第1章 18『開会式』
初代勇者が誕生して早五百年、原初の魔王を打ち倒した英雄として練兵場の中に飾られている魔人を槍で串刺しにする銅像。彼が見守る中、練兵場の中には多数の観客が押し寄せ、整理券を手に、我先にと眺めの良い席に座る。
「俺が先だ!」
「いいえ私よ!」
今日は数ヶ月に一度、不定期に行われる大会の当日だ。正午の鐘が鳴った瞬間、先頭に並んでいた者達から続々と中に入場する。その光景はまるで、長い期間、水辺から水辺へと移動する水牛のようなものだった。
まるで地響きのような足音が控え室で待機している選手達の耳にも入った。
初参加の者は、突如鳴り響いた轟音に驚き、天井を見上げる。よく見れば、パラパラと埃が落ちているのが分かる。
「これ全て足音ですか?」
「ああ、観衆が入場を始めたのだろう」
アスタもこの大会に初参加の為、この轟音と怒声、揺れる床に驚きを隠せない。
しかし、この音でも微動だに一部の者がいる。おそらく、大会の常連者だろう。アスタを含めた初参加の者達とは面構えが違う。
(既に戦いは始まっているということか)
アスタは緊張に身震いし、レイドを見返す気持ちを持った。
「皆さーん、そろそろご準備してくださーい」
控え室の扉を開けた大会運営のスタッフが参加者に道を譲る形で入場口の廊下の端に立つ。
──遂に戦いが始まる。
アスタも他の参加者に続き、一番後ろから廊下を歩き始める。一歩一歩、歩みを進める度に心臓の鼓動が脈打つのが分かる。そして、外からの光が差し込み、大歓声と共にアスタ達は入場する。
「凄い…こんな大観衆の中やるのか…」
入場と共に四方八方から浴びせられる声援、練兵場の空気、全てが心地良かった。
「遂に入場したね」
「はい、弟もあそこに」
観客席から離れた場所にある特別席でレイドとヘルドが入場して来る者達を見ていた。
特別席は、他の一般の客が座る席とは違って、上流階級の者達がより大会を楽しめるようにと作られた席だ。レイドやヘルドの他にも腹を太らせた貴族や髭を生やした王族の関係者、更には大陸に名を連ねるギルド長などの姿もあった。そして──
「どうやら、彼らも来たようだね」
ヘルドが特別席の入り口の方を振り向くと、そこには騎士服を羽織った二十四人の人影が姿を現していた。
「噂には聴いていたが、これ程とは……」
この大会にはミッシェルも初参加だ。周りを取り囲む観客と特別席にいる位の高い者達からの視線で両肩に鉛のように重い重圧がのしかかる。
(兄さんもいる筈だ。きっと、どこからか見ている)
アスタは、何千人もいる観客の中からレイドを探していた。しかし、レイドは一般客の席とは真逆に位置する特別席に座っている為、どれだけ目を凝らしても見つかりはしない。
そんな中、練兵場の奥の方からスタッフ達が巨大な簡易型の階段を用意している。参加者や観客達はいつもとは違う会場の空気に疑問を持ち、着々と進められていく準備を見守っていた時だった。
「みなさ──ん!!こんにちは───!!」
観客達の歓声を掻き消す大声か会場中に響き渡った。
司会席と書かれた立て札の横に長机に置いた雷の魔石に口を近付けて声を出す青年がいた。
「──あ」
アスタはこの青年を見たことがある。少しだけ髪が伸び、騎士服を着ていなくても分かる目立つ白髪、そして、祭り事の際には人が変わったかのように豹変するこの男──
「さぁ、遂に始まりました王国で最強の男を決める大会、『武闘大会』!!今大会の司会進行は、王国騎士団所属の『エグゼ・リベーソ』がお送りします!!」
司会者の登場に練兵場は盛り上がる。
「エグゼさん!」
「知り合いなのか?」
「はい、兄に勇者の推薦状を届けてくれた人です」
アスタは顔見知りの登場に心中を撫で下ろした。エグゼが出てきたおかげで、少しだけ良い意味で緊張感が薄れたのだ。
