第1章 36『いってらっしゃい』
パーティーが終わった後の二次会は、王都の外れにある旧貧民街の酒場で行うことになった。この場所は、今から約五十年前までは、虫一匹すらも生きられない街であったのだ。その理由は、かつて、此処で黒竜が大暴れし、一夜で街を滅ぼしてみせたのだ。そして、その黒竜が疫病を撒き散らした為、人を含めた全ての生き物が住めない街、つまり廃墟にしてしまったのだ。しかし、その黒竜の悪行も、一人の男によって終わりを迎えた。その男の名は『フライデン・ホーフノー』。二本の青竜刀を巧みに使いこなし、黒竜を死に晒して見せた。尚、土壌を蝕んでいた疫病は長い時間をかけ、自然の力で少しずつ浄化され、今、漸く草木が芽生え始めている。そのため、今では人も出入りが可能になっている土地になり、こうして酒場に足を運べている訳だ。だが、人は住んでいない。大臣達もこの廃墟を再び人が住める街にしようと尽力してるが、未だ、この有様である。この酒場の持ち主も王都に住んでいる者である。この店は数年前まで、この店は酒場の持ち主の祖父が持っていた店らしく、かつてはフライデンもよく利用していた。しかし、その祖父が少し前に亡くなってしまった為、継いで管理する者が現れず、今も放棄されていたままだ。そのため、主役がいなくなった二次会をどうしようか考えていたところ、フライデンが此処がいいのではないかと提案した。そして、酒場の持ち主を呼び出し、場所を一時的に借りて、それぞれが持って来たつまみや酒を嗜んでいた。
「う〜い、まだわしゃぁ飲めるぞ〜。もう一杯!」
「老人には負けられませんぜ!俺ももう一杯!」
二次会に参加したのはフライデン、ブリシュ、ロイド、ハーマルを含めた八人だ。エグゼは酔い潰れた為先に帰り、他の勇者パーティーの家族達には、家族だけで共に時間を過ごしたいと言われたため、参加するのはレイドと関連のある人物だけだ。後、レイドとアスタの両親は、パーティーに参加していなかった。その理由としては、王都まで来る途中に乗っていた船がアクシデントに見舞われ、到着が一日遅れてしまうとのこと。
「お二人共飲み過ぎですよ。明日もあるんだし、そんなに無理しなくても……」
「ハーマルさん、男には引いてはいけない時があるんですよ」
「言うようになったのう。だが、やる気だけではわしの経験値を上回るのは無理じゃぞ」
ハーマルが二人を宥めようとするが、完全に酒が回っている。このまま、潰れるまで飲むこと間違いなしだ。
「ええ……。ロイドさん、このお二方になんか言ってくれませんか?フライデンさんは兎も角、ブリシュには明日の業務もあるんですよ。潰れてもらっちゃ困るんですよ」
近くの席に座っているロイドに助け船を求める。
「まあ、今日くらいはいいんじゃねえのか?」
「ですが……」
「逆にお前は全然飲んでないんじゃないか?」
虚を突かれた。ハーマルは、ニタァと笑い顔を浮かべるロイドに内心怯えた。
「い、いえ自分は……」
「上官命令だ。飲め」
立場的にはハーマルよりロイドの方が上だ。典型的なアルコールハラスメントだが、断ることはできない。
コップに、紫色の液体が注がれる。
「ほれ一気、一気!」
「──っ、ええい!」
コップの縁を口元に当て、一気に飲み干した。
「げほっ、げほっ」
「おいおい大丈夫か?」
咽せて咳き込むハーマルの背中をロイドが軽く摩る。
「大丈夫な訳ないでしょう。アルコールの強そうな酒を飲まされたんですし」
ハーマルは胸を数回叩き、喉の隣にある気管に刺激された飲み物を水で流し込む。
「ん?何を言っているんだ?俺はお前に酒なんて飲ませてないぞ」
「はあ?」
ロイドが皿に置いてあった葡萄を軽く握りつぶした。すると、ハーマルがさっき飲んだ液体と同じ色をした果汁がコップに溜まった。
「さっきお前に飲ませたのはこれだよ。酒じゃねえ証拠に、喉痛くねえだろ?」
「あ、そういえば…」
「無理矢理若いもんに飲ませると、団長がうるさいからな。仕方なく、飲まねえ奴にはこうするのが俺のスタンスって訳よ。まあ、揶揄って悪かったな」
ロイドは、無理矢理飲ませたのを軽く謝り、置いてあった林檎をハーマルに渡した。
「それで手打ちにしてくれ」
「分かりましたよ」
ハーマルは嘆息を吐きながらも、ロイドの悪戯を許した。もしも、飲ませたのが葡萄酒なら近衛騎士団の団長に言い付けるところであった。
「それよりも、……やっと潰れましたか」
カウンター席の方を見ると、空になった大量の酒瓶とテーブルに突っ伏して半目になっているブリシュとフライデンの方に顔を向けた。
「結局、ここまで飲んで、何がしたかったんですか?」
「う〜、ヒック。男と男の友情ですよ」
ブリシュが訳も分からないことを述べている。酔っぱらいすぎだ。
「ブリシュよ。わしにここまでついて来れたのはお主が初めてじゃ。今からお主のことを男と認める」
「ありがとうございます〜」
フライデンが腰に付けた二本の青竜刀をテーブルに置く。
「これをやろう」
「………えぇ!?」
その剣を見た瞬間、ブリシュの酔いが覚める。すんなりと置いた代物が酔いを覚ます程の物だったのだ。
「これは、ブリーデン大陸に伝わる七つの名剣の内の一つ、『スザク』。またの名を、竜殺しの剣。わしが昔、竜退治に使った物じゃ」
なんと、ブリシュに渡すと言った物は、かつて、黒竜を地に落とした名剣であった。
「いいのか親父?それは親父にとって、右腕みたいなもんだろう?」
ロイドがスザクを渡してもいいのかとフライデンに問う。
「もう、わしではこいつを使えん。今日それがはっきりした。だから、いずれ手放す物なら、この機会に誰かに渡してしまおうと思ってな」
フライデンは、今日の昼前、最強の騎士と対面した。そして分かった。年老いた自分は、この世界に必要ないと。そう感じたのだ。
かつて、亜人族を救い、黒竜を討ち取った英雄は過去の者。なぜ、ほんの少しだけだが、最強と呼ばれる者と戦おうと思ったのか。話し合えばよかったのだ。今考えると恥ずかしい気持ちだ。
「もうわしには守るべきものはないし、守れない。子が成長し、孫も成長した。知ってはいたが、いずれは誰もが大人になる。そんな世界に老人は必要ない。わしらは精々、何もない片田舎で余生を過ごすのが性に合っている」
