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勇者の弟  作者: ドル猫
第1章『〜幕開け〜王都からの手紙編』
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第1章 8『師匠と弟子、祖父と孫』

「フッ!らぁ!」


 太陽が高く昇り、人々が働きに出る時間、ホーフノー家の庭ではこの昼間から人に見立てた的に向かって木剣を入れる少年の姿がある。汗が飛び散り、髪が揺れ、足や腕が日々の鍛錬の賜物である筋肉痛に悲鳴をあげる。


「──アスタ!もっと腰を低くしろ!それでは剣先に百パーセントの力は入らないぞ!!」


「はいっ!」


 言われた通りに腰を低くし、今度は回転も入れながら(まと)に連撃を入れる。しかし、今度は無理な動きをさせた腰に痛みが走る。そうなると足がもつれ、身体の芯を支えている土台に力が入らなくなる。


「おっ?──のわっ!」


 バランスを崩して背中を思い切り地面に打ちつけるが、どうにか受身を取る。


「いてて……」


 あれから四ヶ月、全くと言っていい程剣術が上達せずに受身だけが上達するアスタを見て、フライデンは溜息を漏らしていた。


(威勢はいいんだが、アスタの身体がまだ剣術の激しい動きについていけていないのが問題か)


 アスタも練習に打ち込む努力はしている。しかし、どうやっても兄のレイドと同じ位に達するまでには十年、二十年と途方もない時間が必要になる。つまり、剣術に関してはアスタがどれだけ頑張っても凡人の域は出ない。フライデンはそれも今の時点で見抜いている。


「アスタ!休憩を入れるぞ!休むのもまた修行の一環じゃ!」


「はい!『師匠』」


 二人は庭の地面に座り、広くなった家を眺めながら、お茶をゆっくりと口の中に含んだ。

 レイド達がいなくなってから四ヶ月、アスタの身の回りの景色も随分と変わった。あの日見せていた村の活気も今では以前に元通りだ。


「まぁしかし、いきなりアスタから剣を教えてくれなんて言われた時は驚いたわい」


「まぁ、それまでは魔法一筋だったから」


 お茶を飲みながら、四ヶ月前のあの日の話を昔話のように話す。そう、レイドが王都へ行った日だ。あの後──


△▼△▼


「爺ちゃん、いえ、師匠!僕に剣を教えてください!」


「な、なんじゃ!?いきなり頭なんか下げおって」


 レイドが王都へ行き、父と母がワーボンへ向かうために家を出た後、直ぐにアスタはフライデンに頭を下げた。


「僕は──強くなりたいんです!!」


「いや、いきなりそんなことを言われても納得はできんぞ。一体何がお前をそこまで駆り立てるのじゃ?」


「そ、それは……」


「ふむ…とりあえず話は家の中で聞こう。ここでは迷惑じゃ」


 家の中に戻り、二人は居間で向かい合わせで座布団に正座で座る。しかし、どちらも話を切り出せない。こういう時に空気を読まないレイドがいればなとつくづく思う。


 二人が一言も喋らないまま、五分間、ただ静寂が流れる。時折聞こえる音は、洗い物に付いていた水滴が落ちる音と、外で犬が吠えたり、通行人の足音などの環境音が聞こえるくらいだった。


「あ、あの…」


「のう、アスタ…」


 ハモった。こういう時に限って、普段物静かな二人が会話を始めようとするとよくあることだ。このハモりの所為で雰囲気が気まずくなり、ますます話しづらくなった。


「お、お茶淹れようか?」


 アスタはこの沈黙を直ぐにでも打破しておきたかったので、本題とは関係ない行動に移った。

 しかし、この行動はあくまでも、自分の心に正直になれていないだけ。つまり、問題を先送りにしているだけである。


 台所に向かい、コップを二つ、食器棚から出してお茶パックとお湯をコップに注ぐ。

 お湯を注いでいる時に寝室に目を寄せると、そこには綺麗に折り畳まれた布団が三つ並べられていた。


「……もうここには」


 静かな家内、昼の日差しが廊下を照らす。申し訳程度に飾っている一枚の絵画が一層目を惹かせるくらいにはこの家は寂しさを増していた。


「静かだ…」


 生(ぬる)い風が窓から家を吹き抜ける。この大陸は、昼は秋の初旬の頃くらいに暖かく、夜は日本で言うところの山形の冬くらい寒く、寒暖差に癖があるのが特徴だ。しかし、南方の都市『ワーム』では、昼夜(ちゅうや)問わずに毎日暖かく、少し汗ばむくらいの気温のため、ボルスピ含めた南側領土は生き物が活発に動くには丁度いい環境である。逆に、北方都市の『ゲミシトラ』では一年中気温が低く、冬の時期には雪が降り積もり、生き物が住むには困難な土地となっている。そのため、そこに住むのは主に寒さに強い亜人族が大半である。


「はい、お茶」


「ああ、ありがとう」


 お茶を机に置き、今度こそ話し合いに入る準備を終えた。


(これだけ時間が空けば、今度こそ話せる筈だ)


