第2章 18『狩人』
〜東暦八十年〜
王都を囲む城壁から北東に位置する村、そこは東暦の時代が始まる前までは、土壌が豊かで、良質な作物が大量に取れる土地だった。
だが、六十年前に突如ヘクス運河の内側に出現した黒竜により、村はほぼ壊滅。豊かな土壌も黒竜の出す汚染物で駄目になってしまった為、人がいなくなり、そして、他所から流れてきた者達が住み着いた事により、いつしか貧民街と呼ばれるようになってしまっていた。
その小さな村の一角に住んでいたのが当時八歳のミカエルだ。魔獣狩りとして生計を立てる親と貧しいながらも幸せな生活を送っていた。
「父さん、仕事行くの?」
「ああ、依頼でガハリシュに行くことになった」
ミカエルの父は最低限の荷物と弓矢だけ持って、玄関の扉を開けた。
「ミカエル、母さんの事頼んだからな」
見送りに来たミカエルにそれだけ伝えてミカエルの父は玄関の扉を閉めた。ミカエルは、その頼みに無言で頷いた。
玄関の扉が閉まると、ミカエルは家の中を数歩歩き、少し広い部屋の中に入った。
その部屋の中には人がギリギリ一人分寝そべれる小さめのベッドと座椅子が一つ置いてあった。
「あの人は……父さんは行ったのかい?」
「うん。ガハリシュまで行くって言ってたから、一週間は帰ってこれないと思う」
「ごめんね。私がこんなだから、ミカエルにも迷惑をかけちゃって…」
「大丈夫だよ。家事のことなら心配しないで。僕が全部やるから」
開光石の灯りがない暗い部屋の中、ベッドの上でミカエルの母親が仰向けで寝ていた。いや、起きてはいる。だが、母の瞳には光がない。
ミカエルの母は、三年前に突如視力を失った。医者に見せた所、原因はこの汚染された土地で取れた野菜を食べた事によるものだった。しかし、黒竜が暴れたのは六十年も前の話だ。それに、この村の野菜は母以外にもこの町に住んでいる人は皆口にしている。
では何故、ミカエルの母親だけが視力を失ったのか、この理由を解明する為に国から王国騎士団が派遣され、徹底的に村の野菜や土を調べ上げた。すると、村の土壌に僅かながらに人に強い害を及ぼす物質が見つかった。
騎士の出した調査結果によると、その物質は六十年前当時に黒竜が出していた汚染物質と一致したと報告された。つまり、ミカエルの母親の視力が奪われた原因は、偶然、長い時間を掛けても浄化しきれなかった物だったと判明した。
要するに、六十年前のツケが偶々ミカエルの母親に回っただけだったなのだ。
どうして母だけが視力を失わなくてはいけないのか理不尽な目に遭わなくてはいけないのか。ミカエルもそんな事を一時期は考えていたが、そう言う悪いことを考えていては前には進めない。と言う父からの受けおりの言葉を思い出し、ミカエルは自分に出来る事を精一杯取り組んだ。
とある日の朝、洗濯物を取り込んでいたミカエルの元に数人の衛兵がやって来た。
ミカエルの父が仕事に出て二週間。予定していた期間よりも長く家を離れる事はそう珍しくないが、今この瞬間だけは、嫌な胸騒ぎがミカエルを襲っていた。
「君がミカエル・ブレアくんだね」
「──はい」
ミカエルの前に立ったのは眼鏡を掛けた体格の良い男だった。
「あれを持って来い」
男が後ろにいた部下に一言命じると、部下達は無言で家の前に停められている荷馬車の荷台から一つの小さな壺を持ってきた。
「これは…?」
ミカエルがその壺を受け取ると、中を見る前に男にこの壺が何なのか聞いた。
「……それは、君のお父さんの遺骨だ。…ガハリシュの森で遺体となって見つかったんだ」
