第2章 68『北門防衛戦・終』
馬の足音か、魔獣の鳴き声か、人の叫び声か判断かつかない程の距離まで、エグゼ達援軍が戦場まで近付いていた。それでも、魔獣達はずっと前だけを見て、後ろには気付かない。
「ブリシュ、作戦通りにいくぞ」
「本当にいいのか?」
「……当初とは違うが、もうエマ副隊長にも頼る事は出来ないしな」
「そうかよ。俺じゃエマ副隊長には敵わないって言うのかよ?」
「ああ、俺は勿論、お前も隊長や副隊長には遠く及ばない。だが──」
「二人なら並べる」
魔獣との距離が百米を切り、エグゼとブリシュは馬を挟む股に力を込め、腰を捻る。
「いくぜっ!!」
「ああ!」
陽光の反射か、名剣に秘められた力か不明だが、朱雀が青く光る。
「ウィングブレード!!」
詠唱と同時に二つの斬撃が伸び、二十米離れた魔獣一匹の体を両断した。
(距離がある分、威力は期待してた程出せなかったが……私達に気付いていない?なんでだ?仲間がやられたのに、なんで此奴らは気にも止めない?仲間意識が高い筈の魔獣でも、そんな事があるのか?)
エグゼの理解は早かった。今の一撃でこの魔獣達が自分の意思とは関係なく此処にいると言う事。そして、何者かが魔獣を操っていると言う事にも勘付いた。だが、それを口には出来ない。もう、戦闘は始まってしまった。
「エグゼ!ボーっとしてんなよ!もう一度やるぞ!」
「あっ…ああ」
エグゼは静かに頷き、もう一撃、魔獣の群の背中にウィングブレードを入れた。
すると、これまでずっと前を見ていた魔獣達が漸く、後ろを振り向いた。しかし、魔獣達が背後の敵の存在に気付いた時には、もう既に剣の刃が首を捉えていた。
「なんだ?後ろが騒がしいな」
「あの位置……。援軍が到着したのでしょう」
「援軍だと!?…ラデン、此処は任せるぞ!」
「はあ!?何処へ行くんですか!?」
「前だ!もう一度俺が前に出て、此方の勢いを押し上げる!」
ジャルドは援軍が来たのを知ると、馬にも乗らず、己の脚のみで戦場の中を走り始める。
一見、自殺行為にも見えるが、大隊長の肩書きは伊達じゃない。片腕のハンデをものともせず、魔獣を切り倒しながら、遂には分断されたガリエラ、ケナン、ザクロとも合流を果たす。
「うんん!?あんた、なんで此処に!?」
「お前達、今直ぐ周囲の魔獣を一掃し、俺を守れ!」
「…何を言ってるんだ?」
「遂に気でも狂ったんじゃ…」
「これは大隊長命令だ!一匹足りとも近付けるなよ!」
無茶な命令に三人は明らかに戸惑っている。
「……何がなんだか分からないけど」
「命令とあっちゃ、仕方がないわね」
「…はあ、もう一仕事するかあ!」
「頼んだぞ!」
ザクロの持つモーニングスターの鉄球がブォンと音を鳴らしながら、肉塊を作り出す。
ガリエラの持つ双剣には、片方に水属性、もう片方には土属性の力を纏い、力強く、且つ流れる水のように緩やかな剣術で次々と魔獣を斬り伏せる。
ケナンが両手で持った大剣が土を巻き上げながら、敵を粉砕する。
三人は命令に従うまま、それぞれの闘い方で魔獣を蹴散らし、次々に屍の数を増やしていく。
ジャルドはその屍を器用に積み上げ、比喩的な表現に使われる屍の山を実際に作り上げた。そして、その魔獣の屍を登り、四米程の頂上で身体を大きく見せると、後ろで戦う兵達に叫ぶ。
「総員、聞けえええぇぇぇぇ!!!」
ジャルドの大声が戦場に響き渡る。この声に目の前で戦っているジャルド大隊だけでなく、両側で戦う王国騎士団の合同部隊、ベール大隊の目にも止まった。
「ジャルドサン」
「何やってんだあの人?」
「あれは…」
一見すると、何かの間違いだろうと思ってしまう光景にそれぞれが独自の反応をした。レオは笑い、ベールは呆れ、ハーマルは困惑している。
「北西より、援軍が到着した!!もう一踏ん張りだ!!俺達の底力を見せてやるぞおおぉぉぉぉぉ!!!」