 浅い呼吸の後、アスタは目を見開き、目の前のフライデンと目を合わせた。


「お爺ちゃん、もう一度言います。──僕に、剣を教えてください!」


「ふむ…それは分かったが、その理由はなんだ?」


 フライデンは声を低くし、先程とは違う雰囲気を漂わせる。家の空気がさっきまでの寂しさ、静寂を覆い隠すかのようにフライデンから出ているプレッシャーに支配された。


「そ、それは…」


 ──この空気に呑まれるな。ここでお爺ちゃんと対話出来なかったら、僕はまた、後悔してしまう。


 一瞬気押されそうになったが、アスタは意を決して、もう一度フライデンと目を向き合い、硬く閉ざされた口をこじ開けた。


「それは、僕が騎士として兄の隣に立てる強い弟になるためです」


「ほう、騎士か」


 目元を尖らせ、唇を触る。騎士という単語に何か思うところがあるのか、数秒間唸った後、フライデンは重い口を開いた。


「ふむ…、騎士になりたいのは構わないが、お前には魔法の才能がある。そっちを伸ばそうとは思わないのか?」


「そりゃ、魔法の鍛錬も怠らないよ。だけど、魔法は展開の早い戦いや接近戦には不利になるから、どんな戦いでも対応できるように爺ちゃんから剣術を教わりたいんだ」


「なるほど、それは解った。だが、何故今教わりたいんだ?」


「──それは」


「──!?」


 レイドが王都へ行く時と同じ感覚だ。言葉が詰まった。呼吸ができない。脳を動かせない。伝えようとしても何故か身体が拒否反応を起こす。


(くそ、どうなっているんだ!?)


 黒い影がアスタに忍び寄る。


「アスタ?」


 前とは違う。今度は人の形をした何かがアスタの耳元で囁く。その人影は、邪悪という言葉では説明がつかない。言うなれば、人の悪感情を詰め込むだけ詰め込んだ鍋だ。


 ──お前には無理だ。やめとけ、どうせ失敗する。


(──黙れ)


 ──何もできない、変えられない。お前が何をしようと、結果は最悪の方向へ行く。


 ──それがお前の未来だ。


「黙れっつてんだろーが!!この大バカヤロ──!!」


 怒り、崩壊する。アスタの精神世界で何かが壊れる。それは人の形をしているのか、此方へ歩み寄ろうとする。


(まるで脳に靄かなんかが入り込んだ感覚だ…、これは…いったい?)


「ア、アスタ?」


 大声を出したことで脳に入り込んだ何かが吹っ切れた。漸く冷静を取り戻したところで、口が水分を欲するように渇いた。荒い呼吸を数回続けた後、一口お茶を含み、飲み込んでから一息吐いた。そのお陰か脳も万全を取り戻せた。


「はぁはぁ」


「アスタ、今日はもうやめにしよう。お前も疲れているんだろう?」


 理解を超えた現象を追い払えたが、祖父がアスタの体調を心配し、会話を打ち止めようとする。


 ──ここで会話が途切れるとまずい。


 何故かそれが分かる。何故だか分からないが、考えるより先に誰かが自分に訴えかけるように此処での会話を続けさせるようアスタの身体に命令した。


「ちょっと待って!!」


 声が出た。先程の違和感は消えて無くなり、心臓の鼓動を確かめる。息を飲み、周りを見渡す。いつも通り空は澄み、鳥が鳴く。


「アスタ、大丈夫なのか?今日が駄目なら別に明日でもいいんだぞ」


 それは甘い考えだ。人は苦難を先送りにしても、その苦難はまた、別の場所で自分自身に襲い掛かる。

 

 だから──


(ここで引くわけにはいかない!何故かは知らないが、ここで心臓がはち切れてでもこの事を伝えるべきだ)


「僕が爺ちゃんに剣を教えてほしい理由は、遅くても一年後には兄さんは旅立ってしまう!その前に、僕が騎士になって兄さんの仲間として旅に出たいからだ!!」


 肺の酸素がなくなるくらいの大声で祖父に自分の気持ちを伝えた。もしこれで、自分の身に何かが起こるようでも後悔はしない。

 

 ──やらない後悔より、やる後悔だ。


「そうか…」


 祖父はアスタの腹の底の思いを全て聞いて、何を感じたのか何を思ったのか、黙ったまま動かない。


「……アスタの気持ちは理解した。だが、幾つか問題がある」


 一分間黙り込んで、ようやく口を開いた。この感じは祖父がアスタが騎士になることを許しているとも取れるが、悩むところがあるのか、アスタと目を合わせ、問題点を開示していく。


「まず第一に、騎士になるには王都にあるアインリッヒ大学の騎士科の卒業試験を合格する必要がある。アインリッヒ大学への入学方法だが、これがかなり難しく、騎士かそれなりの権力を持った人物から推薦状を貰わなくてはいけない」


