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勇者の弟  作者: ドル猫
第2章『アインリッヒ大学編』
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第2章 25『本邸へ』

 鬱蒼と木々が茂る森の中、母の車椅子を押しながら辺りを警戒して歩くミカエルと何食わぬ顔で2人の先頭をクラトスが歩き、メイヴィウス家の本邸への道を進んでいた。


(……さっきの化け物クラスのキラーウルフとか出ないよな?…襲ってこないと分かっていても、流石にあれは条件反射で身体を動かすぞ)


 ミカエルが背負う竹籠には10本強の矢が入っていて、左手には弦が握られている。何かあれば直ぐに応戦が可能な状態だ。


(くそっ!静まれっ!)


 これ程までに心臓の音が五月蝿いとは思った事がない。手を震わせながら冷たい空気を肌で感じ、前を見据えた。

 ミカエルがそんな状況でも、クラトスは朝の散歩のようにゆっくりとした足取りで足場の悪い地面を踏み込みながら歩いている。なれた場所だからか、特に何かを警戒している様子もない。


(それにしても、メイヴィウス家の当主は何でこんな所に屋敷なんて建てたんだ?それなりに名の知れた武家なら、王都の一等地に住む事だって出来る筈なのに……)


 王都の中心部に住む事、それ即ち自分がこの国を束ねる王に近いと国民に示す威厳となる。その立場を求めて、数多くの貴族が王族へのごまを擦り、その権力を得ようとしている。だが、この家は違う。外界から閉ざされ、侵入者を拒む壁と侵入者を狩るための番人に番犬、まるで鼠一匹も通さないくらいに隙がない警備である。初代メイヴィウス家の当主は何を考えていたのだろうか。だが、考えても無駄な事だ。何故なら、それは我々が考えても色即是空にしか過ぎないのだから。


「見えてきましたよ」


 そんな事を考えている内にいつの間にか森を抜け、大きな池の向こうにある丘の上に建っている屋敷が見えた。


「母さん、もう直ぐ着くから、もう少し我慢できる?」


「うん…。大丈夫」


 ミカエルは目の見えない母の心配をしつつ、クラトスに置いて行かれないよう一定のペースを保ちながら再び歩き始めた。


(──っっ、重いっ!)


 池を渡るために橋へと歩を進めるが、人一人乗った車椅子を動かすのは子供一人の力では難しく、特に上り坂になっている前半は車椅子に掛かる重力と引力で足が下がる。動かそうにも動かせない。


「──んぎっ!!」


「……変わりますよ」


 そんな状況を見兼ねて、クラトスが車椅子を押し始める。クラトスが押すと、ミカエルの時とは違い、上り坂でも軽く車椅子が坂を登り、時間を掛けない内に平坦な所まで進んでしまった。


「凄い…。僕じゃ全く動かせなかったのに…」


 ミカエルもどうにかクラトスの元まで追いつき、橋の中央部辺りでへたり込んだ。


「ふむ、そろそろ休憩を入れますか」


 流石に体力が限界となり、一度休憩を挟む事になった。今日の日差しが余り強くないとは言え、何時迄も此処に留まっている訳にはいかない。おそらく、5分程度の小休憩だろう。


* * * * *


「ぷはぁっ──!」


 水筒の中の水を飲み、一息吐く。身体全体の血に水分が駆け巡るような感覚になり、ミカエルの意志とは関係なく手先が軽く動く。


「母さんも」


 もう一つの水筒の水を母の口に運ぶ。


「ごめんね。苦労かけちゃって」


「大丈夫だよ。僕もやりたくてやってる事だし」


 そう日常だ。ミカエルにとってこれは日常。父が死んだ後はミカエルが一人で母の介護をした。愚痴一つ溢さず、良くやっている方だとミカエル自身も思っている。


「………」


「母さん、どうかしたの?」


「う、ううん。なんでもない」


 道中、やけに母の口数が少ないことを不思議には思っていたが、この嶮しい道なので敢えて声を掛けないのだろうと勝手に思っていた。


「ミカエルくん、池を見てみてください。メイヴィウス家自慢の池です」


「池?」


 橋の手摺りから池を見てみると、そこには赤や白や黒等の様々な色の魚が泳いでいたのだ。


(見たことない魚だ。大きいな…)


