第2章 17『寵愛』
時計の短針が九を指すと同時に教室の扉が開く。寝惚けた目を擦りながら担任のサムが教室の中に入って来た。
教室内は、数分前まで騒がしいに尽きる状態だったが、五分程前に予冷が鳴った時から、少しずつ生徒たちが席に着き、最後にギリギリで教室に戻って来たアスタとコードも本鈴が鳴る寸前に自分の席に座った。
「よし、全員いるな。今日は、簡単な身体検査だけだからそんな気負わなくていいぞ。順番が来るまで各自自習でもしてろ」
サムはそれだけ言ってから、日直に日誌を渡して、教室を出て行った。
変な緊張感から解放され、クラス全員が気を楽にする。アスタも息を軽く吐き、ミカエルがいないか周囲を見渡した。
(あ、いた)
ミカエルはアスタの席から離れた窓側の席で外の景色を眺めていた。
「ミカ──」
ミカエルに声を掛けようと少し大きめの声を出しかけた時、いきなり、教室の出入り口のドアが勢いよく開いた。そのドアがスライドする音にアスタの声も勿論だが、他の生徒の話し声も掻き消された。
「すまん!身体検査の順番、ウチが最初だった。悪いが、番号順に廊下に並んでくれ」
慌てた顔でサムが教室内にいる生徒に指示をした。クラスメイト達はサムが言った通りに直ぐに廊下に並び、先頭の生徒が歩き出してから数秒後に後ろの方で並んでいたアスタ達も歩き始めた。
名門大学とは言え、身体検査はかなり一般的だ。まず最初に身長と体重を計り、それから視力の検査、その後は五十米走や握力、状態起こしにボール投げとどれもアインリッヒ大学以外の教育機関でも行う身体検査だった。
「よし、次は寵愛の検査を行う。水分補給をしたら、一階の会議室に五十分にまで集合しろ」
各種目を行い、全員がバテている中、計測をしてたサムが次の検査の概要を声に出し、その内容に目を輝かせた者達が顔を上げ、小さめの声で寵愛について喋り出した。
「なあ、俺にも寵愛があると思うか?」
「バカ言え。寵愛が発現するのは統計的に千人に一人。あり得ないよ」
「だよな〜」
アスタはその会話に耳を傾けながら水道の水を口に含み、タオルで汗を拭った。
「寵愛か…」
「あんたも、自分に寵愛があればとか思ってんの?」
隣で水を飲んでいたコードが話しかけてきた。
「まあ、寵愛を持っている人には会った事があるし、無いより、あった方が便利かなと思って…」
「ふ〜ん……。寵愛ってね、あんたが思っている程生易しいものじゃないのよ」
「え?」
△▼△▼
「……反応あり」
会議室に集合して一人ずつ寵愛の有無を魔道具を使って確認していると、コードの順番になってから急に台に置かれた水晶が紫に輝き出した。
この魔道具『フルックフィン』は、別名寵愛探知機とも呼ばれ、十三年前にある人物に製造されてからと言うもの、寵愛の発現者がこれまでより格段に見つけやすくなったのだ。
(彼奴、寵愛持ちだったのか!)