フライデンは言葉を続けた。
「それに、わしにはこれが抜けなくなってしまった。何故かは知らんが、見放されたのじゃろうな。だから、お主にこれを渡そうと思った」
長々と続けた言葉には一言一言重みがあった。年季の差も言うものだろうか、この場にいた誰もが、黙ってフライデンの話を聞いていた。
「受け取れません」
ブリシュは答えを返した。受け取れないと。もう既に酔いは抜けている。ブリシュ自身、一年前からこの名剣を使ってみたいとは思ったことがある。だけど、今じゃない。受け取るのは今じゃないと思った。
「ブリシュ、そう硬くすんなよ。それくれるってことは、親父から認められた。──つまり、英雄から認められたってことになるんだぜ。受け取っておけ」
「お前は黙っておれ」
「へいへい」
フライデンに口を出すなと言われ、神妙な顔をしながら二つ返事で従った。
「一応、スザクを受け取れない理由を聞いておこうかのう」
ブリシュの視界に映る全ての者がその理由を聞きたかった。
「……俺なんかが、受け取る資格はありませんよ。今日だって、大会で準優勝出来たのは偶々二対一にできたからですよ」
本戦の決勝戦、今回は参加した人数の都合上、決勝戦は三巴となった。
決勝戦に進んだのは、ダイモスとブリシュとニルヴァーナの三人である。三人の実力の中で一番下なのは誰に聞いてもブリシュと答えるだろう。ブリシュは、王国騎士団に入団してまだ二年も経っていない。対して、ダイモスとニルヴァーナは五年以上王国騎士団に在籍しているベテランとまで言えないが、中堅と言う立ち位置の人物である。経験の差から、一対一ならどうにか互角になるかもしれないが、一対一対一という状況から見るに、ブリシュの勝ち目は薄いと言わざるを得なかった。
「じゃが、一対一対一の状況から二対一に持って行ったのは、運に味方されたとも言えるが、それを含めてもお主の実力じゃ。わしはそう感じている」
決勝戦が始まると同時に、ブリシュ以外の二人が火属性の魔法を放ち、相殺のタイミングで木剣をぶつけ合ったのが試合開始のゴングとなった。
ダイモスとニルヴァーナの実力はほぼ互角。しかし、絡め手を使うのが得意なニルヴァーナは、ダイモスとブリシュの攻撃を楽々躱し、時折り反撃を混ぜながら確実に2人の体力を削っていった。
そんな時に、ブリシュはダイモスに向かって提案した。
『二対一であの人を挟みませんか?』
その提案にダイモスは軽く頷き、連携を取りながらニルヴァーナを場外まで追いやることに成功した。
そこから、本当の決勝戦がスタートした。息つく暇もない激しい戦闘の末、最終的に勝ったのはダイモスであった。
「俺は全然実力も足りないし、知恵も浅い。今日の試合だって、アスタならもっと上手くやっていたかもしれないし」
ブリシュは、脳内に浮かんだ無詠唱魔法を使う天才ならどうにかなったかもしれないと想像した。
「……分かってないのう」
「え?」
「お主は今日彼奴の試合の何を見てたんじゃ?」
言われるがままにブリシュは、今日のアスタの試合を思い出した。
「……え〜と、予選はかなり力をセーブして戦っていましたね。一年前、レイドと戦った日の十分の一も実力を出してないんじゃないですか?」
「ふむ、予選は分かった。では、本戦はどうじゃった?」
「本戦は…、全力を出していたと思います。ですが、少し焦っているようにも見えました。多分、魔法が一切通用しないから、戦い方を変えるべき相手だと認識をしたんだと思います」
ブリシュは、思っていることをそのまま口に出した。アスタにとって、ディオスは初めて戦う騎士だったから、苦戦を強いられるのは間違いなかった。だが、負けるとは思っていなかった。
「もしもアスタがあのまま魔法を使い続けていてもジリ貧だったかもしれませんが、上級の魔法を連続で使えるアスタの魔力量なら、いずれ押し勝てたはずです」
「ほう、お主はアスタが勝つと思っていたのか?」
「はい」
「なら、アスタが負けた理由は分かるか?」
「おそらく、『慢心』だと思います」
ブリシュは即決で答えた。
「……何故そう思った?」
ブリシュの答えにフライデンは数秒間を置き、数回瞬きをしてから、理由を求めた。
「あくまで、予測に過ぎませんが、予選を順調に勝ち上がれた事が原因で、僅かですが、心に隙が出来たのだと思います」
「…半分正解。及第点と言ったところじゃな」
フライデンは、ブリシュの答えに納得し、口角を数度上げた。
「では、もう半分はなんだと思う?次はお前さんが答えてみるがいい」
指名されたのはハーマルだった。完全に予想外の指名に不意をつかれたが、息を整えてから自分のペースで答えた。
「そうですね、大きなところを挙げれば、やはり経験と相性の悪さでしょうか」
「アスタくんの魔法中心の戦い方は、分裂で相手の攻撃を避けつつ、反撃を交えるディオスさんとは最悪と言っていい程、相性が悪いです。更に、アスタくんは初級や中級のような威力が低く、打ち分けやすい魔法ではなく、一撃で広範囲を殲滅させる上級や星級の魔法を得意としています。それこそ、ディオスさんの寵愛からすれば鴨ですね」
ディオスの分裂は、タネさえ分かれば誰でも対応できるもの。あくまで、初見殺し専用の寵愛なのだ。
事実、2回戦でディオスは敗退した。分裂の攻略法を知られているからだ。
分裂の攻略法は大まかに2つに分かれている。1つは、間髪入れずに連続での攻撃をすることである。ディオスの分裂に制限はないが、一度に分裂できる数には限界がある。一度の分裂につき、出せるのは2体までだ。つまり、連続で攻めることで分裂させないという方法がある。
もう一つは、初級や中級の細かい魔法を同時に使い、逃げ場を少なくさせ、無数の魔法で分裂ごと本体も叩く方法がある。しかし、この方法は少なくとも並以上の魔力量が必要であり、更に、魔法を同時に発射させるという技術も必要になるが、詠唱ありでの魔法では複数同時の魔法を使用するのは不可能であることから、無詠唱での魔法が必然的に必要になる。つまり、実際にディオスの寵愛に対抗出来るのは、練度を積んだ者か、それこそ、アスタのように無詠唱の魔法を使える者しかいない。
