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勇者の弟  作者: ドル猫
第1章『〜幕開け〜王都からの手紙編』
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第1章 25『殴り殴られ』

「歯ぁ食いしばれよ」


「やってくれ」


 鈍い音が廊下に響く。アスタは渾身の右ストレートをイーラにお見舞いさせた。


「これでおあいこだな」


 思い切り殴られた所為だろう。イーラの鼻が赤く腫れ、鼻血が次から次へと溢れ出ている。その血をハンカチで優しく拭き取り、手の甲で強く拭った。それでも、鼻血の勢いは止まらない。それでも、アスタはそんなのお構いなしにイーラに近付き、ある事を聞く。


「さっきの話は本当なんですか?」


 アスタは舌打ちをした後、目上もしくは目上の人物と話す際の口調でイーラに上から目線を合わせる。


 ──事は数分前、イーラの誘導で練兵場の廊下の奥までついて行った。そこで、アスタはイーラに向かって、何故自分を殴って、膝蹴りを入れたのか質問した。

 すると、返って来たのは、「ごめん」と言う一言と下げられた頭だった。これに関してはイーラから敵意を感じなくなったから、なんとなく予想は付いていたが、腑に落ちない点は多々あった。だから、イーラに対し、もう一度同じ質問をした。すると、頭を上げたイーラから返された答えが、自分がさっきの試合で手を抜いて戦っていたと思われていたからだと言うのだ。どうして、手を抜いていたと思われていたのか、そこまではイーラも分からない様子だったが、それを不快に思った選手達からアスタへと敵意を向けていたのを感じ取っていたのだ。そのため、イーラはアスタがこの男達になぶり殺される。もしくは、アスタが反撃で魔法を使い、男達を殺めてしまう最悪の未来を想像したので、逸早くアスタを殴るという行動に移ったと言う。

 そのお陰で、アスタを不快に思っていた連中から狙われる事はなく、一方的だが平和的に解決出来たと言っても過言ではない。

 この説明でアスタが納得出来たのかと言えば、納得なんて出来ていない。アスタ自身、力をセーブしていた、いや、ルール上せざるを得なかったとは言え、先程の試合は全力で行っていた。勿論、今後の試合の事も考えて手の内を全て見せた訳ではない。それが一部の者達からは気に入られなかったようだ。

 イーラは全ての説明を終えた後、自分を殴ってほしいとアスタに頼んで来た。

 整合性がある行動とは言え、アスタ自身、いきなり殴られた事には多少の苛つきがあった。

 しかし、自分の目に映るこの少年はやり方こそ荒いが、身を挺して、赤の他人である筈のアスタを守ってくれたのだ。だから、アスタはイーラの頼みに応じ、力一杯殴った。


「全力で殴ったね」


「ええ、仕返しなので」


 イーラは殴られた箇所を触り、痛みの具合を確認する。


「……正直言ってしまえば、俺も彼奴らと同じようにお前が本気を出さない事を良くは思っていなかった」


「…そうですか」


「お前が本戦まで力を抑えて戦いたいのは分かる。だけど、俺らも本気でやっているんだ。相手に敬意を表すのであれば、手を抜かないでやるべきなのではないか?」


「……イーラさん、僕はルールに(のっと)って力をセーブさせて戦っていますが、手は一切抜いていません」


 二人の中で何かが行き違えた。アスタは自分が一切の手加減をしていないと言いつつも、無詠唱の魔法を見せてしまった事により、他の選手からは奥の手がまだ何かあるのではないかという疑いの目を向けられてしまう。それは、今会話しているイーラも例外ではない。


「Aブロック二回戦の準備を始めます。第一試合出場者の方は所定の位置で──」


 廊下の壁に簡易的に付けられている響音席がエグゼの声に反応し、アスタとイーラがいる場所まで出場者集合の号令が掛けられた。


「時間か……」


 イーラは次の試合の出場者であった為、アスタとの話を終わらせ、控え室へ向かうためにアスタの前を横切ろうとした。


「僕と貴方が当たるとしたら決勝ですからね。くれぐれも敗退しないように」


「言ってろ」


 すると、通り過ぎる際にアスタから宣戦布告を受けた。イーラは微笑した後、甘んじて宣戦布告を受け入れた。


△▼△▼


 木剣と木剣の打ち合い。二回戦第三試合、イーラの相手は現役冒険者のバーグ。既に三十路を超えている彼だが、自由と言う称号の為に家庭を作らず、しかも、冒険者の本領である冒険にすら行かず、毎日カツアゲで取った金で買う酒に溺れて、自分は冒険者だから自由なんだと言っている哀れ者である。


「おらっ!どうした?もっと打ち込んでみろ!そんなんじゃあ、優勝どころか俺にすら勝てんぞ!!」


(──っっ!うるさいなぁ)


 しかし、そんな者からの片手での剣捌きをイーラはどうにか防ぎ切るので精一杯だった。


「う〜ん……、あのおじさんそんなに強いとは思えないんだけど……。エマ、あのおじさんはどれくらいかな?」


 試合を観戦をしているタウルスが参加者の概要が載った紙を眺めながらエマに向かってバーグの点数を聞く。


「二点ですね」


 エマはバーグの顔を見て、一瞬引きつった表情をした後、最低点を叩き出した。


「おらぁ!どうした!?それでもアーガマ家の男かぁ!?」


「──っ!!」


 イーラは激しく、不恰好な剣撃に集中しすぎた。その結果、足元まで意識が回らず、バーグからの蹴りを避けられなかった。


(や、やられる)


 バーグが剣を振り上げる動作がゆっくりに見える。しかし、身体はそれ以上に動かない。言うことを聞いてはくれない。


 ──なんで?


 ──俺は負けるのか。こんな男に。


 そう思っている時、脳裏に浮かんだのが自分がワーボンの貴族学校に入学する前の思い出だった。


 剣がゆっくりと振り下ろされるような錯覚が見える。まるで、イーラ以外の時が遅くなったようだ。それでも、身体は動かない。それどころか握力も無くなり、木剣を離してしまった。

 その最中、脳裏に浮かぶのは何気ない日常。そして、調子に乗っている自分。


(なんで、こういう時に思い出すのが、特に意味の無かったあの時間なんだ?)

【豆知識】

 アスタは氷属性の魔法のことを氷結魔法と呼びます。

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