第1章 27『イーラ・アーガマ』
身体の体勢が崩れ、目の前から木剣の硬い刃が自分に振り下ろされるのを見ながら、イーラは特になんでもない自分の初登校の日を思い出し、その日の夜にイリーから聞いた話を思い出していた。
(どうして?こんな時に思い出すのが、あの日の事なんだ?)
イーラは、取るに足らない日常の中で教えられた父の過去、そして、その場に自分がいた事を思い出しながら、振り下ろされる木剣の太刀筋を眺めて──悟った。
──思い出せ。思い出せなければ、お前は負ける。
「──風に仕えし我が身の心の臓よ、豊潤の土地に吹き荒れろ『ギャスト・ウィンド』」
(風?)
イーラは、思い出したかのように魔法の詠唱を口にする。
その瞬間、バーグの体勢が崩れ、木剣の軌道が逸れる。
強い風が吹き、イーラは目を閉じてしまう。試合中に視界を断つなど、自殺行為だと分かってはいるが、この時は無我夢中だった。イーラ自身でも、自分が何をしているのか知らないのだ。
「え?」
そして、一瞬の浮遊感の後、身体が軽くなった事に違和感を覚え、目を開けると、目の前には巨大な白、雲が迫っていたのだ。
「これはっ……!!」
これには、会場の中と外にいた全員が驚いた。
「──ん…あれ?」
自分の目とこの景色を疑い、瞼を擦り、再び開けると今度は目の前の景色がまるっきり変わっていた。青かったのだ。
「これは……?──え?俺、飛んでるの?」
信じられなかった。自分が空を飛んでいる。いや、これは浮いていると言う方が正しいだろう。
鳥が自分を避け、大空へと飛び立っていく姿を見て、これが夢でも幻でもない事を確認する。
「なんだかよく分からないが、これなら負ける気がしない!!」
イーラは妙な自信を付け、地上で自分を待っているバーグに向かって急降下する。
「は、速い!!」
「さっきまでのお返しだ!くらえ!!」
速度を落とす事なく、空から地上へと滑空する。その姿はまるで、獲物を見つけた鷹の様に見えた。
イーラの拳がバーグの贅肉にめり込み、バーグの身体を一撃で場外に持っていく。そして、その勢いのまま壁に衝突する。イーラは試合場の淵ギリギリで踏み留まり、相打ちは避けられた。
「あれ?勝っちゃった?」
呆気ない幕引きに観客達は唖然とするしかない。アスタもこの決着の仕方には予想外すぎて、自分の目を疑った。
「し、勝者イーラ・アーガマ……」
審判も驚きながら言葉をどうにか出し、勝敗のジャッジをした。
「き、救護班急げ!重体だ!」
我に返ったように、エグゼがスタッフに向かって、直ぐにバーグの元まで救護班を行かせるよう命じた。
待機していた救護班がバーグの元まで駆け寄り、即座に簡単な治癒魔法を施した後、担架でバーグの身体を医療室まで運んでいった。
「いや〜。予想外だったね。まさか風魔法を応用して飛んじゃうなんてね」
「ああ……俺も驚いた」
「およ?アセルスさんが喋るなんて珍しいね。いつぶりかな?」
「……喋るのは……二ヶ月と一日振りだ……」
特別席にいるタウルスが試合の感想を言っていると、それに相槌を打つように第四師団隊長のアセルスがボソッと兜の奥から小さな声を発した。
アセルスは、常に全身を鎧で纏わせており、その素顔を見た者は僅かしかいないという異例な経歴の持ち主だ。そして、無口であり、独り言すら滅多にしないらしい。
「それにしてもあの少年も相当凄いね〜。エマ、彼は今何点かな?」
タウルスが思い出したかのようにエマに点数の確認をする。
エマは、「はいはい」と仕方なくイーラを見る。
「あ〜。点数変わっていますね。八点から二十点まで上がっています」
「お、それはいいね。スカウトしちゃおうかな〜」
「彼は貴族学校に通っているのでそれは無理ですよ」
