第2章 33『子供と大人』
「──ん?」
小腹が空き始める昼下がり、ドリス家の一室で門の所にいた奴隷の事について話していると、手早く扉を叩く音が鳴った。
「入れ」
ノック音が鳴り止んで数秒の間を開けた後、ハロルドが入室の許可を出し、扉の外の人間が確認したと同時に扉が勢いよく開いた。
「親父、なんだ!?俺に用があるって?」
中に入って来たのはミカエルと同年代くらいの少年。背はやや彼方の方が高いくらいだが、最も目を惹いたのは、貴族に在るまじき所作で扉を蹴り開けた事だ。
「………はぁ」
ハロルドが大きな溜め息を吐く。それもそうだろう。客人もいると言う話は聞いているだろうに、ああやって何の遠慮や配慮も無く扉を開けるとはマナーが成っていない。
「紹介します。我が愚息、シンナーです」
「愚息とは何だよ親父?」
「ふん、貴様の尻拭いをする為にどれだけ苦労したと思っているんだ!」
「──ちっ!」
シンナーは強く舌打ちをして、自分が不機嫌だと鼓舞するようにトゥラスヴィ達を睨んだ。
「へぇ、この人が英雄の末裔とその下僕共ね……」
「コラッ!」
シンナーがそう言葉を発した途端、ハロルドが慌てながら椅子から立ち上がり、シンナーの頭を勢いよく床に叩き付けた。
「このバカがっ!!謝りなさい!!今直ぐ謝りなさい!!」
「いっ!?何すんだよ親父!!」
少なからず温厚そうに見えたハロルドの性格が一変、憤怒に焼かれるが如くの勢いでトゥラスヴィの前で息子共々頭を下げた。
(英雄の末裔?)
ハロルドもそうだが、英雄の末裔との言葉に大きく反応した。その事について少しの疑問を持ち、目線を左斜めに下げ、トゥラスヴィの表情を覗き込むが、彼の表情は変わらずに笑顔のままだ。
「──え?」
だが、それよりも存在感を変えているのが部屋内に二名、セバスとコルニである。
僅かな変化だが、二人からはシンナーに向けて殺気を静かに放っている。
ミカエルにもその殺気の一部が降り掛かり、手足が石の様に動かなくなる。声も発せられなければ、息も少しずつ過呼吸になっていく。
「コヒュ…コヒュ…」
この重圧の代わり様に、おそらくハロルドの護衛二人は気付いている筈だ。近くにいるミカエルでも分かるのだ。実力者なら少なくとも勘付いてはいる筈だ。
「セバス、コルニ落ち着け」
トゥラスヴィが小声で二人に向かって言葉を投げかけると、二人は了承したのか、ひっそりと自分から発せられている重圧を抑え込んだ。
「──プハァッ!!」
その瞬間、水中から出て一分振りの息継ぎをするかのように身体を前のめりにさせ、頬を通った汗が顎を伝って床へとこぼれ落ちた。
「ど、どうしたのかね?」
これに逸早くハロルドが反応をする。
「……どうやら、長旅で疲れてしまったみたいですね」
「ハァ……ハァ……」
トゥラスヴィもミカエルのこれが重圧からの解放によるものだと理解している。勿論、セバスとコルニ、そして二人の護衛もだ。
「キュロル!!」
先程の無礼を少しでも薄く見せる為か、ハロルドは真っ先に部屋の外で待機している使用人、キュロルの名を呼ぶ。
「はい」
名前を呼ばれた次の瞬間には音も立てず静かに扉を開き、キュロルが入室していた。
「この少年を部屋の外へ」
「承知しました」
キュロルがミカエルの小さい身体をおぶさり、部屋から退出する。頭に漸く酸素が回り始めたミカエルの脳では走る事は愚か、歩く事もままならなかった。
「シンナー、貴様も出て行け」
「はあ!?」
ハロルドはこの状況を好機と見て、シンナーに部屋から出て行くよう命じた。
「なんでだよ!」
「つべこべ言うなっ!──連れ出せ!!」
ふとした頃合いでハロルドは護衛の二人に目線を向け、シンナーを摘み出せと目で命じた。
二人はこの合図でハロルドの意図を理解したらしく、シンナーの後ろに回ると、あっという間に捕まえて、部屋の外へと追い出した。
