第2章 67『率いる者』
最後に重大告知があります。
北門前の前線、ベール大隊の持ち場は多少の犠牲は出しつつも他の前衛よりかは安定して前線を保たせられている。
「ラデン」
「──?」
「右に…お前の部下を連れて、ルケラの持ち場に行ってこい」
「はあ。分かりました。ですが、私の部下が抜けるとなると、百人は減りますよ。此処は大丈夫なんですか?」
「おいラデン。俺を誰だと思っている?たかだか百人抜けたくらいで俺の隊がやられると思っているのか?」
「──!申し訳ありません。失言でした」
「それにな、この戦いはもう直ぐ終わる」
ベールは笑みを浮かべ、左を数秒見ると、腰に着けた鞘から剣を抜剣した。
△▼△▼
後衛よりも僅かに後ろ、壁上の真下では馬に乗った二百人の衛兵が整列をしていた。その整列をしている衛兵達の前で馬から下馬したクバルは腕を後ろで組む。
「集まったな。……先ず最初に言っておくが、今から我々が行う事は囮だ。だから、わしを含め、此処にいる全員が生き残れる保証はない。いや、殆どが死ぬだろう」
衛兵達に緊張感が走る。中にはこの話を聞いて胃の中の物を地面にぶち撒けてしまっている者もいる。
「…そ、それは命令ですか?」
「ああ」
「いや、元々俺達は敵前逃亡で最悪の場合は打首もあり得ますよね?」
「ああ」
「だから、我々はそれの挽回の為に今此処で囮になれと…そう言う事ですよ…ね?」
「全くもってその通りだ」
淡々と話すクバルの表情は殆ど変わっていない。衛兵団団長としての覚悟が決まっているのだ。此処にいる二百人を率いて死ぬ覚悟が。
「前線の一部が崩壊した今、戦場の勢いを今一度此方側へ取り戻すにはこれしか方法がない。我々が囮となり、少しでも魔獣を前線から引き剥がす。そうする事で、少しでも前衛の負担を減らせれば、きっと、この戦いは勝利へと向かうだろう。…そして、我々は次の世代の…子供達を守る為に此処で死ぬ。…いや、死んでくれ」
△▼△▼
時は遡り、魔獣出現から約十分が経過した時、王都シミウスから北西に位置するポルックスで隊長のヴァルゴ率いる王国騎士第六師団の面々がダイアミラーを除き、ヘリオスからの緊急事態に耳を傾けていた。
「ふむ、なるほど」
ヴァルゴはダイアミラーを閉じ、団員を見渡す。
「聞いての通り、どうやら、王都に多数の魔獣が接近しているようだ。詳しい数はまだ分からないが、非常事態の為、最小限の荷で三十分後には此処を立つ。総員、第一戦闘配備!」
「はい!」
ヴァルゴの命令に返事をした騎士達は訓練で付いた汗を拭きながら出発の準備を始める。
「エグゼ、ブリシュ」
「はい」
「なんですか?」
そんな中、ヴァルゴは積み込み作業を行っていたエグゼとブリシュに声を掛けた。二人は作業の手を止めて、上官に対する姿勢にシフトチェンジした。
「そろそろいい時期だろう。お前達二人には本体より先に先行隊として出てもらう」
「先行隊…」
「セフォネ、早馬の準備を」
「了解です」
ヴァルゴの指示を聞いた副隊長のセフォネは頷いて了承すると、持っていた書類を机に置き、馬小屋まで駈歩で向かった。
「ヴァルゴ隊長、先行隊を出すと言うのは分かりますが、どうしてその役目を自分達に?」
「…お前達、王国騎士に正式になってから二年を過ぎただろ?」
「はい」
「本来なら、二年目ともなると幾度かの遠征を経験する筈なのだが……お前達はまだ今もこうやって雑用をしている。今避難をしているであろう王都の住民達には悪いが、これはいい機会だ。これまでの訓練の成果を発揮するにも丁度いいだろう」
「…なるほど。俺達の力を見せてやるって事か。なあ、エグゼ!」
「………」
「だが、ただ先行隊として戦うだけでは駄目だ」
ヴァルゴは地面に地図を広げてしゃがむと、近くに落ちていた木の枝を拾い、王都の北門を指した。エグゼとブリシュも地図の見やすくなるように腰を落とし、木の枝の先を注視した。
「此処から王都に着くまでに、いくつかの村がある。そこで人を集わせ、戦力を増強させるのだ。そして、戦力を揃え次第、敵の背後を討つ。それがお前達の役目だ」
「人を集める……つまり、集めた者達を指揮しながら戦えと言う事ですか?」
「その通りだ。お前達が新人とでも言わなければ、騎士と言う肩書きだけで人は集まるだろう」
「それは分かりましたが、自分達に大勢を纏める事は出来るでしょうか?せめてもう一人、ベテランの方が着いてくだされば……」
「エグゼ、そりゃ駄目だ」
