第1章 13『初めての王都』
風呂を上がってから約二時間が経った。アスタと御者はチェスで対局をし、リムは紙に向かってスラスラと筆を走らせている。祖父は寝ている。
「そろそろ時間かな…?」
御者が壁に掛けてある時計を確認する。もう空も暗くなり、お腹の虫が鳴る。
そして、タイミングよく部屋の入り口の扉がゆっくりと開かれる。
「お客様、ご夕食のお時間です」
部屋の中に入ってきたのはアスタ達と同じ浴衣姿で二十代前半くらいの若い女性だった。髪が黒く染められており、このワフウの様式にとても合う。
アスタは、この女性の髪が黒く染められていたのは一目で気付いた。なぜなら、女性の瞳の色は黄色で黒髪とは全くと言っていい程、似合わないからだ。イノウエの黒髪の方がこの場所だとしっくりくるような気もしていたが、テーブルの上に並べられる料理を前にそんな考えはなくなってしまった。
「おお!」
皿の上に乗せられた色鮮やかな川魚の切り身がアスタ達の目の前に並べられた。
「見たことない料理ですが、──これは?」
宝石の様な輝きを放つ魚の切り身に祖父は絶句していた。アスタも初めて見る料理に驚きを隠せずにいた。
「これは『サシミ』ですよ」
アスタの質問に御者が答える。
「サシミ?」
「はい。そこのお方の言う通り、此方はサシミと言う魚料理となっております。このタレをつけて召し上がってください」
従業員から料理をされ、食事に手を伸ばそうとするが、ここであることに気付いた。
「そういえば、フォークはないの?」
食事する際に使う食器がない事に気付く。しかし、テーブルに並べられた食器を確認しても、それらしき物は無い。
(直で食べるのか?)
「此方の『ワショク料理』は『ハシ』を使って口に運びます」
仕方なく直で食べようと、料理に手を伸ばそうとした時、入り口から透き通る静かな声と共に目の皺を伸ばした50代くらいの女性が部屋に入って来た。
「ハシ?」
「はい。ハシでございます」
女性はそう言うと、細い木の棒を二本取り出し、それを器用に使ってサシミを掴んで見せた。
「この様に使います」
「こんな棒切れで掴めるのか…」
アスタも試しにハシに触れてみたが、全く使いこなせる感じがしない。
「ハシは、ここから遥かに遠い、『東の海の最果ての地』から伝わった物です」
「このサシミやワフウの部屋もそこから伝わったんですよ。昔、この大陸に旅に来た『トージョー』と言う人物によって伝えられました」
女性の説明に御者が補足を加える。
(ここから遥かに遠い、『東の海の最果ての地』……そういえば、イノウエもそこから来たとか言ってたな)
アスタは、ハシをテーブルにそっと置いた。
「ところで、あなたは誰なんですか?」
「申し遅れました。私、この宿の経営者兼、女将の『ミッシ・プロミス』と申します」
そう名乗った女将は床に正座で座り、頭を少し下げた。ワフウ式の挨拶だろう。アスタもここまでくれば、この宿がワフウと言う文化を模倣にした宿だということが分かった。
「では、私たちはそろそろ失礼します。行きますよ、シナノさん」
女将はシナノと言う最初に部屋に入って来た黒髪の女性を連れて部屋を出て行った。
「それじゃあ、そろそろ食べますか」
リムが座布団に正座で座り、小皿に黒い液体を少量注ぐ。
アスタ達も黒光黒光するサシミに漬ける液体をじっと見た。独特な匂いが四人の鼻に当たる。
「これがそのタレですか」
「不思議な香りですね。僕も嗅いだことがない」
御者も嗅いだことがないと言う匂いにアスタと祖父はサシミよりもそのタレに目を移す。
そして、自分の小皿に注がれたタレを二人は指で掬って軽く舐めた。
「──ん?しょっぱ!!何これ!?」
「ぺっぺ、まるで海水じゃ」
