第2章 36『妄想』
「──はぁ、暇だな」
教室に戻ってからと言うもの、魔法基礎の授業の参加を認められなかったアスタは自分椅子に腰を掛け、何をするでもなく、ただ無常に過ぎ去る時間を退屈と思いながら一人の時間に羽を伸ばしていた。
「──ポシ」
この長く憂鬱のような時間を少しでも有効的に使おうとアスタは右手の掌から薄色に輝く球体を呼び出した。
(無詠唱で治癒魔法を使えるよう、少しやっておくか)
アスタは長い期間、魔法を日常的に使うことによってそれに伴う魔力保有量の向上、並んで無詠唱の魔法を使えるようになった。
しかし、そんなアスタでも治癒魔法を無詠唱で使う事は未だに出来ない。一応、治癒魔法を司るビット『ポシ』の力を借りれば、無詠唱で治癒魔法を使う事は不可能ではないが、ポシの力を使っている間は例え、オートマティックの状態であっても他のビットを使う事が出来なくなると言うデミリットが存在する。それは、戦闘中に於いては非常に大きな足枷になる。なので、このデメリットを克服する為にも、一刻でも早く治癒魔法を無詠唱で使えるようになる必要がある。
「ふぅ──………、フンっ!!」
両手を構え、瞼をゆっくりと閉ざし、視界を闇に包ませて己を孤立する。こうする事で自身の集中力を高め、現実から精神を解放させるのだ。
そして、瞼を閉じてから約十秒後にアスタの両手が光を放ち始め、心臓の鼓動を一定のリズムで保ちながら治癒魔法を無詠唱で使った。勿論、今は治癒をする対象は存在しない。それでも、ポシの助力を得る事で治癒魔法を無詠唱で使えている。
「よしっ……」
瞼を開け、身体に巡る魔力の循環を確認し、今度はポシの手助け無しで無詠唱の治癒魔法を使おうと両手を前に出す。
もう一度瞼を閉じ、今度は頭の中で無詠唱の魔法を出す為の順序を構成する。まず最初に想像、自分がどんな魔法を出したいか明確に脳内で作る。これが少しでも使う予定の魔法と想像した魔法が違っていたらこの時点で無詠唱の魔法は失敗する。
アスタは今回、初級の治癒魔法『ヒーリング』を無詠唱で使う為に必要なものの想像を始める。
今回想像するのは、紙で人差し指を切ってしまった時の切傷。あの痛くないと思ってたら少しずつ傷口から血が出てきて、虫刺されのように痒く、最終的には痛くなるあの切傷を思い起こした。
これで第一の工程である想像は完了、次に無詠唱での治癒魔法で一番の難関である『質量化』である。
質量化はその名の通り、何もない『無』から重さと形を生み出す工程である。他の魔法なら、質量化が一番簡単な工程である。何故なら、基本の五属性を中心に何れも元からある程度の重量と形があるからである。氷や土、水は勿論、火や陽にも質量は存在する。だが、治癒魔法に限っては質量が存在しない。その為、一から質量を想像しなくてはいけなくなる。つまり、『想像』『質量化』『放出』の三工程の中の質量化の中に新たにもう一つ『想像』を混ぜなくてはいけないと言う、四つ目の工程を行う必要がある。それが補助無しで出来ないからアスタは無詠唱で治癒魔法を使えないのだ。
「────っっ!!ああっ!!」
そして、今回も失敗した。何故かポシが補助している時の治癒魔法の質量化は成功するのだが、一人でやろうとするとどうしても感覚が掴めなくなる。
「やっぱ無理か…」
無詠唱の失敗で身体が大きく弾かれ、床に尻餅を付いた。何時もと同じように失敗した事を気にはしないが、無詠唱の魔法は一回失敗する度に身体に巡る魔力の循環が狂う事が多々ある。なので、再度挑戦するにしても一定時間間隔を空けなければならない。
「あ────ポシ、もう戻っていいぞ」
アスタの右手の掌の中に薄色に輝く球体が収まる。
「はぁ…」
小さな溜め息を吐き、窓辺へと身を寄せる。
(気持ちいい……)
陽の光を浴びながら外を眺めていた。すると、廊下側から一つの足音が近付いて来る。コツコツコツと静寂に包まれている廊下に反響しながらその足音はアスタのいる教室の前で止まった。
「よお、お前もサボリか?」
(シンナー・ドリス……!!)
