第1章 14『屋敷での一夜』
図書館を出発して二十分、人混みの避けながら夕日に照らされる王都を乗り心地の良い馬車でゆっくりと駆ける。
時折り、此方に向けてワンワンと犬が吠えた。アスタはそれを見ながら何かする訳でもなく、ただ夕日を眺めていた。相変わらず祖父は熟睡している。聞き出したかった事も聞き出せず、歯痒さに苛まれながらも、心を落ち着かせて馬車の揺れを感じながら、また、夕日を眺めた。
「おかえりなさいませ、ヤーフ様。そちらが例のお連れ様ですね」
馬車に揺られながら、夕日を眺めていたら、いつの間にやら王都の中心から少し離れた大きな屋敷に到着した。
「ああ、兄様のお客様だ。空き部屋があった筈だから、案内してくれ。私は馬を馬小屋に停めてくる」
「かしこまりました」
ヤーフが声を掛けていたのは、獣のような耳を生やし、メイド服を着こなしている中性的な声の小柄で桃色の髪の少女だった。この屋敷の使用人だろうか。
「お客様、此方へ」
「は、はい。ほら、爺ちゃん行くよ」
「──む?」
祖父は目を覚まし、ふらふらとした足どりで馬車を降りた。
アスタは、祖父に呆れながらメイドの後ろをついて行った。彼女を後ろから見ると、細くて長い尻尾が地面に付かないよう、先端だけ力を入れているのが見て分かった。そして、メイド服の背中の露出度、頸が丸見えだ。
(このメイド服をデザインした人は天才だろうな。よく分かってる)
アスタは生粋の頸フェチだ。特に、女性が着ている服からはみ出ているものには愛らしさを感じている。
「何見ているのですか?」
アスタの視線に気付いたのだろう。二階へ上がる階段の手前で彼女が声を掛ける。
「いえいえ、まだお名前を聞いていないな〜と思って」
アスタは満面の笑みでそう返した。久しぶりに極上の頸を見れて満足しているのだ。
「そうでしたか。私は『アンジェ』と申します。家名は特にございません」
メイドの女の子アンジェは表情を変えずに姿勢を正して、優雅にスカートの裾を摘んで、右足を引き、瞳を閉じて軽く頭を下げ、無表情で自己紹介をした。
「アンジェ…か、いい名前ですね」
アスタは完璧すぎるメイドの礼儀と名前に感激した。その作法は、一年前、エグゼと初めて会った際に見た挨拶の作法の比ではないくらいに完璧だった。
「僕の名前はアスタ・ホーフノー。よろしくアンジェさん」
「そちらの方は……?」
「そこの酔っぱらいはフライデン・ホーフノー。恥ずかしいのですが、僕の祖父です」
アンジェはその名を聞いた途端、顔に張り付いていた無表情が崩れた。
「フライデン・ホーフノー?フライデンって…あの…」
「はい、そうなんですよ。僕も今日初めて知ったんですが、昔、黒竜を倒したとかなんとか……」
アスタは右手で頭を掻きながら、苦笑いで祖父の事について話そうとしたが、アンジェに「違います」と止められた。
「その件ではありません」
「え?」
「黒竜を打ち倒した事は知っています。ですが、それ以上にこのお方は、我々亜人にとって、希望の光のようなお方です」
──何を言っているんだ?
アスタは困惑した。王国でも有名であろう黒竜の話しになるのかと思っていたが、彼女が口にしたのは、『希望』と言う、アスタにとっては良い意味には聞こえない言葉だった。
「まさか、こんな所でお会いできるなんて」
アンジェはなぜか目から数粒の涙を流していた。
(本当に爺ちゃんは何をやったんだ!?)