(さて、ここまでは予定通りか)
扉が閉じたタイミングでトゥラスヴィはセバスとコルニの二人の方を向いた。すると、二人は何も言わずに軽く頷き、一歩後ろに下がった。
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〜半年程前〜
「トゥラスヴィさん、ちょっといいですか?」
昼食を食べ終え、眠気が襲い始めてきた時間帯にミカエルがトイレから自室に戻ろうとしていたトゥラスヴィを呼び止めた。
「ん?どうしたんだ?」
「……前々から気になっていたのですが、どうして村を燃やしたのがドリス家って知っているんですか?」
ミカエル自身、メイヴィウス家居候させて貰っている身である為、忙しいトゥラスヴィと話す機会等そう無い。それに、使用人からの目も気になる所ではある。彼らからミカエルがどう見えているのかまだ不明瞭な点が多いのだ。
「……まあ、貴族には貴族の情報網があるんだ。君は何も気にしなくていい」
「そうですか」
明確な答えが得られないまま、折角設けられた会話の機会を無碍にして、立ち去ろうとした。
「あっ、そうだ」
何かを思い出したのか、机の上に左肘を置き、寄りかかった姿勢で前髪を直した。
「……やっぱり、何か知ってるんですか?」
「大したことじゃないよ。ただ、思い出しただけ」
陽光が雲に遮られ、口から漏らした吐息が肘に当たる。トゥラスヴィは表情を崩さず、ミカエルと目を合わせた。
「君の村を燃やしたのはドリス家と言ったが、あれは少し真実とは相違点がある」
「は?」
「詳しく言うなら、村を燃やしたのはドリス家の跡取り、シンナー・ドリス。彼の父親、ハロルドは金でそれを揉み消した。──元を辿れば、あの火事騒ぎはシンナー1人の犯行だったんだ。まあ、だからと言って、揉み消したハロルドも悪いんだけどね」
凛とした顔でミカエルの方を見ながら事件の真実を伝えた。
「そうなんですか…」
「随分とあっさり受け止めたな」
しかし、ミカエルの反応はトゥラスヴィが思っていたものよりも薄く、しっかりと受け止めているように見えた。
「あっ、はい」
「そうやって現実を見るのはとてもいい事だとは思う。けど、君はまだ9歳だろう?大人になるのはまだ早すぎるんじゃないかね」
ミカエルのその大人びた性格は、父を亡くした時からのものである。あの頃に子供ではいけない。母を守らなくてはいけないと決心し、子供の心を消してしまったのである。それでも、父を亡くした時や村が焼失した時と比べれば、幾分今のミカエルは柔らかくなっている筈とトゥラスヴィは思っていたかったが、新たな目標を見据えたミカエルにはその考えは無碍に終わるのかもしれない。
「……そうですかね?大人になることは何も悪いことではないと思うのですが」
「大人になることを駄目だとは言っていない。ただ、成るには早すぎると言ったんだ」
この屋敷にミカエルが来てから、ミカエルが皆の前で笑ったのは一回のみ。それを除いて、ミカエルが表立って感情を露わにしたことはないのだ。こんなものは大人びてるとは言わない。
──虚無だ。
トゥラスヴィもそれが分かっていたから、ミカエルには年相応の事をしてあげようと、父親代わりになろうとした。しかし、ある現状がそれを許してはくれず、二度目の親になることは失敗したと感じていた。
「……では、失礼します」
両の手で握った拳がプルプルと震える。右足を引き、身体を180度回転させ、赤く塗装された扉に手を掛ける。
そして、ゆっくりと閉ざされた扉の上部からパラパラと埃と剥がれた塗装が落ちる。
「人の親にはなれないか……。だけど、約束の日までには……」
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