第1章 17『拒絶』
八つ当たりをするようにレイドは控え室の扉を力一杯閉め、アスタから遠ざかるように早歩きで練兵場の廊下を歩く。
「待ってよ兄さん!!」
追いかけて来たアスタに肩を掴まれ、動きを止められる。
薄暗い廊下の中、二人の少年が互いの信念をぶつけようとし、辺りに緊張が走る。
「なんだ?」
「ちょ、ちょっと待ってよ!折角一年ぶりに会えたんだから少しは話を……いや、さっきのはどういうこと!?」
アスタは慌てながら、レイドの目から視線を逸らす。急なレイドの豹変に脳が追いついていないのだ。
「──言った通りだ。お前は俺のパーティーに必要ない」
「なんでだよ!まだ決まった訳じゃないだろう!?」
「いいや、決まっている事だ」
レイドは胸ポケットから一枚の小さな紙を取り出す。
「これを見ろ」
「これは…」
アスタが紙の内容に目を通すと、そこには三人の人物の名前が載っていた。
「王国公認の白魔法使い『マシェリ・アラート』に魔法使い・魔導士ギルド『竜の爪』所属の『リリー・ブロッサム』、元冒険者の『フィネオス・クローズ』……これって……」
「俺のパーティーだ。既に俺のパーティーは人数が揃っている。残念ながらお前が入る枠は無い」
「じゃ、じゃあ、僕がこの大会で優勝してもパーティーに入れることないの?」
「そうだ」
アスタはその答えに歯を噛み締めながら胸に手を当てて叫び。
「僕は…兄さんの弟だ…。僕は、二百代目勇者レイド・ホーフノーの弟だ!!絶対にこの大会で優勝して、貴方より強い事を証明し、兄さんのパーティーに無理矢理でも入ってやるよ!!」
「はぁ、アスタ…お前は何か勘違いしてるな?」
「勘違い?」
レイドは大きく溜め息を吐くと、アスタと目を合わせ、そして殴った。
「な、何をするんだ!?兄さん!!」
「こんなのも避けられないとは、やはりお前は俺のパーティーには要らない。それに、そんな弱い弟を俺は知らないし、俺に弟はいない」
「え?」
「知らなかったのか?あの夜、俺が父さんと何を話したのか」
レイドはポケットに手を入れ、壁に寄りかかりながらアスタを見下すような口調で勇者の推薦状が届いた日の夜の事を話し始めた。
「あの日の夜、父さんに呼び出された俺は、本当は耳にしたくもないある真実を伝えられた」
「ある真実…?」
アスタは舌と喉に溜まった唾を飲み込む。無理矢理吐き気を抑えたのだ。
──何か聞いちゃいけない気がする。
「実はな、今から約三百年前に兄弟の勇者がいたんだ」
「…それが何?」
レイドはアスタの疑問を無視し、続ける。
「その勇者二人は、お互いに得意な事は違えど、コンビネーションで歴代の勇者に引けを取らない。言わば、二人で一人の勇者だったんだ」
レイドは、一旦口を閉じてから瞬きをする。アスタは、兄の話を聞いてはいるが、何故かずっと耳を塞ぎたかった。
──気持ち悪い。
「これがどういう事か分かるか?」
「さ、さぁ」
──分かりたくもない。
「つまりはな、俺が勇者に選ばれたということは、普通はお前も選ばれるんだよ」
──やめろ。
「アスタ、お前ならもう分かるだろ?」
──やめろ。
「俺も信じたくはなかった。あの日の夜、父さんから言われるまではな」
──やめてくれ!!
