第1章 2『王都からの手紙』
東暦八十二年
此処は海流が渦巻き、竜が飛び、魔獣が蠢く『ブリーデン大陸』。この大陸の中央に位置する『シミウス王国』から南東に位置する小さな村『ボルスピ』。
この村は、お世辞にも観光客にはうってつけの観光地とは言えない。此処は、海や山の畜産物が有名であり、料理も絶品ではあるが、この村には地元民以外は殆ど住むどころか、立ち寄る所でもない。しかし、今、失われつつある自然が多く残り、此処でしか生きられない動植物も存在する。そのため、害獣である魔獣にも適しすぎた環境でもあり、王国騎士や傭兵が日夜、山に入っては魔獣を狩って、生態系を崩さないよう励んでいる。
そして、この辺境の地に住むニ人の少年がいた。木剣で的をずっと叩き続けているこの少年の名は『レイド』。昔から身体能力が高く、父親の木こりの仕事を手伝いながら、
「いつか俺は王国騎士になってみせる!!」
と日々弟に言い、毎日のように素振りや人体を模した的に目掛けて的確に人間の急所へと木剣の刃を当てる練習をしている十二歳の少年だ。
兄の傍ら、切り株に座りながら本を読む少年、彼の名は『アスタ』。兄とは違い、運動神経が決して悪くはないが、兄には劣る。そのため、この地を生きるには最低限の体力しか持っていない。しかし、彼には魔法の才能があった。昔、この村に駐在していた王国騎士、名前はーーーーに貰った魔導書を読み漁り、六歳にして、中級の魔法を完全にマスターするまでに至った。インドアな弟には母の家事の手伝い以外にこれくらいしかやることがないのだ。因みに十歳だ。
そんな二人は喧嘩をしつつ、時にお互いの才能を妬む事もあれど、将来の夢を話しながら、この楽しい時間を過ごしていた。
* * * * *
「爺ちゃん、釣れないね」
「まぁ、そう焦るな。こうやってゆっくりと波と風と過ぎていく時間を楽しむのも釣りの風情じゃ」
この二人は休日になると、雨の日以外はこのように祖父のフライデンと海で釣りをする。
我慢が嫌いなレイドは釣り竿の仕掛けを海に入れては出し、入れては出しを繰り返していた。
「こらこら、そんなことしていたら餌が弱ってしまうだろ。ほれ見てみろ」
フライデンがレイドの釣り竿の先を指摘したので、レイドとアスタの二人が海の中を覗き見ると、餌のフナムシが瀕死の状態で力なく浮いていた。
「…あ」
「ごめん、爺ちゃん」
レイドは肩を落とし、竿を引き上げた。
「そろそろ、雲行きが怪しくなってきたな」
フライデンが天気を指摘して、海鳥を見つめる。
「──?天気なんて悪くないよ」
「いいや、こういうのは長年の勘でわかるんじゃ」
祖父は長く伸びた髭を触りながら人差し指を天に向けて腕を上げ、風を感じていた。
「じゃあ、帰ろうか」
結局、一匹も釣れることなく、釣果はボウズで三人は帰路についた。
家の眼前の曲がり角に差し掛かった時、ポツリと一滴の大きな雫が地面に落ちた。
この後、大雨が降ったのは言うまでもない。二人はフライデンの言う事を信じなかったら波に攫われていたかもしれないと思い、より一層、フライデンを尊敬の眼差しで見るようになった。
雨足が強まり、外に出れなくなった為、二人は本を読んでいた。
フライデンも使用した釣り竿を拭いて雨が止むのを待つ。
「………」
「………」
「………」
音もなく過ぎ去る時間、ただ、雨音と静寂が過ぎ去る。
そんな中、レイドの我慢は限界を越えようとしていた。普段から本を読まず、身体を動かしている彼にとって、この時間は耐えがたいものであるのだ。
「飽きたあああああああああああ!!!」
遂に堪忍袋の緒が切れた。レイドは本を閉じた後、部屋の隅へと投げ捨てて雨の中であろうにも関わらず、外に出た。アスタは、レイドが投げ捨てた本を拾い、付着した埃を払う。
「兄さん、早く家に入りなよ。風邪ひくよ」