アスタも試合の中盤で大量の氷柱で同時にディオスを攻撃したのが決め手となり、決着の寸前でディオスの寵愛が分裂ということに気付いたのだ。
「……ハズレじゃ」
フライデンは済ました顔で答えが違うと言った。
「それは何故でしょうか?」
長々と述べた説明をハズレと称され、ハーマルは少々ムキになった。威圧するように発音を大きくし、牽制する。
「お主の答えは間違っているとは言えない。だが、根本的な部分が違う」
「今回、アスタが負けた理由は、慢心と情報不足じゃ」
フライデンの出した答えにハーマルは納得したような表情をした。
「──あっ、そう言うことですか」
「流石は王国騎士団の隊長。分かったようじゃな」
「はい。フライデンさんの言いたいことは、初めて戦う相手でも、名前が通っている相手なら、情報を集めてから戦うことも可能だったのに、彼はそれを行動に移さない慢心が直接的に彼を敗北へと誘ったと言うことですね」
「語弊はあるが、概ねそうじゃろうな」
「なるほどねぇ。確かに、ディオスさんの情報を得たいなら会場に来てた騎士の誰かに聞けばよかったな。ブリシュ、今日は何人が会場にいた?」
「俺とハーマルさんを含めて四十八人です」
ロイドは、仕事があって大会を観戦していなかったため、後から試合の結果だけを伝えられていた。だから、今日の練兵場内の細かい所までは知らないのだ。
「少ないな。いつもなら、二百人くらい集まっているだろう」
「今回は、魔王軍の襲撃も予想されていたので、俺ら以外の騎士は各都市で待機命令が出てたみたいです。俺らにも、『王都が襲撃されるかもしれないから常に周囲を警戒しておけ』ってヴァルゴ隊長に命令されましたし」
「そりゃそうだな」
八ヶ月前、ロイドも近衛騎士の一人として前線で魔王軍と戦った。
最北の都市ゲミシトラと魔王領の境目となる雪山を中心に各地に兵力の展開する魔王軍の進行を止めるために王国騎士団、近衛騎士団、衛兵団、傭兵団、冒険者ギルド、ゲミシトラにあるハーフを中心とした傭兵ギルドが手を組み、雪山の中間地点とゲミシトラを囲む城壁に防衛線を引き、魔王軍を迎え撃った。
戦いの序盤、人間より魔力量が多い魔人達が優勢だったが、地の利があるハーフ達の活躍や、途中から王国騎士団の隊長達が加わったことで戦況は一転し、数の力でも個の力でも上回る人間側の勝利となったのだ。
だが、戦いが終わっても懸念があった。魔王軍南下と同時に活性化した魔獣や王政に反感を持つ者達のクーデター未遂事件や、王であるルゲ・シミウスが病に倒れるなど、様々な事件が同時に起こったことから、何者かが裏で動いていることは明らかだった。
更に、三人の魔王軍幹部の姿が確認されたことで、一層、警戒をしなくてはいけない羽目となり、捕獲した魔王軍幹部であるプロキオンを処刑する時に奇襲を受けても対応が出来るよう、王都の一箇所に王国の最強戦力を配置したのだ。
しかし、魔王軍は動かなかった。何事もなくプロキオンは処刑され、大会も無事に終了した。
「で、結局のところ、親父はなんでブリシュにスザクを渡そうと思ってるんだ?その剣を使い熟せそうな奴は他にもいるだろ。例えば……そこにいるハーマルとか剣術の才に恵まれているレイドとか……」
ここまで本題の話が脱線していたが、ロイドが無理矢理話を戻した。
「……そうじゃな、正直に言えば『勘』かのう」
フライデンはロイドに向かって目線を送る。空気を読めと。どうやら、このまま話を曖昧にさせてタイミングを見計らい、ブリシュに青竜刀を押し渡そうとしていたようだ。
「勘ですか?」
「うむ、こやつの顔つきが一年前とは比べものにならないくらいに良くなっておるからな」
ブリシュの顔は頬に傷ができた事以外特に変わってはいない。つまり、外面ではなく内面を見たのだ。
「身体を見せてみろ」
「はい」
ブリシュは言われるがままに服を脱ぎ、その身体を露わにした。
「おいおい…」
ロイドが苦笑いを浮かべ、ハーマルも目を丸くする。フライデンは思った通りといったような表情だ。
ブリシュの身体には無数の傷痕があった。歯痕から爪痕、更には刃物で切り裂かれたような大きな傷痕もあった。
「これは凄いな。いつ付いたんだ?」
物珍しそうにハーマルがブリシュの腹筋を触る。今は治癒魔法もあるので、ここまで身体に傷痕が残っているのは稀なのだ。
「一年前にボルスピを出発した後、王都に帰るためにアークトゥルス山脈に向かったんですよ────」
△▼△▼
〜一年前〜
レイドが王都に向かうために馬車に乗ってから8時間後、ボルスピを出発してから、漸くアクイに到着した。
「たくっ、ローグさんも無茶言ってくれるよ。歩いて王都まで帰れだぁ?何日掛かると思ってるんだよ?」
「ブリシュ、お前の態度が悪かったからだろう。私まで巻き込んで……」
アクイにある宿の一室で騎士見習いのエグゼとブリシュは歩きで帰れと言ったローグに悪態をつきながら、装備の点検をしていた。
「とりあえず、山を越えれば王都まで直ぐに到着する。明日は山を越えるための道具を買い揃えてから出発しよう」
「馬車借りれば山なんて直ぐ越えられるだろ?」
「ローグさんは歩きで帰って来いって言ったんだ。騎士見習いの私達は、それに従うしかないだろう」
「真面目だねぇ」
そんな他愛のない会話をして、その日は宿の布団で眠りについた。
〜次の日〜
「はぁ!?」
アクイを出発したブリシュとエグゼは、山を越えるために食料や水、松明用の木を購入し、アークトゥルス山脈へと行くために、ラワード草原に差し掛かった時だった。
「草原に入れないってどう言うことだ!?ここ通らないと山に行けないだろ!!」
「ですから、昨夜ここで盗賊が出たんですよ!」
通せんぼするように10人の衛兵が2人の前に出た。
衛兵達によれば、昨夜未明、草原で盗賊団『ブラックウィング』の目撃情報が入ったそうだ。
「しかも、ブラックウィング首領のドベー・アルタイルがいたと言う情報も入っている。騎士見習いのあんたらじゃ死ぬだけだ」
「なんだとお?」
髭を生やした中年の衛兵に向かって、ブリシュは敵意を向けるが、エグゼから静止を受けた。
「ブリシュよせ!この人の言う通り、ここを通るのは危険だ」
「だけど、どうすんだよ!ここ通らなきゃ王都まで帰れないんだぞ!」
「一旦落ち着け。とりあえず、団長から指示を仰ごう」
