第2章 50『騎士になりたい理由』
今日も今日とて昇る朝日、その陽光の眩しさにアスタ・ホーフノーは目を覚ました。
「くぁぁ……」
二段ベッドの下を覗くと、可愛い寝顔でまだヨハネが寝ている。アスタはまだ温かさが残る布団から出ると、洗面所に向かい、自分の歯ブラシを手に取って歯を磨き、それが終わったら水道の蛇口を捻り水を出し、顔を洗う。この水道も魔石を応用して作られた物だろう。それから、朝の寒さで震える身体に鞭を打ちながら運動着に着替え、寮の部屋を出た。部屋を出てからは正面玄関で靴を履き替えてから外に出て、新脚を数回した。
時間は明朝の五時半、朝飯まではまだ大分時間がある。
「行くか」
その一言の後、アインリッヒ大学を囲う壁に沿うように走り始めた。朝のランニングだ。身体を目覚めさせるにはこれが一番いい。
「はっ、はっ」
あれから一週間が経った。まだミカエルは教室に戻ってきていない。面会を求めようにも拒否。なので、一部では退学になったのではととも、根も葉もない噂も立っている。
「はっ…はっ…」
ヨハネはあれからこれまで以上に授業に取り込んでいる。苦手な剣術でも段々と腕を上げ始めている。ヘルドの言葉がそれ程までに効いたのだろう。
「はぁ…はぁ…」
そしてアスタは、新たな目標を見つけた。魔人への復讐ではない全く新しい目標。それは、兄、レイド・ホーフノーを探すことだ。生きていると言う確証は持てていない。だが、あの最強の騎士が生きていると断言したのだ。生きていると、そう信じたい。だからこそ、魔王領への遠征機会がある王国騎士団に尚のこと入る必要ができた。これがアスタの新しい目標だ。
「あ……」
息が少し上がってきた所に遠目で人影を確認した。この時間で外にトレーニングをしに部屋から出ている者なんかいるのかと思い、ペースを上げてその人影に近付いた。
「よお、一週間ぶりだな」
「アスタ…」
その人影の正体は一週間教室に来てないミカエルだった。
「今日から復活か?」
「ああ」
「そうか」
あんな事があってから一週間ぶりに会うのだ。会話が弾まない。
「……迷惑、掛けたな」
「いいよ。気にすんな」
今のヘルドは一つの目的を終え、心にポッカリと穴が空いている状態だ。殺すまでには至らなかったが、これが復讐者の末路とでも言うのだろう。
「…あの時、お前が止めてくれなかったら、俺は俺を見失っていた。本当にありがとう」
「いいって、大袈裟に考えすぎだ」
「……友達に刃物を向けたんだ。母さんにも合わせる顔がなかったよ」
「なかった?」
意味深な過去形にその言葉をオウム返ししてしまった。
「ああ、暫くは親の元に帰れとサム講師に言われたんだ。だから、目が覚めてからは皆には見つからないように此処を出て、お世話になっているメイヴィウス家に帰らせてもらったんだ」
「そうだったのか」
「反省しろって事だったのかな?お陰様で大分冷静になれたよ」
「そうか。お母さんは元気だったか?」
「ああ、漸く慣れて視力も戻ってきた所だ」
「そうか……。うん?視力が戻る?そんな事あるのか?」
前話していたミカエルの話では、ミカエルの母親の視力は汚染された土地の影響で視力を失い、もう二度と戻らないと言う話だった筈だ。
「あるんだよ。ある魔道具を使えば」
「魔道具?」
「赤蜘蛛を討伐した時、報酬としてトゥラスヴィさんから貰った物だ。俺も最初は半信半疑で使ったんだが、日を経つ毎に母さんの視力がどんどん戻っていったんだ」
「そんな魔道具があるのか……」
魔道具の概念自体は知ってはいたが、そのような物まであるのは知らなかった。なんせ、機能しなくなった身体を元に戻すのだ。それは最早、初級や中級の治癒魔法の効果すらも超えている。
「…それじゃ、俺は部屋に帰るよ。荷物を置かなきゃだし」
「そっか。じゃ、俺はもう少し動いたら戻ろうかな」
まだ朝食まで時間があるとは言え、時間のない朝だ。ミカエルとアスタは一旦別れて、お互いにすべき事をした。
* * * * *
食事、それは一時の癒し。日に三回のエネルギー補給である。その食事をミカエルは一人で取っていた。一週間前まではアスタ、ヨハネとも食べていたが、今日は一人で食べたい気分だった。
「ミカエルゥゥゥゥ!!」
「──え?」
ところが、ミカエルを見た途端、持っていたお盆をアスタに押し付け、抱きついてきた男が一人。ヨハネだ。
「うわっ、プッ」
「ミカエルゥゥ」
「ちょっ、なんだよ!なんで抱きつくんだ!?皆見てるだろ!」
今のヨハネは鼻水と涙を無駄に流し、ミカエルの服を水分で一杯にしている。これでは静かに食事をするどころではないだろう。
「だってだって、一週間も来ないから退学したのかと……」
「少し帰ってただけだ!俺は大丈夫だから泣くな!」
周りからの注目の的が二人に集中している。その後ろでアスタは苦笑いをしながら他人のように振る舞っていた。
「彼奴……、おい、もういいだろ。俺はいなくならないって」
「うん」
ヨハネがミカエルから離れるのを確認し、アスタもミカエルと対面の椅子に座った。そして、ヨハネから受け取っていたお盆を返した。