「え?」
「それと、遺体から数百米程離れた川で君のお父さんの名前が彫られた弓矢が見つかった」
ミカエルの前に置かれた箱の中には確かにミカエルの父が使っていた弓矢が入っていた。
「では、我々はこれで」
衛兵達はそう言うと、ブレア家の敷地から出て、荷馬車に乗って王都の方向へ向かってしまった。
「……あ」
ミカエルは遺骨の入った壺を母のいる部屋にあった座椅子の上に置くと、もう一度玄関の外に出て、弓矢の入った箱を手に持った。
「父さん…」
△▼△▼
陽光が森を照らす中、鶏に似た生き物が紫色の羽毛を閉じて、地面の中にいる餌、甲虫の幼虫を嘴で探している。
すると、前日の雨でぬかるんだ地面の上で鶏の足が止まる。
首を動かして辺りを警戒してから、鶏はジッと地面を睨む。すると突然、鉤爪を地面に食い込ませ、嘴を勢いよく土の中に突き刺した。
そして、土の中から嘴を抜くと、嘴の先にはウネウネと動く白い幼虫が捕らえていた。
──ヒュン
空を切る音と共に一本の矢が鶏の頭に刺さった。
ミカエルは、命を奪ったと言う感触、矢の手応えを確認し、木の上から飛び降りた。そして、他の生き物に獲物を取られないよう、急いで仕留めた鶏に近付いた。
「よし。いい大きさのコカトリスだ。毒抜きすれば、王都でいい値で売れる」
コカトリスとは、鶏の姿をした体内に毒を持つ魔獣である。繁殖能力が高く、基本的に人に襲いかかることはないが、時折り吐き出す毒液が野菜にかかると、ダメになってしまう事があるので、王国では駆除が進められている。
ミカエルは仕留めたコカトリスを籠の中に入れ、町に戻るために森の中を歩き始めた時だった。
「ん?誰かいる」
ミカエルのいる茂みから十数米離れた場所に二人の男が馬を停めて切り株の上に座る姿が見えた。
(あの服、王国騎士か)
着ている制服の特徴から彼らが王国騎士という事が特定できた。
「しっかし、なんで俺らがこんな事をしなくちゃいけないんですかね?」
「仕方がないだろ。管理していた魔獣が逃げ出したんだ」
「それでも、ドジ踏んだのは第二師団の連中ですよ。俺達が奴らのケツを拭く必要はないじゃないですか」
「第二師団は万年人手不足だからな。彼奴らだけじゃ、小さい森でも探すのは一苦労だ。住民達に被害を出さない為にも俺たちが責任を持って、奴を駆除しなくちゃいけねえ」
「そういうものですかね」
(何の話をしているんだ?)
茂みの中から聞き耳を立てて騎士達の話を盗み聞きする。話の内容は、どうやら魔獣関連の事についてらしい。
「それよりも、見てますね」
「ああ、見てるな」
騎士達が話の手を止め、ミカエルのいる茂みの方に視線を移した。
隠れているミカエルは、盗み聞きしているのがバレたと思い、気配を消す為に口を両手で塞いで息を止め、身を屈める。
騎士の二人は腰に付けた騎士剣の柄を握り、ゆっくりと金属の音を立てながら抜剣する。
「グギュグバァ!!」
すると、騎士二人の殺気に気付いたのかミカエルのいる茂みから更に離れた茂みの中に潜んでいた頭が二つ付いたネベルスネークが姿を現した。
「頭が二つ付いた蛇。……ネベルスネークと双頭トカゲの混血種。逃げ出した奴だな」
「自分がやります。ヅダさんは周囲の警戒を」
「ああ。任せたぞ」
敬語で話す青髪の騎士が魔獣に向かって行く。騎士剣を地面スレスレで擦りながら接近し、迫ってくる頭の一本を身体を回転しながら避けて、騎士剣で胴体を斬りつける。
(浅い!)