剣を空に上げ、魔獣の屍の山を踏み、一番危険な最前戦で指揮を取るジャルドの今の姿は正しく英雄だった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!」
今日一番の叫び声が戦場に響く。
このビリビリと肌を貫くような空気に、全員がこの戦いの『勝ち』を確信した。
(援軍は三百程度だってのに…やり過ぎだろ。だが──)
ベールは、持ち前の視野の広さを駆使して、援軍は確認済みであった。なので、合流した援軍の数、その戦力、後続はまだ来ないと言うのも分かっていた。
「よくやった。この勢い、使わない手はない」
しかし、この勢いを殺してまで現状維持をする必要はないと感じ、ベールは後ろを向くと、中衛の冒険者達に向かって口を開く。
「と言う訳だ中衛ども。ジャルドさんの言った通り、援軍が来た今、無理して防御をする必要はなくなった。今度は俺達が攻める番だ。全員、前へ出ろ!」
時を同じくして、右の戦場では第一師団隊長ハーマル指揮の元、休憩していた待機部隊も全て呼び、再度陣形を整えていた。
「ここからは総力戦だ!全班、武器を取れ!」
北門前、右翼を担当していた第一師団は第五師団と合流後、その圧倒的な戦力で既に担当場所の魔獣の掃討は完了していた。そして、今最も過激な中央の戦場へと向かっている。ここから、人間の反撃が始ま────
らなかった。
「!?」
なんと、これまで綺麗な陣形を組んで、城壁へと動いていた魔獣の群がいきなり崩壊。後ろを振り向き、一目散に逃げ始めた。
「なっ……!」
(逃げ……た?)
突然の行動の変更に場を指揮する者程困惑した。これまで攻め一辺だった魔獣が逃げ出したのだ。そしてこの時、『ある事』を伝えられていた者達の頭の中でこう結論ついた。
──誰かが、この群を統率してた奴を倒した。
「──一匹足りとも逃すなッ!」
指示が遅れた。
いきなりの撤退行動を前に、最前戦の兵達は一瞬、肩の荷を下ろしてしまい、次の指示に若干のタイムロスが生じてしまった。
「やっぱりこうなるか」
後ろでタウルスが静かに呟いた。
「やっぱり…とは?」
タウルスの発言にイオが口を挟んだ。
「元々魔獣は臆病な生き物なんだ。臆病だからこそ、彼らは同じ種族同士で群を形成し、その群で手負や孤立した獲物を狩って生活をしているんだ。
それは人間に対しても同じ。人間の数が群より多ければ基本的に襲わないし、他種類と交わる事もない。偶に、例外的に一匹で行動したりする個体や、群を作らない種類もいるけど。
……まあでも、今回のは、間違いなく何者かの手が加わってるね。おそらくだけど、そいつは魔獣を操る術があり、単純な指示なら、遠方からでも可能。んで、ここからはあくまでも私の推察だけど、今回の敵の目的は威力偵察だね。
そして、その目的が達成されたか、或いは、何らかの事情で作戦を中止せざるを得なくなったか……。でも、そいつが死んだ、倒されたって線はないね。勘だけど。
だから、洗脳が解けた魔獣は、周囲の多種類の魔獣と我々を見て、逃げ出したんだろうね。臆病だから」
騎士であり、研究者であるタウルスの発言にイオは大きく頷く。
(普段の奇行の所為で忘れてたけど、この人、魔獣研究の有識者だったな)
珍しくイオはタウルスに関心してしまった。
「でも、これだけの数いれば、何匹か……ほら、いるね。一匹でも戦う個体」
魔獣を追う衛兵を足止めするように黄土色の土人形が立ち塞がっている。
「サンドゴーレム…。ロックゴーレムに比べると、幾分か強さのランクは落ちます。それでも、奴はあの衛兵達の手に余りますが」
「そうだね。レオ達もかなり奥行っちゃって、援軍は遅れない。なら、私達のやる事は一つだね」
「はい」
「それじゃあ、行こうか」
▲▽▲▽
(──駄目だ!!)
