か?何もなければいいが」
ベッドから下り、置いてあった松葉杖を取ると、脇に挟み、グリップに体重を乗せ、ゆっくりとした速度で保健室を出た。
アスタが松葉杖を使うのは、ボルスピにいた頃に階段で脚を滑らせて骨折した時以来だ。
(懐かしいな……これを使うのはあの日以来だな。確かあの時は父さんが心配してくれて……薬草を取りに山まで行ったんだっけ?)
薄くなっていた記憶へ感傷に浸る。あの時とは違い、此処に家族はいない。だが、家族と同じくらいに大切な友を手に入れた。それが今の心の支えだ。
「──ぐっ、ッッ!!」
靴箱の前までどうにか辿り着いたが、廊下との境目にある段差に脚を滑らせ、前から倒れた。
「いっ……」
立ちあがろうにも身体に力が入らない。そして、今は授業中だ。あの時とは違って、今、アスタを助けられる人間は存在しない。
(脚をやったのか?)
更に、左脚を捻ってしまった所為で軽い炎症が起こり、自力で立ち上がることさえも困難になってしまった。
「くそっ……」
そう小さく呟く。こんな状況でも助けてくれとはどうあっても叫べない。
アスタは男だ。男なら誰の力も借りず、どんな困難にも立ち向かわなければならない。そんな小さなプライドが助けを呼ぶのを拒んでいた。
致し方ない。男なのだから。そんなプライドも捨てられない。
「あの…」
「え?」
「大丈夫…ですか?」
女だ。アスタの前で一人の女子生徒が蹲、手を差し伸べようとしている。
「大丈夫……一人で」
「無理しないでください!肩貸します!」
「は?」
「ぬ……重い…」
この女子生徒は、見るからに非力だ。いや、そもそもな話、普通の女の子に男一人の体重を預けるのは酷な話だろう。どうにか、体勢を立て直せても、これでは歩くこともままならない。
「ありがとう!本当にありがとう!けど、無茶はしないでください!」
「いや、無茶はしますよ!私がしたいんです!だって……」
彼女は口を大きく開いたまま言葉を止め、左手で口を押さえた。
「──?」
「いえ、なんでもありません。それよりも、保健室に行きましょう」
「いや、このまま校庭に向かってくれ」
「校庭?」
「ああ、そのために保健室から抜け出したんだ」
「そんな身体で?」
「悪いか?」
「悪いに決まってるじゃないですか!!」
急な大声に脳を揺らす。何故、顔も見た事がない者にここまで言われなきゃいけないのかは分からないが、校庭に行くためには誰かの力を借りないといけない。
「……っ、心配ありがとう。そういえば、まだ名前を聞いてなかったね」
「──あ!はい!私の名前は、アングレ……アングレ・ローズです!」
「アングレ……」
「はい!使用人科一年、十二歳、同い年です!」
(そこまでは聞いてないんだが)
──要らぬ情報も頭に入ってしまったが、今はいいだろう。この女、アングレが何を考えているかも分からない。なんで、此処に彼女がいるのか、この時間なら使用人科も授業の筈だ。不自然な点は幾らでもあるが、今は猫の手も借りたいくらいの状態なので、それを今は忘れる事にした。そして、下駄箱がある玄関口から校庭へと二人で歩を進めた先に見えた光景、それは驚くべきものであった。ミカエルが立ち、ヨハネが地面に仰向けに倒れている姿だった。
「なんだ……これ……」