胴体から出血させるも、ネベルスネークのもう一つの頭が体を畝らせながら騎士に噛みつこうとする。
「──ウォーターショット!」
だが、攻撃を受けたのはネベルスネークの方だった。
ウォーターショットとは、掌に集めた魔力をゼロ距離で放出し、炸裂させる水属性の中級魔法であり、接近する分、威力が高めの魔法である。
高威力の水圧がネベルスネークの頭の一つを仰け反らせ、体勢を崩す。
(……タフだな。これでも駄目か)
しかし、仰け反らせただけで完全に倒し切るまでには至らない。
「アル!尾に注意しろ!」
ゼロ距離で魔法を使ったため、青髪の騎士アルにも隙が出き、鋭く尖ったネベルスネークの尾がアル目掛けて迫り来る。
「分かってますよ。──『魔力障壁』」
空中に出現した半径三十糎程の楕円型で半透明の透度と同じくらいの硝子のような物がネベルスネークの尾を止めた。
空中に出した魔力障壁と呼ばれる物には傷一つ付かず、攻撃してる側のネベルスネークも尾に力を入れているようだが、破れる気配はない。
「──ふっ」
そして、魔力障壁に気を取られている間にアルはネベルスネークの首元まで一気に迫り、腰を入れて騎士剣に遠心力を付けてネベルスネークの二つある内の頭の一つを真っ二つにした。
傷口から噴き出した鮮血がアルの髪に、腕に降りかかる。
そして、ズズゥンという音を立てながらネベルスネークは地面に伏せた。
(よし、これで今日の仕事は終わり。衛兵に報告してから、直帰するか)
首を刎ね、完全に絶命させたと思い、アルは騎士剣を鞘に収めた。
「おい!油断するな!頭がもう一つ残ってるぞ!」
しかし、このネベルスネークは二匹の魔獣の特性を受け継いで産まれた混血種。もう一本の頭がアル目掛けて巨大な口を開き、丸呑みにしようとする。
その直後、茂みの中から放たれた一本の矢がネベルスネークの左目の眼球に直撃する。
「キシェェェェ!?」
「んな!?」
今頃仕留め損ったと気付いたアルがもう一度騎士剣を抜き、暴れ回るネベルスネークのもう一つの頭を両断する。
「危なかった…。しかし、矢か…」
ネベルスネークの眼球に突き刺さった矢を抜き、ヅダの方を見る。
ヅダは騎士剣を構えたまま、ある一点を見つめていた。
「おい、そこにいる奴、出てこい」
騎士剣を抜かれては無駄な抵抗はできない。ミカエルは茂みから顔を出し、弓矢を地面に置いて敵意がない事を示した。
「子供…?」
ヅダはミカエルの姿を見ると、その小さな体格と真っ直ぐに向ける視線から危険はないと判断し、騎士剣を鞘にしまう。
(なんで子供がこんな所に…)
「君、この森は危ないよ。おじさん達が森の出口までついて行くか……ら…」
ヅダがミカエルに駆け寄ると、足を止めて茂みにある竹籠に目を移した。
「これは、コカトリス?」
ヅダが竹籠の中に入っている血抜き前のコカトリスを持って、ミカエルの方を見る。
「これ、君が仕留めたのか?」
「うん」
ミカエルと同じ目線にしゃがみ、ヅダは驚いた表情でコカトリスを籠の中に戻した。
「ヅダさん、この矢、毒が塗ってありますよ」
アルが抜いた矢の先端には微量だが、紫色の液体が金属の部分に塗られていた。
「…君、歳はいくつだ?」
「八歳。来月で九つになるけど」
「八歳か。ところで、その弓術は誰から学んだんだ?」
「父さんのを見よう見まねで……」
「お父さんもこの森の中にいるのかい?」
「父さんは半年前に死んだ」
「そ、そうか。悪かったな…」
ミカエルとヅダの間で問答が数回行われた後、三人で馬を停めた所まで戻った。
「アル、お前は先に王都に戻って、衛兵と第二師団の誰かを呼んでこい」
「了解です。要件が済んだら、自分はそのまま直帰しますが、構いませんね?」
「ああ、本部には俺から報告しておく」
アルは馬に乗馬し、手綱をしならせると、ゆっくりと馬が歩き始めた。
「坊主、助けてくれてありがとな。いつかお礼をさせてもらうよ」
此方に振り向き、そう言うと、アルを乗せた馬は少しずつ加速し、気付けば肉眼では見えないくらいに距離が離れ、この場にはミカエルとヅダが残った。
「さて、君には討伐補佐として俺から礼を尽くさなくてはいけないな」
「討伐補佐?」
「ああ、大した物は渡せないが、これを」
ヅダの胸ポケットから出されたのは一枚の封筒だった。
「これは?」
「それはアインリッヒ大学の推薦状だ。君には討伐補佐の報酬として受け取ってほしい」
「……ありがたいお話ですが、自分の家はお世辞にも裕福とは言えません。なので、これは受け取れません」
目の見えない母の代わりにミカエルがこうやって稼ぐしかない。そのため、アインリッヒ大学に行くための金もなければ、行ける時間もない。
「そうか。だが、俺の気持ちとして受け取ってほしい。それに、この推薦状は売れば魔金貨十枚は下らない」
「え?」
魔金貨十枚と言うミカエルが一年間に稼ぐ同じ収入の金額を提示され、目の色を変えた。
「アインリッヒ大学には奨学金制度もある。どう使うかは君次第だ」
押し切られる形でミカエルは推薦状を受け取った。