「兄さん!!」
「アスタ、お前は捨て子だったんだ。俺とお前は血も何も繋がっていない赤の他人だ」
この時、アスタの心の中に亀裂が入った。今までの思い出が全て水の泡となるように、記憶の中から共に過ごした日々が黒く塗り潰されていく。
アスタは膝を落とした。落胆し、涙を流し、床を殴る。別に真実を告げられたから泣くのではない、兄に、兄だと思っていた人に拒絶されたからだ。
「──っ!」
「おい、やめとけ。試合前に怪我するなんてダサいぞ」
アスタは赤くなった拳を床に付いたまま、涙を流す。
「僕を見限ったなら、赤の他人なら心配なんてするなよ…」
「それもそうだな」
アスタは込み上げてくる吐き気を我慢し、レイドの顔を見ないで震える声でアスタもレイドを拒絶した。
「……じゃあな、アスタ」
レイドはアスタに背を向け、入り口まで去っていった。
「──っ!兄さん、なんで……」
アスタは涙を流し、床を何度も殴る。床と拳が血によって赤に染まっていくが、瞼から溢れて止まらない大粒の涙によって、少しずつ血の色が落ちていく。
「これ、使うかい?」
涙の止まらないアスタに向けて、色白の肌の手から真っ白なハンカチを手渡される。
アスタは無言でそのハンカチを受け取り、渡した者の顔を見ないまま、ハンカチの中に顔を埋めた。
「気持ちはなんとなくだけど分かるよ。僕も兄上と昔大喧嘩して以降、疎遠になってるからね」
アスタはようやく泣き止み、隣に立つハンカチを手渡した人物の顔を見る。
「あなたは確か…」
「ミッシェル・ノース・リリオーナー。ミッシェルでいいよ。アスタ・ホーフノーくん」
ハンカチを手渡したのは金髪の目立つ男性、ミッシェルだった。
* * * * *
「なるほど、つまりはあの少年とアスタくんは血が繋がってなくて、しかもそれが原因で二人一緒に勇者になれない事で二人の間に亀裂が生まれたんだね」
ミッシェルは、アスタが全てを話し終えるまで無言で、時折り首を縦に振って頷きながら、アスタの話を聞いていた。
「でも、そんな事で兄が弟を泣かせるかな?」
「もう僕は、兄さんの弟じゃないから……」
「僕は、アスタくんとレイドくんは血の繋がった正真正銘の、兄弟だと思うけど」
「え?」
ミッシェルは、何か思いついたかのようにアスタの顔をじっと見つめる。
「うん…やっぱり似てるよ」
「な、何がですか?」
アスタはじっと見つめてくるミッシェルに少しだけ不可思議な感情を出しながらも似てると言う言葉に耳を傾ける。
「勘違いじゃなければいいんだけど、アスタくんとレイドくんはやっぱり兄弟だよ。顔似てるし、なんならさっきの喧嘩、僕には彼がわざとふっかけたようにも見えたからね」
「わざと?」
「そっ、わざと」
ミッシェルは続ける。アスタに張り付いた永久凍土の氷を溶かすよう温かな太陽の日差しのような優しい声で心を包むように語る。
「アスタくんは、レイドくんの顔を見てないのかい?」
「顔なら…、毎日見てましたよ」
「ああ、違う違う。語弊があったね、正しくはこう。さっき口論になった時の彼の表情や仕草を見てないかと言う意味だ」
「…表情?」
アスタが予想もしなかった事をミッシェルは言い始める。
「僕の時もそうだったんだけど、兄上と大喧嘩した時にはお互いに言いたくない事を言ってしまった時、自分の心に疾しい気持ちがあったり、後ろめたいことがあると、普段はしないような仕草を取ったりするんだ。僕の場合だと『親指の皮を剥がす』とかかな」
「──普段しない仕草と表情…」
よく考えてみれば、おかしいところはあった。アスタがポケットに手を突っ込んで、壁に寄りかかりながら話を始めたこと。普通に話すだけなら壁に寄りかかったり、ポケットに手を入れる必要はないし、アスタを殴る必要もない。
──アスタ、お前は捨て子だったんだ。俺とお前は血も何も繋がっていない赤の他人だ。
このアスタを拒絶する言葉を発している時のレイドの表情をアスタは確認していなかった。ショックによる心へのダメージのせいでレイドの表情を確認するまでには至らなかった。
「思い当たる節はないかい?」
「はい、あります」
ミッシェルはその答えを聞くと、「よし」と一言大きな声を発し、何かを思いついたようにアスタに提案をする。
「なら、君がやる事は一つだ。君は兄の真意を聞き出す為にもこの大会で優勝すればいいんだ」
