第2章 71『脱走者と石と星級の魔法』
後は任せて欲しい。その言葉の後の光景は一瞬の出来事だった。アスタとコードの完全アドリブの連携とは真逆、何度も繰り返した練習の後に完成したであろう、洗練されたギニアスとニーナの連携を前に、僅か十五秒で四十匹はいた魔獣は残り六匹にまで減った。
その結果、残りの六匹は何が起こったのか理解する前に逃げると言う選択をした。
その逃げ出した六匹は、少しでも種として生き残れる可能性に賭けて、六方向、バラバラに逃げた。
「逃がさないっすよ」
しかし、その内の一匹、赤蜘蛛の前にティポンが立ち塞がる。
「………ん?」
ここでティポンの動きを追っていたアスタは、ティポンの持っている物に視線を奪われた。
(あれは……鞭?)
ティポンが右手に持っているのは普通の鞭だった。腰には剣の鞘と柄も見えるが、持っている物は鞭。それが彼女の武器なのだろう。
「魔獣さん…あんたに怨みはないっすけど、ちょっと、痛ぶらせてもらうっす」
そう言うと、ティポンは高速で腕を大きくしならせると、地面に向け、強く振り下ろした。すると、縦に真っ直ぐと鞭の先端が赤蜘蛛の脚に当たる。もしも、今のが人間に当たったのなら、痛いだけで済む話ではない。地面をのたうち回って、絶叫しても可笑しくはない痛みだ。
だが、相手が悪かった。赤蜘蛛は魔獣ではなく、虫の姿をした魔蟲と呼ばれる生き物だ。魔蟲は基本的に昆虫を大きくしたような姿をしており、その習性や昆虫独自の能力もそのまま大きくされている。だから、例え、脚が切断されても痛みを感じない為、絶叫を上げず、意に介さず、獲物を捕食するまで追いかける。
そして、今の攻撃で赤蜘蛛は理解した。『捕食対象は弱い』と。
「──!?」
ところが、ティポンに牙を向けて、噛み殺そうと自重を前に掛けた瞬間、突然、何かが折れる音と共に赤蜘蛛は体のバランスを崩した。
「なんだ…あれ?」
視力が殆どなく、痛みも感じない赤蜘蛛には何が起こったか理解出来なかった。それは、この戦いを第三者目線で見ていたアスタですら、赤蜘蛛の体に何が起こったかは分かったが、何故、そんな事が起こったのか、理由が全く分からなかった。
「どうして、赤蜘蛛の脚が砕けた?」
なんと、ティポンの鞭で叩かれた赤蜘蛛の脚が石になり、折れていたのだ。
(確かに見た。ティポンさんの鞭が赤蜘蛛の脚に当たった瞬間、そこから、少しずつ奴の脚が石になっていったのを……。石化の魔法?いや、そんな魔法聞いた事がない。あれは…一体…?)
そんな事を考えている間にも、ティポンは逃げ出した残り五匹の魔獣を一匹ずつ石に変えていく。無論、魔獣の全てを石にした訳ではなく、頭や手脚等の体の一部だけを石にして、動けなくなるようにしている。
そして、ものの二分で、ティポンは残りの逃げていた魔獣の体の一部を石にして、逃げられないようにした。その後、大きく息を吐くと、鞭を専用のベルトで纏めて、ズボンの膝部分に取り付けられた金具に付けた。
「………ん」
「──!コード!」
ティポンの戦闘が終わったとほぼ同時にコードが目を覚ました。どうやら、気絶していただけだったようだ。
「……う、魔獣は…どうなったの?」
「大丈夫だ。魔獣は全て騎士が倒してくれた。だから、少し休んでいろ。無理しすぎだ」
「騎士が………そう……」
コードは騎士と言う言葉に反応し、首を動かした。その目線の先には赤蜘蛛に近付くティポンと此方へと歩いてくるギニアスとニーナが入った。
「ティポン、こっちは終わった」
「そうっすか。私はこいつら完全に石にしとくので、二人は向こうの脱走者を見張っててほしいっす」
「了解した」
ギニアスとニーナがアスタ達がいる方へ向かうのを見てから、ティポンは動けない赤蜘蛛の前に立つと、左手を前に出し、赤蜘蛛の頭に触れた。
