第1章 16『望まぬ再会』
混血種の馬であるジャレッドとドロシーが暴走して早一時間、氷漬けにした二匹の解凍も終わり、ようやくアスタと祖父はアンジェの補助を受けながらも、何とか乗馬が出来るようになった。
「練兵場の場所はその地図に載っております。大きな建造物ですので、見落とし様がありませんが、迷った際はそちらの地図でご確認になってください」
「お気をつけていってらっしゃいませ。ヤーフ様の怪我の具合は私が見ておきますので、ご安心を」
アンジェは最後にジャレッドとドロシーを静かに睨むと、乗馬するアスタとフライデンにお辞儀をして、ゆっくりと出発する二人を見送った。
「さっきとは違って随分とおとなしくなったな」
アスタは手綱を持ちながら、ドロシーの身体を摩り、馬の体毛の感触を楽しんでいた、
「きっと、あのメイドさんが前もって躾していたんじゃろうな」
「それにしたって、あんな素直に言うことを聞くもんかね?」
「それは分からんが、言うことを聞くのは、おそらく彼女が亜人だからじゃろうな」
「ふ〜ん」
アスタは昨晩、屋敷の大浴場でヤーフと一緒になった時に彼女、アンジェは王国内で確認されている唯一の純血の亜人の生き残りだと聞かされた。
今から百三年前、『ハーフ戦争』またの名を『亜人戦争』と呼ばれる人間と亜人との戦いがあった。この戦いで両種族共に多数の死者を出し、最終的にはメイヴィウス家の介入により人間側の勝利として戦争は治まったが、戦争の終結までには約二年の月日がかかった。その間に出た死者数は両種族合わせて三十万人を超えたらしい。
そして、人間がこの戦争に勝利してからというもの、何十年もの間、人間は亜人の領土を侵略し、金品を奪い、無理矢理亜人の女性を強姦したりと人間達は欲望の限りを尽くしていた。しかし、そんな状況を見て見ぬふりが出来なかった者が二人いた。それが、シミウス王国第三十四代目国王『ルー・シミウス』とアスタとレイドの祖父である若き日の『フライデン・ホーフノー』である。
ルーは、虐げられている亜人と人間の間に産まれたハーフの存在に心を痛めていた。しかし、まだ若かった王には勇気が無かったのだ。そんな優しい性格の王だから、決断が出来ない自分と虐げられているハーフを見て、心と身体を痛めつける毎日を送っていた。そんなある日、王城に一人の若者がルーの前に訪れた。そう、それがフライデン・ホーフノーである。彼は、傭兵団に所属していない個人の傭兵として各地を放浪しており、王国一自由な男として名を馳せていた。そんなある日、フライデンは北にある四大都市の一つであるゲミシトラから離れた小さな村に立ち寄った。そこでは少数ながらも穏やかに生活する亜人達の姿があった。フライデンは一晩だけ村に泊めてくれないかと頼むと、村人達は心良くフライデンをもてなした。一晩だけ泊まり、次の日の明朝に村を後にした次の日、忘れ物に気付き、もう一度村へ戻ると、なんと村は火の海に包まれていた。そして、遠目で人間達が亜人を捕らえては男は斬首し、女子供は檻の中に入れているのを瞼を何度も擦りながらその光景を目に焼き付けた。そして、泣き叫びながらフライデンはそこにいた人間達を皆殺しにした。フライデンの使っていた青竜刀は血で赤黒く染まり、刃の表面には返り血を浴びた自分の悍ましい顔が写っていたという。
その後、フライデンは王国騎士に捕まり、王城で裁判が始まる寸前にルーと偶然の出会いを果たした。そして、お互いの意見が合致し、ルーは権力を使い、フライデンは武力を使い、虐げられているハーフ、亜人を救い出した。そして、今までの詫びとして王国からハーフへゲミシトラを明け渡した歴史がある。それから四十年以上の月日が流れ、ルーは故人となり、フライデンも傭兵業を引退して暫く経った後に、ゲミシトラの路地で捨てられていた亜人の子供をローグが発見した。それが、アンジェである。