教室の扉を開け、アスタの視界に入ってきたのは丁度アスタ達の中で話題沸騰中の中心人物、シンナーであった。
「いや、講師に言われて先に教室に戻っただけ」
「ふーん、そうなのか」
目線を逸らし、話したくないという意志を剥き出しにアスタはシンナーから顔を離した。
「折角だし、あの話をしてやろうと思ったんだが、まあいい。また今度な」
何を話そうとしたのか気になる所ではあったが、深くは考えまい。きっと、ミカエルが今朝話した内容とほぼ同じだろうから。
アスタは再び一人になった。
特にやる事もなく、また時間が流れる。そうして、クラスメイトの皆が戻って来るまでずっと窓の外を眺めていた。
* * * * *
二十分時間が経った頃だろうか、チリンチリンと鈴の音ねが鳴ると、他の教室の扉が開く音と同時に廊下が騒がしくなってきた。
(今のが授業が終わる合図か)
ザワザワと人の声や足音が飛び交い、その環境音が憂鬱としていたアスタを起こさせた
「よっしゃ一番乗りぃ!」
扉が勢いよく横にスライドし、汗だくのジャージを身に付けたガタイの良い男、クラスメイトのパウェルだ。
「──って、もういたのかよ」
「悪かったな」
続けて他の男達も教室の中に入ってきた。女子達には更衣室が用意されているが、一年の男達は教室で着替える決まりになっている。
「アスタ、サム講師と何してたの?」
アスタの隣でヨハネが着替えながら授業を途中で抜け出した事を神妙な顔で聞いてきた。
「ああ、まあ、その事に関しては帰りのホームルームで話すと思う」
「──?」
目線を逸らさず、あった事を話そうとしたが、サムから後で説明すると言われていたので今は話すべきでないと受け取った。
「あっ、後ミカエルの件で学校側に協力出来ないかも聞いといた」
「本当?」
内密の話だ。アスタは耳打ちでヨハネに今朝の話の続きを振った。
「それで、どうだったの?」
「……この事はミカエルも交えて話す。次の授業が終わったら、昼休みだろ?その時に三人で」
「分かった。ミカエルには僕から伝えておく」
「任せた」
次の時間は歴史だった。授業の準備をし、トイレで用をたし、教室に戻って自分の席に座った。
「あんた、さっきの授業途中で抜けて何してたのよ?」
ペンケースからインクと羽ペンを出していると、隣の席のコードから声を掛けられた。
「……まあ、サム講師とちょっとしたお話だよ」
「ちょっとしたお話?個人授業とかじゃなくて?」
「個人授業?」
「………ええ、突出した才能や技術を持った生徒には皆とやる授業とは別にマンツーマンで講師と生徒の個人授業があるって、ローグが言ってた」
「ローグさんが?」
「………」
コードは返答することなく、ゆっくりと頷いた。
「そんな事もあるのか」
初耳である。アスタは、個人授業と言う言葉に少しだけ胸を躍らせた。実力主義の学校である為にそれこそ実力がある者を成長させようとする事は間違っていないだろう。
ガラガラガラ
扉が横にスライドする音と共に講師らしき男が教室の中に入ってきた。
「誰だ?」
「次の授業の講師じゃない?」
講師が授業前に教室に入ってきたので、一瞬教室内が騒ついたが、授業前と言う空気を察したのか、続々と自席に座り始めた。
「……ああ、別にそんな固くならなくていいんだが」
ぎこちない笑顔で講師は教室内を見渡す。
(ちょっと張り切って早く来たが、なんか、空気重いな……。一年の今の時期からこれって……サム講師はどんなクラスにしたいんだよ!?)