タウルスがイーラに目を光らせていると、隣にいるイオが直ぐに静止に入る。イオは、タウルスが暴走しないためのブレーキのようなものだとこの場にいた全員が再認識した。
「貴族学校に通っているのに、何で彼はこの大会に出場しているんですか?」
疑問を持ち、イオに質問をする麦藁色の髪の若い女性。彼女は、王国騎士第十二師団副隊長のリア・マーネンである。
「そうだね。彼は現役の学生らしいね。わざわざこの大会に参加した理由は、パンフレットには書いてないけど……」
イオは参加者の載っているパンフレットを眺めながらリアと同じように疑問を持った。
「……身体を宙に浮かす魔法」
「アリエス隊長?」
風属性の魔法の応用で身体を浮かすのをアリエスは見た事がある気がした。
「いえ、なんでもありません。きっと私の勘違いでしょう」
「そうですか」
(……おかしい。私が知る限りでは風属性の魔法の応用で身体を浮かすのは大風の寵愛がなければ出来ない筈なのに)
これに疑問を感じることはあったが、今はコルバルトの監視もしなくてはいけないので、アリエスは一旦この事について考えるのをやめた。
* * * * *
「イーラさんも隠していたんですね」
「……はは、これで人の事言えなくなったな」
試合後、控え室でアスタはイーラを呼び止める。イーラは苦笑いで応じ、自分で自分の頬を叩いた。
「……だけど、この力については俺も知らなかった。ついさっき目覚めたと言ったら正しいんだと思う」
「……寵愛ですか」
アスタは確信めいたように『寵愛』という単語をイーラに投げつける。
「いや…、寵愛ではないと思う。一応学校で検査は受けたが、特に寵愛が俺の中に眠っているとは言われなかったんだ」
「……もしも、それが寵愛ではなければイーラさんは僕以上に天才ですね。先程、僕も同じように風属性の魔法を使ったんですが、一瞬身体を浮かすことは出来ても、長時間の飛行は不可能でした」
控え室で待機している選手達の視線が2人に刺さる。
(外に出とくか)
アスタは、一早く選手達からの視線を感じ取り、次の試合の準備をしに外の待機席へと向かう。
△▼△▼
その後、アスタは二回戦、三回戦と勝ち進み、遂に決勝まで勝ち上がった。
「さぁ、予選Aブロックも遂に決勝!対戦カードはこちら!ボルスピ出身、二百代目勇者のレイドを兄に持ち、父親はリール商会の会長!アスタ・ホーフノー!!」
アスタが試合場の階段を上がり、応援してくれる観客達を見渡す。
(やっぱり良い空気だ。決勝はこの空気を多く吸えるといいな)
アスタはこれまでの全試合を一分以内に片付けた為、試合の緊張感を一回戦以外感じることが出来なかった。そのため、この決勝戦では互角で楽しい勝負になる事に期待している。
「次にっ!!紹介するのはワーボン出身、アーガマ家の子息、イーラ・アーガマ!!父親はかつて、ワーボン最強の風属性の魔法の使い手とまで謳われたシュタイナー・アーガマです!これまでの試合で見せたイーラ選手の風魔法は、当時を思い出させるかのような試合でした!決勝にも期待が出てしまう!!」
イーラは、三回戦もどうにか勝てたが、風属性の魔法の応用で飛んでいる途中、魔力量に限界が来て、身体のバランスを崩し、そのまま自由落下しながら相手を押し出して勝利したのだ。これのおかげで、本人は連続で飛行出来る時間が三分もない事を知れた。この事は観客席で観戦していた者達からは分かりづらかった。
しかし、魔法をよく使う者達からすれば、いきなりの魔法の解除には違和感を感じられた。それは、アスタも例外ではない。
(俺の魔力量の無さは自分がよく知っている。相手に飛行時間には限界がある事を悟られる前に決着を付けないと)
(さっきの試合……いくら何でもあの場面での魔法解除は不自然すぎる。……あの飛行には何かデメリット…もしくは絡繰が存在するのか?)