エグゼは冷静に自分が置かれた状況を整理し、心を落ち着かせていた。
2人は、アクイから西にある4大都市の一つ、ワームの騎士ギルドへと赴いた。
『なるほど、帰れないか……』
「はい。いつまで草原が封鎖されるか分からないので、暫くは此処で待機したいのですが……」
2人は、騎士ギルドにある大型のダイアミラーを貸してもらい、ヘリオスと連絡を繋げて、事情を説明し、帰れない事を伝えた。
『お前たち、ローグさんからは歩きで帰って来いって言われたのか?』
「はい。酷いですよね」
「おい、ブリシュ!」
目上の人間に軽口を叩いたブリシュにエグゼが注意を入れた。この時、騎士見習いの証を剥奪されるのではないかと、エグゼは内心ヒヤヒヤしていた。
『いや、丁度いいかもしれんな』
そんな2人を尻目にブリシュは含みのある笑みを浮かべた。
「え?」
『お前たち、歩きで帰って来い』
『そこから北北西に行けば、山にはぶつからない筈だ。そこからプレージ湖を──』
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!話を進めないでください!」
エグゼは慌ててヘリオスの話を止める。
『なんだ?』
「いや、あの…歩きで帰るのはいいんですが、山を使わないで王都に行くには、半年は掛かりますよ!」
アークトゥルス山脈は西から東へ長く続いている大陸最長の山だ。それを迂回して進めと言うのは、子供でも無茶と言うことが分かる。それくらいの苦行をヘリオスは2人に押し付けようとしているのだ。
『そうか、お前らはチャンスを放棄すると言うことか?』
「チャンス?」
『ああ、もしも山を越えないで、歩きで王都まで戻って来れたら、お前達を正式に騎士にしようと思ったんがな……。まあ、やりたくないならいいぞ。今から俺名義の馬車を──』
「やります!!」
ブリシュがギルドの建物全体に響く程の大声で叫んだ。隣にいたエグゼは大声を直に聞いてしまったため、鼓膜に数秒間振動が伝わり、耳を押さえた。
『そう来なくちゃな。で、お前はどうするんだ?』
「──っ、勿論自分もやります」
エグゼも歩きで帰る覚悟を決めた。
『2人ともいい返事だ。期限は1年。1年以内に帰って来い。それと、最近は魔獣が活性化しているから、命を落とさないよう気を付けろよ』
ヘリオスから激励と忠告を受けた後、ダイアミラーから映像が消え、ただの鏡になった。
エグゼとブリシュも王都へと帰るためにとりあえずギルドの建物から出た。
「んで、どうする?」
「どうするって言われても、行くしかないだろう」
しかし、ここから山を迂回して王都まで行くのは途方になるくらいの距離があった。そのため、改めて、山を迂回するためのルートを一から模索する必要も出てきた。
「今から出発するか?」
「そうしたいが、王都まで帰るとなれば長期の旅になることは間違いないし、迷ったらそれこそ最後だ。今は、足元を固めよう。ブリシュは近くの宿をとっておいてくれ」
「エグゼはどうするんだ?」
「私は、この付近の地図が売ってないか街中を散策してみる。幸い、武器は持たされているし、食糧と水も充分にある。今は慌てずに準備から始めるべきだ。それでも、明日の昼にはここを出発はしたい。冬になると足場も悪くなるしな」
「こう言う時の真面目くんは頼りになるねぇ」
「無駄口を叩いてないで、直ぐに行動するぞ。後、できればこの付近に出る魔獣を冒険者ギルドで調べてくれないか?」
「任せておけ。宿をパパッととったら、やっておくぜ」
会話を終わらせ、エグゼとブリシュは別行動を取った。
2人とも、地図や情報の収集には手こずると思っていたが、ワームは4大都市の一つである。王都程ではないが、活気があるし、商店も数多く並んでいる。そのおかげで地図を見つけるのは以外にも直ぐに終わった。
ブリシュも、宿をとった後、冒険者ギルドへと行き、受付の者や談笑していた冒険者から近辺の魔獣の情報を聞き出せた。
* * * * *
王都にある騎士団本部の団長室。そこで偉そうに椅子にふんぞり返っているヘリオスと書類を持って立っているルナがいた。
「はぁ、団長も酷いですよね。この時期にアークトゥルス山脈を迂回して王都まで戻って来いって……、正気の沙汰じゃありませんよ」
「そうか?これこそ今の彼奴らに必要な事だと俺は思うが」
ルナは溜め息を吐いた。ヘリオスの出した指示が無謀で危険なものだと理解しているからだ。
「あの2人が騎士として未熟なのは分かりますが、ここまでしなくてもいいんじゃないですか?」
「確かに、お前の言う通りだ。だけどな、あの2人は騎士としての欠点が多い。それを分からせるために敢えて危険に飛び込ませたんだ」
「もしも、彼らが何処かでのたれ死んでも、そこまでだったと言うことだし、生きて帰ってこれたら、心身共に成長した騎士が戦力になると言うことですか?」
「そう言うことだな。まあ、期間は長めにさせたし、帰ってこれる確率は五割って所だな」
△▼△▼
「それから、俺とエグゼはワームを出発して、中間地点のプレージ湖を目指して歩きました」
「いやいや、ワームからプレージ湖って…相当遠いぞ。早馬を使っても三日は掛かる距離だ」
「ええ、歩きとなれば更に時間が掛かりました。おそらく、プレージ湖まで二ヶ月は歩いたと思います」
ブリシュの旅の話は壮絶なものだった。一つのトラブルから連鎖的に歩きで帰る羽目になったエグゼとブリシュには同情をせざるを得なかった。
「道中、何度も魔獣には襲われましたね。その所為で一睡も出来ない日もありましたから」
「ほう、つまり身体の傷は魔獣に付けられた傷なのか?」
「はい。身体に付いている傷痕は大体が魔獣に付けられたもの……」
間を開け、一番大きい傷を指で示す。
「ですが、胸の一番大きい傷と頬の傷は人間に付けられたものです」
「盗賊か?」
「はい」
ブリシュの腹筋辺りにある斜めの傷痕。これは、プレージ湖を抜けて、王都まで後半分と言うところで盗賊に襲われた時に付けられた傷だ。
「そりゃ災難だったな」
「ああ、よく生きて帰って来れたな」
ハーマルとロイドがブリシュに賞賛の言葉を送る。ここにブリシュがいると言うことは、エグゼとブリシュがワームから王都までアークトゥルス山脈を使わずに完走したという事になるのだ。