アスタは持っていたニ冊の本を机の上に置き、兄に呆れながらもタオルを用意しようと洗面所へ向かった。
「ほっほっほっ、レイドや、そんなとこにいないで家に入りなさい。どれ、わしの傭兵時代の話でも聞かせてやろうか?」
フライデンは小さく笑いながら、レイドに手招きして自分の武勇伝を聞かせてやると言った。
その一言にレイドは目を輝かせ、「聞く!聞く!」と好奇心旺盛な子犬のように近寄って来た。
「捕まえた」
「わっぷ」
背後から小さな声と共にレイドの視界が塞がった。
「な、なにが」
「はいはーい、そのままじっとしててね」
アスタは力づくでタオルを動かし、とりあえず髪の毛に付着した水滴を取ろうと行動した。家が水浸しになってしまったら元も子もない。
「アスタ、何をするんだ!?」
レイドはアスタ以上の馬鹿力で腕を振り回した。
アスタもあれに当たると流石に痛いと思い、咄嗟にタオルから手を離し、「『エレクシトリィ』」と一言、魔法の詠唱をした。
詠唱を口から発した途端、指先から微量の電流が発生する。
電流は矢の様に光速でアスタの指から放たれ、一直線でレイドに直撃した。
「アババババババ」
身体中に雨水が付着していたため、電流が流れたことで、身体が一瞬のうちに痙攣を起こす。
「着替え持ってくるからそこでおとなしくしてて」
アスタが着替えを取りに部屋まで行っている間に、仰向けに倒れたレイドを見ながら、フライデンはニコニコとした顔で、このいつもの光景を眺めていた。
「ま、魔法は反則だろ…」
「レイドや、魔法も一つの実力じゃ。レイドはレイドで、アスタには無い力を持っているじゃろう?」
「むうぅぅぅ」
二人がそんな会話をしていると、コンコンコンと三回、玄関の扉を叩く音がした。
「アスタ──!悪いが、俺は痺れて動けそうにない!お前が出てくれないか?」
レイドは声を張り上げ、ニ階にいるアスタに聞こえるよう叫んだ。
「はーい、今出まーす」
アスタは着替えをその場に置いて、急いで階段を駆け降りる。
階段を降りると、玄関の扉をもう一度叩く音と二人分の人影が見えた。
(父さんと母さんか?二人とも鍵を忘れたんだな)
アスタは、朝早くに仕事に出て行った父と隣町まで買い物に行った母が帰って来たんだと思い、靴を履かないまま、鍵を外し、急いで扉を開けた。
「おかえ……り?」
扉を開けると、そこにいたのは父と母ではなく腰に騎士剣を携帯し、純白のマントをはおい、ここでは見かけない服装をしている人物だった。
「……どちら様ですか?」
とりあえず、相手が誰か尋ねる。すると、二人はまいったような顔をしながら話しかけて来た。
「はじめまして、僕。私は王国騎士団団員の『エグゼ・リベーソ』。以後、お見知りおきを……」
「────」
王国騎士団の一員と名乗るこの白髪の男は、背筋を伸ばし、表情を引き締めながら左足を半歩後ろに下げ、胸に手を当て、一礼した。
「同じく、王国騎士団団員『ブリシュ・アーカイラム』。よろしくな坊主」
「は、はあ」
もう一人の紅葉色の髪をした男の方も王国騎士団の一人と名乗り、先程のエグゼという人物とは違い、おおらかな雰囲気で、一目見た限りでは身体付きが隣のエグゼとは対照的に鍛え上げられている男らしい身体付きと言える。
エグゼの騎士流と思われる作法とは違い、左手を腰に当て、軽く笑顔で自己紹介をするだけだった。なので、先程の礼儀が良すぎる自己紹介には反応の仕方が分からず言葉が出なかったが、この男の自己紹介には言葉を吐露した。
「おいブリシュ!君はいつもそうだが、礼儀というものを知らないのか?」
「はっ!うるせえやい!これが俺流だ!」
どうやら二人は仲が悪そうだ。エグゼが目を細め、ブリシュが鋭い目つきを更に凶悪にし、お互いに睨み合っていた。
「あ、あの…水を差すようで悪いんですが…家に何か用ですが?」
