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勇者の弟  作者: ドル猫
第1章『〜幕開け〜王都からの手紙編』
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第1章 3『乱闘、最後の夜』

 あれから、丁度二週間が過ぎた。あの日の夜、レイドと父のランブルは自室で何かを話していたらしい。おそらく、勇者関係のことだろう。


 ──僕もその話を聞きたいと思い、隣の部屋の壁に耳を近付けて盗み聞きをした。だが、かなりの小声で話してる為か、どうしても話の内容は聞こえなかった。それからというもの、兄は祖父と共に毎日、剣術の練習をしている。

 

 庭で木剣の鬩ぎ合いが絶え間なく続く。十二歳の少年と六十歳を超えた老人の試合らしきものは実に物珍しいらしく、時折り、近所から数人の見物人が集まってくる。


「いけ──!」


「頑張れ──!」


 数日続けているうちに、剣術の練習だったはずが、いつのまにか本当に試合になっていた。それに伴い、一日経つごとに見物人は増え続け、気付けば、それはもう観戦者と呼べるものになっていた。


(今日で八日目……、ついに観戦する人数は百を越えたか)


 ── 一週間も経つうちに、見物人は隣町や少し離れた都市からも噂を聞きつけ、人がやってくるようになった。因みに僕は、試合の審判をしている。二人からの直々なお願いだった。暇だからやるけど。


 そして、十三日目。

 この日は、これまでで最大の人数が集まった。そして、いつもは見かけない顔ぶれ、見たことがある顔も揃ってた。


「今日はいつにも増して、人数が増えているな」


 レイドが王都へ行く一日前、今日の試合会場はいつもの庭から、少し離れたところにある広場へと移った。

 

「兄さん、今日はこんな場所で何をする気?」


「おお!よくぞ聞いてくれた我が弟よ!」


 こんな日だ。何をするかと問いただしてみると、突如レイドが大声で観衆に聞こえるよう叫び始めた。


「みんなああああああ!!今日は集まってくれて、ありがとなああああああ!!」


 歓声は熱を浴び、グランデのように燃え盛る。


「ほっほっほっ、今日がこの野戦をやる最終日じゃ。今回、孫と闘うのはわしだけじゃない。ここにいる参加者、誰でも戦っても良い。ルールは木剣での一vs一(タイマン)。片方が降参を宣言するか、気を失うか、この線から出たら敗北。──後…言い忘れていたが体術はありとする」


 うおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!


 観衆は更に盛り上がる。この状況を見て、アスタ自身はレイドが何故このようなことをしたいのか、なんとなくだが、分かる気がした。


「では、早速初戦じゃ。先駆けはわしにいかせてもらおう」


 ──フライデンとレイドは木剣を取り、お互いに線の中に入り、僕は枠の外で審判をする。


「レイド…手加減はせんぞ」


「そっちこそ、力み過ぎてギックリ腰になってもしらないからな」


「始めっ!!」


 アスタの声と同時に長い一日が幕を開けた。


△▼△▼


 木剣が宙に浮き、線外へ弾き出される。


「チェックメイトだ」


「ま、参った」


 屈強な体つきの男は両手を挙げ、降参を宣言した。


 うおおおおおおおおおおおおおお!!!!


 会場は熱狂に包まれる。観衆が大声を上げ、近所に構えている居酒屋の店主はこれをチャンスと見たのか、出店で酒や食べ物の販売をし始めた。


「こっち酒二つ!!キンキンに冷えたやつで!!」


「焼き鳥の皮を五つお願い!」


(これは儲かるぞぉ)


 この熱戦のおかげで、観戦者の酒も進むらしい。

 良くも悪くも、酒のおかげで更に会場は盛り上がる。


「おいおい、あの小僧今ので二十八連勝目だぞ!?」


「どんだけ強いんだよ彼奴!?」


 レイドは初戦以外、汗も殆どかかずに木剣を振り、対戦相手を次々に薙ぎ倒していった。


「止められねぇぞ!」


「あの爺さん以外にまともに戦える奴すらいないのか!?」


 どんな男でもレイドの猛攻を止めることはできない。アスタも次の対戦表を見るまではそう思っていた。


「え〜と、次の参加者は…『ブリシュ・アーカイラム』さん。…………え?」


 思わず二度見した。なんと聞いたことがある名前だった。それは二週間前、王都からの手紙を届けに来た人物の一人だ。


「らっしゃああああああああああああ!!!」


 ブリシュが服を脱ぎ捨て、雄叫びをあげる。


「マジかよ」


「驚いたかい?」


 突然、後ろから声をかけられる。こっちも聞き覚えのある声だ。


「エグゼさん!」


 アスタに声をかけたのは、二週間前、レイドに手紙を渡しに来た、もう一人の王国騎士だった。どうやら、今日は非番らしく、この前の高貴な制服とは違い、黒いポロシャツと青いジーパンを着用している。私服だ。


「久しぶり。元気にしてた?」


「おかげさまで。兄は元気を通り越してますがね」


「それは良かった」


 エグゼは笑顔で、アスタは苦笑いで会話を切った。

 レイドは一旦水分補給の休憩に入るようだ。いくら、体力に底無しのレイドでも披露が見え始めた。更に、次の相手は現役の王国騎士。一筋縄ではいかない。


「──あの時のおっさんが相手か」


「両者、準備を始めて」


 アスタの一声と共に二人は線内に立ち、木剣を構える。


「よぅ坊主、悪いが、あの時の借りは返させてもらうぜ」


「へぇ、面白そうじゃん」


 二人に緊張が走る。お互いにまだ、互いの力の全てを知っている訳ではない。しかし、最初にやるべきことは一つ。


「始めっ!!」


((先手必勝))


 審判の合図とともに、二人の姿が一瞬にして消えた。いや、消えたように見えた。

 途端に、力と力のぶつかり合いが炸裂する。

 お互いの木剣も今の一撃で鈍い音と共に折れた。


「なかなかやるじゃねえか」


「そっちこそ」


 うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!