次々に逃げたす魔獣、それを追いかける者達、この壮絶なる鬼ごっこは間も無く終わりを迎えようとしている。人間側の敗北で。
「隊長、どうする?この距離ではもう私の斬撃も届かん!」
「自分が前に出て足止めをします!コルキスさんはその間に馬を乗り換えてください!」
ハーマルは下馬すると、息を強く吐いて、脚に力を込める。寵愛を使う気だ。
「よせ!今行っても無駄死にするだけだ!予備の馬も全て使い果たした!」
プロキソスは馬から飛び降り、ハーマルを静止させた。
「ですがっ…」
「お前だって分かっているだろ?残り少ない魔力で何ができる?」
魔力だけではない。体力、馬、戦力、全て使い限界まで使い果たしている。現に、ハーマルのプロキソスが乗ってた馬も、もうフラフラと持久走が終わった時の人間の身体のように歩く事しか出来ない。
「私達はリタイアだ。後は、レオ達、第五師団に任せよう。無事なら南東の第十師団も駆けつけてくれる筈だ」
「それでは駄目です!このまま逃がしてしまったら、奴らは何処に行く?人里だ!今日の戦い以上の犠牲者が市民で出るかもしれないんだ!…だから、行かせてくれ!コルキスさん!」
ハーマルは真っ直ぐとした目でコルキスと目線を合わした。
一応これも隊長命令に入るので、副隊長であるプロキソスはこれに従わなければならない。
しかし、ハーマルはプロキソスより歳下だ。加え、実力もカリスマ性も経験もハーマルの方が劣っている。隊長の座もプロキソスが譲った形でハーマルに与えられた称号だ。
なので、この事を出せば、プロキソスはハーマルの命令を無視できる。
無視できるが──
「…………分かりました。プロキソス・コルキスの騎士の名に置いてハーマル・メサルティムの命令を実行します」
あの目に負けた。目だけではない。ハーマルの熱い情熱、そして、想いに。
「ありがとうございます!」
「礼はいい。お前は私の上官だからな」
ハーマルを魔獣の群の先頭まで行かせる事は決まった。だが、問題がある。
「ところで、どうやって向こうまで行くんだ?」
「──え?」
「後ろを見ろ。第一師団の馬はもう動けない。それに、左の衛兵達も魔獣を追うので精一杯だ」
プロキソスの言葉の後、ハーマルは一度冷静になり、後ろを見渡した。
そこには、体力が切れて動けない新兵、新しい馬を取りに行こうと、城壁の梯子を登る中堅騎士、怪我人、接近戦が出来ない魔導士と魔法使いは前を新たな敵が来ないか警戒、もしくは怪我人の治療に当たっている。冒険者と衛兵は全速力で魔獣を追っている。彼らの先頭にはジャルドとベールの姿も見える。
そして、更に目を凝らすと、遠くの方でエマが一人で複数の岩蟹と戦っている姿が見えた。クバルを救出した後、ヘクス運河沿いに配置された岩蟹を一匹ずつ討伐していたのだ。
「………」
「もう動ける者はいない。
馬で奴らの前に回り込もうにも、体力の残っているのはいない。一応、西から来たと言う援軍が魔獣の背後を捉えて挟み撃ちにしたようだし、ベール大隊長が担当している所の魔獣は殲滅できるだろうな」
「その他には逃げられますよね?」
「……援軍次第だな」
「………プロキソス・コルキス、命令です。僕に、全力のウィングブレードを放ってください」
「……は?」
「さっきの話の続きです」
プロキソスのどうやって魔獣の群の先頭まで行くのだと言う話だ。
「プロキソスさんのウィングブレードで限界まで飛び、その後、僕の寵愛を使って一気に奴らの群の先頭まで移動します」
「無理だ」
プロキソスは即答でハーマルの意見を否定した。
「何故です?」
「……命令なら従う。だが、そりゃ不可能だ。下手すれば、お前は真っ二つだ。と言うか、どうやって斬撃に乗るって言うんだ?最低でも説明して貰わないと、力は貸せない」
「説明してる暇ありません。今ならまだギリギリ行けます」
「あっそ。……じゃ、死んでもしらねえぞ」
「頼みます」
力は貸せないと言うが、上官命令なら断れない。プロキソスは渋々ハーマルの言われた通りにウィングブレードの為の魔力を溜め始める。
「いいか?私の残りの全魔力を使って放つ技だ。手加減はできない」
「結構です。撃ってください!」
「そうか。……死ぬなよ。『ウィングブレード!!』」
剣に風属性の力が宿る。