「その言葉はエグゼにも言ってやってください。彼奴も俺と同じくらい身体に傷できてるんで」
「おう!」
「約束しよう」
ブリシュは二人から言質を取った。
「それで、王都に到着した後はどうなったんだ?」
「王都に着いた後は、騎士団本部に──」
△▼△▼
周囲の視線が二人の男に刺さる。
「ママー、あの人たちすごい汚れてるよー」
「そ、そうね。きっと、冒険者の人ね。あんなになるまで頑張ってるんだもの」
男の見た目は、目の下に大きなクマがあり、服は土や血で茶黒く染まっている。体臭も近づけば、鼻を摘んでしまう程の臭さだ。何日も風呂に入っていないのだろう。
二人の男は、重い足取りで長い時間を歩き、王都の街から少し離れた小川付近にある大きな建物、騎士団本部へ足を運んだ。
「と、止まれ!!お前たち、何者だ!?」
騎士団本部の前を警備に当たっていた衛兵に止められる。見た目から、怪しい者だと言うのは間違いないが。
「……騎士見習いのブリシュ・アーカイラムです。団長に報告に参りました」
「同じく、騎士見習いのエグゼ・リベーソです」
「え?」
二人から生気のない声で名前を語られると、衛兵はその見た目と前に見た姿から想像も出来ない程窶れている姿を見て、本当に二人がエグゼとブリシュなのか到底信じられなかった。
(エグゼ・リベーソとブリシュ・アーカイラムだと?確かに二人は騎士見習いだが、前に見た時とは変わりすぎている)
「騎士見習いなら、身分を証明出来る物がある筈だ。それを見せろ」
二人の言葉を信じきれず、衛兵は己の身分を証明出来る物を提示しろと槍を構えながら聞く。
「すいません。ギルドカードは、途中で紛失したので、今は身分を証明出来る物はありません」
「なら、ここに入れることは出来ない。お引き取り願おうか」
二人は、騎士見習いとして身分を証明するためのギルドカードを持っていたが、ここまで来る途中、魔獣に襲われた時に誤って魔法で燃やしてしまった為、持っていなかった。
「──ん?何事だ?」
すると、後ろから騒ぎを聞きつけた一人の女性がやって来た。
「ルナさん、この怪しい物達が本部に入れろと言ってくるんです」
「ほう」
ルナは、懐からマジックサーチを取り出し、エグゼとブリシュに向ける。
「ふむ…、衛兵、そいつらは私の部下だ!通せ!」
「は、はいっ!」
ルナは、この二人がエグゼとブリシュだと言うことに気付き、直ぐに本部に通した。
「よく分かりましたね。その魔道具って、誰が誰だか分かるんですか?」
「いいえ、マジックサーチには個人を特定出来る効果はありません」
「じゃあ、なんで分かったんですか?」
「女の勘さ」
そんな会話をしていると、いつのまにか団長室の目の前まで来ていた。
「入りますよ」
三回ノックした後、ルナは団長室の扉を開け、中に入った。それに続いて、2歩歩幅を空けてエグゼとブリシュも団長室に入室した。
「団長、二人が帰って来ました」
「エグゼ・リベーソ、帰還しました!」
「同じく、ブリシュ・アーカイラム、帰還しました!」
エグゼとブリシュはヘリオスが座っている椅子の前まで来て、帰還の報告をした。
「え?エグゼとブリシュ……なのか?言われるまで分からなかったぞ」
ヘリオスの反応は、ルナとは違い、一目見ただけでは、エグゼとブリシュだということに気付けなかった。
「と言うか早いな。たった五ヶ月で戻って来れたのか」
「そんなに経ってたんですか?途中から時間の間隔が無くなっていたんで……」
『たった』と表現するヘリオスに対し、『そんなに』と言い表すブリシュの間には間隔のズレの様なものがあった。
「まあ、無事に帰って来てくれたのは俺個人としても嬉しく思う。約束通り、お前たち二人を今日から正式に騎士と任命する。おめでとう」
「ありがとうございます」
二人は、片膝を付き、騎士見習いから本当の騎士になったことに心を震わせた。
「後、これは今回の報酬だ」
机の上に十枚の金貨が置かれた。
「手紙の件のやつだ。俺の気持ち分上乗せしておいた」
ここ五ヶ月の間に色々な事が起きすぎたのですっかり忘れていた。
「はっ!ありがたく頂戴します」
「それよりも、お前たち臭いな。早く風呂入って来い」
厄介払いされるようにエグゼとブリシュは団長室を退室した。
△▼△▼
「そう言う訳で、俺達は無事に騎士になれた訳です」
これでブリシュ達の話は終わった。
「皆んなもこれで分かったじゃろう?1年前のこやつなら兎も角、今の毅然とした態度を見れば、スザクを託しても良いと思う」
「意義なし」
フライデンの意見に全員が賛同した。
「ほら、遠慮せず受け取れ」
半ば押し付けられる様にスザクを渡されそうになり、たじろぐブリシュだったが、周囲からの羨望の眼差しを浴び、受け取らざる得ない状況になってしまった。
「……ありがとうございます」
ブリシュはスザクを受け取り、刃を見るために鞘から刀身を出した。
「おお……」
薄く煌めく鋼の刀光が蝋燭の灯りを反射させ、一瞬だけ赤く染まった。
「……あの、言いにくいんですが、俺は二刀流をした事ないので上手く扱えるか分からないんですけど」
スザクは二本で一つの青竜刀だ。一本だけでは性能の全部を出し切れないのだ。実際、一本だけでは大型の魔獣にも苦戦する程性能が落ちる。
「ふむ……、ならば、もう一本は飲み潰れた彼奴に持たせるがいい」
「エグゼにですか?」
「うむ。彼奴もお主と同じように苦難を乗り越えた者じゃ。スザクも喜ぶだろう」
翌日、もう1本の青竜刀はエグゼの手に渡った。受け取った時のエグゼの表情は明らかに喜んでいて、名剣を受け継いだ事がよっぽど嬉しかったのだろう。
近くにいたヘルドは何故か驚いたような表情をしていたが、何かを考えこむように思案顔になった後、2人に向かって喝采を送った。
△▼△▼
「よう」
アスタは、風呂から上がり、レイドとは別の部屋で寝衣に着替えてから屋敷の2階にあるバルコニーに置いてある椅子に腰を掛け、レイドを待った。
それから約10分後、レイドもバルコニーにやって来た。
「それで、話って何?」
アスタはいつになく強気な態度でレイドに聞いた。
風呂でレイドと顔を合わせた後、「話があるから後で来てくれ」と言われ、レイドは先に上がった。