アスタがそう言うと、エグゼが何か思い出したかのように懐から一枚の手紙を取り出した。
「そうだ、忘れるところだった。これをホーフノー家に届けろと団長に指令を出されたんだった」
エグゼは後ろを見て、更に強まる雨に溜息を吐いた。
「僕、私たちは貴家にこれを渡すよう言われて、渡したら直ぐに帰ろうと思ったんだが、この雨だ。止むまで、雨宿りをさせてくれないか?」
「別にいいんですけど……。僕の名前は僕ではなくアスタです。以後、お見知りおきを」
「あっ、ああごめんごめん」
アスタは二人に「どうぞ」と玄関に招き入れた。
二人は「お邪魔しまーす」と声を出して靴を脱ぎ、床に足をつけた瞬間、轟音、風と共にエグゼの首筋に一閃が入──らない。
フライデンが木剣を逆手に構え、エグゼの首筋にその刃を当てていた。しかし、完全に入る前にアスタが細長い氷柱を作り出し、フライデンとブリシュの前に出して、動きを強制的に静止させていた。
「──ブリシュ?」
「爺ちゃん、ブリシュさん二人ともやめてください。家が壊れる」
「穏やかじゃないな…」
「主ら、誰じゃ?」
アスタが二人の仲介に入る中、フライデンとブリシュの二人は氷柱越しに敵意を向けていた。エグゼはこの展開についていけなかった。
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。我々は手紙を届けに来ただけです」
「そうだよ爺ちゃん。それに、家に入れたのも僕だ。この雨じゃ外にはいられないよ」
エグゼは状況を理解すると、とりあえずフライデンを宥めようと必死になった。フライデンもそれを理解したのか、木剣を下げ、「すまなかった」と一言謝り、居間に戻った。
「………」
「ごめんなさい。僕の祖父、いつもの癖で知らない人が家に入ると、あのように戦闘態勢に入るんです」
「戦闘態勢……」
内心ビビっているエグゼと抜剣をしようとしたブリシュは顔を見合わせて、とんでもないところに来てしまったと思っていた。
「さっ、どうぞ」
アスタが客室に案内した。客室には六人くらいで食事ができそうなテーブルと四人分の椅子が置いてあった。
「あ、最近使ってなかったから埃溜まってる」
アスタは机の上を指でなぞって、こびり付いた埃を見ながら呟いた。
「すいません、すぐに拭きますので、適当に寛いでてください」
そう言うと、洗面所まで雑巾とバケツを取りに行った。客室にはエグゼとブリシュの二人だけになった。
「………」
「………」
(お、落ち着かない)
二人は、先程の年寄り──フライデンに警戒の気持ちを持ちつつ、あの少年にも神経を割かなくてはいけない。新米である二人にとって、このようなことは初めてだった。
「ん?」
突如、ブリシュが何かの気配を感じ、客室にある襖を見る。
「どうした?」
「いや、なんでもない。ただ、あの襖の向こうに人がいる気配があるんだ」
ブリシュは、襖に書かれた絵を指差し、その奥にいるかもしれない人物に興味を示していた。
「お、おいやめろ!」
「大丈夫だ。一瞬覗くだけだ」
ブリシュはその場から立ち上がり襖へと向かった。エグゼは先程の爺さんがいるかもしれないと思い、やめるよう呼びかけるが、ブリシュはそれを聞かず、襖をゆっくりと開けて左目で中を覗き見た。
「は?」
中には仰向けになって動けなくなっている少年がいた。
その光景をみた途端、ブリシュは力強く襖を開ける。襖を開けた際のピシャッと言う音が響き、エグゼが内心慌てる。
「おい!大丈夫か!?」
「ふぇ?」
少年は目を覚ますと、寝ぼけた声と目で「誰?」と言った。
(くそっ!おそらくはあの手紙は人攫いがあったから行ってこいという指令だったのか!だから団長、俺達がそれを知らずに家の中に潜入して、あの爺さんに勘づかれないよう、絶対に手紙の中を見るなと言ったのか!)