突拍子もない発言。アスタの心を和ませようとした提案なのだろうが、アスタがこの提案を受け入れようとはしなかった。
「兄さんは、僕が優勝してもパーティーには入れる気がないみたいですよ。既にメンバーも集まっていたし…」
「でもさ、王国騎士も参加するこの大会で優勝が出来れば、話くらいは聞いてくれるんじゃないかな?」
「今の兄さんが聞いてくれるでしょうか?」
「きっと聞いてくれるさ。なんせ、弟を好きで殴る兄なんてこの世に存在しないし、きっと向こうも何か事情あるんだよ」
△▼△▼
「──はぁ」
練兵場を出てからというもの、レイドは溜め息が止まらなかった。右手を一目見ると、弟を殴った時の不快な感触が脳裏に浮かぶ。
「嫌われたかな……」
レイドは自分の胸を押し、心の痛みに震えながら練兵場を後にしようとする。
「お前、レイド…か?」
練兵場に背を向け、歩みを進めた時、後ろから聞き覚えのある渋い声色が自分に向かって声を掛けてきた。
「爺ちゃん」
「この馬鹿者が」
レイドは微かに息を呑み、「ははっ」と苦笑いでその場を切り抜けようとする。
悪態をついたレイドに、フライデンは太陽の日差しで反射した青竜寺の鞘を握る。
白く染まった髪が老人の長年の経験に物言わせるように逆立った。
「そこまでにしてもらおうか」
青竜刀を抜刀しようとしたフライデンの眼前に、突如として、梔子色の髪の長身の男が瞬間移動をしたかのように現れた。
「──ぬ!」
王国騎士団の制服を見事なまでに着飾っているその男の登場にフライデンは一度、距離を離す。
「ヘルドさん…」
「最強の騎士か…」
涼しい表情をしながら最強の騎士の肩書きを持つ男、ヘルド・K・メイヴィウスだ。
そのヘルドの涼しい表情とは対照的にフライデンの表情は強張っている。
「フライデンさん、一般市民が王都で剣を抜刀するのは禁止されていますよ」
ヘルドは、フライデンの目の前で強者の雰囲気を醸し出しながら、フライデンが反応出来ない速度距離を詰めると、剣の鞘を人差し指でそっと触れた。
(重い…剣が抜けない。たった指一本で…なんというプレシャーだ)
フライデンが剣の鞘から目を離し、首の角度を少し上げてしまい、ヘルドと目が合わさった。その瞬間、身体が身震いした。ヘルドの双眸が赤くなる。更に、凛々しい顔立ちから、赤くなった双眸の違和感と人間とは別の生き物だと感じざるを得ない恐怖感が、彼の力を傘増ししているようだ。
「──っ!!」
フライデンは唇を震わせ、剣の鞘から手を離した。
鞘が地面に落下し、カランカランと金属と鞘の素材に使われている魔石独特の音が辺りで静かに鳴り響く。
(まさか、お前も怖いのか!?この男が──)
フライデンは、最強の騎士の視線に気圧されるように三米程、距離を取った。
「フライデンさん、貴方が昔どれだけの活躍をし、多くの人々を救ったのかを僕は知っています」
ヘルドの発する言葉の一字一句が重みを増す。これには、レイドもフライデンもこの男から溢れ出る力を肌で感じざるを得なかった。
「しかし、その代償として貴方は何を失いましたか?」
「──!?」
一瞬、息が詰まる。口から言葉が出ず、フライデンの頭で情報の処理が行われようとしたが、この男があれを知っている道理がない。
「なっ!?まさか、いや…あり得ない…知っている筈が…」
フライデンは瞳を見開き、言葉を震わせながら汗にまみれた拳をグッと握る。
「この話はここまでにしましょう。僕も大会前の空気を悪くしたくはないので」
ヘルドは、青竜刀が収まった鞘をフライデンに手渡した。
「レイドくんも、試合観ていくだろ?いい席を取っておくよ」
最強の騎士が通り雨のように去って行くまでの十秒間、二人は生きた心地がしなかった。
「爺ちゃんが言いたかった事は分かるよ。でも、これ以外に方法が見つからないんだ」
ヘルドがやって来る前にアスタに言いたかった事は全て伝えたと言う風に聞こえる言い訳がましい言葉の後、レイドは暗い表情を浮かべて、練兵場の方へ去って行った。
そして、列が動き始めた。王都の中心に建てられた塔の最上階にある鐘が鳴り、正午になったことを国民に知らせていた。
【作品制作裏話】
実はこの小説の舞台であるブリーデン大陸の地図を描いている時が作者が一番楽しいと思っている時間である。