第2章 31『情報』
赤蜘蛛を討伐してから5日。ミカエルは子蜘蛛を竹籠の中に入れ、馬で見覚えのある平地を駆けていた。
(相変わらず広い土地だな)
此処は、メイヴィウス家の庭。唯の庭の筈なのに、野生の兎が跳ね、珍しい筈の魔獣以外の普通の動物達が自由に生きている。
まるで箱庭だと思わせられるとも見えるが、ミカエルは今は赤蜘蛛を討伐した事の報告をすると言うことだけが胸の中で一杯だった。
「ん?」
頭を上げ、本邸の方を見ると、ワインが入ったグラスを片手にトゥラスヴィがミカエル達を窓辺から見ていた。
「あの小僧……」
クラトスのふと呟いたその言葉は何に対してだったのか。此方を見るトゥラスヴィの視線が前に見たものと違ったからなのか。それとも、自分の勘違いか。違和感と言う程でもないが、トゥラスヴィからの目線には何かが引っ掛かるような気がしてならなかった。
* * * * *
──コンコンコン
3回のノックの後、赤い塗料で塗装された扉が静かに開き、部屋の中へとミカエルとクラトスが入室した。
「よお、無事に帰ってこれったと言うことは、赤蜘蛛は倒せたんだな」
「……?」
久しぶりにトゥラスヴィの姿を見たが、その一言を聞いた途端、1週間前に聞いたトゥラスヴィの声とは何か違う気がした。
格好や見た目、声色や発声の仕方、口調もトゥラスヴィ本人なのだが、何かが違う。まるで、初対面のような感覚だ。
「えーと、トゥラスヴィさん……ですよね?」
「そうだ。俺はトゥラスヴィ・メイヴィウスだ」
「……今のお前は違うだろ」
そこにクラトスが割り込む。
「クラトスよ。お前は出ろ」
「──っ!!」
この2人の1週間前の関係は、手の掛かる孫とそれに呆れつつも可愛がっている祖父のような関係だと思えたのだが、今の2人は違う。険悪な雰囲気が漂っている。
「──分かった……」
クラトスは渋々了承し、部屋から出ていった。
「さて、2人きりになれたね…」
トゥラスヴィはワインの入ったグラスを傾け、赤い色の液体を下唇に軽く付けた。
氷がカランと音を立て、陽光がほんの少しだけ動くとミカエルの方に視線を向け、2回の瞬きの後に椅子から立ち上がった。
「さてと、子蜘蛛とは言え、お前は俺の出した条件をクリアしたんだ。約束は守ろう」
「約束……」
トゥラスヴィが大股でミカエルへと近付いたと思いきや、いきなり方向転換をして左の壁へと歩いた。
「嗚呼、前に話した通り、お前とお前の母親の当家の滞在を認める」
一つ、ミカエルとミカエルの母親がメイヴィウス家に暫く泊められる許可。
「次にアインリッヒ大学の3年分の学費。これも、時が来れば俺直々に出しに行ってやる。勿論、留年したらその年からはお前の実費だがな」
二つ、アインリッヒ大学3年間の学費の援助。
「んで、お前の母親へのプレゼント。これはもう渡してある」
三つ、ミカエルの母へのプレゼント。
「……気になってたんですけど、そのプレゼントって何ですか?」
「それは見てのお楽しみだ」
「はぁ…」
「そして、お前が欲しい情報の提供だったな」
「……情報」
これは、ミカエルにだけ耳打ちで明けた褒美だ。ミカエル自身、これについては赤蜘蛛討伐の事もあって頭から抜け落ちていたが、情報と聞いて、自分に思い当たる節がないかを探す。
(一体何のことだ?)
だが、そんなものは何も思い浮かばないし、記憶にもない。
「ミカエル・ブレア、お前が欲しい情報は──」
「ちょっと待ってください!」
「ん?」
トゥラスヴィが情報の事について話し始める前にミカエルが待ったを掛けた。
「なんだ?」
「えーと……、その……」
「なんだ!?何を言いたいんだ?俺は待たされるのが嫌いなんだよ!!」
トゥラスヴィの口調が更に荒々しくなった同時にある疑問が浮かんだ。
「トゥラスヴィさんですか?」
「──は?」
「あっ、いえ、なんか自分の知るトゥラスヴィ・メイヴィウスさんと何か……一致しなくて……」
目線を逸らし、自分の感じた違和感と疑問を躊躇しつつぶつけた。
「……そうか」
その疑問に対し、トゥラスヴィは唯一言を発して頷いた。
「それで概ね間違っていない」
「──え?」
「だが、この話はまた今度にして貰えるか?今は君への対価を払わなくてはいけない」
すると、トゥラスヴィは左目に付けた眼帯を上へずらし、ミカエルへ鋭い視線を送る。
「──へぇ、成る程。成る程」
(──あれ?なんか……戻った?)
「これは、ちょっと面白いね」
「──?」
何を言っているんだ。トゥラスヴィの表情が柔らかくなったと思ったら、先程まで強気な彼がいなくなっていたのだ。
「ミカエル・ブレア、早速だが、君にとって重要な情報を伝えよう」
柔らかくなった表情を戻し、トゥラスヴィは真剣な目でミカエルを見つめた。
「君の村……、いや、君の村だったものの件だ」
「村……?」
トゥラスヴィの口から出されたのはミカエルが一月前まで住んでいた村。正確には火事で全焼して村人諸共燃え尽きた村である。
「それで、僕の村の何の情報なんですか?」
「……驚かないでくれ。──って言うのも無理な話か……」
「──?」
トゥラスヴィは言いにくそうに口を閉じる。よっぽどミカエルに伝えたくない事なのだろうか。沈黙を続ける。
「その情報と言うのは、そんなに大事なことなんですか?」
この静寂の中、ミカエルがこれ見よがしに口を開ける。トゥラスヴィが何を伝えたいのかは一切分からないが、彼の表情からして、吉報とは呼べないものなのだろう。
「そうだ。ミカエル・ブレアにとっては大事なこと。俺にとっては、正直なところどうでもいいことだ……」
「僕にとっては大事なこと…」
「ああ」
外で数秒強い風が吹き、部屋の窓がガタガタと震えた。
「建て付けが悪かったかな……」
窓の方を向き、外の風を鬱陶しく思いながら、ボリボリと首を掻いた。
そして、1回の呼吸音と共に遂にトゥラスヴィの口からミカエルへとある情報が伝えられる。
「今回、君の村が燃えた原因は『ドリス家』だ」
トゥラスヴィ・メイヴィウスのモデルは真田幸村です。