薄く光った剣は光速で横に薙がれると同時に斬撃が放たれる。
それは、あまりにも一瞬の事だった。
ハーマルはウィングブレードが放たれたと同時にジャンプすると、身体全体を覆うように魔力障壁を展開。それと同時に持っている魔紙に魔力を込め、風属性の魔法の力を放出。更に、寵愛『帯電』を使って薄い電気の膜を張る。そうする事でウィングブレードとハーマルの魔力が反発。一時的にハーマルは斬撃の上に乗る事が出来た。
一秒間だけ。
それでも、ハーマルにとっては充分すぎる時間だった。魔獣の群の真上まで舵を取ったウィングブレードは音もなく消えた。
消えた直後、次にハーマルが行った行動は、魔力障壁の解除、そして、帯電の放出であった。
途端に空中にいたハーマルが加速する。
雷に近いスピードで空中を闊歩しつつ、懐から出した袋から黄色に輝く粉をばら撒く。
そして、気付けばハーマルの姿は魔獣の群の先頭から百米程離れた位置にあった。
「はぁ…はぁ…」
寵愛のコントロールは出来る。だが、身体がその速さに着いていけていない。
それでも、戦わなければならない。例え、自分一人、味方がいなくとも。
ハーマルは決心した。重心を落とし、腰を強く捻る。
(これを使ったら、死ぬのかな……。多分死ぬな)
まだ人生の目的も果たしていないハーマルの目は虚になっていた。
(けど、タダでは死なない。…何匹道連れに出来るかは分からないけど、僕は、守る為に!!)
ハーマルの持つ騎士剣が薄く淡い光を放つ。
その輝きは薄いものであるが、力強い。ハーマルの意思と同じように、消える事はない。
「……本当なら、ヘルドと闘う時の為に使いたくはなかった奥の手だったんだけどな……」
魔獣の一匹がハーマルの剣の間合いに入った。
「奥義『ライジングソード!!』」
それは、雷属性の力を纏った剣撃だった。
腕を伸ばしたハーマルの半径四米内の魔獣が切り伏せられる。
しかし、それで魔獣は止まらない。
先頭の何匹かを倒した所でそれまでだ。群全てを倒す剣撃ではない。
これが奥義なのか、これが奥の手なのか、これがハーマル・メサルティムの切り札なのか、剣術に長けた者が見れば失望もするだろう。
しかし、ハーマルの目は諦めていない。
人差し指を天に上げ、叫ぶ。
まだ、詠唱は終わっていない。
「連鎖!!!」
瞬間、ハーマル含め、不特定多数の魔獣が一気に感電を始める。
高電圧の電撃に感電した魔獣達に起こった事、先ず初めに筋収縮と脳の呼吸中枢による感電で全身の痙攣、続いて、動脈からの大量出血に鼓膜の破裂、最後に心臓まで通電し、呼吸が停止する。
その結果、今の一振りでハーマルが倒した魔獣の数、実に三百体。
このライジングソードと言う技は、雷属性の上級魔法ブリッツ・リンクと護流の剣術を組み合わせた技である。
通常のライジングソードは斬った相手の傷口から電撃で追い撃ちを掛けられる特性があり、護流の剣術をベースとしている為、本来ならこの技は身を護る為の露払いとして使われる事が多い。
だが、ハーマルの『ライジングソード連鎖』は護に重点を置いた技ではない。この技は発動させる過程から違う。先ず、この技を使う為に相手に雷の魔石を持たせる必要がある。何故かと言うと、この雷の魔石が電撃を通す為の伝導体になっているからだ。無論、大きさは自由だ。例え一粍単位の大きさであっても力を発揮する。
雷属性の力を秘めているこの石は、雷にまつわる魔法や寵愛に反応し、効果を発揮する。
その効果は、感電。
感電と言っても、弱いものから強いものまで様々であるが、ハーマルが使ったライジングソードは上級魔法を使っている為、高威力である。そして、ハーマルの寵愛『帯電』の放出を組み合わせると、その威力は並の電撃では済まない。威力として星級の魔法に匹敵し、実に八百ボルトもの電撃が魔石を付けられた物、そして斬られた物に感電する。
故に、この技はハーマルの奥の手、そして、奥義と言う由縁である。
しかし──
「……ッ!!」
この技にはデメリットがある。
それは、自身も感電してしまうと言う事。ハーマルの寵愛、帯電のデメリットを大きくしたこのデメリットは、体力の大幅な消費に加え、今まで軽微であった自身への感電も大きくしてしまった。
(だけど……!!)