レイドは持って来た林檎を搾ってグラスに入れ、水で薄めた飲み物をアスタに渡した。
そのまま2人は、グラスとグラスを軽くぶつけ、ガラス特有の小さな音を出し、中に入った飲み物を飲んだ。
「話と言うのは、勇者の事についてだ」
口につけたグラスをテーブルに置き、眉を顰めた。
「午前の件については、すまなかった。殴らなくてもキチンと話し合えば良かったんだと思う」
「そうだね。今なら、兄さんの言いたかった事も分かるけど、殴られたのは少しムカついたね」
お互いに気まずい雰囲気になって、レイドは目線を下げる。
「そうだな。だけど、お前には俺を拒絶してもらう必要があったんだ」
「俺は……、明日出発する。急で済まないとは思っているが、分かってくれないか?」
「……納得は出来ない」
アスタは落ち着いた表情でレイドを睨みながら言った。
「驚かないんだな」
「……あ」
アスタは何故か知らないが、レイドがこの話をする事を分かっていた。
「うん、兄さんが此処にいる時点でそう言う話をするとは思っていた。…なんで兄さんは此処にいるの?」
「ああ、寮を出る日を間違えて……」
「今日泊まる所がないってこと?」
レイドは無言で頷いた。
この時、アスタは内心ホッとしていた。午前中のアスタへの態度から、自分の知る兄はいなくなってしまったのかと思ってしまっていた。だからこそ、ホッとした。自分の知る兄はいなくなっていないと。
「ヘルドさんに言われて、此処に泊めてもらったんだ」
(……ヘルド?あの人、ヤーフさんかアンジェさんと知り合いだったのか?いや、あの時ローグさんの護衛してたような……。じゃあ、ここを知ってても可笑しくはないな)
「そう…」
アスタは曖昧な記憶に違和感を感じていたが、ローグと初めて会った日に彼がヘルドの名前を叫んでいた気がしたから、特に気にはとめなかった。
「……それにしても明日か。早いな」
「伝えなかったのは、本当にすまないと思っている。だけど、分かってくれ。俺はお前を巻き込みたくはないんだ」
今でこそレイドに向かって少々怒り気味に接してはいるが、気持ちは分かっていた。だからこそ、アスタに出発することを言ってくれなかった訳も理解したいとは思っている。
(なんでだろうな。兄さんの考えた事は全て尊重しようとしていた筈なのに、どうしても納得できない自分がいるな)
冷静に考えてみれば、1年前まではレイドが勇者になる事に反対はしていた。だが、それがレイド自信が決めた自分だけの道なら考えを尊重しようとも思っていた。
しかし、長い時間会っていないと心にしこりが残り、王都へ送り出したのを後悔した日もあった。
「兄さんの気持ちは、……正直分からない。兄さんじゃないから、そっち側の気持ちは多分理解できない」
アスタは、レイドが今どんな気持ちで自分の目の前にいるのか、そして、どの様な思いで勇者となって、命懸けの旅に出ようと思ったのか。本人ではないので理解が出来なかった。気持ちが分かるというのも嘘だ。
「だけどね……」
数秒、間を空けて息を整えた。
「こっち側の気持ちは分かるよ。痛い程分かる」
「………」
「多分、今までの勇者の家族達もこんな気持ちだったんだと思う」
アスタは、指を傾けてグラスを軽く動かした。
「兄さんに、こっちの気持ちを分かってほしいとは言わない。けどね、知っていてはほしい。送り出す側も相応の決意と歯痒さがあって送り出しているんだ。きっと、僕だけじゃなくて、爺ちゃんも、母さんも、父さんも同じ気持ちだよ」
「……っっ!」
バルコニーに生温い風が吹く。大会中は、この風以上に気温が暑かったが、何故か、今の風は練兵場で吹いていた風とは違い、レイドの心を通り過ぎるように吹き抜けていった。
「本当にごめん。俺は、兄として弟のお前に何も……」
レイドは涙声になり、顔を下げたまま言った。
「……兄さん。そんな事言わないでよ」
「いいや、言わせてくれ!俺は……自分勝手に勇者になって、挙げ句の果てに実の弟に嘘を吐き、殴った。爺ちゃんの言う通りだったんだよ!俺は、お前の兄、失格だ」
レイドは、テーブルに両手を付き、椅子から勢いよく立ち上がった。その反動で、椅子がバランスを崩し、バルコニーのハジに転がった。
立ってはいるが、レイドの表情は見えない。顔を下に向けているからだ。
すると、テーブルに敷いてあるテーブルクロスの上に一粒、いや、二粒、三粒とポタポタと水滴がテーブルクロスの上に落ち、布が水分を吸う。
「兄さん、雨だから、今日はお開きにしよう」
アスタは、空になった2人分のグラスを持って、席を離れようとした時、つい、心の中にあった言葉を言ってしまった。
「僕は、兄さんが勇者になる事には納得できない。だけど、兄さんを尊敬しているよ。剣術だって、少しでも兄さんに追いつく為に爺ちゃんに習い始めたし、今回の大会に出場したのも、本当のところは、兄さんに成長した自分を見てほしかっただけなんだ。だから、兄さんは、僕の兄さん失格なんて言わないで」
アスタはそう言い終えると、バルコニーを出て、厨房にあるタライの中に魔法で作ったお湯を入れて、その中に洗剤と一緒にグラスも入れた。
(結局、兄さんを引き止めるのには失敗しているじゃん!!)
八つ当たりで壁を蹴り、貸してもらった部屋に戻った。すでに広間や食事場の灯りは消えていて、アンジェも自室に戻って寝たようだ。
時計を見ると、短針が三と四の間に位置していて、もうすぐで夜明けになる寸前だった。
「……寝るか」
ベッドに頭まで潜り込み、瞼を閉じると、昨日の内に溜めていた疲れがドッと身体にのしかかり、意識が闇の奥に消えていった。
チュンチュン
「………ん」
囀りで目を覚ました。バルコニーにある手摺の上に2羽の小鳥が毛繕いしながら小さな羽を動かしている。
「──朝………、はっ!今何時!?」
部屋にある壁掛け時計に視線を移すと、短針が十を指し、長針が十二を指していた。ジャスト十時だ。
(兄さんの話じゃ、出発するのは今日!そして、僕に心配を掛けないようにと明朝に出発する可能性が高い!)
覚醒したばかりの回らない脳で必死に考えを巡らせながら寝衣を雑に脱いで、急いで私服に着替えた。
(くそっ!何やってんだ!なんであんな話しかしなかったんだ!?)