「──え?推薦状ならもう持ってるよ」


 だが、最初の難関である推薦状だが、アスタは既にこれをクリアしていた。初めてエグゼと会ったときに無詠唱の魔法を使ったことで実力を認められたのだ。


 アスタは自分の部屋に保管していた推薦状を大急ぎで取ってきて、すぐさま祖父に見せた。


「──確かにこれは本物の推薦状じゃ。なるほど、あの小童(こわっぱ)どもか……」


 祖父は少しの間手紙を眺めて、裏にあるサインを見てこの推薦状が本物で、既にアスタが騎士に認められていることを確認した。


「なら、今からでも僕たちも王都に……」


「待てっ!!」


 アスタが王都へ行く準備を始めようとすると、祖父がそれを静止させる。


「アスタ、お前はまだ騎士にはなれん」


「そもそも、アインリッヒ大学に入学するには12歳からでないと入れん。更に、卒業試験を受けるには、最低でも三年間は学校で生活をする必要がある」


「──ぐっ」


 アスタもそれは解っていた。だが、兄のことを考えすぎて、そのことが頭から抜けていた。


「それに、お前はわしに剣を教えてほしいのじゃろ?なら、まだ時間はある。レイドが王都から旅に出るまでの一年間、わしがみっちりしごいてやろう」


 祖父は孫の頼みを叶えてやろうとやる気を見せ、庭にある木剣を手に取った。

 アスタが剣をやり始めると言ったときから、実は内心かなり嬉しかったようだ。レイドに続き、アスタも剣をやるとなれば、元傭兵のこの祖父は孫を成長させる為ならどんなスパルタでもする。事実、レイドもこのスパルタ教育のおかげで強靭な身体能力と精神力を手に入れている。


 アスタも祖父の変わりように困惑しつつも、「はいっ!」と一言大きな声で返事をし、レイドが残して行った木剣を部屋から持ってきて庭に出た。


「アスタ…わしは容赦せんぞ…」


「よろしくお願いします!『師匠』!!」


△▼△▼


「──のわぁ!」


 晴れ渡る青空が、仰向けに倒れるアスタと木剣を持ち、汗一つかかない老人を照らしていた。


 仰向けになった身体から見える景色は、ゆっくりと動く入道雲と村の外れにある裏山であった。


「──ああ、鳥っていいなぁ」


 アスタは腕を伸ばし、空を手で掴む動作をして見せた。しかし、掴める物は一握りの(くう)だけである。


「どうした?もうお終いか?」


「いいや、まだまだぁ!こんなんじゃ兄さんに追いつくどころかエグゼさんとブリシュさんにも剣じゃ勝てないからね」


 アスタは、四ヶ月前に家に訪問した騎士二人をダシに使い、笑いを取った。


「ほっほっほっ!あの小童どもは無事におうちまで帰れたのかのお」


 祖父もそれに乗じて、アスタの冗談に付き合う。アスタの今の剣の実力は、並の衛兵と同じところだろうか。この短期間でここまで成長できるのはレイドと同じ──いや、それ以上かもしれない。


 しかし、当の本人はまだ剣の扱い方にまだ慣れていなかった。

 アスタの場合は、魔法を早くに覚えてしまった為に、身体の体質が魔法使い、魔導士よりのものになってしまっているのだ。なので、例え剣の才能がアスタにあったとしても、剣術と魔法、両方をマスターするのは至難の技ということになる。


「じゃあ、そろそろ再開しますよ!」


 木剣を握り、一旦距離を取る。軽く手足を(ほぐ)し、土を踏み込む。地面を蹴った瞬発力そのままに持っている木剣の間合いまで迫ると、腕を上げ、半円を描くように剣を斜めに振る。


 風が舞う。木剣を振り抜いた際に発生した風だ。その風が庭に立っている木の枝に触れ、軽く揺れる。


「ふん、まだまだ甘いわ!」


 しかし、難なくアスタの一撃をかわした祖父にカウンターを入れられる。この祖父の動きとアスタの動きは何が違うのだろうか。

 アスタはまだ気付いていないが、祖父の動きはアスタとは違い、滑らかだった。アスタは剣を握り、まだ四ヶ月。手、腕、脚、腰がまだまだ力んで硬い動きになっている。それに対し、祖父の動きはダンスを踊るかのように剣を振るい、まるで一つの曲目としての演劇を見せられているようなものだった。


「痛った──」


 地面に打ち付けられ、視界が青空に向く。さっきまであった小さな入道雲は何処かへ飛び去ってしまったらしい。その代わりに北の方から来た別の薄い雲が風に乗り、空を浮かんでいた。


「そろそろ終わりにするかのぉ」


「いや、まだまだ……うぐっ!?」


 倒れたアスタを見ながら祖父は打ち止めの提案をする。しかし、まだ昼前だ。稽古を終わらせるにはまだ早い。なので、勿論続行の意思を見せるが、身体はそれに反対するかのように打撲の痛みで抗議する。