三百もの魔獣を倒しても、まだ数千もの魔獣が残っている。その数の魔獣が、弱ったハーマルに向かって牙を向けている。
「負ける訳にはいかない!!倒れる訳にはいかないっ!!騎士として!!民を守る、剣として!!」
ハーマルは右手で持った騎士剣を力強く地面に突き刺した。
(今の状態でこの魔法を使ったら、僕の身体はどうなるか分からない。けどッ!!)
──ハーマルの繰り出そうとして魔法、それは雷属性の中級魔法の一つ
「……スパーク・フィールドォォォォォ!!!」
スパーク・フィールド。禁断の魔法である。
詠唱が終わると同時にハーマルの周囲に強い電撃が迸る。
この、ハーマルが作り出した見るからに危険と警告している範囲に、前しか見ていない魔獣は急に止まれない。
「グギャアァァァァァァァァァ!!?」
「ハアアアアァァァァァ!!!」
ハーマルは自分に残された魔力を全てこの魔法に注ぎ込んだ。
中級の魔法であるとは言え、魔力の最大量を一時的に増やす魔法、マジックアップの許容値すらも超えた魔力を消費した為、上級の魔法並の威力が出た。
そして、この魔法が禁断の魔法と呼ばれる所以、それは使用者への大きな負荷が原因である。
このスパーク・フィールドと言う魔法、元は四十六年前に一人の若い魔導士が雷属性の魔硝石を使って実験をしていた時に偶然出来てしまった産物である。
当時の魔法使いや魔導士達は威力もあって、広範囲を攻撃出来る新しい魔法に喜んでいたが、それは一時的な愉悦に過ぎなかった。なんと、この魔法を使った者から次々に身体の不調を訴え始めた。一度だけ使った者は比較的症状が軽く、手足の指の痺れ程度の症状だったが、使い続けた者からは身体の感覚が麻痺してしまう、目が失明してしまう等、重度の障害が残ってしまう事が判明した。
最終的には、スパーク・フィールドを七回使った者が自身に降り注ぐ電圧に耐え切れず、身体が発火し、焼死体になってしまった事で、スパーク・フィールドは禁断の魔法と認定されてしまった。
それからと言うもの、ハーマルのようにある程度雷属性に耐性がある者が確認されるまでは『使えば死ぬ』と言う噂と事実が独り歩きした所為もあって、スパーク・フィールドを公に使う者は二十年以上現れなかった。
「…………ッッ!?」
魔力が底をつき、電撃が収まる。ハーマルはそれでも尚、剣片手に戦う決意を見せていたが、ある違和感を感じた。
(な…んだ?腕が……)
剣を掴んだ右腕がピクリとも動かないのだ。
(まさか……いやそんな……ありえない)
雷属性への耐性を持っているハーマルがスパーク・フィールドの負荷を受ける事はなかった筈。そう、なかった筈だ。だが、それは寵愛が発動している間の話である。これまでハーマルがスパーク・フィールドを使っていた時は常に寵愛『帯電』が発動し、スパーク・フィールドの負荷をある程度軽減していた。だが、先程までの戦いで、貯めておいた電気を使い果たしてしまっている。
その結果、全魔力を使ったスパーク・フィールドの負荷に身体が耐え切れず、遂に右腕の麻痺と言う結果が起こってしまったのだ。
「くそ……」
右腕は肘を曲げる事さえも出来ない。
左腕は動くが、武器も魔力もない。最早大した抵抗も不可能だろう。
「ここまでか……」
「まだ諦めるには早いのではないか?」
諦め掛け、両目の瞼を閉じた時、後ろから颯爽とした声と共に、通り過ぎた風が髪を撫でた。
「……!!」
何事かと驚き、瞼を開けると、目の前には馬に乗って、正面から魔獣に向かう王国騎士の制服を着た老人の姿だった。
「あれはっ……!!」
「唸れ。白虎」
老人が腰の鞘から刃の部分が紫根に塗られた剣を抜いた。
その瞬間、前だけを見て走る魔獣全てが足を止め、全匹が向かってくる一人の老人を注視した。
「グッ、グルル……」
魔獣の目からは老人がどのように見えているかは分からない。だが、剣を構える老人の気迫に恐れ慄いていると言うのは誰の目にも分かる。
そして、それが答えだと返されるように、次の瞬間には魔獣達は後ろを向いて元来た道へ逃げようとしている。
「凄い……。気迫だけで……」
この光景にハーマルは息を呑んだ。
(これが、王国騎士第六師団隊長ヴァルゴ・ヴィンデミアトリックス!!)