「ヨハネ程じゃないが、俺も心配はしたんだ。あそこまでやって村を燃やした奴に復讐したんだ。辞めたっておかしくはない」
「あのなあ、何か勘違いしてるかもしれんが、俺にだって騎士になりたい理由があんだよ」
「理由?」
「それは?」
「……金だよ」
「──え?」
暫く三人の間に沈黙が流れる。周りの雑音が全く耳に入らない程にこの空間はミカエルの一言に支配された。
「騎士になれば、安定して金を稼ぐ事ができる。しかも、年功序列じゃなくて実力がある者だけが上に登れるシステムだ。俺の最終目的は王国騎士よりも上の近衛騎士を目指す事だ。王直属の近衛騎士なら、他の職業じゃ稼げない程の大金を安定して稼げる。そうすりゃ、もう貧乏にならなくても済む。今みたいにメイヴィウス家に迷惑を掛ける事もない」
──金。考えた事がない訳ではないが、騎士に高い給料が払われているのは事実だ。アスタの叔父のロイドも近衛騎士団に入っているが、時折りボルスピに帰って来ると、村の大人達に高い酒を振る舞うのだ。ロイドも家庭を持っている筈なのだが、あのは振りの良さはその高い給料のお陰なのだろう。
「僕は…金の為だけに騎士になるのは反対だ」
「なに?」
ヨハネが両の掌でテーブルを叩き、並べられていた食器が音を鳴らした。沈黙が続いたこの場の空気が壊されたようだ。
「金の為って……そりゃお金は大事だよ。だけどそれ以上に騎士にはやるべき事があるだろ」
「じゃあお前は何の為に騎士になるんだ?」
「僕?──僕は正義の為だ。二人も分かっているだろう?差別に貧困、汚職に裏取引、この国は腐っている。腐り過ぎている!それらを正す為に僕は騎士になりに来たんだ」
ヨハネが騎士になりたい理由、それは単純だけど複雑、正義だ。ヨハネは根っからの真面目なんだろう。
「正義……」
「二人ともその辺にしとけ。飯が冷めるだろ」
「そう言うアスタは何の為に騎士になりたいの?やっぱり魔人への復讐?」
二人の考えは何方も正しいと言えるだろう。だからこそ、アスタはこの会話を不毛だと思え、会話を切ろうとした。だが、それが裏目となり、逆にヨハネから問われる形になった。
「俺?」
「ああ」
「…そうだなぁ。確かに最近までは兄さんの敵討ちをしたいから魔王領への遠征が多い王国騎士になるのを目標にしていた。だけど、一週間前に生きていると言う情報が入ったんだ。あ、これは他言無用で頼むよ。──だから、何の為に騎士になりたいかと言うと、兄さんを探す為に騎士になるって言うのが今の俺の答えかな」
少し前のアスタなら間違いなく復讐と答えていただろう。それは感情的にも程がある愚かな答えと言えるだけあって、今のアスタは冷静だ。
良い形とは言えないが、三人の腹の内がこれで知り渡った。利益、感情と来て、最後は冷静で達観された夢見の思い、三者三様の目標が出揃った。
「皆考え方は違うか………ごちそうさま」
ヨハネは何を思ったのか、朝食を一気に口の中に頬張り、自分の分の食事を完食した。
「それじゃ、また教室で」
この言葉の後、ヨハネは食堂から姿を消した。
「おいおい、大丈夫か彼奴?」
「なにが?目的を持つのはいい事だろ?」
「それはいいんだよ。国を良くしたいって言う気持ちは俺も分かる。けどさ、今の現役の騎士達にもそう思っている奴は多少なりともいるだろ。それでも、国の現状を変えられてないって事はさ……」
「そう言うことか」
「俺は貧民出身だから、差別や区別を無くしたいってのは痛い程分かるよ。でも、差別があるからこそ……、仮初めかもしれないが、今の状態が一番平和なんじゃないのかと思うんだ」
「……!!」
「例えば、この世界が平等だとすれば、この王都にも亜人や魔人が流れ込み、様々な文化が定着する。それはいい事だ。けど、逆にそれは新しい争いの火種にもなる。その文化を受け入れられない人にとってみれば、それは害悪以外の何物でもないからな。だからこそ、多少国に裏や闇があっても見て見ぬふりをする。そりゃ俺だって悪い所は修正したいさ。けれど、人一人だけの力ではどうにも変えられないみたいだしな。寧ろ、平等を求めると、それこそ国の崩壊に繋がりかねないし、夢を追うことも出来なくなる」
「それがお前が金に執着する理由か」
「俺は一度最底辺を経験したからな。だから、チャンスさえあれば誰でも成り上がる事が出来る今の公平な国のシステムを嫌いにはなれない。……でも、ヨハネは違う。彼奴は、一歩間違えれば危険思想に染まっちまうかもしれない。特に正義感が強い奴程そうなりやすいからな。ああ言うのは、簡単な嘘すらも信じてしまうぜ。そうならせない為にも今は不安定な彼奴を見守らなくちゃいけない。俺達で」
下を知っているミカエルだからこそ言えるこの台詞。実際、ヨハネ・アマベルがこの国に牙を向けるのは遠い未来、あるのかもしれない。それが、アスタ達の知っている世界のなのか、そうでないのかは誰にも分からない。
(そういや、ヨハネがこんなに張り切り出したのって、いつからだっけ?)




