第1章 10『雨があがれば日の光はそそぐ』
一滴、地面に落ちる度に鳴る雨粒の音、数秒ごとに過ぎ去る風の音、毎晩聴こえていた虫の劇団も今日は休業らしい。
窓が風でガタガタと震えている。建て付けが悪いのだろうか、今にも外れそうだ。
アスタは窓の淵に氷結魔法を使って、壊さないよう、気休めの補強をする。
「む…硬いが中々……」
祖父が丸焼きの魔獣の肉に貪りつく。食べているのは、湿地帯に出たビッグフロッグの肉だ。少し硬いが、高タンパク質で、長旅には欠かせない一品だ。
「ほれ、アスタも食べないのか?ネベルスネークの肉は残念ながら毒で駄目になってしまったが、このカエル肉も中々いけるぞ」
「うん、後で食べるよ」
「それよりも聞いてくれ!ネベルスネークを倒したわしの作戦を!」
祖父は意気揚々と今日あった出来事を話そうとする。まるでそれは、初めて子供が何かを成し遂げた時にする瞳の輝きだ。
「お爺ちゃん、その話五回目。ネベルスネークに使った毒で脳までおかしくなったの?」
「ほっほっほっ、まだまだボケてはおらん。冗談じゃ」
祖父が五回も話したネベルスネーク討伐作戦の内容だが、それはまず、二人が火属性の魔法を上空に放ち、ピット機関で獲物を探す蛇の習性を利用した囮で蛇を誘き寄せる。その蛇が捕食行動に移ろうとしたタイミングで光属性の魔法を使い、蛇の目を潰す。最後に祖父が捌くだけだ。
「その作戦、下手すれば死人が出たよ。よく出来たね」
自分ならもっといい作戦があったなんて言い方だが、実際その通りである。アスタなら最悪、湿地帯ごとネベルスネークを一撃で消滅できた。
──代償として湿地の生態系が壊れてしまうが。
「それよりも問題はあやつらじゃ。全く、現役の衛兵の癖に、猪十匹も狩れんとは」
「まあ、あの人達も頑張ってたよ」
祖父が三人を酷評をする一方、アスタは自分を必死に守ろうとしていた三人を上から目線で賞賛の言葉を送るが、自宅の中からでは、その言葉が彼らに届くことはない。
「アスタは無事だったのじゃな。途中で班員と逸れたと聞いた時は驚いたが、まあ、アスタの実力があればそこらの弱い魔獣なんぞイチコロじゃろうからな」
「いや、キツかったよ実際。土熊出てくるし、百匹以上のアバレイノシシの群れと遭遇するし、魔獣以上におっかない獣出てくるしで大変だったんだからな」
「そ、それは災難じゃったな。それにしても土熊か…、この辺りに出るのはいつぶりだ?わしが子供の頃に一回出たかどうかじゃろうし」
お互いに今日の出来事を肴に話を盛り上げながら、祖父は酒をアスタは水を飲んだ。
△▼△▼
夜が更け、ひんやりと冷たい風が談笑する二人に当たる。このバルコニーから見る景色は何とも絶景と言うべきか。大学中に設置している開光石の街灯の光が月光のように辺りを照らし続ける。
「レイドくん、今日の授業はどうだったんだい?少しは勇者としての階段を登れたかな?」
「いや、まだまだですよ。俺が勇者としてヘルドさんと肩を並べられる日まで後一万日はありそうですよ」
湯浴みを終えたレイドが自室へ戻る途中、後ろからヘルドに声を掛けられ、とある場所に招かれた。
そこは、寮にあるニ階のロビー、景色がいいことで有名な一室だった。昼は学生達でテラス席が全て埋まる程、人気が根強い場所だ。
今は夜なので、他の学生達は自室に戻り、クラスメートと談笑をしている頃だろう。
レイドも他の科の学生達といつも通り、風呂上がりに牛乳でも飲みながら談笑しようとしていたところだ。そこに、服装と雰囲気が変わった『最強の騎士』が自分に声を掛けたのだ。
「ヘルドさんも最近は大変そうですね」
「ああ、殆どの王国騎士が出払っているからね。新人ではやり切れない仕事が僕に全て回ってくるんだよ」
魔王軍進行を食い止める為、大陸中から騎士と衛兵が魔王領の境目で長期の戦闘を繰り広げている。
「戦いが長期化しすぎている。最近は近衛騎士団と傭兵団も前線へ駆り出されたらしい。僕も戦場に行く日が近いかもしれないな」
「叔父は生き残れますかね?」
「あの人なら大丈夫だ。そう簡単にやられる人じゃない」
ヘルドはとある心配を胸にレイドとの会話を弾ませる。
「ところで、なんでまた、今日は俺をお誘いしたんですか?他に話し相手が欲しいなら、大学長とかの方がいいんじゃ」
