第2章 63『ノヴァードと言う男』
コロナで体調を悪くしてしまったので、投稿が遅れました。
「────ハッ!!」
熱い日差しに意識の覚醒を促され、目を覚ます。ブチャは先ず最初に腕と脚が動くのを確認する。手の指を握る。段々と拳が疲れ始め、ふとした瞬間に開いた。
(良かった……。ちゃんとある)
ブチャは体が無事な事にホッとするが、気を失ってからどれくらい時間が過ぎたのか分からない。周りを見てみると、そこは見慣れない家が並び、近くでは水の音もする。そんな街中で自分が寝ていた事に気付き、ブチャは辺りを首を降って見渡した。
(なんだ…此処?どっかの街か?)
見渡す限り視界に入ってくるのは、木造の家々だ。そんな普通すぎる光景を前に、逆に不安を感じてしまう。
ブチャは周囲を警戒しながらゆっくりと立ち上がり、街の中を徘徊し始める。
* * * * *
十数分歩いて分かった事だが、どうやら此処は壁に囲まれた街のようだ。街である事に変わりはないが、ただ可笑しな点が一つある。それは、ブチャ以外に誰もいない事だ。いや、もっと具体的に言うと、街には人間も魔人もそれ以外の全ての生き物、犬、猫、鳥、果ては虫すらもいないのだ。
「なんなんだこの街は?気味が悪い」
歩くのに飽き、ブチャは此処が何処なのか考え始める。
(落石で気を失った後に誰かに連れて来られたのか?)
だが、深く考えても仕方がない。頭で考えるのが苦手なブチャは、自慢の腕力で壁を掴むと、ボルダリングの容量で上り始めた。此処が何処か分からないのなら、高い所から見渡せばいい。そんな浅知恵だ。
こうして、ブチャは難なく壁を上り切った。
「おおー」
上り切った先に待っていたのは、一面緑の景色。大草原が地平線の彼方まで広がっている。この美しい景色に、思わず息を呑んでしまう程だ。
「……はっ、ハクション!!」
壁上で吹く風が肌に当たり、嚔を一つする。
「うお……おっと…」
その反動で足下がフラつき、前へと重心が傾いたが、すんでの所で踏ん張り、どうにか落下するのだけは凌いだ。
「……取り敢えず、下りてみるか」
一通り美しい景色を眺めたが、美しいだけで、上からはそれ以外に発見がなかった為、ブチャはまた壁をボルダリングの要領で、今度は下り始めた。
時折り、壁に突っ込んだ指から壁が崩れ、破片と一緒に落ちそうになるが、そこは自慢の腕力で持ち堪えた。
それから、七分程下りていると、いつしか片方足の裏で地面を踏む感覚が戻った。
「──お」
ブチャはもう片方の脚も壁から離し、勢いよく地面に四股を踏んだ。漸く、動かなかった状況が動き始め、内心僅かに喜んだブチャは、新しい景色をその目に焼き付けてやろうと大きく瞳孔を開いた。
しかし──
「……は?」
ブチャが地面に降りた先で見た物、それは壁上から見た何処までも続く広い草原ではなく、街だった。それも、先程まで自分がいた街とそっくりの。
「どっ…どど…どう言う事だ?俺は確かに壁を越えて……」
ブチャが今立っているのは街の中心部。壁からも再び遠く離れ、降り出しに戻ったような気分になる。
「……何がどうなってやがんだ?これは?」
明らかに可笑しい。だが、そうは思っても、事態は何も変わらない。ブチャは仕方なく、また壁へと歩き始める。そして、また壁の頂上まで上る。そこから見える景色は、前に上った時と同じ、何処までも続く、一面緑の草原。ブチャはこの同じ景色に不安を覚えながらもまた壁を下り始める。
そして、街に戻る。これの繰り返しだ。
この街に来てから、いや、閉じ込められてから一年の月日が経った。まるで出口のない迷路で同じ道を何回も彷徨うが如く、壁を上り、下り、そして街に戻る。毎日同じ事を繰り返していた。
「………」
ブチャの心は既に事切れていた。何故かこの場所では死にたくても死ねないし、腹も空かないし、睡眠欲も湧かない。
死ねないと言うのも難儀なもので、何度か、壁上から身を投げてみたり、民家の中で見つけたナイフで自害も試みたが、何をやっても、意識を失った直後に街の中心へと戻ってしまう。それに、死ぬ際の痛みもない。
「…………ははっ」
ふと、ブチャの口から諦觀の笑みが溢れた。唇を震わし、目線を上げるが焦点が合わない。無限に続くこの生き地獄の責苦に耐えきれず、遂に壊れてしまった。
それからはただ、自傷行為を繰り返したり、空を眺めて何十時間も突っ立っていたりと、もう壁へと近付こうともせず、このまま悟りすらもいつかは開いてしまうのではないのかと思わせる雰囲気だった。
──そろそろかな?