この主力の援軍がやって来た事による戦況の変化は、前衛で魔獣を追っていた者達も確認していた。
「………あれは………援軍です!!北より、ヴァルゴ隊長……いえ、第六師団の援軍です!!」
「第六師団だと!?」
第六師団の援軍に驚いたのはレオでも、ジャルドでもなく、援軍が来る事を予測していたラデンだった。
(何故北西にいた第六師団が態々遠回りをしてまで北から?……まさか、先に新米騎士を先行隊として向かわせた理由は、戦況がこうなる事を見越した上なのか?だから、大きく迂回して、敵を挟み込む形にする為に北に向かったと言う事か?…それを、こんな短時間で出来たのか?)
「……第六師団だけじゃありません!!」
「──!!」
「北より、更なる援軍が到着したようです!!
あれは……ジラス大隊、リンマ大隊、ダビ中隊……総勢、六千人以上の援軍です!!」
形勢逆転。まだ魔獣の方が数は多いが、結果的に北からの援軍と元からいる部隊での挟み撃ちの形を作る事に成功した。
この援軍の到着は最左翼のベール大隊も確認していた。ここまで事が進めば、魔獣に勝ち目はない。ベールはそう確信しているが、まだ油断を解かない。
「……流石に正面突っ切っては来ないか」
挟まれた魔獣は諦めたのか、動きを止め、威嚇する。
(諦めたか?いや、違うな。これは……)
前後で挟まれた魔獣が生物として本能で動いた場合、どうするのか、それは決まっている。
「そこの新米騎士共!!壁を作れ!!来るぞっ!!」
ベールの指示が一歩早かった。
この命令を受けたのはエグゼとブリシュの二人だ。
「壁…?」
「──はっ!そうか!槍を持っている者は前衛へ出ろ!」
「なっ!?エグゼ、どう言う意味だ?壁って……」
「説明してる暇はない!来るぞっ!!」
「……え?」
前にも後ろにも逃げ場がなくなったとなれば、次に魔獣が逃げる所があるとすれば
──横だ。
「──っ!!うおっ、なんでこっちに!?」
「当然だ。ブリシュ、私達は一番後ろだ。溢れた奴を討ち取る」
続々と迫ってくる魔獣に対し、エグゼ達は盾持ちと槍持ちを前に出した。
「ベール大隊長のお陰で、早めに対策は取れたが、防げるか?」
エグゼ達が作り出した壁は広範囲にあると言う訳でもなければ、肉壁が厚い訳でもない。
「馬鹿野郎。肉壁であれが防げるか。──土属性の魔法だ!!」
「──え?」
ベールの声が届いた直後、エグゼ達の部隊に魔獣の群が一斉に衝突した。
その瞬間、前方にいた盾持ち、槍持ちは一人残らず吹っ飛び、直ぐに部隊の中腹まで到達した。
「ヘマしやがって……!!おい、騎馬隊百、俺に着いて来い。援護に行くぞ!!」
エグゼ達が突破されてしまうと、これまでの戦いが全て水泡と化してしまう。この状況に、普段冷静なベールも焦らざるを得ない。
「土属性……。あっ、──グランドウォール!!」
地面から硬い土の壁が出現する。厚さはそれ程でもないが、全速力で走る魔獣の足を止め、そして止まり切れなかった何匹かを土壁に衝突させ、命を奪う事も出来る。
ここで漸くブリシュが壁の意味を理解したのだ。
「なるほど。壁って、こう言う事か。よし、グランドウォールが使える者達は魔力をふんだんに使って壁を作れ!奴らの足を止めるぞ!」
「はい!…神風の加護を受けし大地よ、豊穣の恵みを祀りて讃え、その力を我らに貸さん。──グランドウォール!!」
詠唱の後、次々と作られる土壁を前に魔獣達は遂に完全に足を止めた。
