第1章 9『大人の味』
コツコツと此方へ近づいてくる足音、その音に敵意は無い。それどころか歓迎されているような音だ。
やがて足音が止まり、扉がゆっくりと開かれた。
──そこには
「あ、あんたは──」
その青年は整った顔立ちに長い黒髪、エプロンを着て、頭にはバンダナを巻いているごく普通の青年だ。しかし、雰囲気が違う。例え、あの日と違う格好をしていても一目で誰か分かる。その隠しきれていない強者の存在にアスタは度肝を抜かした。
「なんで、こんな所にいるんですか…?『ヒナタ・イノウエ』さん…」
「おや、君は何処かで…あ、いらっしゃいませ、ようこそ純喫茶『ヒバリ』へ」
よそよそしい反応を見せた彼は、あの時のヒナタ・イノウエではなく、店員としての自分を演じている様に見えた。
しかし、なぜ彼がこんな所にいるんだ。レイドを完膚なきまでに圧倒したこの男が何でこんな所で喫茶店なんかを営業しているのか。謎は深まるばかりであった。
「どうぞ…お好きな席にお座りください。ここは滅多にお客さんが来ないので、よければ、ゆっくりしていってください」
「は、はぁ」
最初に会った時とは大分口調が変わったこの男にアスタは多少の警戒はしているが、魔獣や悪人のような雰囲気は感じられなかった。
「こちら、メニューとなっております」
イノウエが入り口の近くにある本棚から一枚の薄い紙を取り出し、アスタのテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます…じゃあ、紅茶でも……ん…?」
注文をしようと、メニューの書かれた紙に目を移した時、また、不可解なことに気付いた。
「看板と同じ、また読めない文字…」
メニューには入り口に立て掛けてある札や小屋に付けられた看板と同じような文字がずらりと並んでいた。
「あの〜、すいません。これ、何て読むんですか?」
「あ、すみません。お客様はこの辺りの御出身でしたか。では、こちらをどうぞ」
イノウエは質問を返してくれなかったが、慌てる様にメニューを取り上げ、アスタの知る文字で書かれたメニューを手渡された。
「ああ、どうも…」
(まぁ、その内この文字も勉強できる日が来るか)
イノウエの行動に何か引っ掛かる部分はあったが、アスタはそれを機にすることなく、今度こそメニューに目を通した。
「──ん…これはなんだ?『コーヒー』?」
メニューを一つずつ確認していると、見たことも聞いたこともない単語が幾つかあった。その中の一つのコーヒーという物に目を奪われ、疑問を持ってしまった。
「すいません、この、コーヒーってなんですか?」
アスタはメニューに書いてある単語を指差しながら、イノウエを呼び、説明を求めた。
「そちらは、黒色の色をした飲み物でございます」
「黒色……じゃあそれを一つお願い」
「かしこまりました。ホットで宜しいですか?」
「あ、はい」
コーヒーという単語が気になりすぎて、つい注文をしてしまった。黒色の飲み物らしく、少し不安を感じてはいたが、その感情よりも今は好奇心が勝っていた。
イノウエがコーヒーを淹れに行っている間、アスタは店内をじっくりと見回した。
店内は、日当たりが良い普通の喫茶店のようだが、本棚に置いてある本にもメニューと同じように見たことのない文字がタイトルになっていたり、鳥のような置物もちらほらとあった。その中でも一際目を引いたのが、カウンター席にある小さなガラスケースの中に飾ってある謎の人形だった。
(あれはなんだろう?)