二人はお茶を一気に飲んで、舌の違和感を消した。
「何やってるんですか?早く食べますよ」
「はーい」
それから、四人は並べられたご馳走を食べた。初めて使うハシにアスタと祖父は悪戦苦闘していたが、使っている内に不細工ながらも使えるようにはなっていた。
──楽しい時間は過ぎていく。そして、夜が更けて、また新しい朝がやって来る。
△▼△▼
「では、ここで一旦お別れですね。僕らも次の仕事が入っているんで」
ルーフを出発してニ時間、舗装されて魔獣も出ない街道を通り、遂にアスタは王都シミウスの正門前に到着した。
二人は、馬車に乗って去る御者とリムを見送り、巨大な正門の前で身分の確認を済ませて門の中を潜った。門以外は二十メートルの巨大な壁に囲まれていて、魔獣が入らないよう対策がされている。
そして、アスタと祖父は王都の街に足を一歩を踏み出した。
「おお──!これが王都!噂通りだ。今まで行ったどの街よりも人がいる!」
正門を潜り抜けると、目の前に広がったのは巨大な大通りだった。人々が行き交い、時折り馬車が眼前を通り過ぎる。
祖父も王都は久しぶりのようで、雰囲気を噛み締めるかのように空気を大きく吸った。アスタも同じように深呼吸をしようとすると、二人の目の前に一台の馬車が停まった。
馬車のドアを開けて二人の前に姿を現したのは、紫色の髪で左目に片眼鏡をしていて執事服を着こなしている若い男性だった。
「ようこそ、お待ちしておりました。私、シミウス王家執事の『ヤーフ・ティーナ』です」
ヤーフは右足を軽く下げ、右腕を背中に回して頭を三十度下げた。
「あれ?ローグさんは何処ですか?」
本当なら今日、この場にアスタと祖父を出迎えるのはローグの筈だった。一ヶ月前にローグから送られてきた手紙にはお礼がしたいから自分が王都を案内すると書かれていた。しかし、この場にローグはいない。
「残念ながら、兄様はジャベリー様と共にワーボンに出かけています。後三日は戻らないでしょう」
「ふむ…、だから彼奴の代わりに弟のお主がわしらを案内するんじゃな」
「はい。兄様に頼まれましたので」
ヤーフが馬車のドアを開ける。アスタと祖父は礼儀正しい彼の仕草に呆気に取られながら馬車の座席に腰を掛けた。
「では、今から王都を一周します。気になったお店や場所があったら、なんなりとお教えください」
「分かりました。じゃあ、最初に大図書館まで行ってくれますか?」
「仰せのままに」
アスタは長年の夢であった大図書館へ行けると言われ、心を弾ませた。
〜十分後〜
大図書館に到着し、アスタのみ図書館に暫くいる事になった。祖父は、この本だらけの場所は自分の肌に合わないと言いながら図書館を出て、近くの酒場に行ったそうだ。そこにヤーフも同行した為、この場にはアスタ一人だ。
(久しぶりの静かな時間……。やっぱり、こういう空気が一番良い)
図書館の中には多くの人がいるが、中では靴音以外に聞こえる音は殆ど無かった。アスタは、本棚に綺麗に並べられた本を十冊ほど取り、拭かれたばかりの机で分厚い本のページを捲った。
* * * * *
(………マーリン伝説、初めて読んだけど面白かった)
アスタは心の中でそう呟いて、図書館のルールに乗っ取りながら静かに本を閉じた。
(大昔にこんな大魔法使いがいたなんてな…、もしも、この人が今も生きていたら魔王なんて一コロだろうな)
本の内容は、五百年以上前にいた大魔法使いマーリンの伝記だった。本の内容によれば、マーリンは初代勇者パーティーの一人で最初に現れた魔王を打ち倒した英雄だ。今は賢者とも呼ばれている。
(最期は森の中で息を引き取ったって書かれていたけど、死体は出ていないんだよな。…まだ生きているのか?)