突然、そんな声が響いた。いや、脳内に直接語りかけてきたような気がした。
「………え?」
ほんの一瞬の瞬き、この僅かな時間の間に何が起こったのか。喧しい声が聞こえ、先程までの何もなかった無の世界から一転、目の前に広がるのは、活気に溢れ、人々が行き交い、笑顔が絶えない誰もが望む理想的な街であった。
「こ……ここは…?」
息を呑み、首を左右に振る。久々となる周囲からの視線に何故か緊張してしまい、ブチャは急いで物陰に隠れた。
「なっ…なんなんだ此処は?さっきまでとは雰囲気が……いや、それよりも……やっぱりか!!」
今ブチャが危惧している事、それは人間達がいる事だ。
人間の敵は魔人。それは逆も然り、魔人の敵は人間。此処が人間の街だとすれば、周りは全て敵であるのだ。
(どう……する?仮に此処から逃れたとして何処へ行く?……いや、逃げん。そうだ、俺は誇り高き魔王軍。人間共を全て殺して、この街を魔王領の一つにしてやる!!そして、空席になった魔王軍幹部の椅子に座るッ!!)
思い出した。ブチャが何故、あの作戦に乗ったのか。自分より上の者からの頼みだったとは言え、断る事が出来たのだ。プロキオンの弔い合戦、いや、違う。上を目指すブチャに取って、これは越えねばならない試練だと思ったからだ。今、一つ空いてる魔王軍幹部と四天王の席、そして、未だに後任が見つからない魔王軍全体に焦りが見える今、この状況を自ら変えてやろうと、そして、功を取って自分が魔王軍幹部になってやろうと言う気持ちがブチャを奮い立たせた。
「うおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!」
ブチャは物陰から飛び出ると、その勢いのままに殺戮を始めた。
人々の頭を砕き、逃げ惑う子供を踏み潰す。これまでの鬱憤を晴らすかのようにブチャは何人もの人を殺す。潰して、砕いて、噛みちぎって、引きちぎって、噛み砕いて、刺して、燃やして、溺れさせ、それこそ、色々な方法で殺しの限りを尽くした。立ち止まった時にはブチャの周りは真っ赤に染まり、至る所に転がり落ちている手足や目、何処の機能を司る物なのか判断出来ない、乱雑になった内蔵、全てがこの殺戮の惨さを物語っていた。
「はあ…はあ……けけけけけけ…」
殺り切ったと。不気味な笑い声と共にブチャはそう自分に言い聞かせながら天を仰ぐ。
「やっ、ややややややったぞ……」
辺りは既に闇夜に染まり、空に浮かぶ満月だけがこの舞台を照らしていた。
「月がでかい。空もオデを祝福しているのか……。ははははは……」
「そうみたいだね」
「……………は?」
聞こえる筈のない声、聞こえてはいけない声が耳に届いた。
悪寒を感じ、後ろを振り向いてみると、なんと、二階建ての民家の屋根の上で見覚えのある男がいるではないか。
「月が綺麗だと思うのは、人間も魔人も同じなんだ」
──ノヴァードだ。
「お前、どうして此処に……?」
「どうもこうも、此処は私の街だからさ」
「はぁ?」
「あっ、いや、この場合は違うな。もっと詳しく言うのなら、此処は君の街だね」
「何を言って…」
「ん〜、説明するのもめんどくさい。……私ってね、どうも人から教わるのとか、人に教えるのとか苦手なんだ。だから、アレを言い忘れる」
「………?」
ノヴァードがアレと指差す方向、それは真上だ。
「上?……んなぁぁッ!?」
視界に入ったそれに思わず腰を抜かしてしまった。
──何故って?