「ここでルールを説明します!使っていい物は、この後支給される木剣と己の身体のみ!魔法は中級までなら使用を可とします!今大会も、一般参加者の中から三ブロックに分けられ、予選を勝ち抜いた者のみが本戦へ出場する権利を得られます!そして!予選の組み合わせはこれだぁ!!」
地面が揺れる。次の瞬間、空へと何かが打ち上げられた。打ち上げられた何かは空中で分解し、ゆったりとした速度で観客や選手達の手に届いた。
「さぁ!そろそろ皆んなの手に渡った頃かな?それが今回のトーナメント表だあああぁぁぁ!!」
アスタは地面に落ちたトーナメント表を拾い、自分がどのブロックで誰と対戦するのかをここで初めて知る。
「初戦の相手は、『トン・ズーラ』っていう人か」
「僕とアスタくんはブロックが違うみたいだね」
「そうですね。当たるとすれば、本戦でしょうか」
とりあえず、予選でミッシェルと当たらないで済むのはありがたかった。もし、知り合いと本気の勝負になってしまったら、手を抜いてしまうかもしれない。
「それではここで、優勝者への──ん?」
エグゼがプログラム表を見ながら次のプログラムである優勝商品の発表をしようとした時、エグゼの下に一人の大会運営スタッフが慌てながら駆けつけ、耳打ちで何か囁いた。
「え──、どうやら優勝商品の搬入が遅れているそうなので、次のプログラムと入れ替えで優勝商品は発表します」
練兵場の奥で十数人の大会運営スタッフが大慌てで準備をしている物、それは優勝商品に関わる物らしい。しかし、その準備が予定よりも遅れている為、エグゼは起点を利かせ、次のプログラムを発表した。
「皆様!!彼方をご覧ください!!」
エグゼが右手を向けた先、それは、練兵場の一般客の席とは真逆の特別席だった。
「今大会の特別ゲストとして、様々な大物に来てくださいました!!」
特別席に座っている者を強調するように特別席の周りが青白く光る。
「まず最初に紹介するのは、この方、今代の勇者、レイド・ホーフノー!!」
「──え?俺?」
突如名前を呼ばれたレイドは困惑し、ヘルドに助けを求めるように目で訴える。
「頑張りな」
「そ、そんな〜」
しかし、返ってきたのは軽い応援だった。
勇者の登場に会場は盛り上がる。みんな、他力本願で期待しているのだ。勇者が魔王軍を倒してくれると。
「……兄さん」
アスタは知っている。兄が重度の人見知りで、あがり症だということを。だから心配だった。たとえ、拒絶されてもアスタの兄は一人しかいない。
「兄さんと僕が兄弟じゃないなんて……、信じないからな」
アスタはレイドをじっと見つめる。声を掛ける訳でもなく、ただ見守る。もしも、人見知りが克服出来てなかったら、殴られたお返しとして笑ってやるつもりだった。
「──自分の名前は、レイド・ホーフノーと申します。皆様のご期待に添えられるよう、仲間達と協力し、魔人との争いが絶えないこの時代に終止符を打ちます。ご清聴ありがとうございました」
練兵場に仕掛けられた反響石がレイドの声を拾い、此処にいる全ての者達にレイドの決意と覚悟が伝わる。アスタも、一年前とは全く違う兄の姿を見て覚悟を決める。
(負けていられない。僕だって、強くなっているんだ)
「ア、アスタくん?顔、怖いよ」
空気が静かに震えると、喝采が会場を包む。一瞬、次の言葉か出ず、口を紡ぐが、エグゼは大きく鼻から息を吸い、己を鼓舞する。
「次に紹介するのはこの方、最強の騎士、ヘルド・K・メイヴィウス!!」
名前を呼ばれたヘルドは、席から立ち上がり、観客達に向けて手を振った。その瞬間、観客達、特に女性陣は大盛り上がりを見せる。この為に練兵場に入場した者も少なくないのだろう。
「──ん?」
また、エグゼの下に大会運営スタッフが駆けつけて、耳打ちで囁く。
「どうやら、優勝商品の搬入が済み、時間も押しているそうなので、ここからは一気に紹介していきます!」