黒竜の件と言い、亜人の希望という発言の件と言い、アスタはこの一日で驚きすぎた。脳のキャパシティがそろそろ限界を迎えそうだった。
「今、お部屋にご案内します。段差にお気をつけてください」
アンジェに案内されて着いたのは、屋敷の片隅にあるかなり広い部屋だった。白の壁紙に机と椅子、それとベッドが二つある。
「ここがアスタ様のお部屋です」
「あれ?爺ちゃんとは同室じゃないの?」
「フライデン様はお隣のお部屋になります。この屋敷は私以外に住んでいる人はいませんので、部屋が大量に余っているのです」
確かに、アスタ達はこの屋敷に来てから、ヤーフとアンジェ以外の使用人やこの屋敷の持ち主らしき人物も見ていない。
「じゃあ、アンジェさんがこの屋敷を一人で管理しているんですか?」
「はい。この邸宅は王城で何かがあった時の為に用意されている屋敷です。管理を怠る訳にはいきません」
アスタは彼女がこの広い屋敷をたった一人で管理している事に驚き、その忠誠心に恐れすら覚えた。
「では、ゆっくりなさってください。本家はお客様を最大限もてなします」
アンジェはそう言い切ると、部屋の扉をゆっくりと閉めた。
部屋で一人になったアスタは荷物を部屋の片隅に置き、窓から広がる辺り一面の森を眺めた。
「埃一つない。本当に一人で管理しているんだな」
窓や床を触ってみたが、汚れ一つどころか、埃の一つもない。細心の注意を払って掃除をしているのだろう。
それから、アスタはベランダへのドアを開け、換気をする。
「自然の空気だ。ボルスピと似てるな」
アスタは外の空気を目一杯吸って、吐いて、ベットのシーツの触り心地を確認し、ダイブする。
「ふかふかだ……」
おそらく天日干しされたばっかだ。暖かい。
ベットを堪能してから、今度は屋敷の散策を始める。先程、ヤーフに許可は取った。
「こういうとこに来るのも珍しいし、貴重な体験が出来たことには兄さんには感謝だな」
一部屋、一部屋扉を開けては中に入り、壁や床等を触って退出して扉を閉める。二階の部屋は同じような部屋が多く、気が狂いそうにもなった。
「ここは…調理場か?」
次に一階の散策を始めた。最初に入室したのはキッチンだった。ボルスピにあるアスタ達が住んでいた家のキッチンの五倍は広い。
「食材も色々あるな。ん……?」
広いキッチンを歩き回っていると、鍋の隣に氷漬けになった『星兎』がいた。肉を腐らせない為の工夫だろう。それにしてもやり過ぎな気もするが。
「何だここは?」
次に入った部屋は、床、壁、天井は普通なのだが、そこに飾っている装飾品が以上な程に金と火の魔石ばかりなのである。
「ここは…宝物庫なのか?」
「いいえ、この部屋はジャベリー様の自室です」
背後からアンジェがアスタの疑問に答える。
「アンジェさん!って…ジャベリーって王家の?」
アンジェが不服そうな顔をしながら、壁に付いていた開光石に手を触れる。すると、天井にぶら下がっているシャンデリアが光だし、金や魔石が光を反射し、アスタの眼球を襲う。
「──ん?なんだ……っまぶし!!」
アンジェは光を点ける直前に瞳を閉じ、光の影響をもろに受けないようにしていた。
そして、段々と開光石の効果が薄まり、ようやく目が開けられる程度の光となった。
「ぐっ──、アンジェさん、この部屋本当に使われているんですか?下手をすれば失明しますよ。これ」
「ジャベリー様は、こんな光気にならないようですよ。もっとも、この部屋が使われたのは四ヶ月前が最後ですが」
「使ってたんだ」
アスタはもうこんな部屋にはいられないと思い、すぐさま部屋を出た。
ジャベリーの自室を出て右を向くと、廊下の奥にぽつんと一つ、他の部屋とは違う異彩な雰囲気を放つ扉が目に入った。