ハーフ戦争から九十一年が経ったある日、ローグは使用人見習いとして、先輩と共にゲミシトラまで薬草を買いに来ていた。先輩が薬草の他に役立ちそうな雑貨を見て回っている間、ローグは久しぶりの自由な時間を満喫する為にゲミシトラの街を散策していた。そんな時にふと、路地裏を通ると、薄汚れた布切れを羽織り、痩せ細った一人の幼い少女が無表情で道の端で座っていた。ゲミシトラは、ハーフに明け渡された為に残された純血の亜人達は魔王領へ行く者が殆どだった。それでも、中には魔王領には行かず、王国領土に残る者も少なからず存在した。しかし、王国領土にいた純血の亜人は少しずつ人攫いや亜人を好まないハーフによって数を減らしていった。そんな中で、ローグは偶然にもこの少女を見つけてしまった。ローグは初めて見る純血の亜人に驚いたが、彼女の冷え切った身体と身体のあちこちにある傷を見て只事じゃないと思ったらしい。おそらくは、人攫いに襲われている所を逃げて来たのだろう。その後、先輩と合流したローグはアンジェを連れ、船でゲミシトラを後にした。
王都に到着した後は、使用人見習いのローグとヤーフで幼い彼女の面倒を見た。彼女の持っていた肖像画から、彼女の名前がアンジェだという事もこの時に知った。三年後、六歳になったアンジェは、自分から使用人として働きたいと正規の使用人になったローグにお願いした。ローグは彼女のお願いを断れず、一から彼女に使用人として振る舞い方、家事全般のやり方を三年という時間を使って教え込んだ。その後、ローグがジャベリー・シミウス専属の執事になって以降は、今の屋敷で一人で仕事をしている。
(──アンジェさんにも色々とあったんだな…。だから爺ちゃんの名前を聞いた時、爺ちゃんのことを希望の光とか言っていたんだな)
アスタは、アンジェがなぜ屋敷で働いているのか、祖父が昔何をやっていたのかという謎が解け、少しだけ心が晴れていた。
「爺ちゃん、今日の大会が終わったら、昔の事を全て聞かせて。……ずっと家族にも隠していた事をそろそろ話してくれてもいいと思うんだ」
アスタは、隣で酒を飲みながら乗馬しているフライデンに向けて言葉を発した。アスタはヤーフの話や本で歴史の事を知るより、当の本人に聞く方が過去の出来事の真実を知る事が出来ると思い、フライデンに満を持してハーフ戦争のその後の真実や亜人達を助けた後の後日談も含めて全てを話す様に孫として祖父に正面から言葉を投げた。
「分かった。もうそろそろお前に隠すのにも限界を感じていたところじゃ。老人の昔話でいいなら好きに聞いていけ」
祖父は酒の入った瓢箪の栓を閉め、アスタの方を見ずに真っ直ぐ一点だけを見つめながら了承した。
それから二人は、気まずい空気のまま馬でゆっくりと王都の街を移動し、遂に目的の練兵場に到着した。
「でかい…。ここで試合をやるのか…」
アスタは巨大な建物を前にし、少し身震いした。
馬を停めてから、二人は練兵場を一周し、フライデンは観客席のチケットを購入するために人でできた長蛇の列に並ぶ。
アスタも騎士同士の模擬戦は見たかったが、今回は目的が違う為、練兵場の入り口の隣にある受付所まで参加を申し込みに行った。
「──はい。アスタ・ホーフノーさんですね。一般参加枠ですが、本当に出場するのですか?」
白い制服を着た受付嬢に参加の是非を問われる。それはそうだろう。アスタはまだ十一歳だ。
普通、ここに参加するのは一般参加枠と言えど、身体を鍛え抜いた大人達だ。身長差や歳の差等を考えれば参加の確認を取られるのは当然だろう。
「はい。出場します」
アスタは、迷うこと無く受付嬢に返答をして、参加申込書に自分の名前を書いた。