アスタの予想は半分正しい。風属性の魔法を応用したあの飛行には、デメリットが存在する。それは、風属性の魔法を長時間使わなくてはいけない事だ。つまり、魔力量が多ければ多い程飛行出来る時間は増え、逆に魔力量が少なければ飛行時間は少なくなる。イーラの魔力量は、並よりもかなり少ないため、一日の間に飛行出来る時間は最大五分てある。それは本人が一番分かっており、自分の魔力量の無さに歯痒い思いをしたことは何度もあった。一応、休憩のおかげで少しは回復したとは言え、これまでの試合で魔力を殆ど使ってしまった。そのため、この決勝で飛行出来る時間は精々三十秒が限界なのだ。
(だが、仮にあの飛行にデメリットが無かったら、それこそ此方に勝ち目はない。大会ルールで、ただでさえ魔法が制限されているんだ。空に逃げられたら近接戦も出来ないし魔法も当たらない。詰む前に仕掛けるしかないか……)
イーラとは逆に、アスタは二回戦を相手の剣撃を逆手に取ったカウンターで一発KOさせ、三回戦の相手には試合開始の合図と共に土属性の魔法を高速で相手の顎に命中させ、脳震盪を起こさせて、僅か一秒以内で倒し切るという、魔力も体力も最大限温存させる長少エネの戦闘スタイルで勝ち抜いた。
尚、3回戦の第3試合と第4試合は両者共倒れとなり、引き分けという結果になったため、Aブロックの決勝戦が自動的にアスタとイーラで決定した。
「さあ!果たして勝つのはイーラ選手か、それともアスタ選手か、これは目が離せません!!」
エグゼが司会席から音響石を使い、観客達にも伝わるよう大きな声で試合の観戦を促そうとしている。
「なぁ、爺さん。あんたはどっちが勝つと思う?」
「う〜む……一見すると、あのイーラと言う名の少年が有利に見えるな」
「やっぱそうだよな。空を飛べるなんて反則にも程があるし」
一般観客席のとある一席、観客の1人とアスタとレイドの祖父であるフライデンが試合結果の予想をしていた。男の方は、イーラが勝つと予想している。フライデンも最初は、空を飛べるイーラが有利だと考えていたが、1回戦、2回戦でのギリギリの試合展開や、3回戦での急な滑空の事を考えると、飛行にも弱点が存在する事に勘づいていた。
(あの飛行には、おそらく何かしらの欠点がある。きっと、アスタもそれには気付いている筈じゃ。しかし、そうやって弱点があると思い込ませようとも見れる)
フライデンはイーラの飛行に違和感を感じながらも、それもイーラの作戦の一つではないかと考えた。
(もしも後者なら、あの小僧は策士じゃ。アスタに勝ち目は殆どない)
アスタとイーラがお互いに目を合わせる。観客は大いに盛り上がり、この試合を楽しみに待っている。そして、審判が試合開始の合図のために右手を上げる。
「Aブロック決勝戦────開始!!」
審判の腕が下がると共に試合の火蓋が切られ、イーラは魔法の詠唱を始める。アスタは木剣を両手持ちで突きの構えのまま体勢を低くし、一直線にイーラの胸元に木剣の先端を喰らわす勢いで両手の握力に最大限の力を込める。
「うおおおおお!!」
「風に仕えし我が心の臓よ──」
木剣がイーラの胸元に届く。魔法の詠唱が半分終わる。観客達の盛り上がりと澄んだ空気。
今この瞬間、王国を支える4大都市の一つ、ワームで怪しげな動きがあるとは誰も知る由がなかった。
「──警備も案外緩いわね。あの子が協力してくれたとは言え、こんなあっさり逃げ切れちゃうなんてね。ふふふ…」
女は不敵な笑みを浮かべていた。