マーリンは、その昔に王国を支える今の四大都市の内の三つの都市である『ワーボン』、『ゲミシトラ』、『ガハリシュ』、そして王都シミウスを繋ぐ『ヘクス運河』を創造したと言われている。
ヘクス運河は王都と四大都市の内の三つを繋ぐ巨大な川だ。これのおかげで船での都市の行き来が可能になり、流通が整えられ、商業が盛んになったので、当時の民を長年苦しめていた飢餓が僅か二週間足らずで解消されたのだ。
(さて…次の本はと……)
次に手に取った本もかなり分厚い本で、タイトルには『黒竜』とだけ書かれている。
(黒竜……確か五十年くらい前に大陸で大暴れしたドラゴンだったような……)
黒竜とは、今から約五十年前に大陸内で破壊の限りを尽くしたドラゴンである。それまでは、ドラゴンは神聖な生き物として、人々から崇め祀られていた。しかし、この黒竜の所為で人々のドラゴンのイメージは大きく変わってしまった。
(黒竜……、その存在は、かつて王国内で病魔を振り撒き、ガハリシュを火の海にした。そんな王国の危機に一人の男が立ち上がった)
アスタは黙々とページを開き、文章を一つずつ読んでいく。
以外にも、本の内容は面白かった。黒竜の生態や弱点、討伐作戦時の隊長の指揮等、新しく発見出来ることが多々あった。そして、残り数ページになったところで物語は衝撃的な展開を迎えた。
(──しかし、王国騎士の半数がこの作戦に参加したものの、黒竜の前にはなす術も無かった。誰もがこの王国の終わりを確信した時、ある傭兵が駆けつけた。その名も…『フライデン・ホーフノー』)
(──ん…?ホーフノー?フライデン?)
アスタはその人名に見覚えがあった。ホーフノーという自分と同じ苗字、そして、駆けつけた傭兵。
(まさか……)
(二本の青竜刀を巧みに操り、フライデンは黒竜の手足を切り落とした。そして、最後には目にも止まらぬ高速の斬撃で黒竜の首を切り落とした。この一人の傭兵のおかげで王国は救われ、再び平和が訪れた。────お終い)
アスタはその名前に釘付けになった。ホーフノーと言う苗字、傭兵、そして二本の青竜刀を使う。
間違いない。
(爺ちゃんだ)
──確信した。八ヶ月前の魔獣掃討作戦で祖父があんなにも慕われていた理由、自分が祖父の孫だから土熊を一人で討伐出来たんだと言われた理由が。つまり、アスタの祖父フライデン・ホーフノーは英雄だったのだ。そして、自分は英雄の孫で、レイドが勇者に選ばれた理由にも祖父の実績を考えれば納得がいく。
それから、アスタは図書館を出て、外に停められている馬車に乗った。
そこからは何も考えられなかった。祖父が黒竜を討伐した英雄ということを。そして、なんでその事を自分達に隠していたのかということを。
アスタはただボーっとしていた。自分の知った事が真実なのかどうかが分からないから。
暫くすると、祖父とヤーフが戻って来た。
「随分早く戻られていたんですね」
「いえ、今戻ったばかりですよ」
アスタは心の臓をバクンバクンと音を立てながら、隣に座る祖父を見た。先程まで酒を飲んでいたのは、顔を見れば分かった。顔が真っ赤だ。
「ねぇ、爺ちゃん。爺ちゃんは、その…昔、黒竜を倒したの?」
アスタは祖父が酔っぱらっているのを確認して、質問をする。いつもなら、こういう話はお茶を濁されて終わりだろうが、今の祖父ならどうにか口説けると思ったのだ。
「zzz」
返答はない。代わりに返って来たのは小さな鼾だった。
「タイミング悪すぎだろ」
アスタは肩を落としてガッカリし、馬車の窓から見える王都の街並みを眺めた。
「もう日が落ち始めている。随分と長い時間、図書館にいたんだな」
真っ赤な夕焼けが王都を照らしていた。窓に取り付けている硝子が日の光を反射し、鮮やかな赤で馬車内を染める。
アスタは、歩いている子連れの家族を見ながら、遠い過去に置いてきた思い出に更けていた。