会議室内がざわつくが、そんなのお構い無しとばかりに、コードはすました表情で溜め息を吐いた後、早歩きで退室した。
七分後、アスタの順番になり、前の者達と同じように水晶に掌を翳してみたが、結果は反応なし。その後もコードと同じようにフルックフィンに反応する者は現れることなく寵愛の検査が終わった。
「コードさん凄いじゃん!」
「寵愛って、どんな感じなの?」
「どんな寵愛を持ってるの?」
体力測定が全て終わり、教室内に戻ると、コードの席の周りをクラスの女子達で囲んでいた。
「戻れないんだけど……」
「まあまあ」
そのため、隣であるアスタの席まで囲まれてしまい、自席へと戻れない状況になっていた。
「昼食の時間になれば、その内皆離れるよ。少し早いけど、僕らは食堂へ行こうか」
「ああ。……あっ、そうだ。ミカエルも誘っていいか?」
「いいけど、彼、まだ教室に戻って来てないよ」
ヨハネの言う通り、ミカエルの机の上には綺麗に畳まれた制服が積まれているので、ジャージの格好のまま、教室には戻って来ていないようだ。
「──先に行っててくれ」
「えっ、ええ──」
ミカエルから話を聞くために昼食に誘おうと思っていたが、最後の寵愛検査が終わってからそれなりの時間が経っているのに、まだ戻って来ていない事に少しの疑問を感じ、アスタは急いで教室を出て行った。
教室を出てから最初に会議室に向かい、こっそりと中を覗いたがミカエルの姿がなかったので、寮に戻っているのかと思い、下駄箱で靴を履き替えてから寮への近道になる校舎裏の茂みに入ると、校舎の影になっている場所で誰かが話している声が聞こえた。
(誰かいる)
アスタは茂みの中に身を潜めてこっそりとその会話を聞いた。
「────にい──だ」
「────こそ、貧民の癖に──」
(貧民?よく聞こえないな)
パキャッ
校舎と建物の間を通る隙間風で会話の聞き取りが難しく、ゆっくりと一歩前に出た瞬間、足下にあった小枝を踏んづけてしまった。
「やべっ!」
「──!!そこに誰かいるのか!?」
ほんの僅かな油断だった。アスタは両手を上げて茂みから顔を出した。
「そのままこっちに来い」
会話しているのが誰か分からないまま、校舎の影になる所まで歩み寄った。
(最悪、魔法でどうにか切り抜けるか)
そんな事を考えながら歩を進めたが、もし相手が上級生で同じ騎士科の場合はアスタでも敵わないかもしれない。そんな事は頭に入れず、校舎の影になる場所まで歩くと、会話していた者の顔が露わになった。
「え?ミカエル?」
「アスタ…、なんでここにいるんだ?」
手前側にいた人物の顔を見て、アスタは上げていた両手を下げた。
そして、ミカエルと対面に立っていた人物の顔もここまで近付けば分かる。シンナーだ。
「ちっ、邪魔が入ったか。この話はここで終りだ。俺は帰る」
シンナーの周りには、昨日見かけた護衛のような付き人もおらず、アスタを見た瞬間、舌打ちをして、此方を睨みつけてからこの場を去った。以外と小心者なのだろうか。
「邪魔って……なんの話をしていたんだ?」
「……アスタには関係のない話だ」
暗くてよく分からなかったが、よく見れば、ミカエルの左の頬が殴られた跡のように腫れている。
「おい、それ大丈夫か?治癒魔法を──」
「いい。こんなの唾付けたら治る」
ミカエルはアスタの手を振り解き、この場から去ろうとした時、また、昨日と同じ嫌な悪寒がアスタを襲った。この並々ならぬ憎悪がシンナーに向けたものなのは状況から理解出来たが、アスタにはこれが悪い事が起きる直前の予感だとしか思えなかった。
「待て」
一歩を踏み出し、ミカエルに声を掛ける。
「なに?」
「何か悩みがあるなら聞くよ。俺ら、友達だろ?」
友達。この言葉は、一見良い言葉のように聞こえるが、人にとっては呪いの言葉のようにも聞こえる言葉。友達と言う単語を使うだけで相手を反応させる束縛の言葉だ。
「……っ!」
この言葉の効果が今のミカエルにどれだけ効くかは分からない。だが、やって損はない方法には変わりはない。
「とりあえず、食堂に行こう。何があったかは知らないけど、俺もヨハネもお前の味方だ」
無意識の内にこの問題にヨハネも巻き込んだ。どうやら、アスタは短期間でヨハネに相当な信頼を置いてしまったらしい。
「分かった。顔を洗ってくるから先に行っててくれ」
ミカエルはそう言うと、食堂とは逆の方向を向き、アスタを背にして校舎を離れた。
アスタは、離れていくその背中をただ見ていた。
そして、言われた通り先に食堂に向かい、ヨハネと共にミカエルが来るまで席に座って待っていた。
それから十分が経過してから、冷め切った昼食の前にミカエルが座り、三人で静かな食事会を行った。
この日の昼食はポタージュとパンと豆を中心としたサラダだったが、この静かな雰囲気だと、どの料理も美味しいと感じることが出来なかった。
次回より、ミカエルの過去編に入ります!