落ちてきているのだ。ブチャに向かって、規格外の大きさの天体──そう、月が。
口を大きく開けたまま、ブチャは脚をすくませていた。落下している月の影響で近くの建物や壁、そして川の水までもが月の引力に引かれて浮き始めていたのだ。
ノヴァードの姿はいつの間にかなくなっている。
この混沌とした世界でただ一人、無慈悲にも圧倒的な力の前に絶望の淵にひしていた。
そして、遂には自分の身体も浮かび始め────
「アアアアァァァァァァァ!!!」
しかし、身体が浮遊感に晒された直後、恐怖が最高潮に達した時、冷や汗と共にブチャの目が覚めた。
「………此処は?」
ブチャがいる場所はどうやら、家の中のようだ。目線を落とすと、下半身には捲れた布団が雑に掛けられ、今までの事が夢だったのかと安堵する。
「此処は、家…オデの家…夢……だったのか……」
周囲を挙動不審に頭を動かして、見てみれば、此処は自分の家である事が分かった。その事実を知り、先程までの出来事が夢だったのだと、ブチャは完全に信じた。いや、信じざるを得なかったのだ。
(や、やっぱり夢だよな……あんなの……)
嫌でも頭に浮かぶ月が落ちる光景に身体を震わせながら、ブチャはゆっくりと立ち上がった。生温い湿気った空気が鼻につき、大きな嚔を一つする。
そして、寝起きカピカピに乾いた喉を潤す為に外にある井戸から水を組もうと、ドアを開けた瞬間──
「え?」
不意に腹部に熱い感覚が走る。すると、突然、体に力が入らなくなり、硬い地面に膝をついて俯せに倒れる。
(な、なにが)
手足もまともに動かせない中、ブチャは残りの力を使って上を向いてみると、そこには槍を持った人間が一人、悪魔のような表情でブチャを見下していた。
(こっ、こいつは……?)
槍を持った人間が誰かは分からないが、槍の先端に付着している血液からあれは自分の血だと理解した。そう、ブチャは刺されたのだ。
とうとう口から吐血し、もう直ぐ自分は死ぬのだと直勘する。だが、この碌でもない世界にお別れできるのだと思うと、不思議と体が死を受け入れた。
そして────
「………あ」
次に目が覚めると、そこは一面に様々な色が広がっている花畑だった。
「なんだ?此処は?……楽園?」
「ほう、此処が楽園とは随分と呑気な事が言えたものだな」
「──え?……あっ!貴方は!!」
ブチャは目の前にいる人物に驚きを隠せなかった。どう言う訳か、普通なら会う事すらも叶わない人物の登場に脳が大きくパニックを引き起こす。
「……って!これは…?」
先ず初めに気がつくべきだったのだろう。花畑と思い掛けない人物に意識が全て割かれ、自分が磔になっているとは今の今まで気付けなかった。
「これより、反逆者の処刑を執り行う」
「──え?」
「何か最期に言い残す事は?」
「いや、その……これって……」
「『潰れろ』」
また意識がなくなり、次に目が覚めると、今度は何処かの砦の中にいた。そこでは、無数のアンデットに襲われ、絶叫と共に再び死を経験。その後もブチャは目を覚ましては何度も殺され、様々な死に方を体験した。
圧死、縊死、事故死、討死、殪死、曷死、横死、餓死、過労死、窮死、斬死、絞死、獄死、骨折死、惨死、ショック死、衝撃死、焼死、浸死、震死、心労死、水死、窒息死、中毒死、直撃死、溺死、転落死、凍死、徒死、頓死、脳死、爆死、乾死、病死、服毒死、刎死、憤死、斃死、暴死、悶死、扼死、轢死────
永遠にも思えるような死のループ。死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで死んで
「ウアアアアアアアアアァァァァァァァ!!!?」
「あーあ……壊れちゃったか」
遠くで聞こえる戦闘の音が全て掻き消される程の大声でブチャは叫んでいた。その傍らで、ノヴァードは丁度よくあった岩に腰を掛けて読んでいた本を残念そうな表情をしながら閉じた。