「今日は君と話をしたかった。ただそれだけだ」
このイケメンから放たれる魅惑の言葉、もし、今の会話相手が男ではなかったら、これで女性が何人落ちたか分からない。
「それに、偶には肩書き等を気にしない者とも杯を交わしたかっただけだよ」
「俺、未成年なので酒は飲めませんよ」
「なら、氷水でいいかな?」
氷の入ったグラスに注がれる琥珀色のワイン、もう片方には透明で冷えた水が注がれる。
二人はグラスを軽く打ち合わせ、軽やかな陶器の音と中に入っている氷が揺れる音が重なる。
「……何か、悩み事があるようだね」
「分かるんですか?」
「こう見えても、お悩み相談は得意でね、偶に王様の娘のカウンセリングも行うんだ」
ヘルドはグラスをテーブルに置き、夜風に当たりながら椅子を傾ける。
「それじゃあ言いますけど、実は…」
レイドは間を置いて、冗談めかした目で悩みを打ち明けた。
「魔法が全然上手く使いこなせないんですよね」
「魔法か…」
夜風がバルコニーを通り抜け、不服を訴える様に風に吹かれた木の葉が落ちる。
ヘルドは気品に満ちた美しい梔子色の髪を撫で、高潔であろうとした。
「詠唱ありでも魔法が発動しない事があったり、無理に力を入れて使おうとすれば、威力の調整を間違えてコントロールが効かなくなったりと、もう散々なんですよ」
レイドはグラスに入った水を飲み干し、溜め息を吐く。
「弟はあんなに魔法が使えるのに、俺は中級の魔法を勇者のくせに一つも使えない。ここまで自分が惨めに感じたのは久しぶりですよ」
「レイドくん、取り敢えず溜め息は吐かない方がいい」
「え…」
レイドの予想では、自分にとって都合の良いアドバイスをくれるのかと思っていた。しかし、そんなアドバイスをもらえる事はなかった。
「溜め息を吐くと、運と気力が逃げる。顔を上げて前を見ろ。君はそんなつまらない人間ではないだろう?」
アドバイスの代わりにヘルドが送ったのは激励の言葉だった。
「自分に出来る事をすればいい。君は、僕以上に剣に愛されている」
「剣…」
「魔法ばかりに集中をしていると、その才が腐る。それは世界の損失であり、君の損失とも言える」
レイドは自分の剣技を思い出しながら、あの平和な日々を振り返る。
返答が思いつかない。ただ、自分とこの男とでは見ている世界や現実が違うことを知った。いや、思い知らされた気分だった。
「君はまだ気付いていないだけだ」
「………」
「もう一度、君がしたいことを考えるべきだと僕は思うんだ」
ヘルドはそう言うと、席を立ち、グラスに入っているワインを舌鼓しながら外を眺める。
「今日のお悩み相談は終わりだ。時間を取らせてしまって悪かったね」
「い、いえ。こちらこそ、こんな自分とお話ししてくださってありがとうございます」
ヘルドはレイドのお礼の言葉を聞き、二人分のグラスを手に取ると、夜風と共にその場を去った。
レイドはそんなヘルドの背中を憧憬の眼差しで見つめながら、送られた言葉の意味を考える。
「俺がしたいことか」
自室に戻ろうとレイドも席を立ち、空を見上げた時だ。
巨大な入道雲が学校の真上を通り過ぎていった。
「……明日は雨か」
空気が冷たくなり、凍える風がバルコニーに当たる。
「遅くても後八ヶ月、それまでにやる事は全てやらないとな」
そして、ヘルドの言葉がまた頭を過ぎる。
──君は僕以上に剣に愛されている。君はまだ、気付いていないだけだ。
「何に気付けばいいんですか…」
レイドは一人の空間を噛み締めながら自分の使っている剣に何かあるのかと思いながら、バルコニーの窓を閉めた。
△▼△▼
「どうりゃあああああああああああああ!!!」
腕に噛み付いたシャドウドックを振り払い、後方の人物が魔法で撃退する。
「ロイドさん、大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない。擦り傷だ」
「全く、俺達まで前線に駆り出されるなんてな…。王国騎士の奴らは何をやっているんだ」
背後にいるもう一人の近衛騎士が剣を構えながら後ろ歩きで愚痴を漏らしながら襲い掛かる魔獣を撃退する。
「そう嫌な顔をするな。魔王軍が南下しているってんだ人手が足りなくなるのも納得できる」