それでも、逃げ場が此処しかないと感じた魔獣は登って越えようとしたり、破壊しようとしたりするが、攻撃の度に土壁は修復され、そして、ベール大隊の騎馬百と岩蟹を全て討伐したエマも後ろに着いた。
(さあ、こっちはもう大丈夫だ。……だが、一番心配なのはやはり右。向こうには確か少数の騎士しかいなかった筈だ)
ベールの予感は的中していた。
右へ逃げた魔獣は次々から次へと戦場を抜け、広い草原を駆けていた。
「クソッ!!数が多すぎる!!」
「我々でも全てを倒すのは無理だ!!」
左にはまだエグゼ達三百人弱の先行隊がいたからこそ、ギリギリで持ち堪えられた。だが、最右翼にいたのは第一師団の予備隊の騎士、八人だけだ。しかも、その内の三人は入団して間もない新米だ。
他の第一師団の面々が援軍に行こうと馬に乗って、駆けつけようとするが、距離を離しすぎている。スタミナが殆どない馬では到底間に合わない。
(駄目だ!!折角援軍も来て、勝利目前だと言うのに、こんな事で……我々の失態で……)
遠目でこの光景を見ているプロキソスは歯を強く噛んで歯茎から出血をさせる。悔しさとやるせなさで頭が一杯なのだ。
(ここまでか……)
この時、第一師団の誰もが諦めようとしていた。
しかし、それと同時に第一師団が取り逃した魔獣達が次々と倒れ始める。
「──なんだ?」
「……矢?」
その矢は壁上からの物ではなかった。壁上の弓部隊は全てルケラ大隊の開けた穴を埋める為に使われている。
「これはっ……!!」
プロキソスはこの技術に覚えがあった。
ただ、遠くから正確に真っ直ぐと生き物一匹一匹の急所を撃ち抜く、この芸術とも言える技術を。
「サテラかっ!!」
「お見事。命中です」
「どうやら、ギリギリで間に合ったようね」
北門から約二十五粁離れた丘の上でサテラ・アウストラリス率いる王国騎士第九師団が陣取っていた。
ガハリシュで緊急事態を受けた彼女達は直接王都へ向かわず、王都の壁を見渡せる位置へと移動していた。
「ふっ……ここからじゃあ、私しか狙えないけど、後数匹射って、時間を稼げば充分ね。うちのかわい子ちゃん達も船で向かってるし……。でも、結局の所、残りはヴァルゴが全てやってくれるんでしょうね。……強いから」
「さあ、魔獣共……詰みだ」
* * * * *
その後、駆けつけた衛兵団の大隊二つと第六師団が主に魔獣の掃討を担当。
最終的に数匹には逃げられてしまったが、その逃げた魔獣も第九師団が全て仕留めた為、北門前の戦いは人間側の勝利で終わる事となった。
北門前の戦い被害
衛兵団(援軍、予備隊も含めて)
死者 約千九百人
負傷者 約三千二百人
冒険者
死者 七十六人
負傷者 百四十一人
魔法使い・魔導士ギルド
死者 五十九人
負傷者 九十八人
第一師団
死者 三人
負傷者 十九人
第二師団
死者、負傷者共になし
第五師団
死者 五人
負傷者 十三人
第六師団
死者なし
負傷者 二人
第九師団
死者、負傷者共になし
その他
死者 五十人
負傷者 二百人
討伐数
ジャルド 百八十匹
ルケラ 零匹
ベール 五十一匹
ラデン 三十匹
カルラ 四十八匹
レオ 四千五百匹
ネメア 千二百八十七匹
ハーマル 八百七匹
プロキソス 千三十三匹
タウルス 六匹
イオ 三匹
ニルヴァーナ 八百九十九匹
ノヴァード 零匹
クバル 一匹
エマ 三十七匹
ヴァルゴ 一万二千匹
サテラ 四十六匹
エグゼ 五十匹
ブリシュ 五十三匹
物語中、時折り出てくる『魔紙』についてはその内説明します。