 見たことのない魚に目を丸くして、クラトスに質問を投げかける。


「何て言う魚ですか?」


「あれは『鯉』です」


「鯉?」


「はい。500年程前に外から持ち込まれた魚です」


「へぇ〜、ヘクス運河にでもいるんですか?」


「いいえ」


「──?それじゃあ、南の方…、余り人の手が加わってない所から?」


「いいえ」


「なら、何処から持って来たんですか?」


 どんな質問にもNOで返答するクラトスに多少の苛つきを感じながら、疑問の答えをクラトスに聞いた。


「さあ?」


 しかし、求めた答えは返ってこなかった。


「さあって…、知ってるんじゃないんですか?」


「500年以上前の事なんて分かりませんよ。文献も殆ど残されてないですし…」


「そうですか…」


 肩透かしを喰ったような感じになり、場の空気が少しだけ悪くなる。


(まあ、外から持ってきたと言うのは分かったし、北の方に生息してるのかな?もしくはもっと北……。魔王領にいたりしてな)


 しかし、明確な答えが貰えなかっただけにミカエルの想像力は活発になっていた。


(──まっ、例え知っていたとしても教えませんがね)


 そんなミカエルの考えを嘲笑するかのようにクラトスは顎を上げ、川の先にある本邸を眺めていた。


「………」


「では、そろそろ参りましょうか」


 その後、緩やかな橋の下り坂を歩き、本邸のある丘への緩やかな林道へと進んだ。

 この辺りまで来ると、門付近に漂っていた魔獣の気配や獣臭が無くなっていた。それどころか、本当に同じ壁に囲まれた土地なのかと思う程、本邸付近の林はのどかだった。

 だが、そののどかさが、逆にミカエルの狩人の勘を触っていた。


 ──これ以上近付くなと。


(なんか…、妙に静かすぎるな)


 殺気も無ければ敵意もない。穏やかな風が頬を掠める度に此処が安全だと言うのは頭で理解が出来る。だが、心はそうもいかない。入り口とは打って変わって虫の音一つ聞こえないこの林は最初に見たキラーウルフとは違う恐怖感を感じざるを得なかった。


「着きましたよ」


 足を止め、上を見上げる。眼前には空を突くようにメイヴィウス家の本邸が聳え立ち、位の高さを示しているようにも見えた。


「でかい…。王都にゴロゴロある貴族の家の何倍デカくて広いんだこれ?」


 遠くから見るのと近くから見るのとではこの屋敷は──、否、城とも呼べるこの建物は全くの別物に感じられた。まるで何者も拒まない慈愛の仏のように。


 コンコンコンコン


 クラトスが玄関の扉を4回叩く。

 こんな広い屋敷では、小さなノック音なんて聞こえないのではとミカエルは思っていたが、そんな事はなく、クラトスがノックしてから20秒も経たぬ内に白を基調とする執事服を着た男が玄関の扉を開けた。


「お久しぶりです。ケネスさん」


「クラトス殿……。お話しは当主から聞いています。どうぞお入りください。──そちらの御二方もご遠慮せずに」


 ケネスと呼ばれた褐色肌の男は礼儀の良い姿勢でミカエル達を屋敷の中へと招いた。


「はい」


 言われるがままにミカエルは車椅子を押して屋敷の中へと入った。


「ケネスさん、バラダさんはいますか?」


「バラダは今はいません。多分、外で魚に餌を与えてると思います」


「そうですか…。アクサ様とカレブ様は邸内にいますか?」


「御二方共にいますよ」


 靴を脱ぎ、下駄箱に靴を入れる。それから、来客用に積んであるスリッパに履き替えた。


「すみません、車椅子は外に置いて貰えますか?」


「あ、はい」


 ケネスにそう言われ、ミカエルは車椅子から母を降ろす。


「お前たち、手伝ってやれ」


「承知しました」


 ミカエルが母をおぶさると、ケネスが屋敷の中で階段の手摺りの掃除をしていた3人の従者を呼び、ミカエルと代わって母をおぶった。


「ありがとうございます」


「…仕事なので」


 従者の1人にお礼を言ったが、従者は表情を変えず、淡々と母を屋敷の中に運んだ。


「歩けますか?」


「ええ、なんとか」


 従者が母を背中から降ろすと、母の肩を持って、補助を入れて歩かせ、一階にある大きめのソファーに腰を掛けさせた。


 暫くすると、廊下の奥からもう1人、眼鏡を掛けた白髪の執事服の男がやって来た。


「お客様、クラトス様、当主トゥラスヴィ様がお呼びです」


 メイヴィウス家の現当主の名を出され、身震いする。元々の目的としては、当主であるトゥラスヴィにお願いしに来たのである。その事はクラトスを通じて向こうにも知れているのは分かっていたが、現に直面すると、相手が自分よりも遥かに身分が上の立場なのも相まって、冷や汗が溢れる。


「落ち着いてください。緊張しなくても、()()あの人は他人の話を聞いてくれます」


(今の……?)


 含みのある言葉に若干の不安が()ぎったが、ここまで来てしまえば、もう後戻りは出来ない。

 ミカエルに残された道は自分のした選択に対し、進む事だけなのだから。

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