「エグゼ、逃げるぞ!!」
「お前、その少年は!?」
ブリシュは少年を肩に担ぎ、一目散に逃げようと客室の出口へ行こうとすると、雑巾とバケツを持ったアスタが戻ってきた。
「あの〜、何かありましたか?」
アスタが扉の前にいる。出口はそこしかない。
「一点突破だ」
エグゼは剣を抜き、そこをどくようにと叫ぶ。
「あの、何か勘違いしてません?」
アスタはエグゼが動く前に足元から高速で氷結魔法を使う。
「なっ!?」
エグゼは無詠唱の魔法に反応ができず、下半身が凍りついた。
(氷属性の魔法だと!?しかも、動かずに無詠唱で!?)
「エグゼ!!」
「ちょっとおっさん、うるっさい!!!」
眠い目を擦り、叫ぶブリシュにイラつきが生じ、右手の甲を思い切りブリシュの頭にぶつけた。
その瞬間、鈍い音と同時に脳が揺れた。視界が傾く、空間の歪みを感じ、ブリシュはその場で気絶してしまった。
△▼△▼
「──ん?」
どれくらい経っただろうか。目を覚ますとそこには見知らぬ天井があった。
「布団?」
頭痛がまだ取れない。自分にいったい何が起こったのか分からなかった。
「──はっ!そうだ…、あの時、俺……、確か、頭に何か殴られたような……?」
記憶を鮮明に思い出してみる。エグゼが凍らされたところまでは覚えている。しかし、その後、自分が何故倒れたのかよく思い出せなかった。
「──ん?」
隣の部屋からは何か雑談をするような声が聞こえる。
不思議と笑い声と友人の声が聞こえたため、身体を起こし、襖のとってに手をかけ、ゆっくりと開けた。
「あ!ブリシュ、起きたんだね」
「あ、おはようございます」
「それで、続きは?続きは?」
「zzz」
友人は得意げな口調で先程まで何か喋っていたらしい。さっき、肩に担いだ少年は、その話に食ってかかっていた。アスタは此方を向いて挨拶をし、最初に襲った爺さんはいびきをかいて寝ていた。
「悪いがレイドくん、ブリシュが起きたから話は後だ」
「え──」
「おい、これは一体どういう状況だ?」
ブリシュは、この訳の分からない状況を耳打ちでエグゼに聞いた。
「ブリシュ、私達は勘違いしていたんだ」
「勘違い?」
エグゼは事の顛末を事細かにブリシュに教え始めた。レイドが二人の家族ということ、さっきの騒ぎはブリシュの早とちりの所為だということ、そして、フライデンにこっぴどく叱られたこと。
「ほら、謝って」
エグゼに促され、頭を下げる。
「すいませんでした」
「別に俺はいいぞ。元はと言えば、痺れて寝てた俺が悪いし」
(痺れて……?)