 今まで以上に観衆が盛り上がり、歓声が飛び交う。


「お…おい!あの男、少年の動きについていったぞ!」


「馬鹿言え、あいつは現役の王国騎士だ!寧ろついていけるあの小僧がおかしい!!」


 レイドは軽くジャンプし、相手の出方を伺う。

 逆にブリシュは腰を低くし、どう一撃を入れようか考えている。


「今の凄かったね。アスタくんは見えてた?」


「はい。なんとか目でついていけました」


「え?今の見えてたの?私には、全く見えなかったが……」


「え?」


 今の動き、二人は地面を蹴ったと同時にレイドは横振りで、ブリシュは真下から地面を擦りながらお互いの木剣が激突。その後、レイドが木剣を離し、虚を疲れたブリシュの間合いの内に入り、腹に高速でジャブを二回入れる。ブリシュも木剣を真上に投げ、レイドの目線が一瞬、上を向いた瞬間、回し蹴りを入れる。咄嗟に右腕で止めるけど、空に放り投げられた木剣が回転しながら、レイドの脳天に落ちてくる。それに対し、レイドは身体を逸らし、腹筋で甘んじて木剣を受ける。最後に、二人は木剣をもう一度手に取り、勢いよく、木剣がぶつかる。そして、お互いにの木剣にヒビが入ったと同時に一気に割れた。


 ──今のが見えてないとか、エグゼは本当に王国騎士なのかと疑ってしまった。


 この会話の間にも、二人は激しい乱打戦をしている。殴っては殴り返され、殴っては殴り返されを何十、何百回にも渡って繰り返される。


(くそ…そろそろ限界だぞ…)


(──やばい、意識が…)


 お互いにそろそろ限界を迎えそうだった。おそらく、意識もどうにか細い線みたいなもので繋ぎ止めているだけで、二人とも既に体力の殆どを使い切っていた。


(ここは審判である僕が止めないとな)


 笛を口につけ、音を鳴らそうとした。しかし、レイドがこっちに向かって、待ったをかけるように右手の掌を開いてアスタに見せている。


「アスタくん…笛、鳴らさないのかい?」


「どうやら、本人達がそれを望んでいないっぽいんでいいんですよ」


 長年の付き合いだ。レイドが何を伝えたいかなんて、目を見れば分かる。


(今日だけだぞ)


 お前は俺が満足するまで、この闘いを見守らなければいけない。それが、レイドからアスタへの最後の我儘になるのだろう。


△▼△▼


 〜二十分後〜


「どおりゃあああああああああああああ!!」


 レイドのアッパーがブリシュの顎に直撃する。途端に、ブリシュは足元をふらつかせ、遂に膝をついて倒れた。


 うおおおおおおおおおおおおおおお!!!


 観衆が盛り上がる。


「あの小僧、勝っちまったぞ!!」


「ああ、こりゃ凄え!将来は、王国騎士決定だな!」


 レイドは顔を腫らしたまま、拳を振り上げて、勝利の雄叫びをあげた。

 その声に続いて、歓声してる野次馬も大声をあげる。


(そろそろ頃合いかな)


「一旦、一時間の休憩にしまーす!」


 流石にレイドも自分の集中力も続かない。ここで一旦、休憩を挟むことを独断で決めた。それを許さない野次馬も現れたが、フライデンが手刀で野次馬達を全員気絶させていたのをどうにか目で追えた。


「神の御心よ、力無き者に立ち上がる力と勇気を与えん『ヒーリング』」


 詠唱を唱えると、レイドの傷が忽ちに塞がり、腫れも引いてきた。これは治癒魔法だ。別名、回復魔法とも言う。この魔法は術の構成が難しく、まだ無詠唱で唱えるのは時間が掛かりそうだ。一応、上級までの治癒魔法は詠唱ありで使える。詠唱ありでも中級、上級を覚えるのは苦労したが、一度覚えてしまえば、身体に馴染むのは早いので不便ではない。因みに、今レイドに使ったのは初級の治癒魔法だ。


「これで少しは楽になった?」


「ああ、ありがとう。それと、さっき闘ったおっさんにも使ってやってくれないか?多分俺より酷い怪我だと思う」


 倒れたブリシュの方を見ると、そこにブリシュの姿はなく、既にエグゼが出店のテントに運んだようだった。


「すまない、アスタくん。私は治癒魔法が使えないんだ。悪いが、治してやってくれないか?」


 はいはいと二つ返事をし、ブリシュの胸に手を当てる。


「癒しの神、パナケイヤよ。この者に再び立ち上がる力と恩愛を与えて顕現せよ『ヒーリング・エクストラ』」


 詠唱を唱えると、アスタの真上に目を瞑り、緑の羽衣を羽織った女性が現れ、ブリシュに息を吹きかけた。その途端、折れた奥歯の傷が塞がって血が止まり、目の腫れもとれ、ブリシュは意識を取り戻した。降臨した女性はいつのまにか消えていた。


「あ、あれ?俺確か、さっきまで試合してたんじゃ?」


 上級の治癒魔法を使えば、どんな傷でも忽ち直ってしまう万能、お役立ちの魔法だ。しかし、それ故に消費する魔力量も甚大。魔力量の多いアスタでも一瞬だけ、貧血の時のように足元がふらつく。


「やっぱりこれ使うと物凄い魔力量を使うな。暫く封印だな」


 アスタは手をグー、パーと動かし、身体に不調が残ってないか確認する。


(まだまだ力不足な事に気付けたな。魔力量の増やし方を今一度考えてみる事にしよう)


 時間は、丁度正午だ。休憩のついでに午後の英気を養うため、出店で昼飯でも買っておくことにした。


「兄さん、何か食べたいものある?」


「ん〜なんでもいい」


 レイドにも何を食べたいか聞いてみるが、全てこちらに任せるらしい。それが一番面倒臭い答えではあるが。

 

 ここで説明するが、この大陸での主食は、主にパンがメインである。

 一般家庭に並ぶ料理は、ふかし芋を中心とした芋を使った料理や卵料理が多く、他には人参や大豆類、ほうれん草などの野菜がこの大陸ではそれなりに取れ、シチューはほぼ毎日食卓に並ぶ。

