第2章 75『再会 そして』
12月は多分、今回のしか更新出来ません。
白い世界にただ二人の兄弟が抱き合い、弟は泣き、兄は軽く目を瞑り、涼しげな表情をしている。
「兄さん……」
もっと兄の温もりを感じていたい。アスタはそう心内で思いながら、強くレイドの服を握って離さなかった。
「………アスタ」
ところが、ふとした瞬間、アスタの腕はレイドの身体をすり抜けてしまい、前方向へバランスを崩した。
「なん…で…」
「アスタ、お前だって分かっているんだろ?此処が現実じゃないって事に」
「……え?何を、言ってるんだ?」
よく見ると、レイドの身体が半透明のように薄くなり、その姿は殆ど消え掛かっている。
「頭のいいお前なら分かる筈だ。此処は夢だ。お前が……いや、俺とお前が作り出した単なる夢だ。現実のお前は今頃牢の中でぐっすりだ」
「そんな…訳ない……。だって兄さんは現に……」
「こんな所が現実にある訳ないだろ!!いい加減目を覚ませ!!アスタ・ホーフノー!!!」
「そんな……嫌だよ……じゃあせめて、もう少し此処に居させてくれ」
「……それも無理だ。もう時間がない」
「なんだよそれ?時間がないって?」
アスタの両目から大粒の涙が頬をつたいながら、落ちていく。夢とは言え、折角再開出来たのだ。それでいきなり「はいさよなら」では、寂しいにも程がある。
「いいかアスタ、お前はこれからどんな事があっても勇者にはなるな。お前はこれからも騎士を目指し、そして、幸せな家庭を築け」
「な、何を言ってるんだ?」
「それと、身体には気を付けろよ。お前は昔っから寝相が悪いから、よく風邪引いてたしな」
「兄さん!!」
足下からレイドの身体が消え始める。
光の粒子に少しずつ変わったレイドの身体はゆっくりと上へと上昇し、遂には手の届かない所まで行ってしまう。
「じゃあな。アスタ。父さんと母さんには…ごめんって伝えてくれ」
この言葉の後、白い世界は崩壊した。
地面が消え、空間にはヒビが入り、文字通り、この世界は終わりを迎えようとしている。そんな中、ただアスタ一人だけはこの世界で影響を受けていない。手の感覚もあるし、目も見えるし、音も聞こえる。
それでも、心の中に残ったのは、虚しさだけだった。
△▼△▼
「──────はっ!!」
今度こそ、眠りから目が覚めた。アスタは、ゆっくりと上半身を起こすと、両手で自身の頬に触れ、一つ、唾を飲み込んだ。
「……今度は、夢じゃない……」
「起きたかい?」
「──!」
聞き覚えのある清涼感のある声。
アスタは檻の外を向き、その声の主と目を合わせた。
「おはよう」
「……おはようございます。ヘルド・k・メイヴィウスさん……」
その声の主は最強の騎士だった。おそらく、アスタを眠らせたのも彼に違いないだろう。
「聞いたよ。先の魔獣襲撃で活躍したんだってね」
「……はい」
「なら、地下牢に入れられるのは理不尽だとは思わないのか?先の戦いの功労者が」
「思いません。規律を破りましたし、それに、騎士の皆さんに迷惑を掛けました」
「まあ、君ならそう言うよね」
人の心を見透かしているかのようなヘルドの目がアスタは苦手だった。
「………」
「そんな事より、今日は君にお願いがあって来たんだ」
「お願い?」
「そう。お願いだ」
「……それなら、上の面会室で聞きますよ。なんで自分を含め、此処にいる全員を眠らせたんですか?」
檻を隔てた先、椅子に寄りかかって寝ている見張りの騎士が見える。更に、隣からは安心したような声色の寝息が聞こえ、それがコードのものだと判断した。
「単に上で話したくない内容だからさ。あそこは、別室で監視が盗聴しているんだよ」
「……つまり、他人には聞かれたくない話と?」
「そっ。僕と君、二人だけの話さ」
そこまでして、何の話をしたいのか、分からなかった。あの時、ヘルドがしたレイドの生存報告の話とは違う。
アスタは警戒心をより高め、いざとなれば反撃が出来るよう、右手に察知されない程度の魔力を集めた。
(…そう言えば、この人はなんで兄さんが生きているのを知っていたんだ?……と言うか、生きているのを知っているのに、なんで助けに行かないんだ?まさか、この人でも魔王領は危険なのか?いや、助けに行くなら騎士でも冒険者でも頼ればいい。……いや、公式では兄さんは死亡扱いだから探しに行けないのか?いや、それでもだ。何故兄さんが生きている事がこんなにも噂になっていない?
