第2章 66『大隊長の意地』
「ジャルド隊、突撃!!」
ジャルド率いる六百人の衛兵達が魔獣の群れの横っ腹に全員で突撃した。
この突撃で壁にまで到達していた筈の魔獣達の勢いが一気に失われる。このお陰で最終防衛ラインを塞ぎに来た第二師団の騎士数人の負担もなくなり、扉へと向かっていた魔獣を一掃した。
「押し返せえええぇぇぇぇ!!!」
隊を立て直したジャルド大隊と第五師団の三人の活躍である程度は前線を押し戻す事は出来た。しかし、それでもまだ魔獣は中衛の防衛線にいる。やはりと言うべきか、中衛にまで流れ込んだ魔獣の数が他の前線の比ではないくらいに多いのだ。その数凡そ六千。
(駄目かっ!?)
元から分かってはいた事だが、案の定、六百人程度の群勢では、その十倍の数はいる魔獣には敵わない。
その為か、数分前よりも少しずつ士気が下がり始めている。戦いは数と言う言葉があるように、やはり、数で勝る魔獣には勝てないとでも言うのだろう。
──否!!
「まだだッッ!!」
例え数、統率力、力で負けていようとも、人にも魔獣に負けていないものがある。それは知能だ。人は非常事態に陥ってしまったとしても、そこから考えて一人一人が事態に対処する力がある。しかし、考える事は皆違う。だから行き違いも起きるし、人同士で諍いも起こる。だからこそ、人は弱いのだ。しあし、その一人一人の力が弱くとも、それが百、二百と集まり、全ての意見を纏められるリーダーシップを持つ者が出てくれば、それらは大きな力となり、人は一つの群れとなるのだ。
「一度全体を中衛まで戻し、体勢を立て直すぞ!!その後にもう一度再突撃だッ!!」
「おおっ!!」
「……へぇ。あのおっさん、意外に頭使うじゃねえか」
「突撃ばっかのうちの隊長とは違うなぁ」
ジャルド隊の衛兵達が一斉に前線から撤退し始める。敵に背を向けると言う事で無防備な後ろを魔獣に取られるが、殿をガリエラ、ケナン、ザクロの三人が務めたので、被害は少なく済んだ。
「何人減った?」
「…此処まで来る道中で四人、先程の突撃で十人は……」
「分かった」
それでも、人は死ぬ。このまま何回も突撃を繰り返してしまえば、少しずつ人数は減り、十回は突撃する頃にはジャルド隊は全滅するだろう。
(どうする?また突撃しても貴重な兵力を徒に消費するだけだろう。だが、中衛で脚を止めてる時間もない)
六百人弱では出来る事に限界がある。それが分かっているからこそ、ジャルドは再突撃を躊躇っていた。中衛の冒険者達と連携が組めれば話は別だが、戦い方が分からない冒険者と戦っても、中衛の壁が薄くなってしまうだけである。
「おいおっさん。何やってんだ?再突撃すんだろ?……何を迷ってんだよ。さっさと決めろ」
「……うっ」
冗談かもしれないが、ケナンから先程殺害予告を出されている。つまらない戦いをしたら殺すと。最初はジャルドを奮い立たせる為の発破かとも考えたが、今のケナンの表情は明らかに違う。眉を吊り上げ、如何にも怒ってますよと言った表情だ。つまり、彼は人の生き死に関係なしにただ戦いたいのだ。だから、ジャルドを殺すと言ったのも嘘じゃない。何かあれば、間違いなくケナンはジャルドを手に掛ける。それはケナンだけじゃなく、ガリエラとザクロの二人も同じだろう。
「分かっている。──ガリエラ、ケナン、ザクロを先頭に再突撃だ!!目標は魔獣の群れ!!ただし、これ以上は死ぬのは許さん!!生きて帰るぞ!!」
「おおおおっ!!」
生きて帰る。この一言だけで隊の士気が大きく上がった。特に狙って言った訳ではないが、この一言があるのとないのとでは士気の上がり方に雲泥の差が出来る。
兵士一人一人にもいるであろう家族達。家族の為にも今この場で戦う兵士達は生きなければならない。生きて──
「ただいま」
と言わなければならない。その事にジャルドの部下は気付いたので、士気が上がったのだ。
(俺には、ルケラのような頭脳や策がなければ、ベールのような判断力や視野の広さもない。だけど、俺にも意地があるんだよ。大隊長として意地が!!それでも、俺にあるのは、長年の勘と仲間を率いて進む事だけだ。……結局は俺にはこれしかやれないんだ)
しかし、当の本人は全くそんな事は思っていなかった。いや、思う為の脳のスペースがもうなかった。ジャルドだけはこの場をどうすればいいか、それだけで頭が一杯一杯となり、とても士気の事なんて考えられなかった。つまりは、並べた言葉も口から出た──言わば嘘だ。
「言うじゃないか」
「──え?」