ブリシュは至って真面目な表情をしながら、弱気なエグゼの言葉を遮った。
「ブリシュ」
「ヴァルゴ隊長、失礼を承知で申します。この先行隊の役目、いや、目的は言ってしまえば主力を通す為の様子見の部隊…つまりは捨て駒ですよね?」
「……!!おい!!」
無礼すぎるブリシュの発言にエグゼは思わず大声で強く突っ込んでしまう。その声は古城の中で響き、作業していた全員の目線が二人に集まった。
「……そうだな。分かっていたのか。ならば、はっきり言っておこう。捨て駒と言う訳ではないが、今回の敵はどうも可笑しい。前提として、今我々のいるヘクス運河内では魔獣の数なんてたかが知れている。なのにだ、ヘリオスの連絡は緊急を要するものだった。つまり、王都へ進行している魔獣の数は想定している数より多いと見れる。だから、お前達には主力の息が整うまでの間、仮染めの援軍として動いて欲しいんだ。勿論、お前達二人には死んでほしくないとは思っている。だがな、人間、一度は死ぬ思いを経験しなければ強くはなれない。これは、お前達が本物の騎士となる為の試練だと思って取り組め。いいか?これは隊長命令だ」
隊長命令ともなれば、二人に拒否権はない。このヴァルゴの発言に新兵は自分じゃなくてよかったと言った表情を溢している。
「丁寧なご説明ありがとうございました。騎士ブリシュ・アーカイラム、隊長命令、しかと承りました」
この数年で騎士としての所作を覚えたブリシュは左膝を地面に付き、ヴァルゴからの命令を受け入れた。
「ブリシュ……。騎士エグゼ・リベーソ、同じく」
ブリシュの反応を見てからだが、エグゼも同じように左膝を地面に付き、命令を承諾した。だが、エグゼにはまだ不安が取り巻いている。別に死にたくないと思っている訳ではないし、この任から逃げ出したい訳でもない。ただ、自分に仲間を率いて敵と戦う覚悟がないのだ。何故かと言えば、今から行うのは村々から戦える者を集めて自分達より数が多い敵と戦う。はっきり言って、援軍の部隊とは言え、背後を取っているとは言え、少なからず死者は出る。もしかすれば、その死者がブリシュである事もあり得るのだ。それが分かっているからこそ怖い。その恐怖がエグゼの覚悟に封をしてしまっている。
「ああそうだ。──ヴァルゴ隊長。さっき、人間は死ぬ思いをしなければ強くなれないと言いましたけど、それに関しては大丈夫です。俺ら、何度も死に掛けた事あるんで」
「…ブリシュ」
* * * * *
ヘクス運河沿いの舗装された街道を騎馬七十と歩兵二百三十が全速力で走っている。この部隊の先頭の二頭の馬にはエグゼとブリシュが騎乗し、道中の村々から集めた衛兵、傭兵、そして志願兵を男女問わずに集められた寄せ集めの部隊を率いているのだ。
「ブリシュ、そろそろだ。抜剣をしておくぞ」
「ああ。……って、おい!なんか数多すぎないか?百や二百なんてもんじゃないぞ!」
「隊長も言ってただろ!想定よりも数は多いだろうって」
「それでもだ!魔獣で向こうがどうなってるか全然見えないじゃねえか!」
北西からの景色では戦場を一望する事が出来ても、その景色は魔獣で埋め尽くされている。もうここまで来たら、怖いとも言ってはいられない。
(やるしかないのか…)
馬の手綱を握る左手が震える。
△▼△▼
「押し返せ!敵の数は少なくなっているぞ!!」
「おおおおおお!!」
ラデン中隊と合流し、戦力が増強されたジャルド大隊は再び真正面から魔獣を迎え打つ。
ジャルドの右にはラデンが立ち、右腕を失ったジャルドのカバーをしている。
「流石に…きついですな」
「もう少しの辛抱なんでしょう?今が我慢時なのでは?」
「…煽らないでもらおうかっ!私は…前線で戦う兵ではないのだ!貴方こそ、傷害老兵は邪魔になるんで、下がってもらえますかね!?」
最後の総力戦となるこの北門前の戦場、守りの要である中衛部隊も前衛まで駆り出され、最初は嫌々だった冒険者達も衛兵や騎士と共に剣を振るい、魔法を放つ。この事からも、もう直ぐでこの戦いが決着が着くのは明らかである。そして、この戦いの中で人知れず魔獣を引きつけている囮がいるのは一部の者を除き、知っている者はいなかった。
「団長!三体掛かりました!」
「よし!スタミナが切れるまでそのまま引きつけろ!」
全速力で走る馬の上で髪をオールバックにし、風を切りながらクバル含む衛兵三人は後ろから段々と近付いてくる魔獣から背を向けて逃げている。
(──逃げ切れるか!?)