 出店のメニューを見てみると焼き鳥から干し肉まで結構豊富な種類の料理が並んでいた。この大陸では、動物の肉はなかなか食べれない代わりに、魔獣の肉を食べる文化が存在する。おそらく、このメニューに載ってある焼き鳥も鶏の姿をした魔獣『コカトリス』のことだろう。


「う〜ん。おじさん、とりあえずこのサンドイッチを二つ……」


 メニューを見て、無難にサンドイッチでも頼もうかと思い、店主に声をかけると、


「店主、この肉サンド四つとジョッキでお勧めの酒二つと水を二つくれ」


 なんと、前に割り込んでくる輩が現れた。


「は?」


 流石にムカつき、こいつの顔に火の上級魔法でも叩きこんでやろうと顔を覗くと、その人物はブリシュだった。


「さっきはありがとうな坊主!お陰で助かったぜ!」


 ブリシュは財布を出し、


「お礼と言っちゃなんだが、飯奢ってやるよ!」


 と、意気揚々と奢る宣言をした。


 ──嬉しい誤算だ。人に親切にすると返ってくるというのはこの事なのだろう。今日はこの好意を慎ましく受け取っておこう。


 肉サンドの入った袋を片手にレイドとエグゼのいるところまで戻った。


「やぁ、久しぶりレイドくん」


「あ、あの時の兄ちゃ…いや、騎士様!」


 『騎士様』という単語に疑問が浮かぶが、深く考えないでおこう。


「兄さん、お待たせ。後、これエグゼさんの分です」


 肉サンドの入った紙袋を二人に渡して、漸く少し遅い昼食にありつけそうだ。


「エグゼ!遅くなったな!これ、お前の分の酒だ!」


 肉サンドに齧りつく寸前、後ろからブリシュが飲み物を抱えて、気分上々でやって来た。


「ブリシュ!!私が酒を飲まないことを知っているだろう!?祭事とはいえ、我々は騎士だぞ!もっと民に見本となる……」


「まーまー、固いこと言うなって、折角の祭りなんだし」


(別に祭りじゃないんだけどな)


 完全にブリシュは雰囲気に呑まれていた。意外にも、王国騎士の中には、このようにだらしがない人もいるもんだなと改めて知った。


「あ、この肉サンド美味え。なんの肉使ってんだ?」


「ああ。さっき店主に聞いたら、なんでも『翼牛(よくぎゅう)』の肉を使っていて、結構珍しい肉らしいぞ」


 やはり魔獣の肉だった。翼牛は牛のくせに空を飛ぶからか、通常の牛より筋力が鍛えられているため、噛みごたえ抜群だ。その代わり、油は余り乗ってなく、どうしてもスジっぽいのが難点だ。しかし、美味しいことに変わりはない。


「ねぇ、アスタくん、あの件について考えてくれた?」


 食事を楽しんでいると、横からエグゼに声をかけられた。おそらく内容を知られたくないため、この五月蝿い時に話しかけたのだろう。眼前の二人も会話に夢中で此方には気を配ってないらしい。


「……学校は魅力的ですが、僕はまだ十歳です。入学できるニ年後にでも改めて考えます」


 話の入り方からこの前の学校の推薦状の話だと思う。勿論、魔法の勉強をしたいので、学校には行ってみたい。しかし、まだ早すぎる。入学すらできない年齢だ。


「え?アスタくん十歳だったの?大人びてるからてっきり、十五歳くらいだと思っていたよ」


 どうやら、この騎士は天然らしい。確かに、アスタが他の子供より知的で大人びてるのは認めよう。だが、背を見てみろ。まだ身長百四十センチあるか分からないくらいだ。


(本当にこの人は王国騎士なのか?)


 思わず、そう考えてしまうほどのエグゼは天然なのかアホなのかはきっと一生掛かっても分からないだろう。


 それから、休憩が終わり、再び、レイドの連戦が始まった。休憩したおかげか、この後の長期戦も息切れが殆どないまま、挑戦者は減り続け、これが最後の一人だ。既に開始から八時間以上が経過しており、このイベントも終わりを迎えようとしていた。


「見慣れない格好をしているな。どこから来たんだ?」


 最後の挑戦者は、小袖の上に肩衣を重ねており、この辺りでは見たことがない服装だった。


「あの人は、えーと、『ヒナタ・イノウエ』?聞いたことがない名前だな」


 その男は長髪を結び、まるで女性のような髪を靡かせながら、線内に入ってくる。


「…武者震い」


 男は木剣を持ち、レイドに一礼をし、目線は真っ直ぐのまま、左手を鞘に見立て、木剣をしまう。そして、体勢を低くし、長く息を吐き、審判の合図を待つ。

 レイドも木剣を構えた。どうやら最終戦の準備が終わったようだ。


「始めっ!!」


 合図と同時に、レイドは突きの構えで、地面を蹴り飛ばし、相手との距離を一気に縮める。見たことがない構えで、何をしてくるか分からない相手にはとりあえず、押し出すのが先決と最初(はな)っから決めている。


(動かない、貰った!!)


 相手は全く動かず、微動だにしない。相手の胸に木剣が当たり、突き出せば終わりだ。レイドも観客たちも皆、そう思っていた。勿論、アスタもだ。


「『居合切り・燕返し』」


 男は蚊の羽音のような小さな声でポツリと呟いた。それは、殺気を放っているわけでない、まるで、日中の昼間に散歩に出掛けている青年。そんな風に感じとれた。

 その一秒も間もない後、何が起こったのか、レイドの身体が宙で三回回転し、その勢いのまま、線外へ押し出された。


「え?」


 盛り上がっていた会場は、一瞬のうちに静寂に支配された。

 男は木剣を地面に置き、時が止まったように固まった会場を徒歩で後にした。


「ブリシュさん、エグゼさん、今の見えましたか?」


 期待はしていないが、試しにこの二人に今の動きを聞いてみる。


「全く見えなかった」


「悔しいが、こいつと同じ意見だ」


 エグゼはともかく、ブリシュにも見えてなかったらしい。勿論、アスタ自身にもあの動きは見えなかった。あれほどに強い人がなぜ、騎士や傭兵にならないのか、名が通ってないのか、彼が何者なのか、今はまだ分からなかった。