まさか、この人……)
──あの時、自分に伝えた彼の口から出た仮初の事実を何故自分は百と飲み込んでしまったんだ。
第三者から見れば、あの状況のアスタはどこか可笑しかった。それは、その時の自分を顧みたアスタでも気付いた事だ。おそらく、ヘルドと会う前に会ったコードも同じ違和感を感じていただろう。
「実は、君に頼──」
「ちょっと待ってください」
「……どうしたんだい?」
「貴方の頼みを聞く前に、こっちも聞いておかなくちゃいけない事があります」
「…言ってごらん」
「どうして、貴方は兄さんが生きているのを知っているんですか?」
「………」
話題が変わった途端、ヘルドの周りの空気の圧が重くなった気がした。
「ヘルドさん、俺だって、兄さんが死んだとは思いたくないありません。ですが、公式からの発表は……名誉の戦士。それ以降、情報の変更はありません」
「………」
「なのに、なんで貴方は兄さんが生きているって知っているんですか?」
ヘルドにとっても、本当に虚を突かれた発言だったのか、いつの間にかヘルドから笑顔が消え、その代わりに飛ばされた敵意を向けるかのような鋭い眼差しがアスタの皮膚に刺さったような気がした。
「……そうだね。君には少し嘘を吐いていたかもしれない」
敵意の眼差しが消え、開口一番に発せられた言葉からは謝意の念が感じられた。──不気味な程に。
「実は、君のお兄さん……レイドが生きていると言う情報は、冒険者から仕入れた情報なんだ。僕自身で確認した訳じゃない」
「──え?」
「不確定な生存報告をした事は謝るよ。ごめん。でも、これだけは信じてほしい。君のお兄さんは生きている」
「…根拠は?」
「僕の寵愛だ」
「寵…愛…?」
「そっ、寵愛。……まだこれは一部の人にしか言ってないんだけどね、僕の寵愛は…………未来を予知する力なんだ」
「は?」
突拍子もない未来予知と言う言葉にアスタは間を空けて考える暇もないまま、首を傾げた。
「僕の寵愛によるとね、未来では……」
「ちょっ、ちょっと待ってください!──え?な、なんですか?未来が見えるって……ええ?……いや、そんな事信じられませんよ!…未来が見えるって……」
アスタは困惑しすぎて二度、同じ言葉を使った。冷静を繕えない。
「困惑するのも無理はないよ。だって、僕の寵愛を知っている人は……僕を除いて……義父さんと、後はハーマルだけだね」
ヘルドの流暢すぎる話し方からは嘘を感じられない。
いや、それとも嘘も方便と言う言葉があるように、本当の事のように嘘を語っているだけなのかもしれない。だが、今のアスタにはそれが分からない。
「………分かりましたよ。今の話は……聞かなかった事にします。……で、俺に頼みたい事ってなんですか?」
「おや?もう少しくらい聞いてもいいんだよ?僕の寵愛」
「嘘かもしれない事を信じる程、俺は馬鹿じゃありませんよ」
「そうか。それは残念だ。……君に頼みたい事と言うのはね、とても単純で、君なら簡単な事だ」
再び、作られた笑みからは、先程の不気味な敵意は消え、いつもの最強の騎士と言う名の肩書きが仮面として取り繕われていた。
「勿体ぶらずに早く話してくださいよ」
「……ヨハネ・アマベルを殺してほしいんだ」
時が止まった。いや、正確には止まったような感じがしたと言う方が正しいだろう。ヘルドがどんな意味を持って、今の言葉を発したのか、分からないし、分かりたくもない。
「…………冗談ですよね?」
「残念ながらこれは嘘でも冗談でもない。……僕は本気だ。本気で、君にヨハネ・アマベルを殺してほしいと頼んでいる」
「貴方、頭可笑しいんですか?なんでそんな……いや、なんで僕に頼むんですか?…友達を殺せって!!出来る筈ないでしょう!!」
アスタは激昂した。頭ごなしにヘルドの人格を否定し、その上で頼みも断った。
「……僕も別に何の意義も意味もなく、こんな事を君に頼むんじゃない。これは、君の為……そして、国の為でもあるんだよ」
「嘘だッッ!!!」
「………」
「嘘だよ……。そんなの…何が俺の為……国の為に友達を殺せって言うんだよ。……仮にもしそれが本当だとしても、俺はミカエルを殺さないし、貴方が敵になるって言うのなら、俺は貴方と戦います」
アスタの心内でやっと、ハッキリと答えがついた。此奴は敵だ。こんな人畜無害そうな笑みを浮かべているが、本性は残酷で人でなしのマムシだ。アスタはそう決め付けた。
「そうか。それが君の答えか……。うん、あ──、ごめんね。これは冗談だよ。本気な訳ないじゃないか。忘れてくれ。………僕や君には関係ない話だしね」
「──?」
「……さて、そろそろ他の皆も起きちゃうかな。それじゃ、アスタ・ホーフノーくん、僕と今此処で会った事は忘れてくれ」
「なに……を………」
また、アスタの周りを白いモヤが包む。最後にアスタの視界が捉えたのは、真っ白なフェイスマスクを付けたヘルドの姿だった。