(ここで勝ち上がれば、騎士団や王族から目をつけられて勇者パーティーに入れる可能性があるんだ!このチャンス、逃す訳にはいかない)
今回行われる大会、王国中から腕っ節に自慢がある男達が集まって、木剣を使った模擬戦形式の試合が行われる。
そして、この大会はなんと言っても、一般市民でも参加でき、更に騎士と戦えるチャンスがあると言うのだから、力を試すにはうってつけなのだ。
まず、この大会は一般参加枠と騎士枠で分けられ、一般参加枠で勝ち抜いた上位三名のみが騎士と戦える権利を与えられるのだ。
「参加登録完了しました!優勝を目指して頑張ってください!」
受付嬢から番号の書かれた紙を渡され、控室の場所を説明される。
「控え室は突き当たりを右です」
「はい」
アスタは言われた通りに部屋の前まで歩き、参加者控え室という札の掛けられた扉を開けた。
「見ろ!この俺の筋肉を!!」
「優勝は俺が貰うぜ!」
中では二十人くらいの男達が筋肉の自慢をしあったり、大会への抱負を話し合ったりしていた。
「騎士なんて、僕の相手にならないのさ。勿論、君達もね」
その中でも注目を浴びていたのは、整えられた金髪を靡かせ、ドヤ顔で椅子に座っているナルシストだった。
「おう!?なんだテメェは!?」
そんな挑発をしているのだから、怒りの沸点が低い者には一秒も掛からず目をつけられる。
「お前…死にたいみたいだな」
「ふふん、今から負け惜しみでも言うのかい?」
堅いのいいスキンヘッドの男が挑発してきた金髪の男の胸ぐらを掴む。
「こんな行為をするのは、負け犬だけだよ」
「──テメェ!!」
遂に男の堪忍袋の緒が切れた。歯を食いしばり、金髪の男に拳が入る瞬間、
「やめないか!!」
大声が部屋中に響いた。この一声で盛り上がっていた控え室に沈黙が走る。
部屋の奥で椅子に腰を掛けていた人物が立ち上がり、鬩ぎ合っている二人の中間に入る。
「こんな所で喧嘩するんじゃない。君達は試合をしに来たんだろう?なら、決着はそこで付けろ」
「──ッッ!それもそうか……」
スキンヘッドの男は金髪の男の胸ぐらを離し、この場から離れた。
「ふ〜ん、中々やるね。まぁ、君も僕が倒すんだけど」
「生憎だがそれは叶わない。俺はこの大会に参加しないんでな」
喧嘩の仲裁をした男、いや少年はこの大会には参加しないらしい。そして、アスタはこの少年に見覚えがあった。
「へぇ、そうなんだ。じゃあ、名前だけでも聞いておこうかな?」
「レイド・ホーフノーだ」
「僕はミッシェル・ノース・リリオーナ。じゃあね、腰抜け」
ミッシェルはレイドに向けて侮辱の言葉を吐いた後、床に転がった椅子に座り直した。
アスタは『レイド』という名前を聞いて驚愕した。身長が伸び、体格も大きくなっていた。それに、こんな所で再会出来るとは思ってもいなかったが、あれは兄だ。間違えようがないあれは兄、レイド・ホーフノーだ。
「──兄さん」
喜びの感情が前面に出て咄嗟に声を掛ける。しかし、レイドからの返事はない。
「──兄さん!!」
今度は、更にボリュームを上げた声量でレイドに声を掛ける。そんな声を発せば、流石のレイドも振り向く。控え室内にいた者達も皆、アスタとレイドに視線を移す。
「兄さん、僕、来たよ。兄さんのパーティーに入る為にこの大会で絶対に優勝するよ!」
アスタは大会への抱負とこの大会に参加した目的を話す。
「なんで来たんだ?」
「え?」
しかし、返ってきたのは冷たい返事だった。レイドの瞳は氷の様に冷たくなっていて、憤怒の感情を露わにしながらアスタを睨む。
「今すぐ帰れ。俺のパーティーにお前はいらない」
どうもドル猫です。急に気温が低くなり、防寒着を着込まなくてはいけない時期になりましたね。次話は今週中には投稿します。お楽しみに。