「いたた…あ〜やられた」


 レイドがこちらに戻ってきた。後で聞いた話だが、レイドにはあの動きが一瞬見えたらしい。相手に突きを入れる瞬間、相手は左に半歩動いて突きを避けた。そして、更に姿勢を低くして、木剣を抜いた。次の瞬間には目線は空にあったらしい。その時にレイドが思った事は、この世界にはまだまだ強い奴がいるということだった。


「さぁ、気を取り直して最終戦だ」


「最終戦?」


 参加者の表に目を通すと、先程のヒナタ・イノウエという者で最後のはずだ。しかし、レイドはまだ戦っていない者がいると言う。一体誰なんだ。出店の店主か、ヤジを飛ばしていた男か、それとも、一応王国騎士のエグゼか、いや、まさか──


「最後を締めるのに相応しい相手は…お前だ!アスタ!」


 ──僕だった。そりゃそうか。今日が共に闘う最後かもしれないしな。そりゃ選ぶわ。僕も逆の立場なら選んでた。


「分かったよ兄さん。その申し出を受けよう」


(受けてしまった。堂々と言ってしまった。実戦なんて久しぶりなのに)

 

 アスタの返事と共に会場は大盛り上がりを見せる。まさかの兄弟対決のサプライズに、先程までの静けさは何処へやら。


「今すぐにやろうかと言いたいところだが、俺もお前もまだ万全の状態じゃない。二十分後にやろう」


「兄さん、僕は兄さんとは違って、剣術はからっきしなんだけど」


「──ああ、そうか。なら、特別に魔法使ってもいいぜ。それでも、俺が勝つけどな」


 魔法を使用の許可は貰った。距離を取れば、こちらが有利な展開で戦える。


「悪いな、兄さん。今回は僕の勝ちだ」


 アスタはニヤケ面を抑えきれず、下を向いて笑ってしまった。勝ちを確信したのだ。後は、この闘いに役立ちそうな魔法の選定。それが済めば、後は作戦だ。いくら強力な魔法を使ったって、レイドに全て避けられてしまえば、距離を詰められて負けだ。つまり、まず最初にやることは──


「相手の動きを封じる魔法」


 小声で呟いた。使えそうな魔法にいくつか目処はつくが、通用するかどうかはやってみなくちゃ分からない。


「隙だけは、実戦の中で見つけるしかないか」


 ふと視線を上げると、レイドが線を挟んで奥にいるのが見えた。レイドも魔法に対して何か対策をするだろう。水を飲みながら、何かブリシュと話している。何を話しているのだろうか。


(──作戦か…?やけに盛り上がっているな)


「何を考えてるか知らないけど、多分アスタくんの思っているようなことは話してないと思うよ」


「!?」


 また、エグゼが後ろから声をかける。これで何回目だ。まるで神出鬼没だ。しかし──


「なんでそんなことが分かるんですか?」


 さっきの言い方は、二人の話している内容を知っているかのような言い分だ。


「ふふ、まあ長い付き合いの賜物だよ」


 あくまで推測だが、エグゼとブリシュは思っている以上に長い付き合いらしい。ならば、お互いに考えていることが察せるということか。


「さぁ、そろそろだね。審判は私がやるから心配しなくてもいいよ」


 お互いに騎士に見送られながら早足で歩き、線内に入った。


「準備は大丈夫か?」


「そっちこそ。悪いけど、手加減はしないよ」


「臨むところ」


 お互いに木剣を構える。その瞬間、歓声が一気に止む。ただ、風だけが吹いている。

 審判の合図はまだだ。緊張を最大限まで高めようとしているのか。それとも、


「皆さん、お待たせいたしましたぁ!!この祭りもいよいよ大詰めに入ってまいりました!そして、祭りの締めを飾るのはこの二人!!赤コーナー、今試合、八十七連勝一敗一引き分けのレイドオオオオオ!!青コーナー、そんな兄の背中を追う弟!魔法の才能はピカイチ、アスタアアアア!!」


「え?」


「は?」


「はぁ」


 これがあのエグゼなのか。彼が声を出した途端、三度(みたび)会場が今日一番の盛り上がりを見せる。エグゼもノリノリなのか、時折り、巻き舌になりながら喋る。


「此奴本当に祭りが好きだな」


 ブリシュが呆れたように苦言を漏らす。どうやら、いつも見せている振舞いは、自分を押さえ込むための仮初の振舞いらしく、これが本当の彼なのだ。剣術も魔法も得意でない彼が王国騎士になれた理由がなんとなく分かった気がした。


「うおおおおお!!」


「やっちまえ──!!」


「俺は弟の方を応援するぞ──!!」


 盛り上がるのはいいが、随分と物騒な声も聞こえる。暴動は起きてほしくない。まぁ、起きたところで、ここには王国騎士が少なくとも二人いる。いや、それ以上いるかもしれない。暴動が起きても、直ぐ鎮圧に動いてくれるだろう。


「さて、いい感じに盛り上がってきたところでそろそろ、始めましょうか!」


 前言撤回。此奴は暴動が起きても、止めないかもしれない。

 再び、お互いに木剣を構える。レイドは両手で木剣を持ち、一撃で決めようとする構えだ。逆にアスタは、木剣を右手に持ち、左手には魔力を集める。こちらは、近距離、遠距離の両方に対応できるようなバランスの良い構えだ。

 審判が右手を上げる。そして、


「開始!!」


 審判合図と共に右手が垂直に振り下ろされ、決戦の火蓋が切られた。


 同時に、レイドがこちらへ突っ込んでくる。体勢を低くし、確実にアスタを仕留める動きだ。しかし、アスタも兄の性格故、先手必勝で来ることは読めていた。だから、


「悪いけど、兄さんの好きにはさせない」


 予め、左手に溜めた魔力を解き放つ。大きく腕を振り、空中に五本の氷柱が形成される。

 レイドは氷柱を見た瞬間、一気に距離を取り、魔法の軌道を予測する。


(遅い!?)