「ふむ、今日は打ち止めじゃな」


「あ──くっそ──、今日も一本も取れなかった」


* * * * *


 時計の短針が七の数字を指し、指針がカチカチと音を立てる。外では虫の鳴き声が響き、夜の音楽会が開催されていた。


「アスタ、少々相談があるのじゃが…」


「何?」


 食事をとりながら、祖父と雑談を始めた。吸い物を飲み干し、アスタは会話を聞く用意をした。


「アスタも知っているとは思うが、最近になってここらの魔獣が活発化してきたんじゃ」


「うん、それは知っているよ。だから、村や隣町に駐屯している衛兵が山に入り浸ってるんだよね?」


 ここ最近になって、この大陸で魔獣の活性化が突如として起こった。それは王都や他の四大都市だけにとどまらず、ここ、ボルスピ近辺も例外ではなかった。


「話が早くて助かる」


「で、それがどうかしたの?」


「ああ、わしも今日の朝方に衛兵に言われたんじゃが、今、衛兵も騎士も別件の任務に出払っていて、この辺りにまで人数が充分に回っていないらしい」


「それで、僕達のような手練れに声を掛けているということか」


 アスタは祖父の話した内容に耳を傾け、大方の話の内容を理解した。


「アスタ、お前の悪い癖じゃぞ。人の話を最後まで聞かないのは」


「──分かってるよ、お爺ちゃん」


 アスタは自分の欠点を指摘され、自分自身の滑稽さに呆れた。アスタは、このたった四ヶ月の間で少々傲慢になっていたようだ。


「人の話を最後まで聞く」


 今まで出来てきたことが突然できなくなった。アスタは、以前の冷静さを思い出しながら、風呂の時も寝る前もその言葉を口ずさんでいた。


 そして、朝が来る。


「え~、今日はお集まりいただき、ありがとうございます。今回の魔獣掃討作戦のリーダーの任に就かせていただく『デネボラ』です。どうぞ宜しく」


 明朝、午前三時。日もまだ昇らない時間に、村の裏山に呼びかけに応じた者たちが集められた。集められたメンツの中には片腕を欠損した者、眼帯をしている者など、一線を退いた手練れもちらほら混ざっていた。その中でも、アスタの存在は周りから浮いていた。なんせ、集められたのは殆どが四十代以上の大人だったからである。勿論、村の青年たちも集められていたが、圧倒的に中年が多い。その中で唯一の、まだあどけなさがある少年。浮かないはずがない。

 そして、今自己紹介した衛兵の歳も六十を超えている。


「おいおい坊主、ここは子どもが来ていい場所じゃないぞ。怪我しない内に帰れ!」


 アスタの隣に立っている衛兵に心配からか、帰るよう促される。


「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。あ…」


「ん?」


「いえ、なんでもありません」


 返答を返す際、一瞬だけ口が滑りそうになった。『あなたよりは強い』と。これも悪い癖だ。他人を少し見下すのは。

 だが、ここにいる人達は全員、アスタ以上に場数を踏み、経験か実歴が多いが、アスタも彼らには負けないくらいの努力はここ四ヶ月間、死ぬ思いでやってきた。決して負けてはいないはずだと思っている。


「では、ここからは四人一組の班になって……」


「急報!!急報!!」


 デネボラが透き通る声で集まった強者達を纏めようと指示を出しかけた時、村の方角から一人の衛兵が慌てながら駆け込んで来た。


「──伝令です!『アクイ』付近の湿地帯で八メートル級のネベルスネークが出現しました!」


「なんだと!」


 周りがざわつき始める。ボルスピから少し離れた小さな街、アクイからそう遠くない湿地帯にこの辺りでは滅多に出てこないネベルスネークと言う蛇の魔獣が姿を現したらしい。

 ネベルスネークは、通常なら体長ニメートルから五メートルの巨大な蛇である。しかし、今回現れたのは八メートル、これまで発見されたどの個体よりも大きい。更に、厄介なのはネベルスネークが作り出す『霧』である。その霧は人体には特に被害が出る訳ではないが、奴らはそれを充分に活かす。

 なんでも、作り出した霧に紛れて行商人を奇襲するなんてのも珍しくないくらい、不意打ちに長けている魔獣なのだから。


「ネベルスネークか。……これはまずいな。このままでは、街や村に被害が出るかもしれん…」


「はい!ですので、ここにいる半分の方々に援軍に来てほしく、参上参りました!」


 伝令の衛兵がそう伝えると、男たちは小声で「誰が行く?」などと話し始めた。だが、このままここで話をしていても埒が明かない。それは誰もが思っていたが、突然変異した魔獣と誰が戦いたがるのか、そう簡単に命をベッドする者は出て──


「わしが行こう」


 出てきた。手を挙げた人物はアスタの祖父、フライデン・ホーフノーであった。

 すると、祖父を先頭に他の男たちも手を挙げ、その湿地帯へ行く意向を示した。


「ホーフノーさんが行くなら俺も行ってもいいかもしれない」


「俺もだ」


「俺も行く」


 アスタはその光景に少し驚いていた。まさか、祖父にここまで着いてくる者達がここまで多いとは思っていなかった。


 祖父は昔、傭兵をやっていたことはアスタも知ってはいたが、その時代に祖父が何をやったかまでは、まだ知らなかった。

 着いていくと言っていた者たちの反応を見るに、かなり人望があると見た。一体、祖父は過去に何をしたのか。いや、祖父の事だから何をやらかしたのか。アスタはそれが気になっていた。


(お爺ちゃんのことだから、何か大きいことしようとしてやらかしたんだろうなぁ)


