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勇者の弟  作者: ドル猫
第2章『アインリッヒ大学編』
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第2章 16『春の香り』

△▼△▼


「──夢か……」


 目が覚めた。意識の覚醒と同時に両手を動かし、ここが現実だと確認する。


「変な夢だったな……。ああいうの見たの三年ぶりくらいかな……」


 視線を壁に掛けている時計に移す。

 時間は午前六時。丁度起床の時間だ。


「…………ん?」


 ゆっくりと部屋のドアが開いた。ヨハネが寝そべっているアスタに近寄り、身体を揺する。


「おはよう。もう起きてるよね?」


 ヨハネの額に汗が湿っている。どうやら、早朝から軽い運動をしていたようだ。


「ああ、おはよう」


 アスタも気怠い身体に鞭を打って起こし、大きな欠伸をする。


「早くしないと朝ご飯食べられないよ」


「そう焦んなくても大丈夫だろ。先行っててくれ」


「分かった。席取っておくから、早く来てよね」


 ヨハネが部屋を出ると、アスタは軽く伸びをした。


「ん──、はぁ」


 ここは、アインリッヒ大学、騎士科の生徒寮。眩しい日差しが部屋の中を照らし、新しい朝を告げていた。


「さっ、食堂に行きますか」


 日光浴を楽しんでいるのか、窓の淵に置いた観葉植物が輝いてるように見えた。

 そんな、植物を見て、アスタは心を落ち着かせているが、脳内に過ぎるのは昨日のミカエルの表情だった。


(ミカエルのあんな顔初めてみたな)


 あの殺気がアスタに向けて放ったものではないと分かってはいるが、あの悍ましい感覚にはアスタにも覚えがあった。


(あの感じ、魔獣の放つ殺気と同格だった)


 アスタの知る魔獣の殺気というものは、彼らが同族以外に向ける嫌悪のようなものだ。例え、相手からの敵意がなくても問答無用に襲い掛かる。ミカエルからはそんな殺気が放たれていた。


「今日辺り、ミカエルと話してみるか」


 アスタは寝衣から、他所行き用の格好に着替えてから一階の食堂に向かった。


「アスタ、こっちだよ──」


 食堂に入ると、ヨハネが手を大きく振ってアスタに見えるようアピールしていた。


「朝食貰っておいたよ」


「ありがと」


 テーブルの上に置いてあるお盆の上にシチューとライ麦のパンと牛乳があった。


「いただきます」


 アスタは椅子に座り、早速パンをひと齧りした。

 硬いパンを何回も噛んでから飲み込んだ後、ミカエルがいないか周囲を見渡してみたが、ミカエルの姿は何処にも見当たらなかった。


「ヨハネ、ミカエル知らないか?」


「ミカエルくん?そういえば、今日はまだ見てないね」


「そっか」


 ミカエルの事で悩んでも仕方がない。この場にいないのなら、教室に行ってから話せばいいと思い、一旦考え事をしないようにした。余計な事を考えて食事をすると、味が落ちるからだ。

 アスタはスプーンでシチューの中に入っていた人参を掬った。


* * * * *


「はよー」


 制服に着替えた後、アスタとヨハネは寮から教室まで登校し、自分の席に向かった。


「おはよう」


 席に座り、鞄から荷物を取り出していると隣の席のコードから朝の挨拶をされた。


「はよ」


 目を合わせず簡潔に挨拶を返し、素っ気ない感じでいるが、アスタの内心はかなりドギマギしていた。何故なら、昨日の事があるからだ。


「あの…、昨日のことは…」


「うん、誰にも言ってないよ」


 小声で昨日の事について問うと、コードも小声の返答で誰にも言っていないと言った。それはそうだ。初日から女子の部屋に男を入れたと知られてしまえば、最悪の場合三年間、クラスから後ろ指を指される可能性がある。そんな事はアスタも望まないし、コードも同じ気持ちだろう。


 荷物を机の中に入れ終え、ミカエルから話を聞くために周囲を見渡してみたが、ミカエルの姿はなかった。どうやら、まだ登校していないらしい。


「ねえねえ」


 すると、柔らかい声と共に後ろから肩を叩かれた。


「ん?」


「えーと、アスタ・ホーフノーくんだよね?ちょっと話があるんだけど、今大丈夫かな?」


「……ああ、大丈夫だけど」


 アスタに声を掛けたのはカチューシャを頭に付けた茶髪でボブカットの女子だった。

 大丈夫と答えると、ただ一言「来て」と言われ、アスタはついて行こうか迷った。ミカエルを探したい気持ちがあったが、まだ来ていないのなら、今度は休み時間に話を聞けばいいと思い、渋々彼女の後を歩いた。


「えっと、君、名前なんだっけ?」


「ハンナ・レイノルズ。ハンナちゃんって気軽に呼んで」


「あ、ああ」


 ハンナの気さくさに戸惑いながらも言われた通りに彼女の跡を付け、辿り着いた場所はホームルームを行うニ階の教室から離れた五階の空き教室だった。


「こんな場所で、……一体何の用なんだ?何かあるなら手短かに終わらせてくれるか?」


 教室からここまで離れてしまったら、朝のホームルームに間に合わないかもしれない。そんな焦りが遂出てしまい、ハンナに話があるなら、早く終えてくれと発言してしまった。


「……此処、ホームルーム前のこの時間はね、全然人が通らないんだよ」


「……それがどうしたんだ?」


 ハンナの言う通り、この場にいる二人以外の声どころか、息遣いも聞こえない。まるで、アスタとハンナだけが切り離された空間に閉じ込められたように、辺りが静けさで包まれていた。


「ねえ、アスタくんは昨日何してたの?」


「──?何してたって…、昨日はクラスの(みんな)と風呂に入ったくらいで、特に何もしてないけど」


「ふーん。じゃあこれは何かな?」


 何処に隠していたのだろうか。ハンナの両手にはアスタにも見覚えがある物があった。


「──いっ!?」


 そう、それはスリッパだった。何の変哲もないただのスリッパ。昨日、コードの部屋に忘れたスリッパだ。


「これ、()()部屋の玄関に置いてあったんだけど、どう言うことかな?」


「さ、さあ?誰のだろうね」


 アスタがスリッパの事をはぐらかそうとしたが、逃がさないとばかりにハンナはスリッパを裏返して見せた。


「ここにアスタ・ホーフノーって名前が律儀にも書かれているけど」


「そ、それは」


「詳しく聞かせてもらおうか」


 失策だった。昨日、スリッパをコードの部屋に置きっぱなしにして帰り、そのまま放置した結果、コードと同室のハンナにアスタが女子寮に入ったという証拠を取られてしまった。


(ああ、俺の大学生活が……)


「貸してもらったのよ」


 勢いよく空き教室の扉が開き、コードが教室に入ってきた。


「昨日、スリッパを忘れて寮の中に入れなかったから、そいつに貸してもらっていたのよ」


 勿論こんな事はでまかせだ。だが、ここを乗り切るためにはコードの嘘にアスタも乗るしかない。


「そ、そう。昨日、コードに貸したんだよ」


「ふ〜ん……そうなんだ。悪かったわね、変質者だと勘違いして」


 ハンナは持っていたスリッパをアスタに押し付けるように返した後、自分の頬を両手でニ回叩き、空き教室の扉を開けた。


「何ボーッとつっ立んてんの?ホームルームに遅れるわよ」


「ああ、今行く」


 緑が香る春の季節、埃が舞う暗い空き教室の中で二人の心音と体温が上昇していた。

 今回の話の最初の部分は【第2章 1『プロローグ』】と繋がってます。

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