 が、アスタはそれすらも読めていた。先ずはニ本、レイドが飛んだ場所に撃ち込む。一本は剣術で相殺し、もう一本は間一髪で避ける。だが、そこから時間差で残りの三本も撃ち込む。


「っっ!!」


 レイドは線に反りながら、全速力で襲いかかってくる氷柱を避ける。


「──なっ!?」


「かかった!」


 突如、地面に足を取られ、まるで錘がついているかのように足が重くなる。足元を見てみると、地面がぬかるんでいた。


「土属性の魔法か!」


 やはり、無詠唱の魔法相手は厄介すぎる。ただでさえ強力な魔法の動作を最低限で、もしくはノーモーションで使うのは反則にも程がある。特に、このような魔法は。


「終わりだ!!」


 アスタは終幕を宣言すると、左手から先程より四倍は大きい氷柱を三本出していた。

 そして、レイド目掛けて一気に発射した。三本の氷柱は無慈悲にもレイドを襲う。

 

「まだだっ!」


 命中直後、氷が爆発し、周囲に冷やされた水蒸気が液化されて煙が立ち、辺り全体を煙が覆った。


「こ、これは煙で何も見えないぞ──!!」


「くそっ!どうなってやがる?」


 白い煙に会場はパニックになる。しかし、これは水蒸気爆発の一種なので、人体に特に被害はない。


「上かっ!」


 アスタは煙の中、一瞬、煙の靄が動き、上空から気配を感じた。警戒するが、まだ煙は晴れない。


「あっぶねー、靴脱いで緊急脱出しなけりゃ、あのままやられてたな」


 レイドは、巨大な氷柱が命中する直前、靴を脱ぎ、どうにか上へ回避していた。しかし、安心したのも束の間、落下中の今、この後どうするべきか考えなくてはいけない。

 しかし、アスタは考える時間を与えない。上空にレイドがいるのを知ると、風属性の魔法で全ての煙を払った。


「なにっ!!」


「そこにいたか」


「霧を払いし風神よ、今ここに、新たな世界の伊吹をかけたまえ」


 珍しく、詠唱を唱える。しかし、アスタは上級の風魔法も無詠唱で放つことができる。


「今の詠唱…まさか、アスタくん!その魔法は」


 アスタが詠唱を口にした途端、エグゼは悪寒を感じ、試合を中断しようとするが、もう遅かった。この状況で出来る事と言えば────


「みんな、逃げろおおおおおお!!」


 得意の声で避難勧告をすることだった。


「え?逃げろって?」


「なんで逃げなくちゃいけないんだ?いいところなのに」


 観客の殆どは逃げようとしない。しかし、一部の者は詠唱を聞いた瞬間、顔色を変えてその場から離れる。


「まずい、あいつ『星級』の魔法を使う気だ!」


 ブリシュにも嫌な予感がした。それは、上級を超える魔法、星級だ。その威力は、一つの小規模災害より少し低いくらいの威力があり、この魔法は、ベテランの魔法使いや魔導士でもコントロールが出来る者は両手で数えられるくらいしかいない。更に、その破壊力が故に、街中で星級の魔法を使うことは禁じられている。ブリシュとエグゼは、アスタのような子供に星級の魔法をコントロール出来るとは思ってはいなかった。


「『テンペスト・ストーム!』」


 そして、無慈悲にも星級の魔法は放たれる。アスタを中心に渦巻いていた風は竜巻となり、レイド目掛けて襲いかかる。


「のわああああ!!」


 しかし、魔法は線の中心に大きく陣を取りながら留まっており、観客達の方へ動く様子はない。


「おいおい審判さん。ビビりすぎだって」


「え?」


 なんと、あの竜巻がずっとその場に留まって、微動だにしないのだ。そして、風の勢いは少しずつ収まり、レイドが上空から落ちてきた。


「兄さん、まさか今のでも場外にならないなんて…凄い悪運だね」


 最初からレイドを倒せるとは思ってはいなかった。だから、今使える最高威力の魔法で場外へ出してやろうと考えていたが、惜しくも通用しなかった。


「へっ、あんな程度でくたばってちゃ、勇者は務まらんだろ?」


 レイドは木剣を支えにどうにか立ち上がった。だが、息切れもしてる。休憩をしているとは言え、連戦の所為で既に体力は底を尽きそうであった。


「はぁ、はぁ」


 しかし、それはアスタも同じだ。初級の土属性の魔法、中級の氷結魔法、風属性の魔法、上級の氷結魔法、そして、星級の風属性の魔法。これだけ魔法を連発すれば、魔力量の多いアスタでも一気に疲労が出る。更に、午前中に治癒魔法も使った為、尚更だ。


「ふぅ──」


 お互いに次が最後の一撃になることは分かっている。だからこそ、今できる全力の剣術と魔法で決着をつける。


「アスタ、これをまともに受けたら、お前は暫くまともに歩けなくなるかもな」


「そっちこそ、この最高威力の魔法で明日からの勇者生活に支障がでないといいんだけど」


 レイドから今までにない程の強い力を感じる。あの迫力を前にし、一部の観客たちはその場で息を止める者もいた。

 アスタも兄の迫力に負けじと魔力を限界まで捻くり出す。


「レイドの野郎、山でも切る気か?それに、アスタもだ。彼奴も町一つ破壊しそうな雰囲気出してんじゃないか」


 ブリシュが二人が出すオーラに押し負ける。


(だ、駄目だ。動けねぇ。あいつ、俺と戦ってるときは手加減してたのかよ)


 会場にいた者は誰一人としてその場から動けなかった。此処は危険だと脳は解っているのに、身体が動かない。


「いくよ、兄さん」


「こいっ!」


 右手から、紅色(べにいろ)に光る球体と藍色(あいいろ)に光る球体、左手からは、萌葱色(もえぎいろ)に輝く球体と代赭色(たいしゃいろ)(よど)む球体を出し、球体をアスタの周囲で縦横無尽に動かした後、紅色の球体が高速でレイドに襲いかかる。