「では、ホーフノーさん達十六名は援軍へ。残った我々で山の魔獣の掃討をしましょう」


 祖父たちの一団は、湿地帯に向け出発した。しかし、アスタはついて行かなかった。


「ホーフノーさん、お孫さんも連れて行かなくていいんですか?」


「大丈夫じゃよデネちゃん。こやつはわしの自慢の孫…いや、弟子じゃ。魔獣如きに遅れはとらん」


 そんな会話を盗み聞きして、アスタは改めて祖父に信頼されていることを知った。


「……頑張らないと」


 祖父たちの一団が出発し、十分程経過してからアスタ達も山へ入った。

 この場に残ったのは最初の半分の十六名、少々人数は少なくなったが、三人一組の五班、内一班四人で山の捜索と魔獣の掃討にあたる。

 アスタの班は、最年長のデネボラ率いる衛兵の班で編成された。これもアスタがまだ幼いからだろう。他の班よりも結束力がある。


「アスタくんは何も心配しなくても大丈夫だからな」


「魔獣が出ても我々がいれば問題はない」


「今こそ、ホーフノーさんに恩を返す時ですしね」


 班長のデネボラを先頭にアスタを守るように他の二人が左右を見張る。


(そんな必要はないんだけどね)


 しかし、それはアスタにとってはお節介であった。理由は単純だ。アスタはこの中で一番強い。魔獣だって一人で倒したことがあるし、新米の王国騎士よりも強い。寧ろ、この衛兵たちが守られる側だ。


「運がいいな。この辺りは魔獣の群生地だが、まだ一匹も遭遇していないとは…デネボラさんの『()()』のおかげですかね?」


 山に入り、探索を始めてから二十分。アスタ達は未だに魔獣と遭遇していない。

 アスタも四ヶ月前から裏山には何度か勝手に入ったことがあるが、その時は山に入って五分もしない内に魔獣が襲ってきた。しかし、今は魔獣の気配どころか、魔獣特有の獣臭さもしない。つまりは安心──いや、寧ろその状況は異様であった。


「いえ、私の寵愛にそんな効果はありません。これは…何かが可笑(おか)しいですよ」


 四人に緊張が走る。この不自然な状況にどうにか意識をついて行かせようと、警戒心が強まる。


「──魔獣いませんし、他の班と合流しますか?」


「それも一つの手ですが、まだ限界地まで進んでいません。せめて、後十五分は探索を続けた方がいいかと」


 アスタから見て東を見張っている衛兵が仲間との合流を提案した。しかし、班長であり、この中で一番の最年長であるデネボラに棄却された。


(──あれ?ここは…)


 アスタもこの状況に違和感を持っていた。しかし、それは魔獣が全く出てこないことではなく、この場所に見覚えがあったからだ。

 一ヶ月前、最後に裏山に忍び込んだときは迷わないようにするために、そう奥には進まず、いつでも帰れる地点までにしか進まなかった。

 しかし、今はこの場所に違和感、それどころか、この場所に何か惹かれるものを感じていた。


(ここ、どこかで見たことあるような…)


 そう思ったとき、斜面の上の方から物音が聞こえた。その音は、最初はパキパキと木の枝や皮が落ちる音だったが、その音が近づくにつれ、それが足音だということに一同は気付いた。


「──ん?なんだこの音?」


「デネボラさん!」


「────っ」


「何か来る」


「グオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」


 斜面の奥から姿を現したのは体長三メートルはある巨大な熊だった。二足歩行で立つとおそらく高さ七メートルはあるだろう。その熊は四速歩行のまま、此方を睨みつける。


「魔獣!!」


「なんだあいつは!?」


 その巨体にアスタ以外の三人は驚きの表情を見せた。あんな巨大な魔獣を自分達だけで倒せるのかと、そして、先頭に立っていたデネボラがその熊の名前を叫ぶ。


「あれは──、土熊!!」


「土熊!?」


「──へぇ」


「な、なんでこんな所に此奴(こいつ)が!?あの魔獣は魔王領付近にしか生息していない筈だろ!!」


「落ち着いてください!一旦離れて…」


 土熊が四速歩行でアスタ達に迫る。その速度は最高時速六十キロメートルにもなる。土熊からは三百メートル離れていた筈なのに、デネボラの指示が伝わる前に、四人のいる所まで到達した。


「ヒッ!」


 土熊の牙が反応が遅れた衛兵に刺しかかろうとした。


 が、土熊の体が空中に投げ出される。


「──え?」


 地面から巨大な岩が飛び出している。その岩が土熊の体を持ち上げ、宙に浮かせたのだ。衛兵達はこの状況を理解できなかった。いや、しなかった。したくなかった。


「空中なら、いくら足が早くても避けられないよね!」


 アスタの真横に魔力の塊が集まり、それは一本の巨大な氷柱になった。

 そして、落下を始める土熊の身体にその巨大な氷柱を発射させる。

 氷柱は初速から最高速度を保ちながら土熊を串刺しにした。土熊は断末魔を上げながら空中で絶命し、そのまま地面に落ちた。


「す、凄い…」


「流石、ホーフノーさんのお孫さんだ」


 土熊が絶命したか確認するため、四人は落下した場所まで斜面を登り、土熊の息の根が完全に止まっていることを確認し、アクイにある騎士団本部に持って帰るために、土熊の首を長剣で切り落とした。この時、アスタは自分がこの魔獣を討伐したのにも関わらず、あの祖父の孫だから倒せたと言う衛兵達の言い方に、少し心がむず痒くなっていた。