「相変わらず怖いな。お前の寵愛は。味方ながら恐ろしい」
「イオさん、そっちも終わったんですね」
「ああ。残念ながら、此方は生捕りは叶わなかったがな」
「そうですか」
「それにしても、あれは大丈夫なのか?」
イオはノヴァードから目線を外すと、発狂しながら頭を地面に撃ち続けているブチャを指差した。
「グギァァァァァァァァァ!!!」
「……大丈夫でしょう。死にはしませんよ。……多分」
「多分とは、聞き捨てならないな。貴重な情報源だからな。俺が言えた事じゃないが、今は殺したくない」
「それは…生きるか死ぬかは、彼の精神力に賭かってますかね」
「精神力……か。俺はお前の『干渉』に罹って、無事でいられた奴を知らないがな」
「………」
イオはノヴァードの隣までくると、腰を下げて岩に座った。
「お前の寵愛、聞いた話だが、確か相手の夢の中に入って、その中で幻覚を見せるものだったか」
「……うーん、まあ大方合ってますが、詳しくは違いますね。私の寵愛の名前が『干渉』って言うのは合ってますが、効果が少し違いますね」
「ほう」
「私が干渉するのは夢じゃない。ここ」
ノヴァードはそう言うと、自分の側頭部を指差した。
「頭?」
「違います。もっと奥。生き物の行動を決め、身体を動かす為に最初の指示をする器官……」
「脳か」
「そうです。私は寵愛で対象の脳に精神干渉をする事が出来ます」
「成程。それで、彼奴に幻覚を見せてると言う訳か」
「ええ」
「どんな幻覚を見せているんだ?」
「……話すと長くなりますが、先ず最初に彼を街に軟禁しました。その街は一見すると何の変哲もない普通の街です。誰もいないと言うのと、街から脱出しようとしても、同じ場所に戻されると言う事は以外は。そこに彼には一年ほどいてもらいました。あっ、これは体感時間の話です。現実では一分未満の出来事です。その後は、心が壊れるまで彼には死に続けてもらいます。それも色々な殺され方、死に方でね。ああっ、勿論、ずーっと死なせるのも可哀想なので、途中で楽しかった思い出も見せてあげますがね。んで、今は殺され続けて四十二年目くらいかな。回数はえ〜っと…何回目だっけ?」
ノヴァードの長話が漸く途切れ、ノヴァードはブチャが何回殺されたか数える為に指を動かしている。
この話を聞いてイオが感じた事、それは、ノヴァードと言う男の闇の深さ、ゆっくりと喋りながらも笑っているその瞳の奥からは常人では理解出来ない範疇の闇が垣間見えた。だからこそ、変人しかいない第二師団にいるのだろう。
「あれ?イオさん、何処に行くんですか?」
イオは顔色を悪くしながら立ち上がると、無言でこの場を離れようとした。その行動に待ったを掛けるようにノヴァードは声を掛けた。
「報告しに隊長の所に戻る。暫くしたら、そいつを拘束しとけ」
「分かりました」
当然ちゃっ当然らしい理由にノヴァードも諦めがついたのか、それ以上イオに執着しようとはしなかった。
(全く、聞くんじゃなかった)
「あっ!イオさんも今度私の寵愛、体験してみますか?」
「遠慮しとく」
「それは残念です」
眩しい太陽が照らす地上ではブチャの絶叫が響き渡っていた。喧しい程に五月蝿い声は泣いている赤子を更に泣かせるだろう。しかし、その大声に誰も見向きする事はなく、近い距離である壁上にいる者達は弓矢を構えて遠くの戦場の援護をしようとしている。
ノヴァードは一つ欠伸をしてまた本を読み始めた。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
投稿が遅れましたが、記念すべき101話目です。ここからまた読者の皆様の期待に応えられるよう、少しずつ書いていきますので、何卒よろしくお願いします。