その人形は別に人の容姿をしていない。しかし、二足歩行で直立している様は、まさしく人間と酷似している。
「イノウエさん、あの人形みたいな物はなんですか?」
たまらず、質問してしまう。あの人形みたいな物がこの空間に場違いな感じがしすぎたからだ。
「ああ、これは『プラモデル』ですよ」
「プラモデル?」
「触ってみますか?」
イノウエはガラスケースの鍵を開け、中にあったプラモデルを手に取り、アスタのテーブルに置いた。
「触ったことがない質感だ。何で出来ているんだ?鉄か…?それとも木材?いや…違う。鉄にしたら軽すぎるし、木材にしても、ここまで触り心地は良くない」
アスタはテーブルの上に置かれたプラモデルに興味を持ち、手に取って観察した。
その質感は今までで触ってきた物とはまるで違う感触だった。
「……動くのか?」
試しに腕を軽く動かしてみた。すると、どうだろうか腕はアスタが思っている以上に稼働し、幾ら動かしても壊れる様子はない。
「すごい…ここまで動くなんて。一体どうやって作ったんだ?これ…」
プラモデルの仕組みに感動していると、テーブルの上に黒色の液体が入ったティーカップが置かれた。
「お待たせしました。こちら、ミルクとお砂糖をご自由にお使いください」
「えっ!砂糖!?」
イノウエの一言にアスタは驚愕の眼差しを向ける。
「砂糖なんて高級品…、しかもこんなに!」
ブリーデン大陸に菓子類は存在するが、砂糖を使うことは滅多にない。なぜなら、原材料である『神竹』と『天巫女』が全く取れないからである。神竹は、港街『ラメール』でのみ栽培が可能になっているが、ラメールを囲む山々によって輸出が殆どできていない状態になっている。天巫女は、北方地帯でのみ栽培されるため、そこに住んでいる亜人族が独占している。なので、王都やその近辺の四大都市には滅多に輸入されない。アスタが住む最南の村、ボルスピなら尚更だ。
だから、ボルスピから近辺にあるこの山に砂糖があるなんて、普通はありえないことなのだ。
「特殊な伝手があります故、この事は内密にお願いします。こちらは、サービスです」
イノウエは左手の人差し指を出し、『秘密は漏らすな』というジェスチャーをし、テーブルにクッキーが乗った皿を置いた。
「わ、分かりましたよ。兄に誓って、この事は秘密にします」
そう答えると、イノウエは笑顔でカウンターの方へ戻っていった。
しかし、カウンターの方に戻ってからも微笑みながら此方を見つめている。
──正直気持ち悪い。こっちを見るな。
心の奥の奥でそう呟きながら、コーヒーの香りを嗅ぐ。
「──いい匂い、なんの茶葉を使っているんだ?」
そう小言を漏らしながら、ティーカップの縁に口をつける。そして、静かに黒い液体を舌に運ぶ。
「あつっ!──って、にがぁー!」
身体がその黒い液体を受け付けず、一口、口に含んだ時点で吹き出しそうにはなったが、なんとか飲み込んだ。
「ふふふ…、貴方にはまだ早かったですかね?なんせ、大人の味ですから」
「お、大人の味?」
アスタはそう茶化されながら舌を出して、直ぐにでもこの苦い感覚を取っ払いたくて舌を出し入れする。
その後は、皿に乗ってあるクッキーを頬張った。
「ん……すごい甘い。これも砂糖が使われているのか」
アスタはクッキーでパサついた口をコーヒーで流そうとする。しかし、身体が拒否反応をして、ティーカップを持つ手が震えている。
(ええい!こうなりゃヤケだ!!)
一気にコーヒーを飲み干し、テーブルにうつ伏せになる。
「うう……、にが……」
「ミルクと砂糖を入れればもう少しまろやかな味わいになりましたが…、まあ、まだ子供の貴方には無理な話でしたか」
アスタが口を押さえ、恨む様にいけすかない顔で微笑んでいる男を親の仇の様に睨む。
「そんなに、見つめられると照れるな」
「うるさい」
残ったクッキーを時間をかけて完食し、クッキーの溢れカスが付いた皿をイノウエの元に持っていく。
「ごちそうさま。代金はいくら?」
「ありがとうございます。お客さんが来るのは久しいので、今回のお支払いは結構ですよ」
「そう…、じゃあご馳走になったとこで悪いんだけど、幾つかあんたに聞きたいことがある」
アスタは目付きを変え、左手を身体の正面に出す。
「……それは、私を脅しているのですか?」
「そう捉えてくれて結構。元々、この小屋を見つけた時点で色々と気になることがあったからな」
「なるほど…、しかし、貴方はここの人間ですよね?それに文字も読めなかった……。嘘ではないし、間者でもなさそうだ……」
イノウエは手元にあった手帳を開く。
「──?何をしている」
「いえ、お気になさらず」