「四属性同時魔法だと!?」


 エグゼは初めて見る真新しい魔法に驚きを隠せない。初めて会った際にも無詠唱の魔法を見せられて驚かされたのに、今度は複数属性の魔法を同時に操る技術を見せられ、自分の力不足を痛感した。しかし、同時にあの魔法をどう使っているのかも気になる。無詠唱の魔法は、他の上位の魔法使いからやり方を教わっている。しかし、いくら実行しても自分を含め、殆どの騎士、魔法使い、魔導士はできなかった。出来る者は才能が有るから出来るからであって、ない自分は出来ない。そう考えていた。だが、アスタのような子供でも無詠唱の魔法が使えてたのだ。練習をすれば、何れ自分も使えるようになるかもしれないと、エグゼは淡い期待を抱いていた。しかし、その期待は無情にも崩れ去った。

 二属性の魔法を同時に使える魔導士が王国にいても、四属性の属性の魔法を同時に使う魔法使い、魔導士は王国、いや、この大陸を探しても彼一人だろう。つまり、アスタは魔法の天才なのだと。エグゼは、そう自分の直感が言っている気がした。


 しかし、あれは魔法なのだろうか。魔法にしては少し、生物的に動き過ぎているように思える。


「──ふっ!」


 レイドが木剣を振るい、紅色の球体を斬り裂く。球体は斬られたと同時に、中から少量の煙が発生。視界が数秒だけ、暗黒に包まれる。

 アスタは続けて、藍色の球体と代赭色の球体をレイドに向けて放つ。


(……手応えあり)


 直撃した。属性の力で強化された球体がレイドの腹に当たる。その瞬間、内側から水流のような勢いで身体を抉られる。続けて、今度は地面に身体を打ちつけられた様な、不可思議な感覚に襲われる。


「──決まったか」


 エグゼは審判として、この場の上級を判断する。あの高濃度の魔法が直撃したんだ。最悪、死んでいる可能性も考えたが、その心配はすぐに他所にいく。


「まだだ」


 アスタは残った萌葱色の球体を自分の周りに縦横無尽に動かす。


「どおぉぅりゃああああああああああああ!!」


 レイドは煙の中から勢いよく飛び出し、そのまま速度を上げ、アスタが反応できないほどの加速をし、横っ腹に木剣を叩き込んだ。

 メシメシと骨が砕ける音が耳元で聞こえた。雷に打たれたような痛みだ。

 しかし、アスタは持っていた木剣を離し、レイドの木剣を抱える様に掴み、場外に押し出されるのを阻止する。そして、


「肉を切らせて、骨を断つ」


「はっ!」


 レイドは自分の目の前に萌葱色の球体があることに気づいた。ここから、魔法が放たれ、最後の悪あがきをする気だと。

 レイドはすぐさま木剣を手離し、後ろに下がって、防御の構えをしようとした時、それは吹いた。


 突如、足に力が入らなくなり、身体が宙に浮く。何が起こっているのかと、そんなことも思わせないまま、レイドの身体は線外に出された。


「………」


 気付いた時にはもう負けていた。いいや、最後に一撃を入れた時、骨が粉砕される覚悟で剣撃を受けられた時点で、既に決着はついていた。


「──あっ、勝者…アスタ・ホーフノー!!!」


 意外にも呆気ない幕引きで、審判のエグゼのジャッジが遅れる。


 うおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!


 審判の一声から数秒、間を開けて、大歓声が響き渡る。


「よくやった!」


「俺は感動したぞ──!」


 アスタは、歓声を身に受けながら、この戦いの勝者が自分なんだと、感慨深く思った。


「あ……れ?」


 瞼が下がり、地面に倒れる。何かが一気にアスタの身体に襲いかかった。それは眠気でもあり、疲労感でもあり、痛みでもある。


 ──なんだ、これ……


「──アスタっ!!」


 意識が暗闇に落ちる中、最後に聞いたのは、兄の声だった。




 ──────深く、更に深く落ちていく。身体が言うことを聞かない。喋れない。口を動かせない。瞼を閉じれない。指の一つも動かせない。身体の感覚がない。息もできない。心臓が動かない。肺が機能しない。『飲み込まれる』


 しかし、意識の覚醒は途端に起こった。


 ──ここはどこだ?


 目を覚ます。いや、違う。目を覚ました訳ではない。視点は最初からそこにあった。しかし、動かせない。意識が切れる直前までとは全く違う景色を見ていた。たが、これだけは分かる。自分はここにいる。ここに存在している。それだけしか分からない。


「──、時──ありません。今すぐに『あれ』を此処に残さなくてーなり──ん」


 黒いローブを羽織った人物二人が小さな山小屋の中で何かを話している。会話は上手く聞き取れない。


「──ああ、そうだな。この魔導書を残──くてはいけない。それより、我々も──に追われる立場として、長居をするわけにはいかない。だから、此処に残す」


 男は手に持っている黒い紙を机の引き出しの中、更に、三重底になっている引き出しの最奥に隠した。


 ──ここ、なんか見覚えが。


 フードを深く被った二人の内、一人がフードを捲り、何かをもう一人の方に伝えてる気がした。フードを捲った方の人物は女性だった。この辺りでは珍しい黒髪で、左目には眼帯をしている。もう一人は本を持ち、二手に別れて、山を下った。

 視界がフードを被った人物に向けられ、その者を追うかのように、視界は移動した。


 ──あれ?ここは?


 男が移動した先は、なんとアスタ自身が住んでいる村だった。あの山は近所の裏山で、魔獣の群生地ともなっているため、一度だけこの山に入った事があるから見たことある感覚だったのだ。

 フードを被った人物は、アスタが長年見て、歩いている道を手探りで掻き分けながら進む。そして、自宅の前の角を右に曲がった時、余程焦って不注意だったのか、一人の女性とぶつかってしまう。


「あいたっ!」


 女性は後ろに飛ばされ、子供を胸に抱えたまま、背中で受け身をとった。


「す、すみません、急いでいたもので…」


 声からして、四十代後半くらいの男性だろうか。大分低い声だ。


「いえ、私は大丈夫です。それよりも、子供が無事なら…」


 その女性は濃い赤髪を短く切っており、両手で赤ん坊を抱え、後ろには小さな子供もついて来ていた。


 ──ん?この人どこかで。


「お子さんは無事ですよ。怪我一つない」


「お母さん、大丈夫?」


 後ろから来ていたまだ幼い子供が母の身を安じる。子供の習性からか、酷く怯えているようにも見えた。


「ええ。母さんは大丈夫よ『レイド』」


 衝撃の事実だ。この赤髪の女性、どこかで見たことあると思えば、アスタ自身の母であった。今も若いが、今とは違って更に初々しい雰囲気を漂わせているが、その瞳の力強さは、まさしく母の物だった。


 ──じゃあ、今、母さんに抱えられているのは


 アスタで間違いないだろう。自分で自分を見るというのは不思議な感じだ。


 ────っっ!!