「団長!!助けてくださいッ!!だんちょぉぉぉ!!」
クバルの視界には先に囮となった班の班長が十二米はある魔獣サイクロプスに人差し指と親指で摘まれ、今、その巨大な口に放り込まれようとしていた。
サイクロプスは、全身が深緑色で二足歩行のまるで人間をそのまま大きくしたような魔獣だ。サイクロプスの特徴は、額にデカデカとある巨大な一つ目だ。あの目は人間の数十倍もの視力を有しており、獲物を見つける為に人間と同じの祖先から進化したものと言われている。その人間と同じ祖先であると思われているのに、何故人間を捕食対象とするのかは未だ不明となっており、人々にとっては恐怖の象徴となっている。しかし、サイクロプス以上に人間とは不思議な生き物で、天敵である筈のあの魔獣をその禍々しい姿から信仰をする者さえも存在している。
「いやだああぁぁぁぁぁぁ!!!」
「……すまん」
クバルは目を瞑り、見捨てる判断を下した。
そして、数秒もしない内に衛兵の悲鳴が聞こえなくなった。クバルと両隣にいる衛兵はせめて即死であってくれと神に祈ったが、次に耳に届いた音は、ゴリゴリと骨や金属を噛み砕く咀嚼音であった。何度も何度も繰り返されるその不快な音は、内耳の奥にまで届き、クバルの両隣の衛兵は顔を真っ青にしながら失禁をしてしまう。だが、結果として、サイクロプスの前には人間の作った鎧など、全く役に立たないと言う戦果を得る事が出来た。
「お前達は一度離脱しろ。後ろの三匹はワシが引き受ける」
「…!!ですがッ!!」
「このまま逃げ続けても馬のスタミナが切れる方が早い。犠牲を出すのならより少なく、そして、より未来がない者を見捨てろ。…今切り捨てるべきは、十中八九ワシだ。お前達は離脱次第、偵察部隊と合流。この作戦を伝え、援軍が来るまで囮を続けろ」
遺言ともとれるこの発言は二人に重い枷を付けた。
「……分かりました」
言われた通りに二人は足早にこの場を離脱し、クバルからある程度の距離を取った。それを確認したクバルはズボンに括り付けた袋を爪で破った。
すると、袋から黒い液体が馬の通った跡を追うようにポタポタと垂れ始める。
(来るか?)
クバルが蒔いた液体の正体は、魔獣を寄せる為の集合フェロモンである。
(来た!!)
つまり、魔獣達は狩の脳を忘れ、生殖本能に従うようになる為、より引き付けられる時間も延びる。
(奴らの足も速いが……馬の馬力を舐めるな。このまま川に落としてやる!)