「でも、ここまで苦戦するなんて予想外ですよ」
「もしかしたら『幹部』か『四天王』がいるかもしれませんね」
ロイドの部下二人が魔王軍の幹部と四天王が近くにいる可能性を提示した。その可能性には、ロイドも納得はしていた。いくら戦力が分散されているとは言え、王国の懐刀である王国騎士がここまで苦戦を強いられているのには、幹部か四天王がこの戦闘に関与しているとしか思えなかったからだ。
「幹部ならともかく、四天王がいたら最悪だぞ。俺達でも勝てるか分からねぇ」
△▼△▼
とある森の中、沢山の種類の木々が小さな家を守るように生え揃う。その木の上で巣穴を作るリス達が木から家の窓に飛び移り、助けを求めるようにコンコンと窓を叩く。
「──森が泣いている。少し、魔力探査の範囲を伸ばして見るとしよう」
△▼△▼
「魔王様、これは……」
「時期が迫っている。時間がない」
大きな部屋の一室に魔王と側近が何かを心配する様に、空を睨む。
「そろそろ、決めなくてはいけないな」
△▼△▼
「──あ?なんだこの雲は?」
雪が降り積もったこの土地では、沢山の店や民家が建ち並ぶ景色が雪国を魅せていた。
「………………」
「………寒い」
一人の少女が薄い布切れをはおい、寒さを凌ぐよう、檻の中で包まる。
△▼△▼
「ママーあれなに──?」
「なんでしょうね」
母娘が抱きつきながら、空を眺める。テーブルの上には色とりどりの野菜のスープが並べられて、家の中はダンロで暖をとっており、とても暖かそうだ。
△▼△▼
「あれは……」
巨大な屋敷の一室、まだ幼い少年が本を片手に書斎の窓に付いた霜をなぞる。
「んっ……、冷たっ」
△▼△▼
「ローグ!あの雲は一体なんだ!?私に教えなさい!!」
「ジャベリー様、申し訳ございません。あれは私にも何が何だか……」
煌びやかな装飾が施された赤と金の壁紙で囲まれた女王部屋で赤髪の女の子が雲を指差し、ローグの脛を蹴りながら頬を膨らませる。
「もう!あれは一体なんなのよ────!!」
△▼△▼
「あれは…なんだ?」
「心配ありません。あの雲は決して我等に害があるようなものではなさそうです」
寝台で身体を横にしながら寝込む老人が一人の執事服を纏った男に声を掛ける。
「なら…良かった…」
「シミウス様……?」
老人は静かに瞼を閉じた。
△▼△▼
「おいおいエグゼ、なんだこれは」
アークトゥルス山脈から少し離れた森、エグゼとブリシュの行く道に多数の魔獣の群れが立ち塞がる。
「珍しい事ではないだろう?」
魔獣達は荒々しく臭い息を吐きながら二人に敵意を向ける。どうやら、気が立って怒り狂っているようだ。
「行くぞ、ここが正念場だ」
エグゼとブリシュは鞘から剣を抜き、魔獣の群れ相手に足を走らせる。
△▼△▼
本を閉じ、コーヒーを啜って入り口の扉に目線を移す。
「──来たか」
△▼△▼
「あらあら、面白くなってきたわねぇ」
「た、助け……」
「ん〜、だ〜め」
△▼△▼
夜は明け、雲が消えれば雨があがり、日は差し込む。新たな時代の幕開けを祝福するかのように。
そして、旅立ちの日がやってくる。魔獣騒動から八ヶ月が経ち、アスタと祖父は荷物を纏めて、呼んでおいた業者に荷物を預ける。
「そろそろ出発するぞアスタ」
「分かってるよ。爺ちゃん」
玄関の扉を開けて朝の日差しを浴びながら待たせている馬車に乗り込む。
「全く、背ばっか大きくなって」
「──行ってきます。兄さん、今、あなたの元に向かいますよ」
アスタは誰もいない家に別れの挨拶をし、王都の方角を笑顔で見つめた。
どうもドル猫です。ついに、第1章も佳境に入ってきました。次々と登場する新キャラクター。牙を見せ始めた魔王軍、これからアスタとレイドはどうなってしまうのか、私も書いてて楽しみな所です。
ところで、この作品をここまで見てくださった方々なら一つ文句が出てくると思います。
「いつ、メインヒロインが出てくるんだ!?」
そんな殿方に申し上げますと、残念ながら、この作品のメインヒロインが登場するのは、第2章以降です。それまで、気長にこの作品を読み進めていってください。考察の要素も沢山散りばめておいたので、そういうのも含めて、お楽しみください。