「漸く、上官らしく俺達に命令したね」
「それが普通ですけど」
だが、その嘘も時と場合によっては刺激剤となる。それが幸運な事に騎士三人の心に火をつけた。
「まっ、命令はこなすよ。俺達が先頭に立って、群れに風穴開ければいいんでしょ?」
「ええ、目に物見せてあげましょう」
「奴らの牙、抜いてやろうぜぇ!!」
三人はそう言うと、ジャルドの突撃命令もなしに馬に乗ってスピードを飛ばし始める。
「……騎士だけに頼ってはいられん!我々も行くぞ!」
三人に続いて衛兵達も正面から魔獣を叩こうと声を出し、剣を抜き、馬を走らせる。
「シャラアッ!!」
先行して真っ先に魔獣の群れに到達したケナンは背中に背負っていたロングソードを抜くと、その長物を無雑作に振り回し、前方にいた数匹の魔獣の首を一気に刎ねた。
「──サラマンダー!!」
ガリエラが放った魔法が周囲の魔獣を巻き込みながらザクロへと一直線に向かっていく。
「──っとお!!ウィンド!!」
これに対しザクロは、魔法が当たる寸前に風属性の魔法を放ち、魔法の軌道を正面にいたビッグフロッグへと逸らした。
流れ弾で魔法が直撃したビッグフロッグはもがき苦しみながら辺りを跳ね回っていたが、全身が炎で包まれた所で動きが止まった。おそらく、一酸化炭素中毒で窒息死したのだろう。
「ガリエラ、何処狙ってんだよ!」
「──チッ、外したか」
「ああ!?」
戦場の中、ガリエラとザクロの目と目が合う。
「……あったまきた。ぶっ殺してやる」
「殺れるもんなら殺ってみなさいよ」
怒りが沸点へと到達したザクロは背中に背負っていたモーニングスターを手に取ると、馬から下馬した。
「あんたがそれを持つって事は……本気でやるって事で…いいだよね?」
「テメェこそ…、馬に乗ったままでいいのか?」
「あら?馬の上の方が高さのリーチがある事…知らないの?あんたこそ、馬に乗ってなくていいの?」
「黙っとけよ。テメェは昔っからケナンより気に食わなかったんだよ」
「私も同じ」
二人の間にこれ以上の言葉は必要ない。ふとしたタイミングでザクロがガリエラに向かって仕掛ける。
すると、その隙を狙ってか、左からキラーウルフがザクロの意識の外から襲おうと口を大きく開き、跳び掛かる。
「ルルルアァァ!!」
そして、ガリエラに向かってモーニングスターで勢いよく殴り掛かる。その瞬間、モーニングスターの持ち手と鉄球部分が分離し、そこから鎖が現れる。
「──!!」
この鎖が鉄球のリーチを伸ばし、ガリエラの方へ向かう。
虚をつかれたが、ガリエラも並の人間ではない。左手に待っている剣で上手く攻撃をいなすと、右手の手綱を離し、モーニングスターの鎖を掴んだ。すると、モーニングスターの重さと鎖を引かれた事による反力が加わり、直角に鉄球が動く。その鉄球はザクロを牙に掛けようとするキラーウルフの頭に直撃し、一気に肉ごと頭部の骨を抉った。
だが、このキラーウルフを合図に他の魔獣の箍が外れ、一斉にこの二人を三百六十度全方位から襲い掛かる。
この数の魔獣に数秒間は二人の影も形もが魔獣の中に消えてしまったが、それから直ぐに魔獣で作られたカマクラの中から鉄球が現れ、辺りの魔獣を一掃してしまった。
「おうおうどうしたよぉガリエラさんよぉ。血塗れじゃねえか」
「あんたこそ、その腹の傷、内臓まで達してんじゃないの?」
そして、その中から姿を現したガリエラとザクロは、自分と魔獣の血を全身に被り、人かどうか見分けがつかない程ボロボロになっていた。
(……流石に痛いな)
(仕方ない。あまり使いたくはなかったけど……)
もう二人には周囲の魔獣なんて見えていなかった。無論、二人の傷はお互いに付けたものもあるが、殆どが先程襲われた際に喰らった傷である。
そんな重症であるから、二人の周りには未だに魔獣が数多くいる。それでも、第二陣が襲おうとしないのはこの二人から溢れ出る殺気の所為なのだろう。
しかし、その殺気があろうとも、二人がボロボロで今にも倒れそうなのは間違いない。そうなると、また仲間割れを始めたら、魔獣の第二陣が一斉に二人を襲うだろう。
それでも、当の本人達はお互いの事しか見えていない。
ザクロはズボンのポケットから、ガリエラは馬の背に括り付けた小さな鞄のファスナーを開け、その中から一本の注射器を取り出した。
この注射器が何を意味するか、本人達だけでなく、魔獣も理解した。
──切り札だ。
「!?」
その注射器を自分の身体に撃とうとした瞬間、二人の手を後ろからの轟音が止めた。
(なんだ…?)