「中は普通だな」
扉を開けて、部屋の中を一通り見渡す。部屋にはベットと机と椅子、そして青い花が入った花瓶が置いてあるだけのアスタが今日泊まる部屋と殆ど変わらない部屋だった。
「──ん?」
ふと気になって机に目を移すと、そこには一枚の肖像画があった。
「誰の肖像画だ?」
肖像画に描かれていたのは、桃色の髪で獣耳を生やした少女とその隣にいるのは、その少女の母親っぽい女性が描かれていた。
「この髪色……、アンジェさんか?」
アスタは深く考えるのはよそうと思い、肖像画を元あった場所に戻した。
「もう出よう」
──もしもここがアンジェさんの自室であるのならば、長居はしたくない。なぜって?そりゃあ、女子の部屋だからだよ。
ここは何となく居心地が良かったが、早く出たかった。アンジェが来たら何を言われるか分からないものだからだ。
「ん?」
部屋から出ようとドアノブに手を掛けた時、ベッドの下に何か紙が落ちているのを見つけた。
「これは…日記帳か?」
一ページ目にアンジェと名前が書かれているので、持ち主はアンジェで間違いないだろう。
アスタは興味本位で日記帳の中を除いた。
「えーと、『トゥインクル、トゥインクル、今日も星が綺麗だ。嗚呼、何故星はこんなにも輝いているのだろう?次はどうして我等を照らすのだろうか?何故月や星に私はなれないのだろうか?もし、なれるのならばなりたい。星になりたい』」
「これは………」
中身は黒歴史ノートだった。そして、タイミング悪く、部屋のドアがバタンっと音を立てて開かれる。
「あ……」
「何見てるんですか……!」
アンジェは静かに拳を握り、顔を真っ赤にしながら、身体を震わせていた。
「ま、待ってください!話せば分か……」
「問答無用!!ただでは済ましません!!」
アンジェの周りの空気が冷たくなる。アスタはこの瞬間、アンジェから殺気と悪寒を感じた。
自分もキッチンにいた星兎のように氷漬けになると。
「──アイスディフュージョン!!」
詠唱と共にアンジェの足元から巨大な氷塊と小さいながらも鋭利な氷のナイフが三十本形成される。
「室内で上級魔法を使うな!!」
アスタはそうツッコミを入れながら魔法を相殺しようとはせず、火属性の魔法で自身の体温を上げ、氷漬けにされることだけは避けようと必死になった。
一応、この程度の魔法なら相殺は簡単だったが、威力の調整を間違えるとこの屋敷が倒壊する危険性もあったので、あえて魔法は最低限しか使わなかった。
「──しぶといですね」
「いや、あの、勝手にお部屋に入ったのは謝ります。ごめんなさい!」
部屋は既に氷漬けになった。アスタの足も、体温の上昇が間に合わず、床と張り付いてしまっている。そんな中で出来るのは謝罪だけだった。
「別にそんな事は気にしてませんよ」
「え?」
「貴方は見てはいけない物を見てしまった。だから、貴方は今ここで死刑が決定しました」
アンジェの体内の魔力が渦巻いているのが分かる。アスタは苦笑いしながら、この命の危機をどう乗り越えようか考えていた。
平穏に終わらせる策は何も思いつかなかった。
「終わりです……」
「──っ!!」
アンジェが再び魔法の詠唱を始めた時だった。あの男が入室したのは。
「はい、そこまでー」
彼が部屋に入った途端、室内の氷は跡形も無く全て溶けて蒸発した。
「ヤーフ様…止めないでください」
「駄目です。九割この子が悪いのは事実ですが、このままだとアンジェくん、彼を殺してしまうでしょう?」
「──っつ!」
「あと一割悪いのは私です。彼に屋敷を自由に行動していいと言ったのは私なのですから。それに、兄様の恩人でもある彼に危害を加えるのは私が許しません。」