「まさか、こんな所に土熊が出るなんて……お孫さんがいなければ俺たちは今頃死んでいたのか…」


「ええ、急いでこの事を王国騎士に伝えなければいけません。これは緊急事態です。この大陸に…何かが起きている」


「──ん?なんか獣臭くないですか?」


 鼻に刺激臭が触る。その臭さに咄嗟に鼻を摘む。


「この熊の匂いじゃ…」


 地面が揺れる。足元がふらつく。木々が泣いている。鳥が飛ぶ。虫たちが騒がしい。


「まさか──」


 斜面の上を見上げる。山の頂上から百匹を超えるアバレイノシシが山を下りながら、此方へ向かって突進してくるのだ。


「アバレイノシシ!?しかも、とんでもない数だ!!なんでこんな……」


 アバレイノシシは岩を砕き、木々を倒しながらも進行をやめない。


「ちっ!」


 アスタは舌打ちをしながら、氷結魔法で突進してくる先頭集団のアバレイノシシを氷漬けにした。本当は火で焼き払いたかったが、飛び火した火が木に移ると山火事になるおそれがある為、使えなかった。


「──やったか?」


「いや、まだいる」


 更に後方から百を超える数の怒り狂ったアバレイノシシが突進してくる。


「くそっ!俺たちも衛兵だ。ここで踏ん張らないと男じゃねえ」


 アスタは再び氷結魔法で数十匹のアバレイノシシを氷漬けにした。だが、出来上がった氷塊を避けて下山しようとする個体もいた。しかし、その個体も衛兵達の意地で下山させるのを許さなかった。


 しかし、それも長くは続かなかった。衛兵達の体力にも限界はあるし、アスタも最大魔力の半分を使い切り、段々と魔法の威力と精度が落ちていっていた。


「数が多すぎる!」


「班長!このままではジリ貧ですよ!!」


「アスタくん、上級の魔法は後何回使えますか?」


「上級は後五回が限界です!!」


 アスタは魔力が切れてここで倒れる訳にはいかないと中級の風魔法と然魔法に切り替えて対抗した。


 風の刃が猪たちを切り刻む。胴体を真っ二つにし、地面に血溜まりができる。


「アスタくん!後ろです!」


 魔法の同時発動に集中しすぎた。いつの間にかアバレイノシシがアスタの背後に迫っていた。


(しまっ──、油断した!!)


 そのままアバレイノシシの頭突きを背中にモロに喰らう。


 そして、気付いた時には身体が宙に浮いていた。


「──っっ!!」


 背中に激痛が走る。だが、猪の攻撃を喰らう直前、一瞬の判断で土と氷で薄い障壁を作り出せたため、ダメージは最小限に抑えられた。


 だが、命の危険が去ったわけではない。アスタは上空50メートルは飛ばされていた。このまま地面に直撃してしまえば、腕はひしゃげ、臓器が身体から飛び出て、頭が潰れる。死は避けられない。


「──ウィンド!!」


 アスタは脳を集中させて無詠唱で魔法を使うよりも、安全に詠唱を行い、確実に落下の威力を殺すために初級の風属性の魔法で落下の衝撃を緩和させた。

 そして、そのままバランスを崩し、木にぶつかりそうになるが、上手く受身を取り、身体全体に衝撃を分散させたお陰でどうにか軽傷で済んだ。


「まさか剣術の鍛練がこんな所で役に立つなんてな…」


 背中の痛みを我慢し、状況の確認をする。


「あれ…、ここどこ?」


 魔獣と戦っていた所からはさほど離れたような感じではないが、大分、山の奥まで入ってしまったらしい。

 背中の痛みと、魔力がいつまで保つかという不安に押し潰されそうになるが、一旦、深呼吸をして冷静になると、土属性の魔法を使って自分の足場を高くする。


「よかった。麓からはそんなに離れていない」


 土で作った塔の上から下を見下ろし、村の方角を確認する。これでどうにか迷子だけは避けられた事に少し安堵した。


 土の塔から飛び降り、もう一度、初級の風魔法を使って落下の衝撃を緩和させ、麓を目指して下山を開始しようとした時、ふと、頭の中に四ヶ月前に見たあの夢の景色が映しだされる。