音がした方向を見ても、そこには魔獣の姿しか見えない。どうやら、気付かない内に二人は群れの中腹まできてしまっていたようだ。
(そういえば、後続が付いてきてない)
(ケナンもいないし、囲まれてるし、これは…分断されたか)
二人は持っていた注射器を軽い力で割った。緑色の液体が指の先から流れ、ポタポタとそれが地面に落ちる。
「ガリエラ、一時休戦」
「別に私達は敵って訳じゃないんですけどね」
「先に仕掛けたのそっちだよ?」
「……まあ細かい事は気にせずに」
仲間割れを利用された魔獣達の統率の取り方に一本取られ、その事にやや頭にきてしまった二人は味方のいる陣営を一点に見つめ、今度は行きとは逆方向の突破を試みる。
一方その頃のジャルド率いる衛兵部隊、彼らもガリエラ達に続いて再突撃をしようとしたが、それを何処からともなく突如として現れた土熊、糸蟷螂、赤蜘蛛ら大型魔獣に進軍を止められていた。
「くそっ!こいつら、何処から出やがった!?」
先頭にいたジャルドですらもこの魔獣達の存在には気付く事が出来なかった。本来、この三匹の魔獣は不意打ちでもなければ、どれも正々堂々と正面から戦っても先ず勝ち目はない。この魔獣達は精鋭部隊の衛兵を最低でも十人は動員しなければまともに戦う事すら不可能だ。なので、当初からこの混戦の中でも討伐難易度や凶暴性が他の種類よりも著しく高い魔獣は壁上の弓部隊と王国騎士に任せる予定であった。
しかし、こうも会敵してしまっては逃げる訳にもいかず、衛兵達は人海戦術で土熊達と戦おうとした。
(……普通の個体ならどうにか俺達でも戦える。だが、なんでどいつもこれまでの報告にない大きさの個体なんだ!?)
──が、剣や槍の攻撃は土熊の体毛を前に鈍と変わらない物と化し、糸蟷螂に捕まった者は強化魔法で硬くなった身体ごと蟷螂特有の鎌で両断され、赤蜘蛛を相手にした者はキラーウルフを超える圧倒的な機動力を前になす術もなく殺されていった。
(どうする?一旦下げるか?いや、ここで簡単に隊を下げると士気が間違いなく下がる。それとも、ケナン達が戻るまで持ち堪える?いや、それも駄目だ。いつ合流出来るか分からないし、これは……俺が囮になるしかないか)
ジャルドは剣を鞘に収めると、千切れた仲間の腕を口に咥え、馬の手綱を強く握った。
(何匹引きつけられる?最低でも一匹、できれば二匹は…)
「その必要はない」
「え?」
ジャルドの隣に左からすれ違うように馬が通っていった。
「うらあああああ!!」
同時に土熊の背後から五人の重武装の兵が現れ、同時に土熊の背中に槍を突き刺し、斬撃を入れた。
「なっ、彼らは…」
「手塩にかけた私の兵ですよ。実力は精鋭部隊にも退けを取りません」
「いや、そんな事を聞いてはいない!何故お前が此処に……ラデン!」
「隊長の命令ですよ」
「隊長?ベールか!」
「はい。ベール大隊長の命により、ラデン中隊百人、援軍に参りました」
「援軍だとッ!?」
「援軍だけじゃありません」
ラデンは長く伸びた鼻髭を摩りながらジャルドに単眼鏡を手渡した。
「それでこの戦場を一望してみてください」
「………」
言われるがまま、ジャルドは単眼鏡で北門前の戦場を端から端へと見渡した。すると、魔獣の群れから左、偵察の部隊も配置していない筈の場所で馬が三匹走っているのが見えた。
「……!!あれはっ…なんで…?」
「見つけましたか?私も驚きましたよ。まさか、団長自ら囮役を担うとは」
その馬に乗っている人物、それは、あろう事か、衛兵団団長のクバルだったのだ。クバルが壁上の弓隊を率いて、魔獣を少しずつ群れから離していたのだ。
△▼△▼
「──ん?」
同時刻、王都シミウスから出た避難船に乗船している護衛の傭兵が運河にそいながら全速力で馬を走らせている群勢を目撃した。
(なんだあれは?王都に向かっているのか?三百人はいるぞ)
その三百人の先頭には王国騎士団の制服を着た二人の男が緊張している面持ちで三百人を率いている。
「見えてきたぜ。王都だ!」
「ああ。ところで、着いてからどうするんだ?ブリシュ」
「どうもこうも…やる事は一つだろ。俺達は期待に応えるだけ。だろ?」
「そうだな」
先頭にいるのは王国騎士第六師団所属の騎士、エグゼとブリシュの二人であった。
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