すると、ティポンが触れた箇所から少しずつ赤蜘蛛の石化が始まった。
(悪いけど、これは騎士だからとか、市民を守りたいからやる訳ではない。………これは、単なる私のやつあたり)
ティポンは心の内で謝りながらも、掌を離さなかった。これは仕事だと自分に言い聞かせながら、無慈悲に無感情に赤蜘蛛を石にしていく。
そして、暫くしてからゆっくりと赤蜘蛛から手を離す。
赤蜘蛛は石像と化し、腕をピクリとも動かす様子はない。
「お仕事完了。……さて」
赤蜘蛛の石化を終えたティポンは、憂鬱そうな顔をしながら、アスタとコードの元までゆっくりと歩いた。
「話を聞こうか。……どうして脱走なんて真似、したんすか?」
「………俺は……」
「君には聞いてないっす」
「え?」
「君は大方この女の子を追いかける為に脱走したっていうのが理由っすよね?…この子が好きなんすか?」
「……は?…いや……それは……」
「まあ、そんな事はどーでもいいっす。気になるのは、あんたっすよ」
ティポンはコードの方に視線を移す。
既にコードはアスタの腕の中で瞼を開け、鋭い目つきでティポンを睨んでいた。
「何が理由で脱走したかは知らないっすけど、勝手な脱走、単独行動は重大な違反行為。下手をすれば、あんたの所為で仲間が危険に晒され、最悪部隊の全滅もあり得るんすよ」
「…………」
「話したくないっすか……。まあ、そこんとこは後で牢屋の中で話してもらうっすよ」
「牢屋……罰ですか。いいですよ。受けます」
「おい。勘違いしているようだから言うけどな、なんでも罰を受ければいいって話じゃないからな」
開き直ったコードの態度にギニアスが苛つき、コードと目線を合わせた。
「それと、お前もだ。お前も罰は受けてもらう」
「…はい」
アスタも脱走した事に変わりはない。罰を受けるのは当然だ。
「この話はここで終わりにしましょう。仲間が心配ですし、長居は無用です」
「ニーナの言う通りっすね。んじゃ、二人の馬にそこの二人を乗せて先に戻っておいてっす。私は、逃げた馬を回収してから……」
「ワオオオオオオオオオォォォォォォン!!!」
「!?」
近くで獣の雄叫びが響き渡った。まだ生き残りがいたのかと、騎士の三人は周囲を警戒するが、直ぐ近くには魔獣の姿はない。
(犬に近い鳴き声……。キラーウルフかシャドードッグか……)
「……!!あれっ!!」
ニーナが指を差す方向、五人がいる場所から東に約四百米先で煙が上がっていた。
「狼煙……!」
「……ティポン、見えたぞ!東より魔獣多数接近!数は…少なくとも四百!」
「四百っすか……このままじゃ分が悪いっすね」
先程の約二倍もの数の魔獣。いくら三人が強いと言っても、数で大きく負けているのなら、勝てる可能性は少ない。
「あの……」
「…ん?」
ティポンが二人でも逃がそうと考えた時、その当人の一人、アスタが小さく挙手をした。
「俺なら、あの群の魔獣を全て倒せます」
「なに?……アホか。お前が魔法得意なのは知っている。けどな、あれは一人の魔法でどうこうなる数じゃねえ。俺達だって上級の魔法を使えるが、あの数は無理だ。いいか?お前達は今直ぐ馬に乗って……」
「俺は、星級の魔法を使えます」
「……は?」
ギニアスは口を開き、あり得ないと言う言葉を呑み込み、二回咳払いをする。
「それは、本当っすか?」
「本当です。皆さんは魔力障壁で衝撃の余波に備えてください」
「おい、ティポン」
「今は信じるしかないっす」
今避けるべきなのは全滅。その可能性が少しでも小さくなるのなら、アスタの星級の魔法に賭けるのは悪くはない。しかし、ティポンは副隊長だ。一部隊の副隊長の判断としては、ここは騎士三人が残って、アスタとコードを逃すと言うのが最適だろう。
「分かったよ。ニーナ!」
「ええ」
「魔力障壁」