質問の答えとは違う返答をされる。アスタの掌に魔力が溜まる。イノウエが此方に敵意を向けることがあれば、容赦なく魔法を放つつもりだ。
(だが、こいつに魔法が効くのか?兄さんを瞬殺した化け物だぞ)
「────はぁ、分かりましたよ。なんなりと質問してください。その代わり、この喫茶店のこと、今から答える質問の答えのことは他言無用でお願いしますよ」
アスタが緊張感を上げていると、溜め息を吐いたイノウエが手帳を閉じ、アスタの質問に答える構えを示した。
(やけにあっさりと)
「まぁ、ここからは僕自身、個人的に知りたい内容だから、この事は誰にも言わないよ」
イノウエは無言で頷く。
喫茶店内に沈黙と静寂が訪れる。
「あんたはどこ出身だ?」
「ここから遥か遠い、東の海の最果ての地が出身です」
「ここに住んでいる理由は?」
「人目につきづらいからです」
「コーヒーはなんの茶葉から作っている?」
「コーヒーは茶葉から作れません」
「この文字はなんだ?」
「それはお答えできません。そうですね…、貴方がもう少し大人になってから教えてあげても構いませんよ」
「この小屋はいつ作った?」
「私が来る前からここにありました」
「あんたは何者だ?」
「ただのしがない一般人ですよ」
それから、アスタは幾つも質問をした。質問するたびに、イノウエは淡々とした言葉使いで質問の答えを的確にかえす。中には、答えられない質問もあったようだが、アスタはそれを気にすることはなく、質問を続け、十五分が経った。
「──っ、質問は後二つだ」
「やっとですか。立ちっぱなしも疲れるので、早く終わらせてほしかったところですよ」
アスタとイノウエは一息吐き、目を合わせる。
「この本に見覚えは?」
アスタが懐から取り出したのは、貰ってから肌身離さず持ち続けていて、アスタが魔法を極めることになった原因とも言える紫色の魔導書だった。
アスタは直感で、これを衛兵や騎士に見つかれば何か最悪なことが起きる可能性があると思っており、滅多に人前には出さなかった。ずっと持っていた理由は、これが自分の留守中に空き巣などに見つかり、第三者に売られた時の仮定をしたからである。
「ない」
イノウエの答えは見覚えはないと言う一言だった。アスタはイノウエの目や素振りを見たが、動きはない。本当に知らないようだ。
「じゃあ最後の質問だ」
「何年か前に、この小屋であんた以外の人物が二人、住んでいたことはなかったか?」
アスタは間を開けて、最後の質問をした。しかし、これもいい返事が貰えないことを想定していた。なぜなら、これは四ヶ月前に見た夢の話だからである。夢でこの小屋と似た小屋をみた。そして、そこから出てきた二人の男女。もしかしたら、何かを知っているのではないかと、薄い希望を持ち、イノウエの方を見る。
すると、イノウエの眉がピクっと動いた。今までのどの質問にもそんな動きはなかった。
(──何か知っているのか?)
初めて見せた動きの変化にアスタは警戒心を上げる。
「残念ですが、知りませんね。最初にも申したように、この小屋は私が来る前からあった。私が来る以前の事は一切知りません」
(──嘘…)
アスタは魔法を出す準備を整えた。最高威力の魔法だ。使えば、大陸の地図を描き直さなければいけないくらいの被害が出る。
だが、それ以上にイノウエからはさっきまではなかった強者の空気と敵意を感じた。それは、ヘルドと同等、いや、それ以上の強い気配だ。
「ありがとうございました。これは情報料です。心配しなくても、これは誰にも言いませんし、ここにはまた来ますよ」
アスタは堪らず、逃げるように銀貨三枚をカウンターに置き、小屋を後にした。
(あれはやばかった。あれ以上、あそこに留まっていたら、いつまで精神が持つか分かったもんじゃない)
アスタは踏み慣れた地面を歩き、小屋が見えなくなるまで進んだ。
それから、心臓の鼓動が静まったのは、麓で班員と合流してからだった。
△▼△▼
──山小屋
「……なんで、あの二人のことをあの子は知っている様な風な口振りだったんだ?つい、殺気が漏れてしまったよ」
「──まぁ、また会えますよ」
「君がこの世界の真実を知るのは、もう少し先になりそうですがね」
山の天気は変わりやすい。ポツポツと小雨が降り始めてきた。そんな景色を眺めながら、イノウエは自分で淹れたコーヒーを飲む。
「……大人の味か。これも悪くないか」
どうもドル猫です。この9話が物語の核心を突くこととなり、更に、謎が深まる話しとなりました。
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