第2章 20『推薦状の使い方』
「ミカエル、あなた、母さんに何か隠し事してない?」
その言葉にミカエルは苦笑いを浮かべる。隠し事があるのは事実だ。アインリッヒ大学の推薦状。これをどうするかで数日間悩み、母にも打ち明けていない。
ミカエルは苦笑いをしながらポケットに入れた推薦状に触れる。
(でも、これがアインリッヒ大学の推薦状だっては知られていない筈…。母さんは目が見えないし…)
「……何も隠してないよ」
ミカエルは苦笑いのまま母を心配させまいとそう返答した。
「アインリッヒ大学?」
母から発せられた言葉に身体を身震いさせ、首筋から冷たい汗が出る。
「な、なんのこと?」
「アインリッヒ大学。そう、アインリッヒ大学から推薦状が来たのね!」
母は顔をミカエルに向けて、自分の事のように喜びながらアインリッヒ大学の推薦状をミカエルが隠していたことを見抜いた。
「凄いじゃない!それって、騎士様直々に渡される物でしょう?どうやって騎士様と知り会ったの?」
「ど、どうして、隠している事が分かったの?」
ミカエルの頭の中はパニックになり、考えも纏まらずに母の質問に対して質問で返した。
「…んー、自分でもよく分からないんだけど、こうやって目の見えない生活を続けていたら、いつの間にか他人の心の声が聞こえるようになっちゃたんだよね」
「……!?」
ミカエルは驚いた。母がアインリッヒ大学の推薦状の事を見抜いたのもそうだが、その見抜けた理由に思い当たる節があった。
「まさか、寵愛?」
そう。寵愛だ。極稀に後天的に発現する寵愛。ミカエルの母の場合、長い間目の見えない生活を強いられていたため、視力以外の五感が鋭くなってしまっていた。その結果、人間の五感や身体能力の延長上である寵愛が発現したのだ。
過去にも、聴力を失った者や嗅覚を失った者に後天的の寵愛が発現した例があるため、この状況も普通でないだけで起こっても不思議ではない現象なのである。
「なんて事だ…。まさか、寵愛を発現していたなんて」
「それよりも、ミカエル、あんたアインリッヒ大学の推薦状貰ったんでしょ?母さん嬉しいよ。あんたが騎士様に認められるなんて」
母の反応とは裏腹にミカエルの表情は苦々しくなっていた。
「母さん、悪いけど、僕はアインリッヒ大学には行かないよ」
「え?」
「そもそも家には入学するためのお金がない」
「じゃ、じゃあ奨学金を借りれば…」
「例え奨学金を受け取れたとしても、最低でも3年間、母さんの面倒は誰が見るの?」
「あ…」
「この推薦状は王都のオークションに売る。それなら、1年…いや、よければ5年は金に困らない。これが最善の選択なんだ」
ミカエルがこの推薦状をどうするかは既に心に決めていた。いや、それしか選択肢がなかったから選ばざるを得なかった。
「そ、そうよね。ミカエルには学校に行ってもらいたいけど、私がこれじゃね…」
ミカエルの言い分に母は肩を落としたが、これは誰が見ても仕方がない事だ。誰の所為でもない。言うなれば、運と環境が悪かったのだ。
「………」
暗い雰囲気のまま2人は昼食を食べ終えた後、市場で山菜を売り終えて王都を散歩している時だった。
「おい!急げ!でけぇ火が上がったそうだ!」
「マジかよ!俺たちも行くぞ!」
王都の通りを歩いていると、前から人を掻き分けながら走る数人の衛兵が焦った表情で通り過ぎて行った。
(なんかあったのか?)
物々しい雰囲気に僅かな胸のざわつきを感じていたが、気に留める事もなく、ミカエルは通りにある商店へ入った。
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それから30分程して、2人が店の中から出て、町へ帰ろうと王都の北門を目指している時だった。
「ん?」
数百メートル離れた先に人集りができていたので、目を凝らしてみると、遠目で北門が閉門しているのが見えた。
(おかしいな…。門が閉まっている)
王都シミウスの出入り口は4つ。一つは、今、ミカエル達が向かっているヘクス運河に囲まれた内側領土へ行くための北門、二つ目は北門とは反対方向、ヘクス運河から外側領土に当たる一本道、ぜーヒャ街道へ行くための南門、三つ目と四つ目は、王都の西と東に位置する水門。船が通るための水道であり、街を囲む城壁の中で一番頑丈な箇所だ。4大都市へ向かう際はこの船に乗るのが一番早いとも言われている。
そのため、ミカエル達が住む町へ帰るためにも北門を通る必要がある。船を使って、西か東から王都を出て、近くの村か町から帰る方法もあるが、船が出るのは1時間に2本であり、更に乗船料金も掛かる。なので、ミカエル達が帰るためには北門から王都の外に出る必要があるのだ。
「母さん、今日は宿に泊まるよ」
「帰れないのかい?」
「ああ、北門が閉まってるんだ」
「そうかい」
自棄に母の反応が薄い。一日家に帰れないとなると、少しは驚くものだが、母はこの状況が予め分かっていたかのように冷静だ。
(…なんだろう。凄く、嫌な予感がする)
ミカエルはこの状況に胸の不安が拭えなかった。先程急いで走っていた衛兵達や北門に集まる人集り、それはまるで、ミカエル達を王都から出さんとする檻の様にも見えた。
その景色を見て、何故かは分からないが、ミカエルの胸騒ぎは落ち着きを取り戻せなくなっていた。
それもその筈。ミカエルにはこの胸騒ぎに覚えがあった。そう、それは父が仕事で出て行ったあの日と同じ。
────日常が壊れる時の胸騒ぎだ。