ギニアスとニーナがドーム状に魔力障壁を展開。魔力障壁は防御範囲を広げれば広げる程、強度は下がるが、二人で二重にしていればある程度は問題ない。
そして、魔力障壁が展開されたのを確認すると、アスタは両手を空に上げ、詠唱を始める。
「星よ爆ぜろ……。全てを焦がし、災禍を落としたまへ。顕現せざるは悪魔の片割れ、今こそ、世界を業火で包み給へ!!」
詠唱が終わると同時に小さな村一つなら丸ごと包み込めそうな巨大な火球が出現する。火属性の星級魔法、これは、数時間前の授業で出した威力零のフェイクの魔法ではない。両手から魔力を注ぎ込んだアスタ渾身の魔法だ。
「『アトミック・コロナ!!』」
そして、その火球を腕を振り下ろす動作と同時に、アスタは魔獣の群目掛けて放った。
ゆっくりと動き出した火球は約四百米離れた所で群がっている魔獣の群に直撃。それと同時にこの一瞬だけ、周りが夜になったのかと思う程、世界が暗転したように感じられた。
しかし、その闇も僅か一秒にも満たない事象。
次の瞬間には眩い光が魔獣ごと、周囲の全てを飲み込んだ。
「うおっ!?」
凄まじい衝撃波に魔力障壁の中にいるギニアスとニーナは咄嗟に防御の構えを取った。
(魔力障壁で防いでいる筈なのに…衝撃の重さが魔力障壁内まで伝わってくる……!!)
(これ、下手すれば破られるんじゃ…)
今、魔力障壁で防いでいるのはアトミック・コロナその物ではない。ただの爆風だ。
「──っ!オオッ!」
遂に一枚目の魔力障壁が破れ、更に強い衝撃が四人を襲う。
「ニーナ、もっと魔力を!!」
「やってる!けど、もうこれ以上は……!」
ギニアスとニーナは残り一枚になった魔力障壁に魔力を注ぎ、強度を上げた。
そのお陰か、ほんの少しだけだが、体勢を立て直すまでには持ち直せられた。
「……ん?」
遠くで光が中央に向かって収束を始める。どうやら、終わったようだ。
「……二人とも、もう大丈夫っすよ」
「本当だろうな」
「っす」
ギニアスとニーナはティポンの言葉を百とは信用してはいなかったが、自分の目でも分かるように、既にアトミック・フレアは消え、近くの木はもう揺れていないのが見えた事から、二人は魔力障壁を消した。
「………なんつー威力だよ」
数歩、前へ歩き、その威力の痕跡を、空気を肌で感じる。
「俺もここまでだとは思いませんでした」
「おっ」
地面から土まみれになったアスタがゾンビのように這い出た。
「何処にいると思ったら、地中に隠れてたんすか」
「はい。…まさか、ここまで威力が高いとは思ってませんでした」
まだ実戦てアトミック・コロナを使った事がなかった所為か、それとも、目の前の魔獣全てを殱滅する事に固執し過ぎた為か、アスタの予想を遥かに超える威力が出てしまったのだ。
(危なかった…。グランドウォール二枚と魔力障壁二枚を一瞬の内に展開出来てなきゃ、今頃魔獣と一緒に燃え滓になっていた)
アトミック・コロナの跡は大きく、直径三百米もあるであろうクレーターが地面に作り出されていた。
「こりゃ死骸も残ってないな。ティポン、一応聞くが、石像に出来るのはあれ一体で限界か?」
「コカトリスとか、あんまり大きくないのなら後一体いけるっすけど、大きいのはもう無理っす」
「そうか。じゃあ、俺達は戻るか…。お前は…?」
「この石像を運ぶ申請と…この二人を王都に届けるっす」
「了解した。ニーナ、戻るぞ」
* * * * *
ギニアスとニーナが同じ馬に乗って去った後、アスタ、コード、ティポンの三人も馬に乗り、王都へと帰った。そして──
「……なんて馬鹿な真似をしてくれたんだ。お前らは」
檻の向こうで、静かに怒るサムが立っている。
アスタとコードがいるのは、王都の地下牢、二人はそこに収監されたのだった。
ここでティポンの過去話を入れようと思いましたが、本編からかなり脱線しそうなので、やめました。