アンジェは歯を噛み締めて此方を睨みながら、一言、「分かりました」と小声で呟いて部屋を退出した。完全に悪いのはアスタなのに。
「すまないね、彼女がこうなるのはいつもの事なんだ」
「いえ、悪いのは僕なのですから。ヤーフさんは謝らないでください」
アスタは、とりあえず命の危機が去った事に安堵し、天井を見上げる。
「後でアンジェさんには謝っておきます。彼女とは、個人的にも仲良くしたいですし」
「……そうですか。検討を祈っていますよ」
「はい」
それから、アスタはどうにかアンジェに声を掛けて謝ろうと必死になった。部屋を出て直ぐに話しかけた時も、夕食の時も、彼女が風呂を浴びて、自室に戻る帰り道でも声を掛けた。しかし、尽く無視されてしまった。
「くそ…どうしればいいんだ…」
アスタは万策が全て尽き、ベッドで仰向けになりながら、明日の朝までにどう謝ろうか考えていた時、部屋の外からノックを叩く音が聞こえた。
「失礼します。アスタ様、少々お時間よろしいですか?」
「は、はい。どうぞ」
なんと、向こうから声を掛けて来た。アスタはこれが最後の謝るチャンスかもしれないと思い、覚悟を決めて床に正座した。
部屋の扉がゆっくりと開かれ、寝間着姿のアンジェが姿を見せた。
「アンジェさん、ごめんなさ……」
アスタは、彼女の姿を確認すると、正座のまま頭を下げ謝ろうとした。
しかし、正座をしていることが逆に裏目に出た。この体勢では全く動けないのだ。
「『フリーズ』」
その一言と共にアスタの身体が少しずつ凍っていく。
「んな!?」
最終的に下半身全てが氷漬けにされた。
「アンジェさん…これは…一体…?」
「やっと捕らえました」
アンジェは無表情のままアスタの口を凍らせ、両足首以外の下半身の氷を解除させると、今度は両腕をベッドに貼り付けにされた。
(これはやばい…、今度こそ殺されるな)
声も出せないから助けも呼べない。絶体絶命だ。
アスタはベッドの上で仰向きで拘束された。一応魔法でこの氷を溶かして逃げることは可能だが、きっと、彼女がそれを許してはくれないだろう。
「ただじゃ済まさないって言いましたよね?」
「あれだけ私を恥ずかしめたんです。貴方も、それ相応のことをやられる覚悟があるのでしょう?」
アンジェは笑顔でこっちを見ながらクスクスと笑う。
(な、何をする気だ?)
「ヤーフ様から聞きましたよ。私と仲良くしたいんですってね」
(──!?)
アスタは無言で首を縦に振った。
「仲良くしたいんでしたら、これくらいの事はしなくちゃいけませんよね?」
アンジェは耳元で囁く。
中性的な声で耳が震える。
そして、アンジェはアスタのズボンを脱がした。
「────!!?」
△▼△▼
〜朝〜
屋敷の庭に植えている木の枝の上でチュンチュンと子鳥が二羽鳴いている。
ヤーフが庭の花壇の水やりをしながら朝の新鮮な空気を堪能する。
「今日も良い一日の始まりだ」
花壇の手入れが終わり、屋敷の中に戻ると、キッチンで朝食の支度をしているアンジェと食事場の隅で震えているアスタを発見した。
「アスタくん?」
ヤーフは震えているアスタが心配になり、声を掛ける。
「………………」
返答はなく、ただ震えている。いや、この場合は怯えてると表現した方が正しいだろう。ヤーフはキッチンへ行き、料理をしているアンジェの元まで早歩きで移動する。
「アンジェくん、君は昨晩一体何をやったんだ?」
アスタの様子があまりにもおかしかった為、昨晩一緒にいたであろうアンジェに問い詰める。
「彼に大人の階段を登らせてあげただけですよ」
アンジェはにっこりと笑い、持っていた芋を沸騰したお湯が入った鍋の中に入れた。