「僕も…あれはやりすぎた。こちらこそすみません」
ブリシュが頭を下げると、座布団に胡座をかいている二人も謝った。
「よし、万事解決したし、本題に入ろうか」
エグゼは手紙を取り出し、机の上に置いた。
「爺ちゃん、起きて」
「む……」
アスタがフライデンの肩を叩き、浅い眠りから目を覚まさせる。
「我々も、団長から手紙の中を見るなと念を押されているので、中を検めるのは初めてです」
エグゼはそう言うと、手紙の中身を見るようレイドに目線を送る。
レイドが手紙を受け取った後、封を開け、手紙の内容を口に出して読む。
「『ホーフノー家へ この手紙はとある事態の時に、十数年に一度、ランダムで勇者候補の誰かの手に渡ることになっている。
率直に申し上げると、これは勧誘だ。ホーフノー家の長男、レイドくん。君には勇者になる資格がある。
今、世界を支配しようとする魔王を打ち倒すために第二百代目の勇者になってはくれないかね?勿論、タダでとは言わない。魔王を倒した暁には、この国の次期国王の座を君に譲ろう。物資などのバックアップは、できるだけこちらでやろう。
しかし、君には勇者の資格は有っても、まだ若い。今のままでは魔王軍の四天王にすら勝てないだろう。そこで提案だ。これから一年、王都にある『アインリッヒ大学』の勇者科に入学をし、魔王や四天王に勝つための勉強をしてみないか。勿論、入学金、授業料、その他諸々は国から支払おう。答えを今すぐにくれとは言わない。二週間待とう。その間に答えを決めてくれ。勿論、君に拒否権はある。強制はしない。しかし、我々は君を待っている。
第三十六代目シミウス王国国王ルゲ・シミウス』」
レイドが手紙の内容を読み終えると、辺りに静寂と沈黙が走る。
「ゆ、勇者だと……」
最初に口を開けたのは手紙を読んだレイドではなく、エグゼだった。
「これはまいったな。まさか…そういうことか」
続けてブリシュが右手に額を付き、出された紅茶を一口飲んだ後、レイドに手紙を貸すよう言った。
「こりゃマジだ。エグゼ、俺たちはとんでもない指令を受けていたようだ」
「ああ」
手紙の内容を改めて確認をし、自分たちが予想だにしなかったことをしてしまったと肌で感じた。
「ゆ、勇者?俺が…勇者?」
レイドは身体を震わせていた。そして、椅子に飛び乗り、
「いよっしゃあああああ!!俺が、俺が勇者だぜ!なぁ、見ろアスタ!!俺は勇者になれるんだ!!」
レイドは喜んで興奮と情熱が止まらない。しかし、その反面、四人は余りにも静かすぎた。
「どうしたんだよ、みんな」
「………」
レイドはふと、我に帰り、フライデンの方を向く。しかし、フライデンは黙っているだけでなんの反応もない。
「兄さん、勇者になる事の意味が分かっているの?」
喋らないフライデンに代わり、アスタが口を開いた。
「それはどういうことだ?」
アスタはレイドから目線を合わせず、その場で重い口を動かした。
「歴代の勇者で生きて帰ってきた者は、一人もいないんだぞ。……勇者になること、それ即ち、少し豪華な死刑宣告とほぼ同じだ」
再び沈黙が走る。今度は更に重い雰囲気だ。
「レイドくん、私は君の意見を尊重するが、これだけは言っておく。勇者だけはやめておくんだ。君は王国騎士になることが夢だろう?悪いことは言わない。この誘いは断るんだ」
「王様も何考えてんだ。こんな年端もいかない子供を魔王討伐に行かせるなんて。……魔獣の駆除は俺たちの仕事だろうが。その中に魔王も含まれている筈だ。々これは、俺達がやるべきことなのに」
エグゼとブリシュがそれぞれの意見を述べる。しかし、あくまでも決定権がレイドにあるのは同意見らしい。
「レイドよ…、わしは、お前がどんな選択をしようとも、それを責めたりはしない」
やっと重い口を開いたフライデンが話すのは、レイドの自由意志だった。
「みんなには悪いけど、やっぱり俺は勇者になりたい」
暫くの沈黙の後、レイドは昔からの夢を語り出した。
「エグゼさん、俺は王国騎士になるのが夢だって、最初に言ったけど、本当は勇者になりたかったんだ。昔から…。だから、必死で体を鍛えたし、貴族らしき人が村にやってきた時も必死にアピールした。勿論、これまでの勇者が死んでいったのは、俺も知っている。けど、ここで続く人がいなかったら世界は今度こそ、魔王に乗っ取られてしまうんじゃないかとも思うんだ。それに、今までの勇者の命が無駄になっちゃうし……。だから、ごめん。みんなのお願いも無視しちゃって」