 突如耳鳴りが鳴る。会話を聞き取れない。何を話しているのか、キーンという不快な音のせいで全く聞こえない。

 赤ん坊のアスタが泣き始め、母が慌ててあやす。しかし、泣き止まない。

 男は何を思ったのか、フードを捲りその顔を見せる。

 視界が霞む。しかし、なんとか男の顔は確認できた。黒髪で、右の頬に十字の切傷がつけられていて、顔もその辺りで見る、ただの髭が生えたおっさんと変わりがない。

 その男が懐に隠した本をアスタに渡す。アスタは泣き止み、キャッキャっと喜びながら本を受け取る。本を渡し終えたと同時に、男は颯爽と何処かへ行ってしまった。


 暗闇から光の輝く方へ身体が浮く。抵抗できない。そして、意識が覚醒する。


「う…うん?」


 目を覚ますと目に入ったのは見慣れた天井だった。

 自分の身体に罹っている毛布を畳み、辺りを見回す。棚や机の配置、壁の傷や汚れから、ここが自分とレイドの部屋だと確認する。


(一階(した)から何か声が聞こえる)


 一階から、何か騒ぐ様な声が聞こえる。男数人の声だ。


「今日は誰かのお祝いだっけ?」


 この大陸では五年に一度、節目の年にお祝いされる事が義務付けられている。しかし、今年は家族の中で五の桁の歳になった者アスタだけだ。そして、そのお祝いはニヶ月前にやったばかりだ。なので、少し困惑したが、騒いでる理由には予想がついていた。


「って!痛あ!」


 立ち上がろうと思い、身体を起こすと、脇腹辺りに激痛が走る。見てみると、腹のあたりは包帯でぐるぐる巻きにされていた。しかし、随分と丁寧な巻き方だ。誰がやってくれたのだろう思っていると、更に激痛が走る。鎮痛剤、もしくは薬草が投与されていたようだ。効果が薄れ、胸を貫くような痛みと熱さがアスタに襲いかかる。


「っ!!神の御心よ、力無き者に立ち上がる力と勇気を与えん『ヒーリング!』」


 アスタは自分に向かって治癒魔法を使った。すると、僅かながらに痛みが引いた気がした。しかし、これ以上は乱用できない。治癒魔法はその大きな効力と特性故に、とあるデメリットが存在する。今日で治癒魔法を使ったのは三回目だ。歳を取れば、そのデメリットは少しずつ少なくなるが、アスタはまだ十歳だ。まだ、デメリットに耐え切れる程の器が完成していない。なので、とりあえず今日使う魔法はこのくらいで打ち止めだ。


「痛みはどうにか和らいだが、しっかし、骨がくっつくまで暫く安静だな」


 アスタは脇腹を抑えながら、部屋にある窓に寄りかかる。


「ついに…明日か」


 時刻は深夜を回っていた。朝飛んでいた鳩は蝙蝠に変わり、夜の訪れを告げる。


「……最後くらい、寝る前の挨拶でもして、明日に備えるか」


 アスタは、部屋を出て階段を下る。一段下りるごとに、ギシギシと木の独特な音が鳴る。

 階段を下り切ると、まず最初に居間へ向かう。


「…誰もいないのか」


 居間の襖を開けても、ランタンの明かりは既に消えていて、襖を開けた音と共に静寂と虫の音が響き渡る。

 庭にでもいるのかと思い、庭に向かう途中、痛みで忘れていたが、先程、男数人の笑い声などが聞こえていたことを思い出した。


「……あ」


 咄嗟の判断で客室の方を見る。そこには、襖の隙間から光が漏れているのが見えた。

 ゆっくりと近づく。客室に一歩近づく度、喧しい声と酒の匂いが鼻と耳に触る。そして、襖をそっと開けた。


「……え?」


 その光景に驚愕した。


「ブリシュ!お前まだ飲み足りねえんじゃないのかあ!?ヒック」


「お前、飲み過ぎだ!テメェが酒弱えこと自分が一番分かってんだろ!?って臭っ!」


「お義父さん、お酒注ぎますよ」


「うむ!」


「はっはっはっ!今日は一段と盛り上がるなあ!!これも若いもんがいるおかげかぁ!?」


「────」


 客室の中はお祭り騒ぎだった。それも、昼間に匹敵する程の。その中でレイドは目を回して倒れていた。


「──え?エグゼさんにブリシュさん?それに、ロイド叔父さんも……なんでいるの?」


 惚ける。正直、エグゼとブリシュがいることは想定内だった。しかし、叔父のロイドがいるのは想定外だった。


「よぉ!アスタ、起きたか!お前も飲むか!?」


「未成年なので飲めませんし、飲みません」


「はっはっはっ!そうか、そうか」


 いつもの様に叔父の冗談を受け流す。

 彼、ロイド・ホーフノー(旧称)は母の兄で、レイドとアスタにとって叔父に当たる存在だ。かなりの酒豪で、酒癖が悪いのが傷だが、実力はあるようで、王直属の近衛騎士団の副団長を務める程の実力者だ。