アスタはシーツも直さないまま部屋を飛び出て1階に向かった。
「あ、おはよう御座います。そんなに急いでどうしたんですか?」
アンジェが朝食を長テーブルの上に置き、慌てながら階段わ駆け下りるアスタに向かって朝の挨拶をした。
「アンジェさん!!すいませんが、朝食は後にします!!今、急ぎの用が──」
「『フリーズ』」
短い詠唱が終わると同時にアスタの足下が瞬く間に凍りついた。
「ちょ、ちょっと!何するんですか!?」
「朝食は食べてください。それと、私は貴方から朝の挨拶をされていません」
「今はそれどころじゃ……」
表情を崩してはいないが、雰囲気からアンジェが怒っているのは見てとれる。
「アンジェさん、すいませんが、今は先を急がないと後悔する気がするんです」
アスタの脳裏で一昨夜の事が浮かんだが、後であれをされようとも今は行かなくてはいけないと思い、火属性の初級魔法を足から発動させ、凍りついた足を溶かした。
「無詠唱魔法……」
アスタは、体勢を立て直して立ち上がり、足をバタつかせながらも急いで玄関の扉へと走った。
「どんな理由があろうとも朝食を食べてない人を外にはだせません」
無詠唱魔法に一瞬驚きを見せたアンジェだったが、自分のポリシーを曲げない為にも淡々とした声で詠唱を始めた。
「──『アイスディフュージョン!!』」
三十本の氷のナイフが形成されると同時にアスタに向かって一斉に発射させた。勿論、全弾急所を外すよう設定はしているが、当たれば足は止めることは可能だ。
「サラ!!」
アスタの呼び掛けに応じ、掌から紅色の球体が姿を現す。ビットだ。
ビットは、アスタの考えた通りに寸分の狂いなく動き、飛んできた氷のナイフを全て溶かした。
「ガフっ!?」
頭に強い衝撃を受け、足から崩れ落ちるように倒れる。
「無詠唱魔法と精霊術には驚きましたが、まだまだ精度が高くないですね」
氷のナイフはただの陽動だった。ほんの1秒でもアスタの意識が逸れた瞬間に高く飛び上がり、真上から膝蹴りをかましたのだ。
「さ、朝食です」
アンジェに引きずられながら無理矢理椅子に縛り付けられた。
だが、この程度の縄なら簡単に焼けるが、無詠唱魔法も見せてしまった事だから、当然警戒されている。
「そんなに考えなくても、アスタ様の心配する事はありませんよ」
「え?」
スプーンを並べながら、アスタに向かって掛けた一言の後、アンジェはクスリと笑った。
よく見れば、食事が四人分用意されている。この屋敷にいるのは、アスタとフライデンとアンジェと──
「おはようございます」
声がした。聞き慣れた声だ。
「あ、おはようアスタ」
「お、おはよう」
レイドが階段からゆっくりと下り、アスタの隣の椅子に座った。
「それ、どしたの?」
「まあ、色々とあって……」
レイドが身体を椅子に縛られているアスタを見て、やや引き攣った顔で微笑んだ。
「それよりも、まだ出発していなかったんだね」
「ああ、出発は十六時だ」
「そう」
「…止めないんだな」
レイドは神妙な表情をする。
「どうせ止めても行くだろうし」
「はは…、お察しがよろしいことで……」
お互いに苦笑いをしながら朝食前の会話をする。少しだけ気まずいが。
「あら、レイド様、起きてらしたんですね。おはよう御座います」
厨房から三人分の牛乳を持って来たアンジェがレイドに向かって朝の挨拶をする。
「おはようございます。アンジェさん」
「……アスタ様は?」
「あっ、おはようございます」
アスタの勘違いでアンジェを少しだけ怒らせてしまった。いや、挨拶をしないのは人としてどうかと思う節もあるので、アンジェが静かに怒るのも不思議ではない。
「ちゃんと挨拶を返してくれましたね」
「はい。ごめんなさい……」
アスタは心の中で深く猛省した。
朝食を食べた後、お詫びとしてアスタが全員分の食器を洗った。
その後は、各々部屋へと戻り、レイドは荷物の最終確認をアンジェは今日のスケジュールの確認をアスタは部屋を掃除をしていた。
「ふぅー」
部屋の掃除が一通り終わり、アスタはバルコニーへの扉を開きっぱなしで優雅に紅茶を飲んでいた。
コンコンコン
そんな時であった。部屋のドアに誰かがノックをした。
「どうぞ!」
(アンジェさんか…?)
少しだけ嫌な予感があり、左手だけはいつでも魔法が使えるよう空けておいた。
ドアが開く音と共にレイドが部屋に入ってきた。
「兄さんか」
どうやら、旅の準備を全て終えたらしい。
「どうしたの?」
「ちょっと、お前と話がしたくてな」
アスタとレイドは床で胡座をかき、陰鬱そうな話が始まると思われた。
が、レイドが話す内容は、ボルスピを出た後の盗賊団での騒動や、アインリッヒ大学での思い出の数々だった。
「……新鮮味があって面白い話だったよ」
「そうか…」
レイドの話は、大学内で出会った教師や生徒、講師として来てくれた王国騎士団の隊長達、授業の内容、成功談、失敗談、そして苦悩だった。
「逆にアスタの話も聞きたい。この1年、俺が見てない間に何をしていたのか」
「特に変わった事はしてないよ。兄さんが出発した後は、爺ちゃんと剣術の練習を始めて、それから暫くした後に魔獣騒動に巻き込まれたり……あ、後、ヒナタ・イノウエと会ったり……くらいかな」
「ヒナタ・イノウエ……そうか、あの人と……」
レイドは何か悩むようにヒナタ・イノウエの事を思い出していた。当然だろう。レイドは彼に何も出来ずに負け、苦汁を舐めた経験があるのだから。
「どうかしたの?」
「いや、あの人とはもう一度手合わせしたかったなと思って」
「多分だけど、あの人ヘルドさんと同じくらい強いぞ」
「最強の騎士と?」
「ああ」
アスタ自身、ヒナタ・イノウエとは戦った事がないので、最強と称される人物と同じくらい強いとはお前なかったが、彼と戦った事があるレイドが言うのだから、間違いはないのだろう。
(よくよく考えてみたら、あの殺気は尋常じゃなかったし、最強の騎士と同じ実力の持ち主だと言われても可笑しくはないのか。よし、今度会う時はお土産でも持って行こう)
彼は、ボルスピにある裏山の山奥で喫茶店を構えている。今後も会う機会があるかもしれないと思い、次からは機嫌を損ねないようにする為にも何か持って行こうと考えた。
「後、もう一つ聞きたい事がある」
レイドの表情から、ここまでの話は今から切り出す話の為の前座だった様だ。アスタもそれを目と耳で感じ取っていた。
「どうして、お前は俺が旅に出ることを許してくれたんだ?」
これが本当に聞きたかった事らしい。
この質問に、アスタは眉を顰め、どうしてか今一度考えた。確かに、昨日の時点ではレイドが旅に出ることに反対していた。アスタは、ついて行けないからだ。だが、今朝になって、レイドが旅に出るのを認めた。アスタ自身も、何故旅に出るのを許したのか、余り考えていなかった。
「………多分だけど」
十数秒、間を空けて考えた後、『多分』と言う予防線を張って理由を述べ始めた。
「兄さんが生きて帰って来るって思っていたからだと思う」
思っている。いや、正しくは信じているの方が良いだろう。
「それだけ?」
「それだけ」
何の根拠もない自信。それがレイドを送り出そうと思った。ただそれだけだった。
「ぶっ……」
「ははははははは」
レイドは頬を膨らませた後、声を出し、腹を押さえて笑った。
「なんで…笑ってるの?」
「いや、だってお前の事だからもっと真剣な理由があると思ったんだよ」
真剣だ。アスタは至って真剣だ。
「は〜、お腹痛い」
この反応にはアスタも困惑した。アスタの脳内では、二人でよそよそしく表情を曇らせていたのだから。