「あれ?ここって…夢で見たような…」


 夢の記憶を頼りに夢で見た景色をなぞるように歩くと、木々が生い茂り、その小屋を隠すようにに夢で見たあの山小屋がポツンと建っていた。

 小屋の見た目はロッジ風であり、外にある階段からニ階に上がり、中に入るようだ。

 一目見た限りでは外装は綺麗であり、周りの木々とは別の雰囲気を放っていた。


「本当にあった。人は…いるのか?」


 小屋の外は木々で生い茂っているが、雑草が殆ど生えていない。更には、小屋の入り口の前の階段には魔獣避けの石が埋め込まれていた。


「なんだ、この文字は…読めない」


 階段を上がり、入り口の目の前に来ると、ドアノブに謎の文字が刻まれた表札があった。小屋の三階部分に建て掛けられている看板にも同じ文字が刻まれていた。


 アスタは警戒心を上げ、ドアノブに手を掛ける。

 心臓の音を押し殺し、深呼吸をして、心の準備をしてドアをゆっくりと開ける。


 カラン カラン


 ドアを開けると、ドアと繋がれていたベルの音が小さく木霊するように小屋の中に響き渡る。


「──誰かいますか?」


 小屋の中には誰もいなかった。だけど、中には綺麗に整頓された机と椅子が四つずつ、酒場にあるようなカウンター席もあった。


「──ここは、お店なのか?」


 ここはまるで酒場やレストランのような場所だった。木で作られた机や椅子がこの自然の雰囲気に合っている。アスタも少しだけ居心地が良かった。だが──


「外観は同じだったが、夢で見た小屋の中とは違う…」


 夢で見た小屋の様子とは全く違った。夢で見た小屋の中は、狭い部屋の中にポツンと置かれた机があるだけだったから。

 そんな違和感を持ちながら、カウンターに置いてある厚紙を手に取った。ここがどんな場所か書いてあるかもしれないと思ったからだ。


「またこの文字…やっぱ読めないか」


 しかし、厚紙に細かく書かれた文字もアスタが普段使っている文字ではなかった。しかも、他種族の言語でもない。

 アスタは、一時期亜人語に熱中していた時期があった。その時に人語、亜人語以外の文字も目にした為、大体の言語や文字はある程度は理解できている筈だった。しかし、厚紙に書いてある字、外にある看板や立て札の文字はどの言語とも似つかぬものだった。


 ──コツ、コツ


「!?」


 カウンターの奥の扉から足音が聞こえた。この足音は確実に人間の足音だ。アスタは、この小屋がもしかしたら、盗賊達のアジトの可能性も視野に入れ、物影に隠れながら直ぐに魔法を使える体勢に移った。


 そして、足音が止まり、扉がゆっくりと開かれる。そこには──


「あ、あんたは──」



△▼△▼


「──くそっ、また隠れやがった!」


「この霧じゃあ連携も取れない!!」


 アクイの街から東、魔獣の生息地となっているこの湿地帯に突如現れたネベルスネークに派遣された衛兵と援軍に駆けつけた部隊が苦戦していた。

 この魔獣が動く度に霧は濃くなり、味方との連携が取りづらくなる。時間を掛ければ掛ける程、倒しづらくなる性質を持つ魔獣であるのだ。


「ホーフノーさん!まだ生きていますか!?」


「ほっほっほっ、安心せい。死にかけた事はあるが、まだ死んではおらん」


 衛兵の隊長らしき人物が大声でフライデンに安否の確認を取る。フライデンはそれを軽い冗談で受け流した。こんな命のやり取りをしてる場面でもフライデンのペースは崩れずに、じっくりとネベルスネークの動きを観察している。


「既に先遣隊の二人がやられている!!援軍、警戒を緩めるな!奴はどこから奇襲を掛けるか分からんぞ!」


 援軍が到着してから十分。到着する前にアクイに滞在していた衛兵八名が活性化する魔獣の調査で、先遣隊として湿地帯に出向いていた。

 しかし、突如、霧の中から現れた八メートル級という規格外の大きさの大蛇──ネベルスネークにより、二人がその牙の餌食になり、残った六人も敗走。そして、ボルスピまで援軍を求め、今にいたる。


「街や村までは行かせるな!王国騎士が不在の今、我々が最後の砦だ!!」


 隊長の男が指揮を高めるため、兵たちに発破を掛ける。しかし、霧の中、いつ魔獣が襲ってくるか分からない状況では指揮の上げようがなかった。


(ふむ…これは完全に分断される前にケリをつけた方がいいな)


「お前さん、この中で光属性の魔法を使える者はいないか?いや、この際は火属性の魔法でもいい」


「光属性の魔法を使える者はいないと思いますが、火属性の魔法を使える者なら数名…」


「いるなら全員連れて来い。作戦がある」


 数分後、フライデンの元に二人の衛兵と一人の村人が隊長の指示でやって来た。

 この数分の間にネベルスネークも攻撃を仕掛けてきたが、数が増えたことを察知したのか、ヒット&アウェイで素早い攻撃をするだけで、軽症者がでるが、戦いの邪魔となる重傷者や死者はでなかった。


「ホーフノーさん、火属性の魔法を使える者と光属性の魔法を使える者を連れて来ました!」


「よし!今から作戦を伝える。お主ら、耳を貸せ」


 フライデンは、光属性の魔法を使える者がいたと分かると、内心で勝ちを確信していた。


「くそっ!このままじゃ全滅だ!」


「姿の見えない相手とどう戦えってんだ!?」


 援軍が来ても変わらない状況に少しずつ、戦っている者達の不満は溜まっていく。


 ──パァン!!


 表情が暗くなってきた者たちが一斉に音の出た方向を向く。


「……魔法?」


 音の出る方向を見ると、空に無数の炎が昇っていた。

 炎の下には、二人の衛兵が空中に向けて何度も魔法を放っている。戦っていた者達は、何をやっているのか分からなかった。呆れている者もいるば、辞めさせようと行動しようとする者もいるが、ネベルスネークの出している霧が邪魔で迂闊には動けない。


(ほ、本当に来るんだろうな…?)