──チリンチリン
授業開始の合図である鈴の音が鳴り響いた。
「そ、それじゃあ……、先ずは自己紹介から。自分の名前はトーマ・ウキ、座学で歴史の授業を担当しています。後、知っている人もいると思いますが、隣のクラス、B組の担任をしています」
「……B組?トーマ講師!B組とはなんですか?」
「──え?」
右腕を上げ、カインが自席から立ち上がる。
「それって、どう言う……?」
「はい!言った通りです。B組とは何ですか?」
「ちょっ、ちょっと待って!」
瞳孔を大きく開け、手振りでカインに一旦座るよう指示をした後、左手を額に当てて肘を机の上に置き、カインの言っている事を数秒間考察する。
「……まさか」
そして、その数秒間で導き出した答えは担任講師としてやってはいけない事だと気付いた。
「……皆、まさかサム講師からクラスの事、何も聞かされていないの?」
僅かの希望を持ってカインが偶々説明した日を休んでいたのかもしれないと思い、クラス全員に向けて質問をぶつけた。
「クラスの事?」
「そう言えば……」
トーマの質問に対しての反応は、全員が疑問符を思い浮かべたと言ってもいいと表せるような反応だった。
「そうですか……。今は座学の時間だから、この問題は自分からサム講師に伝えておきます」
諦め。そう、一言で言うなら諦め。それがトーマの表情から分かる感情であった。
「それでは、授業の時間も無くなってしまいますし、切り替えていきましょう。改めて、自分の名前はトーマ・ウキ。騎士科一年の歴史を担当します。よろしく」
騎士科一年の座学は月火木金と週に四日あり、その中で月曜日は歴史、火曜日は数学、木曜日は技巧、金曜日は地理となっている。ちなみに、今日は月曜日なので歴史の授業になっている。
「教科書の五ページを開けてください。まず最初に、人類の歴史と言うものは────」
トーマがチョークを持ち、黒板に貼った資料の隣に文字を書き始める。
「人類の歴史と言うものは、戦争と共に存在します」
(戦争?)
教科書片手に続ける。
「人類史が始まって以降、我々は常に戦いと共に生きてきました。皆さんでも『ハーフ戦争』は知っていることでしょう」
「トーマ講師」
窓際の席に座っているハンナが挙手をした。
「なんでしょう、ハンナ・レイノルズさん」
「はい。講師は、人類の歴史は戦争と共にと言いますが、百五年前のハーフ戦争以降は目立った争いはありません」
「いい質問です。確かに、何百、何千、何万と言う犠牲者を出した戦争は今の人類史の中でハーフ戦争が最後でしょう。ですが、よく考えてみてください。二年前、北の都市ゲミシトラで何がありましたか?」
解説を途中で止め、クラス全員に質問を投げかけた。
「二年前?」
「ゲミシトラで何かあったけ?」
「魔人の領土進行ですね」
隣同士で静かな声で話し合う中、挙手もせず、コードが質問に答えた。
「…コード・ティーナさんですね。そうです。その通りです。二年前、何度目かは、正確には此方でも把握出来ていませんが、魔人による人類領土進行がありました」
息を整え、解説を続ける。
「大きな争いには発展こそしませんでしたが、一歩間違えれば、魔人と人間全てを巻き込んだ大きな戦争になった可能性もあります。それこそ、ハーフ戦争当時から数えて103年ぶりとなる今も続く平和と安寧が壊されていたかもしれないのです。そう考えれば、人類史は戦争と共にあるのも、納得をしてもらえるでしょう」
(人類史は戦争と共に……か……)
アスタは、黒板に書かれた文字をノートに写しながら、二年前の事を思い出していた。
(そう言えば、兄さんが勇者として旅立ったのも二年前だったな……)
羽ペンが止まる。
(二年前、時期が重なるな。魔人の領土進行……、勇者……、死……抑止力?)
よからぬ一つの可能性が脳裏に浮かんだ
「まさかっ!!!」
突然大声を発し、勢いよく席を立ち上がる。
それに隣に座っているコードどころか、トーマも含む教室内にいた全員が身体を身震いさせた後、アスタの方を見た。
「ど、どうしたんだい…?アスタ・ホーフノーくん……」
トーマが引き攣った顔でアスタの方へ視線を送る。
「あっ、いえ……なんでもありません。授業を止めて、すみませんでした……」
周囲の目線、いや、それよりもある可能性の所為で脳が衝動を止められなかった。
(もしも、もしも……、勇者が大きな戦争を止めるための抑止力だとすれば……これまで、一度たりとも人類と魔人が和解出来なかった……いや、しなかった事にも合点がいく)
左手を強く握りしめる。
(調べてみる必要がある。もしかしたら、何か、歴史の中に勇者の秘密が隠されているかもしれない)
考え過ぎなのかもしれない。確実ではない。あくまでもアスタ個人の勇者の兄を持つ者の妄想に過ぎないのだ。だが、万が一これが当たっていたら──
(………これは、今は胸にしまっておこう)
時間が止まったかのようにゆっくりと動く。そして、アスタの想像に呼応するかのように校舎の影が地面を覆った。
【豆知識①】
ブリーデン大陸には磁石があります。
【豆知識②】
生徒に配られるノートや教科書代は一部の生徒を除き、学費から支払われている。




