第2章 27『お見送り』
赤蜘蛛、それは大きい個体で体長3mを超える巨大な魔蟲である。背中と腹が赤くなっていて、威嚇のためにその腹部を見せることがあるが、此方から何もしなければ、彼方からは手を出さない、臆病な性格なのだ。赤蜘蛛は基本的に自分よりも小さい魔獣を捕食する。彼らの狩りの方法は至って簡単。──待ち伏せだ。岩と岩の間に糸を貼り、それに引っかかった獲物を捕食する。つまり、巨大なこと以外は普通の蜘蛛と何ら変わらない生態である。
そんな赤蜘蛛の生息地だが、アークトゥルス山脈を超え、王都から南に位置する都市、ワーム。そこから更に南南東へと進むと、鬱蒼とした森が点在している。その森の奥にある大きな洞穴、そこが赤蜘蛛の寝床──。つまり、巣穴である。
「馬まで貸して頂き、ありがとうございます」
「いえいえ、本当ならヘルド坊ちゃんの件も考えれば一月程はメイヴィウス家に滞在が出来る筈なのですが……」
「……お気持ちは嬉しいのですが、此処でジッとしているより、身体を動かした方が自分の性に合ってるんで。それに──」
何かを言おうとしたが、ミカエルは口を閉じた。
「それに?」
「いえ、なんでもありません」
踵を返し、弓矢を取りに行くために置いておいた場所へ戻り、一息吐いた。
「ふぅ…」
──もしも、赤蜘蛛の討伐に成功し、無事に戻ってこれたら、君が欲しい情報を提供しよう。──特別にね。
(俺の欲しい情報って、一体なんなんだ?)
頭に引っかかっている言葉を浮かべながら、籠の中に入った弓矢を背負い、腰に短剣を装備する。
「よしっ!」
* * * * *
その後、馬小屋にいた馬を一頭借り、一夜明けてからメイヴィウス家の本邸を後にした。母は、メイヴィウス家の本邸に預け、暫く世話になってもらう事となった。
「どうどう」
馬の手綱を掴み、馬を抑制する。傍らではクラトスが不安気な表情をしていた。
「本当に行くんですか?何度も言いますが、命の安全は保障出来ませんし、私も手を出せませんよ」
「……分かってますよ」
一応、同行者としてクラトスがついて行く事にはなっているが、基本的には手出し無用とトゥラスヴィから命じられている為、あくまでも赤蜘蛛の討伐に成功したかどうかを確認する為のお目つけ人である。
(あの小僧は何処で見てるか分からない。だが、いざとなればっ……!)
この間、2人は余り言葉を交わさず、黙々と出発の準備を進めた。
「おいおい落ち着け。クラトスさん、この馬、ちょっと気が荒ぶって興奮してます!何か香料を──」
一瞬、クラトスの眉間に皺ができた。
「クラトスさん?」
「ああ、いえ、なんでもありません。直ぐに持ってきます!」
「──?」
クラトスの険しい表情に疑問を感じたが、深くは考えない。ミカエル自身の心中も今は穏やかではないのだから。
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「………」
メイヴィウス家の馬の扱いに苦戦するミカエルを窓からトゥラスヴィが視察している。右手にはワインの入ったグラスを持ち、揺らしながら唇へとそっと運ぶ。
コンコンコン
扉をノックする音が響く。
しかし、トゥラスヴィはその音がする方を向かない。
「……どうした?」
「トゥラスヴィ様、母君様と妹君様がお呼びです」
「……そうか…」
母と妹と言う言葉に反応し、グラスを机の上にそっと置く。グラスの中に入った氷同士がカランとぶつかる音が静かに鳴り、トゥラスヴィがいなくなった部屋を眠りの静けさへと誘った。
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「……誰も見送りには来ないのですね」
馬に跨り、メイヴィウス家の門扉を前にミカエルがポツリと独り言で呟いた。
それとその筈。今から命懸けの狩りに行くと言うのに、使用人どころか、ミカエルの母さえも見送りには来なかった。
「御見送りなら、此奴がしてくれますよ」
「此奴?」
ピィィ────────────ッッ!!!
クラトスが人差し指と親指を合わせ、丸の字を作ると、舌を丸め、丸の字を作った指を上歯に押し当て、息を軽く吹いた。すると、丸めた舌が軽く振動し、甲高い音が森中に響き渡った。
「…‥口笛?」
すると、背後から葉が落ちる音と共に巨大な存在感が降って湧いた。
「………いいっ!?」
ミカエルが恐る恐る後ろを振り返ると、そこには10メートル級のキラーウルフ──、そう、メイヴィウス家の番犬兼ペット、ポチがいたのだ。
「おおっ、ポチよく来てくれたなぁ」
(キ、キラーウルフッ……!)
ポチの近付けた鼻を軽く摩り、柔和な目で語りかけるように毛並を触っていると、ゆっくりと尻を下ろし、『お座り』した。
「よしよし御利口さんだ。ミカエルくんもどれ、触ってみなさい。ポチの毛は一級品だぞぉ」
「………」
大丈夫だと分かっていても、10メートルのキラーウルフには圧倒されてしまう。
「で、では…」
呆気に取られながらもゆっくりとポチの足の毛を掌でゆっくりと触る。
「どうかな?」
(わ、分からんっ!!)
はち切れそうなくらい心臓の鼓動が鳴り止まない。狩人をしているからこそ、キラーウルフの恐ろしさが分かるし、理解している。だからこそ、ここまで人懐っこいキラーウルフに困惑を感じざるを得ない。
「え〜と……、とても…いい毛並ですね…」
冷や汗を流しながらクラトスの機嫌を損ねない無難な解答をした。
この答えに対し、クラトスは若干『そうだろう』とばかりに軽く胸を張っている気がした。
「はは……」
ミカエルは相槌をしながら苦笑いをした。
次回より、赤蜘蛛討伐戦スタート!
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