今のクバルを追っている個体は命令や群の統率、狩、全てを忘れ、ただ見えない幻を追って走っているのだ。この状況は逃げるクバルにとっては好都合と言えるだろう。
「もう少しだっ……!」
だが──
「……なっ!?」
突然、横から滑り込みように、クバルの目の前に三米はある巨大な影が一つ立ち塞がった。
「ぐおっ!!」
咄嗟の判断で馬に急ブレーキを掛けたのだ。クバルの身体は五秒宙を舞い、何回か視界に空が写り、そして、地面に強く背中を打った。
「──ッッ!!」
痛みを我慢しながら、クバルは顔を上げると、そこには自身の体長の倍はあろう大きさの鋏を持った巨大な蟹が鎮座していたのだ。これも魔獣だ。
(岩蟹だと…!?一体何処にいたんだ?あの群の中にはいなかった。もしかして、集合フェロモンに惹かれて?或いは、最初から此処に配置されていた?──クソ!どっちにしても最悪だ。目の前には岩蟹、後ろからは三匹の魔獣……内一匹はキラーウルフ。……これは、遂にワシも賽の目に見放されたか)
最早クバルには剣を握る力さえ残されていない。先程の落下のダメージが残っているのもあるが、身体の全盛期をとっくの昔に過ぎた今の身体では魔獣一匹の相手が関の山だろう。つまり、生存は絶望的だ。
(いい人生だった)
クバルはこの結果を甘んじて受け入れようと諦観を始めてしまった。
瞳を閉じ、心を落ち着かせ、胸ポケットからタバコを一本取り出す。最期の一本だ。
「最期の一本にはまだ早いんじゃないですかね?」
「──!」
声が聞こえると同時に目の前にいた岩蟹の体が縦に真っ二つに両断される。
「…あ」
「ギリギリセーフ…ですよね?」
「エマ!」
間一髪の所で助けに入ったのは第七師団のエマだった。額から汗を垂らし、荒くなっている息を大きく吐く。
「まだ来るぞ!!」
しかし、まだ助かってなどいない。クバルを追いかけていた三匹の魔獣がもう後十数米まで迫っている。
「ええ、分かってますよ!」
もう後コンマ数秒でキラーウルフの爪がエマの肌に届こうとする寸前、エマは剣を逆手に持ち替え、大きく遠心力を付けて、ウィングブレードを放った。
風属性の力が加わった飛ぶ斬撃は、障害物のないこの平地では威力は落ちず、また、邪魔も入らない。つまり、この魔獣達の運命は先程の岩蟹と同じ、真っ二つである。
今度は横に二つに分かれた魔獣の体が地面に内臓や血を撒き散らしながら走っていた勢いのまま擦っていく。
「……すまんな。助かった」
「いいって事ですよ。貴方に死なれると、僕らの仕事が増えるんで、助けたまでです」
「そうか。それでも、命を救われたんだ。…ありがとう」
クバルは痺れる身体を無理に動かし、エマに感謝を述べた。
「………」
意外なお礼にエマはクバルから目線を離す。
「ところで、どうしてお前が此処にいるんだ?確か、第七師団は西のワーボンに…」
「僕だけ別の仕事で数日前まで王都にいたんです。それが終わって、ワーボンに向かう途中に寄った村で王都が襲撃されたのを知って、ポルックス付近にいた第六師団と合流した後、先に出た援軍に加わり、此処まで戻ってきました。それでも、クバルさんを見つけられたのは運ですけどね」
「運か…。ワシもまだ、天命に見放されていないと言う事か…」
「ふふっ…」
「それよりも、ちょっといいか?さっき援軍に加わったと言ったな?第六師団が来たのか?」
「いえ、第六師団の本隊が到着するのはもう少しだけ遅れそうです。僕が加わった援軍は、本隊よりも先に出た先行隊です」
「先行隊……、率いているのは?」
「…僕もよく知らないのですが、少し前に見習いから正式な騎士になった男二人と…」
「見習い?……待て、その者達の名はエグゼとブリシュではなかったか?」
「ああ〜、確かそんな名前だった気がします」
(あの二人か……。聞いた話によれば、英雄フライデン・ホーフノーから名剣の一つを受け継いだと聞いてはいるが……新米の騎士にこの対局を崩せるかももしれない援軍の指揮が出来るのか?)
クバルは、最強の騎士ヘルドに次ぐ実力を持つヴァルゴが何の意味もなく新米二人に援軍の指揮を任せる訳がないと思ってはいる。任せているのは、何かしら理由と勝機があるからだと、クバル自身思ってはいるが、それでも、この重要な対局に、敢えて自分ではなくあの二人に任せた理由がクバルには分からなかった。
どうも、ドル猫です。先ず最初に今話を最後までお読みいただき、ありがとうございます。
さて、第2章60話から始まった北門防衛戦は次回で決着がつきます。はたして、人類は魔獣の侵攻を止められるのでしょうか?
そして、大ニュースが二つあります!なんと、勇者の弟、同人ドラマCD化決定です!まだ発売日は未定ですが、一つのメディア展開ができるという事に作者自身、ワクワクしています。
もう一つのニュースは、勇者の弟とは一切関係がないのですが、来年の春に新作小説を投稿します。
最後に、よろしければ、評価とブックマーク登録をして頂けると幸いです。