 魔法を使っている者の表情は固くなっていた。表情筋を強ばらせ、心臓の鼓動が加速する。


 ──緊張感が限界を迎えた時、


 地面を高速で這う音が魔法を出し続ける二人に向かって霧と共に移動する。


「──きた」


 二人の目の前に全長を顕にしたネベルスネークが威嚇する際の独特な音を出しながら、口を大きく開ける。


「ひいぃぃぃぃ」


 睨まれた二人は魔法で対抗しようとするが、詠唱ができない。恐怖からか、口が動かせないのだ。


「…あ……あ……」


 腕も動かせない。足も動かせない。呼吸の仕方も忘れてしまう。ただ、瞬きはでき、それが唯一出来る対抗手段だった。


「今だ!!」


「──『マフ・ダ・リッチ』!!」


 合図と共に強力な光が湿地帯を包み込む。獲物に夢中になっていたネベルスネークはその光を直に受ける。


「シィィィィ!?」


 ネベルスネークらその巨体をバタつかせ、地面に潜ろうとする。命の危険を感じたからだ。


「わしが逃すと思っているのか?デカブツが」


 腰から抜かれた青竜刀が鮮やかな刀身をちらつかせながらネベルスネークの尾を一刀両断にする。


「む…硬い…こいつは一本では少々キツイな」


 霧が晴れる。今まで湿地帯を覆っていた霧は強い光がかき消す。今まで頭しか見えていなかった蛇の姿が全ての味方に分かる様に湿地帯にその姿を表す。


「こ、こんなデカかったのかよ。これは八メートルなんて比じゃないぞ!下手すれば十五メートル以上ある!」

 

 尾が切られた痛みから、土に潜ろうとしていたネベルスネークが顔を出し、噛みつきに掛かる。


「む…中々…」


 青竜刀で人の肉を容易く切り裂く蛇の牙を受け止める。

 が、湿地帯では足場も悪く、踏ん張りが効かない。


「──っっ!」


「お前ら!ホーフノーさんを援護するぞ!!」


 隊長の男の掛け声と共に指揮を取り戻した味方が一斉にネベルスネークの身体に群がり、胴体に剣を突き刺す。


「くらえぇぇ!!」


 続いて、水属性の魔法が一斉にネベルスネークを襲う。数人同時で出すこの水流は岩をも砕き、ネベルスネークの腹の肉を抉り取った。


「シィィィィ!?」


「よし!いけるぞ!!」


「逃すな!霧を出させる暇も与えるな!!」


 フライデンが動きを止めている間に味方からの追撃が止まることを知らない。

 段々と、ネベルスネークも体力が削られてきたようだ。目を見開き、身体全体から再び霧を張ろうとする。


(──力が弱まった)


 その瞬間、ネベルスネークの抵抗力が少なくなったことに気付くと、牙から青竜刀を離し、靴に仕込んでいた小型の折り畳み式のナイフを蹴り飛ばし、ネベルスネークの眼球に直撃させる。


「──ぬぅぅん」


 目を潰され、身体の一部を失う違和感に暴れるネベルスネークの首に向かって青竜刀が振り下ろされる。


「やはり硬いか」


 しかし、首の硬さは尾とは比べ物にならない程硬く、首に刺した青竜刀がびくともしない。ネベルスネークは変わらず、湿地帯の地面を暴れている。この状況では援護はできないだろう。


 ──なら


「力比べじゃな!!」


 フライデンは突き刺さった青竜刀を引っこ抜き、もう一度、同じ場所にネベルスネークの血で濡れた青竜刀を突き刺す。


「ぬおおおおおおおおお!!!」


「シィィィィィィィィィィィィ!!!」


 暴れる大蛇の背中で一人の老人が何度も青竜刀を突き刺す。この光景を見ていた者達は、ただ見守っていることしかできなかった。下手なことをすれば、この蛇に押し潰されて死ぬことが嫌でも理解できていたからだ。


「──うぬ、いい加減に…死に晒せ!!」


 フライデンの怒りが頂点に達する。青竜刀を大蛇の体奥深くまで差し込み、内臓にまで鋭利な刃が届く。


「ギシャアアアアアアアアアアア!!」


* * * * *


 それから程なくして、ネベルスネークはピクリとも動かなくなった。別に首が切断された訳ではない。首が硬すぎる時点でそこを狙うのはやめたからだ。その代わり、頭以外の部分が傷だらけになっていた。所々に火傷跡もある。しかし、まだ死んではいない。意識がある。


「ホーフノーさん、この蛇どうします?このままじゃころ…」


 隊長の男が声を掛けた時、フライデンがネベルスネークの胴に一本の短剣を突き刺す。


「眠れ…」


 大蛇はゆっくりと目を閉じた。残った右目が最期に見た景色は、昇る朝日に照らされた湿地帯だった。


「ホーフノーさん…それ…」


「こやつは人を殺したとはいえ、これ以上苦しむ必要はない。こうやって節介してやるのも、わしら人間の役割じゃ」


「………」


 草に付いた一粒の水滴が地面に落ち、土に吸収されていく。

 

 ──美しい朝露が湿地帯に広がっていた。

 今回、初めて出てきた『寵愛』については第2章で説明する予定です。

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