だが、アスタもこの答えをよく考えてみると、今までの勇者が何人も死んでいったのに対し、何故自分の兄だけ帰って来ると断言出来るのだろうと不思議に思った。
「………」
顔を真っ赤にした。多分耳まで赤い。
「どうした?そんなに俺に生きてほしいのか?」
「うるさい!!生きてほしいよ!!」
そんなこんなで部屋中で二人が馬鹿笑いしていると「うるさいです」と真顔のままアンジェが部屋に入ったところで会話は終了した。
* * * * *
十六時になり、アスタとレイドと祖父は、王城から帰って来たヤーフの馬車に乗り、王都の隣にある街ポルックスまで移動し、そこから少し離れた小さな船乗り場で送り出す事になった。
アスタ達が現地に到着した時点で既に殆どの見送り人が集まっていた。その中には父親と母親、それに一度か二度しか顔を合わせた事がない父方の祖母や親戚の姿があった。それ以外にも、レイドと関わりのあった者達が何人も来ていた。
「もう出発するのかい?」
「はい。……ヘルドさん、今までありがとうございました!!」
船に乗る直前、レイドが父と母と少し話した後、後ろの方にいたヘルドの元まで駆け寄り、お礼の言葉を言っていた。
数時間前の思い出話の中にもヘルドには良くしてもらったとも話していたから、相当仲が良かったのだろうか。しかし、アスタから見ると、ヘルドには何か裏があるような気がした。だが、その時はただの予感だっただけに深くは考えなかった。ただの自分の妄想だと言い聞かせて。
「じゃあ、行ってくるよ」
レイドは先に旅の仲間達が乗った船に乗り込み、列に並ぶ人々に手を振っていた。
そして、アスタの目の前を通り過ぎようとした時、アスタの脳内にあの日の光景が浮かんだ。
それは、レイドが王都に行く日だ。あの時、何故かレイドに掛ける言葉が出なかった。今となって思えば、単純に勇気が出なかった。送り出す覚悟が無かったのだ。
だけど、今なら言える。
レイドがアスタに気付いて叫んだ。
「この魔硝石、純度と魔力濃度が高すぎて剣に出来なかった!!だから、無理言ってペンダントと指輪にしてもらった!!」
レイドの首にぶら下がっているペンダントと左手の中指にはめている指輪には、あの日、アスタがレイドに渡した魔硝石が埋め込まれていた。
「兄さん……」
アスタの望む形ではなかったが、しっかりとアスタの思いはレイドに届いていた。
そして、船がアスタから数米離れたタイミングで小さな声で言った。
「いってらっしゃい」
あの時、言いたくても言えなかった言葉だ。今、満を持して言えた。これで、心残りはない。
「あれ……?」
アスタの両目から大きな水滴が落ちた。
「おかしいなぁ、なんで?泣かないって決めていた筈なのに」
「いってきまあぁぁぁす!!」
すると、レイドが船から全員に向かって大声で見届けている者達全員に挨拶をした。
その声は勿論アスタにも届いていた。だけど、視界がボヤけていて全く見えなかった。
レイドが出発してから二時間後、アスタと祖父は屋敷に戻り、アスタは部屋にあるベッドの中で蹲っていた。
「入りますよ」
ノックの後にアンジェが部屋の中に入って来て、溜息を吐いた。
「はあ、こんな事になると分かっていたのですよね?」
「………」
「一昨日の夜、私に言いましたよね。本当は旅に出てほしくないって。なんでそれを言わなかったんですか?」
「………」
一昨日の夜、アスタは、アンジェに向かって本音を出していた。
「今は襲う気もありませんし、貴方にとやかく言う気もありません。ご夕食は机の上に置いておきますので、お腹が空いたら食べてください」
時間は既に二十時を経過していて、外は真っ暗だった。
「………」
アスタは、アンジェの問い掛けには応じなかった。ただ、心臓の音だけが聞こえていた。
そんなアスタに何も言うことはないのだと思い、アンジェは部屋から退室した。アスタを一人にしたのは、彼女なりの気遣いだろう。
次の日、アスタと祖父は馬車に乗ってボルスピまで帰った。行きとは違う御者であった為、気を落としているアスタに向かって彼らは声を掛けなかった。理由は知らないが、掛けられる雰囲気ではなかった。
それから、アスタが心を持ち直したのは3週間後だった。新聞で勇者一行が魔王領と王国の境目である雪山に入ったと言う報せが届いた。その時に、アスタは兄が頑張っていると言うのに、自分が落ち込んでなどいられないと心を奮い立たせ、剣術と魔法の練習を再開した。
四ヶ月後、アスタが朝のランニングから帰って来ると、村中が大騒ぎしていた。何事かと思い、村人が持っていた紙面を覗くと、勇者一行が魔王軍四天王の1人を討伐したとの記事が大々的に載っていたのだ。これには、アスタは大喜びした。何より、兄が生きていると知れただけで心が落ち着いた。やっぱり、あの兄が死ぬ訳ないと。暫くしたらひょっこりと「魔王を倒して来た」と言って、本当に帰って来そうである。
それから、更に七ヶ月が経ったある日、十二歳になったアスタは庭で鉛の入った木剣を使って日課の素振りをしていた。
コンコンコン
玄関の前の扉をノックする音が聞こえた。アスタは木剣をその場に置き、庭から玄関まで赴いた。
すると、そこにいたのは、右腕がない中年の男だった。服は着替えたのか綺麗で見た目も少しだけ窶れていたが、アスタはこの男に見覚えがあった。
「あの、どなたですか?」
男はアスタに気が付くと、止めている馬車から布に巻かれた何かを取り出した。
「君は、アスタ……ホーフノーくんかい?」
「はい」
「私の名はフィネオス・クローズ。そう言えば分かるかな?」
思い出した。この男は、レイドと共に旅に出た1人だ。あのパーティーの中で一番の年長者で頼り甲斐のありそうな男だった。だが、あの時は両腕があった。
嫌な予感がした。
「まずは、これを受け取ってくれ」
フィネオスが布に巻かれた何かをアスタに手渡した。
アスタは、それを受け取ると何か生温かい感じがした。
──見てはいけない気がする。
そう思ったが、アスタの手は布をゆっくりと捲っていた。
「…………うっ」
アスタは『それ』を見た途端、口を押さえ、布に巻かれた物を手放した。
「こ、これって………」
考えたくなかった。
「確認してくれ。中指に指輪がある筈だ」
そう言われると、頭の中で何かが壊れ、もう一度布を捲った。
そして、今度はしっかりと『それ』を見る。
「ありました。確かにこれは、僕が兄さんに渡した魔硝石です」
風で布が完全に捲れ、『それ』が露わになる。
腕だった。肘から先がない左腕だった。千切られたのか、断面は綺麗ではなく、時間が経っているのか少しだけ黒ずんでいた。
そして、これの持ち主は、中指に指輪を付けていて、中に嵌め込まれた魔硝石にはヒビが入り、輝きは失われていた。
「あ……、あ………」
「すまない。すまない……」
フィネオスがそう呟いていたがアスタには聞こえなかった。
やはり、同じ運命を辿ってしまった。分かっていた筈なのに目を逸らしてしまっていた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
レイドは、死んだ。
アスタの絶叫が木霊し、木々が揺れた。
第1章 〜幕開け〜王都からの手紙編 〈完〉
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。第1章最終話と言うことで、少々長くなってしまったのですが、無事に終わらせる事が出来ました。この後は、直ぐに2章に突入する訳ではなく、ちょっとした後日談を入れてから第2章にしたいと思います。これからも応援、よろしくお願いします。
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