エグゼは息を大きく吸い、これまでで一番大きな発声で特別席にいる者達を紹介し始めた。
「魔法使い・魔導士ギルド『ウィザード』のギルド長『マジカレット・F・ミラクル』、冒険者ギルド『ソードマスター』のギルド長『アーサー』、衛兵と東側領土を纏める最高責任者『シブ・アイビス』────」
僅か五分、たったの五分でエグゼは特別席にいる大半を紹介してしまった。それでも尚、エグゼの声量は落ちない。寧ろ、上がるばかりだ。
「次に紹介するのは、王国を守る十二人の矛と盾!王国騎士団の隊長達です!!」
エグゼがそう言うと、会場は今日一番の盛り上がりを見せる。なぜなら、理由は単純。王国騎士団の隊長達は普段から多忙すぎて、国民の前に姿を表すのは少ないのだ。それも、こうやって一同に集まる事は年に二回あるかないかだ。それ故に、隊長達は国民からの信頼が厚く、自分達を魔王軍から守ってくれる最後の砦と考えているからだ。
「では、順番に紹介していきます!第一師団隊長『ハーマル・メサルティム』、第二師団隊長『タウルス・プレイアデス』、第三師団隊長『ゲミニー・A・カストル』、第四師団隊長『アセルス・ボレアリス』、第五師団隊長『レオ・アルテルフ』、第六師団隊長『ヴァルゴ・ヴィンデミアトリックス』、第七師団隊長『グリーゼ・ブラキウム』、第八師団隊長『スコルプ・アンタレス』、第九師団隊長『サテラ・アウストラリス』、第十師団隊長『デネブ・アルシヤト』、第十一師団隊長『アリエス・サタクビア』、第十二師団隊長『アル・レーヴァ』」
特別席の一番後ろに座る十二人の王国騎士団隊長、その傍らに副隊長達の姿も見える。この、総勢二十四名の隊長、副隊長である彼らから放たれるのは強者のオーラ。練兵場にいた誰もが、彼らがこの王国を守護し、時に全員で一本の王国の剣ともなる事を再認識した。
「副隊長方には申し訳ないのですが、時間が押している為、今回はご紹介を預からせてもらいます。大変申し訳ございませんでした」
エグゼは特別席にいる副隊長に向けて、頭を下げた。自分の実力がないばかり副隊長達を紹介しきれなかった事を悔やみ、必死に懇願した。
「そう頭を下げなくとも分かってるよ。我々の事は気にせず、大会の進行を進めたまえ」
左端にいる人物、第一師団隊長であるハーマルは爽やかな笑顔でエグゼを許した。副隊長達がどんなことを思っているかは分からないが、代弁のつもりなのだろう。
「は、はい。次に、優勝商品の発表です!」
両手で頬を叩き、エグゼは気持ちを切り替えて階段を登る衛兵二人と、縦三メートル、横二メートル、奥行き二メートル程の箱を四人がかりで運ぶ大会運営スタッフの方へ右手を向けた。
「なんだあの箱?」
「前回大会の優勝商品は王銀貨だったよな?今回はそれ以上の物が入っているとは思えないが…」
観客や選手達が不思議そうに箱の中身に疑問を持つ。箱を運ぶ大会運営スタッフ達からは、何故か汗が制服にグッショリと染み込んでいた。
「さぁ、皆様お待ちかね、優勝商品の発表です!!」
エグゼの合図と共に衛兵が箱を開ける。
「おいおい」
「あれって…」
「嘘だろ?」
箱の中から出てきたのは人間、いや、人間と同じ姿をしていてもその内に秘めたる魔力量、そして腹に浮かぶ三日月の紋様、その姿に練兵場にいた多くの者が畏怖した。
「魔人だ……」
かつて、王国騎士団が結成されるまで人間を殺戮し、今でも人間と決着の付かない争いを続けている種族、『魔人』。そんな、人類の敵と言うべき種族がこの場にいる。
魔人は、身体に傷一つ無く綺麗な状態で拘束されている。しかし、その割には魔人からは殺気を感じない。寧ろ、疲れているようにも見え、何もかもを諦めている表情が伺える。
「もう、殺してくれ……」
エグゼは普段敬語で話しますが、酔った時や気分が高揚した時は常語になります。