レイドはゆっくりと、途中、泣きそうになりながらも自分の夢と意見を話し終えた。
レイド自身も今まで、何百人もの勇者が現れては死んで、現れては死んでいるという歴史を度々聞かされている。しかし、歴代の勇者もただでは死んでいない。魔王軍の進行を食い止めたり、魔王や四天王に再起不能になる程の重傷を与えたりと、どの勇者も人類の存続に貢献している『英雄』だ。レイドは英雄になりたいのだ。
「──そうか。…なら、私は止めはしない。ブリシュもそうだろう?」
エグゼの問いかけに、ブリシュは無言で頷く。
「……雨も上がったようなので、私達はそろそろお暇しますね」
二人は紅茶を飲み干し、席から立ち上がると、床に置いた剣を持ち、御馳走様と一言だけ告げ、玄関まで向かった。
「エグゼ、行くぞ。御者と馬に待たせちゃ悪いからよ」
靴を履き、二人が外に出ると、まるで新しい勇者を祝うかのように陽光が差し込む。アスタにとってそれは憎たらしい程に暖かかった。
二人を見送ろうとレイドとアスタが玄関まで見送りをしていると、エグゼがアスタを呼び、少し君と話しがしたいと言ってきた。
「何ですか?」
「──私は、正直レイドくんではなく、君が勇者になると思っていた」
「え?」
エグゼが唐突に突拍子のないことを話し始めた。
「私は、あの手紙が勇者の推薦の手紙だということは薄々気付いていた。最初に君に言わなかった理由は……話せない。悪いが察してくれ」
エグゼは何かを話したそうな雰囲気だったが、口を閉じる。
「だけど、……いや、なんでもない。それよりも、あの魔法、一体どうやったんだ?」
彼の一番の疑問だ。この年で魔法を使い、更には無詠唱でそれも高威力の魔法を放ったことだ。
「魔法…?ああ、エグゼさんを凍らせたやつですか?」
「それは問題じゃない。私が気になるのは『無詠唱』での魔法の発動だ。王都でも無詠唱で魔法を使えるのは極僅かだ」
「それが、何か問題でも?」
アスタは何も分かっていない。無詠唱で魔法を使うことがどういうことなのか。エグゼも今は教えるべきでないと感じていた。
「いや、優秀な魔法の師でもいるのかと思ってね」
(まあ、十中八九あの爺さんだろう)
庭で髭を触る祖父を見ながら、一つ咳払いをし、整えられた制服の胸のポケットから八つ折りにされた一枚の紙を渡された。
「だから、君にもこれを渡しとく」
「これは…?」
アスタが、その紙を開くと、中には文字の羅列と共に赤いハンコが押されていた。『エグゼ・リベーソ』と。
「それは『アインリッヒ大学』の推薦状だ。私の名で記載されている。どう使うかは君次第だ」
エグゼはアスタの肩をポンと叩くと、頑張れよと言い残し、馬車に乗って去ってしまった。
「──ん?何かしらあの馬車?」
「ああ、ここじゃ珍しいな」
馬車とすれ違うように、二人の男女が路地の角を曲がり、玄関に立っているアスタとレイドを見て、ただいまと言う。
「おかえり!母さん、父さん」
レイドは帰って来た父と母を見て、喜びながら勇者の推薦状を見せる。
「──え?」
母が驚きの余り気を失い、ゆっくりと倒れる。父が頭をぶつけないようにと咄嗟に身体を支える。不可抗力だろう、ついでに尻も触っていた。
「……父さん」
アスタは大学の推薦状を八つ折りにして、ズボンの後ろのポケットに隠した。
「勇者だと…?」
父親は推薦状を見るや否や、先程までの緩やかな表情から一転、険しい表情になった。
「ランブルよ、今は家へ入ろう。話しはそれからだ」
父が何かを言う前にフライデンが咄嗟のところで止めに入った。もし、ここで大声を出してみろ。狭い田舎だ。明日には村中で勇者が家から選ばれたという噂が盛り上がる。
「分かりました。お義父さん」
父は下を向き、重そうな足取りで母を抱えて、家の中に入った。
「………雨か」
鼻にポツリと一つの雫が当たった。真上を見上げると、さっきまで晴れていた空に再び暗雲がたちこめる。今夜は大降りになりそうだ。
どうもドル猫です。最初に、最後まで読んでくれてありがとうございます。いや〜まだ残暑があり、とても暑いですね。この話を執筆しているのは8月の最終日で、この話を投稿するのは10月。とてもややこしくなりますが、ご自愛下さい。