 しかし、それよりも──


「エグゼさんはどうしてそんなことになってるんですか?」


 ブリシュの肩に掴まって、飲んだくれているエグゼの方が気になった。ブリシュは心底、嫌そうな顔をしている。


「は〜、らってぇ、レイドくん、明日から王都に行くんでしょ〜う?だっ」


 エグゼは話にならない。そう思い、今度はブリシュに話を聞いてみることにする。


「ブリシュさん、これは…いったい?」


 その問いにブリシュは一度笑い、答えを教えてくれた。


「すまないな。こんなに五月蝿くしちまって」


「いえ、それはお気遣いなく。兄の送別会みたいなものですよね?」


「ああ。今日パーティーがあるって、ロイドさんに招待されて……折角だから俺達も参加する事にしたんだ」


「──で、エグゼさんがその後、直ぐに酔い潰れたのは見て分かります。しかし、兄は何故気絶しているのですか?」


 ブリシュが「それはだな」と答えようとした時、祖父が会話に割り込んで、告げた。


「わしが飲ませたんじゃよ」


 予想外の人物。未成年の孫に酒を飲ませる祖父がこの世にいるとは思いもよらなかった。

 どうやら、フライデンもかなり酔っ払っているようだ。普段、酒を飲まないからか、それとも気分が良いからか分からないが、いつもより舌が回っている気がする。


「レイドも、もうすぐ大人だからなそろそろ、飲ませたいと思っていたんじゃ」


「兄さんが成人になるまでまだ四年もあるけど…」


 この国での成人の年齢は十六歳からだ。十六歳になった次の月から、酒や煙草を嗜み、ギャンブルを娯楽として楽しむのを許可されている。


「……そういえば、母さんは?」


 ふと気付いた。今、この場に野郎どもの姿は有り余る程あるのに、母の姿だけがこの部屋にない。


「アスタ、母さんなら庭じゃないかな?」


 口にした疑問に父が答える。昔からの付き合いだから、母の気持ちや行動を熟知しているのだろう。


「分かりました。父さん」


 アスタは、レイドを自室で横にし、先程見た現実味のあった夢の話をしようと庭へ向かう。


「──あ、これも一応」


 階段を下り、喧しい声が聞こえる客室を過ぎ、キッチンにあるランタンを取り、ランタンの中に、マッチで火をつけた。


「──いた」


 キッチンにある裏口から靴を履いて、庭で煙草を吸う母の姿を見つけた。


「ふ〜」


 母の口から有害物質を含んだ煙が立つ。煙は早くない速度で上へ上がり続け、いつしか見えなくなってしまった。


「母さん」


「ん?」


 母に声を掛けると、持っていたタバコを水の入ったバケツに捨て、鎮火させた。


「アスタ、おはよう。もう怪我は大丈夫なの?」


「はい。治癒魔法を使ったので、違和感はありますが、痛みは引きました」


「そう、それならよかった」


 目覚めてから始めて心配と安堵の声を掛けられた。アスタは母と言う温もりを改めて感じた。


「──貴方たちは、急に母さん達より先にいなくなったりしないよね?」


「何を言っているのですか?」


「ううん、なんでもない」


 母は小言でアスタに伝えた。本当はレイドを勇者として旅立たせたくない。ずっと、この村で幸せに暮らしてほしいと思っている。


「──母さん、僕はいなくなったりしませんよ」


 それはアスタに対しても同じだ。たとえ、二人が類い稀なる才能を持っていたとしても、それを隠し、のんびりと平穏な安寧を過ごしてほしい。それが母の願いだ。しかし、二人には夢がある。夢を阻むことは、例え母親であってもしてはならないことだ。そう、母は父であるフライデンに幼い頃から教えられていたそうだ。


「母さん、今夜はお話があってきました」


 アスタは一刻も早く本題に入りたくて、話を急いだ。


「なに?」


 母は優しい笑みを浮かべ、目線をこちらに合わせて話を聞く姿勢をとる。


「あの、僕がまだ小さい頃に僕にこの本を渡した人物を覚えていますか?」


 アスタは、部屋から持ってきた分厚い本を母に見せ、本を渡した男のことを聞く。


「──?アスタ、何を言ってるの?母さん、そんな人知りませんよ」


「──え?」


 物覚えのいい母だ。あの男の格好は自分であっても忘れる気がしない。母が忘れる訳がない。それとも、あれはただの夢であったのだろうか。夢なら夢で納得がいくが。


「その本、アスタが何年か前にこの村に来た騎士に貰ったってアスタから聞いたけど…」


(……そう言われると、そうだった様な気がする。というか…あれ?この本って本当にあの男の人に渡されたんだっけ?いや違う。たしかにこの村に昔来た一人の王国騎士に渡された気がする。だけど、その人の名前どころか、顔も思い出せない。だけど……あの男は記憶の中に鮮明にある。そして、何故この本には無詠唱の魔法の使い方や複数属性同時魔法の使い方も載っていたんだ)


 アスタの脳内は何故かあの男と騎士のことしか考えられなかった。

 そして、ついに脳はオーバーヒートを起こした。

 アスタは、再び倒れる。脳が情報の処理速度に追いつかなかい。まるで、パンパンになった押し入れに更に物を突っ込んでいる感覚だった。


「──え?ちょっ、アスタ!!」


 意識がなくなる直前、目に映ったのは、心配そうな顔で慌てながら此方へ駆け寄る母の姿だった。

 今回の話は、ちょくちょく、アスタ目線で進ませてみました。

 ここで豆知識です。

①ロイドが所属している近衛騎士団とエグゼとブリシュが所属している王国騎士団は大元が同じですが、役割や仕事が少し違う組織です。

 王国騎士は、アインリッヒ大学、騎士科の卒業試験に合格し、更にそこから騎士試験と言う試験に合格をして、初めて騎士と名乗ることができます。

 仕事は、主に王都での警備や各都市の平和の維持などが仕事です。しかし、時には活性化した魔獣と戦ったり、指名手配犯を捕まえたり、魔王軍の動向を知るために魔王領へ偵察に行ったりとする役割を持っています。

 近衛騎士は、王国騎士の中で一層、王への忠誠心が強い者のみが王の推薦でなることができます。王の推薦が有れば、目立った成果や成績がなくてもなることができますが、これまで、推薦を貰えた者はロイドを含め、30人しかいません。仕事は主に王族の警護、王族、もしくは王族の関係者が外出する際の付き人としての役割を持ちます。

②アスタがなんで無詠唱の魔法や複数属性同時魔法を使えるようになったかは、今後、番外編かなにかで書こうと思います。(勿論ですが、あの本を見ただけで魔法が上手くなるなんて甘い話は有りません)

③ヒナタ・イノウエは、作中のキーキャラクターとなっております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 王国騎士は数が多そうですが、近衛騎士は少数で任務をこなさなくてはいけない分激務そうですね。
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