ep.13
雲ひとつない快晴で迎えた最終日の朝。鼻をすうっと通り抜ける清々しい空気が、胸を満たしていく。
ノアは欠伸を噛み殺しながら、牧場の男達に混ざり幌馬車の荷台に出荷品を運び入れていた。
この旅はあくまで納品が目的で、ノアの送迎はそのついでなのだという。まだ早朝だというのに、活気の満ちた騒がしい声が方々で聞こえてくる。朝早くから叩き起され、ノアは寝ぼけ眼で作業を手伝っていた。
今回は納品に加え、酪農組合の年次会議に出席する二人を駅まで送り届けるという名目も兼ねているので、最終的な別れは駅までということになる。道中は長い時間寝れそうだ、とノアはぼんやりとした意識の中で考えるのだった。
◇
世話になると言ってもたった三日だったため、さらっとした別れになるのかと思いきや、意外にも牧場の入口近くにはわらわらと人の群れが出来上がっていた。集まった人達は皆この三日間でよく見知った顔ぶれで、ノアは別れの時だというのに少しの安心感を抱いた。
会議に代表出席するふたり──アルバートとオーウェンが、荷台近くでなにやら話し込んでいる。身支度が済んだノアに気づくと、アルバートが納品の項目が羅列する紙をひらひらとさせながら、ノアに向かって手を振った。
「おう、準備出来たようだな。」
「もういつでも行けるぞ」
「こっちも大方準備は整ったんで、そろそろ出発とするか。」
アルバートが持ち前の声量で、周囲に出発を知らせる。点在していた男達の視線がノアの方に集まった。
「じゃあな、気ぃつけろよ」
よく食堂で一緒になっていた男が歩み寄り、ノアへと手を差し出した。
「おう、世話んなりました」
ノアもそれに応え、強く手を握る。
「元気でなー」「頑張れよ」と近くで見送る男達から矢継ぎ早に声が飛んでくる。
「気を付けるんだよ。また落ち着いたら遊びに来てね。」
穏やかな笑みを浮かべたレイモンドが、ノアに手を差し出していた。レイモンドの握手に応えながら、ノアもつられて口角を上げる。
「めちゃくちゃ世話になりました、また遊びにきます」
レイモンドと別れの挨拶を交わしたのち、ノアは周囲を見渡していた。
ホワイトアッシュの色を探してみるが、見つからない。あれだけ散々付き纏っておいて、最後の見送りには来ないとは──。
だが、何だかそれも彼女らしい気がした。ローズのことだ、どうせ今頃ベッドの上で熟睡中なんだろう、とノアは自分で自分を納得させ、探すのを早々に諦めると、荷台の方へ向かおうと彼らに背を向けた。
とそこに、今しがた探していた色があった。肩甲骨まで伸びたホワイトアッシュの髪が風の吹くままに靡いている。ひとつも気配がしなかったが、こんな所に居たとは。早速声を掛けようと駆け寄ろうとしたノアだったが、その足はぴたりと止まった。
なぜかローズも、当然のように荷台に乗り込もうとしている。ノアはぎょっとしたようにアルバートの顔を見た。
「え、ローズも行くのか?」
ノアが驚いた顔でアルバートに訊ねた。
グレーのスタンドカラーコートに身を包んだローズが、荷台の上で自分の部屋かのように寛いでいる。
「あいつ年一の会議があると必ず着いてくんだよ。あっちじゃ普段じゃまず食えねえ飯が食えるからな。」
「また飯か……」
ノアは半分呆れたように苦笑いを浮かべると、隣に居たオーウェンも続けざまに答える。
「まあ、なんだかんだ言ってローズには年中働いてもらってるからな。褒美も兼ねてるんで、レイモンドからたんまりと小遣いを預かってんのさ。」
懐から小袋を出したオーウェンがノアの顔の前で揺らしてみせる。膨らんだ袋から擦れた金属音が鳴った。その音からはかなりの質量を感じざるを得ない。
「ははは…どんだけ食う気だよ」
「いつもの事だから驚きはしないさ。」
オーウェンが口の端を上げてみせる。
「おうよ。ほら、もう出発するぞ。」
先頭の御者台に乗る男と二言三言交わしたアルバートが、急かすようにノアの背中を叩いた。
広々と寛ぐローズを横目に、ノアも空いた空間に乗り込む。続けて、アルバートとオーウェンの二人も乗り込んでくる。ローズひとりだと広々見えたが、荷物と大男二人に囲まれてすぐさま窮屈な空間へと様変わりする。気楽に寝れるような環境では無さそうだ。
「ローズも来んのかい」
腰をおろしたノアが向かいに座るローズにぶっきらぼうに言い放つと、ローズは肩を揺らしてくすりと笑った。
「なに、もうボクとお別れかと思って寂しかった?」
「んなわけ。お前のせいで余計狭いじゃん」
「そう?ボクはここでも十分寝れるけどね」
「ローズってほんと……、バカみたいに飯食って、バカみたいに寝て…………どこ行っても生きていけるよな。」
「えへへ、褒め言葉?嬉しい」
「うん、俺は羨ましいよお前が。」
「…ねー、ノアってさ、14地区のなんとかって町に行きたいんだよね?」
「そうだよ」
「そこってもしかして、有名な美味しいものとかあるのかな!」
爛々とした瞳で、ローズがノアを見つめる。狭くて薄暗いこの空間にはとても似つかわない目である。
「いや俺も行ったことないから分かんねえよ…!」
「はあ…そうなんだ……。もし美味しいものがあったらさ、手紙なり何なりでちゃんとすぐ教えてよ!一人でひっそり味わおうなんて、そんな姑息な真似絶対しないでよね!」
「いや俺はなにも食いもん食いにいく為に向かってるんじゃねえんだよ、言伝を預かってるのよ。用が済んだらすぐ帰る予定だよ」
「いいなー、ノアは。知らない町の美味しいご飯を食べる予定があって」
「聞いてた?人の話」
荷台がガタリと揺れ、いよいよ動き始めた。
アルバートとオーウェンが、会議の資料片手にぼそぼそと話し合っている。ローズは相変わらず飯の話でひとりで盛り上がっている。
あの日遣いを頼まれ村を出た時が、うんと昔に感じる。村に居た頃は夜中に幾度となく目覚める事が多かったノアも、この数日は久しぶりに朝までぐっすりと眠れるようになっていた。出会いは最悪だったにせよ、何だかんだで良い時間だったな、と狭くて身動きがほとんど取れない状態で思うのであった。
◇
酷い揺れで途中吐きそうになりながらも揺られ続けること数時間。そこから道とも呼べぬ荒れた凸凹道を突き進み、ようやく目的地の村に着く頃にはすでに10時半を経過していた。それから村で納品物をおろし終え、気もそぞろにすぐさま村を発つと、ほとんど休息もなしに駅へと向かった。
そして16時と少しを過ぎた頃、ようやく辺鄙な場所にある田舎の小さな駅に到着したのだった。
道中酔いに酔い、限界まで体力が削がれていたノアとは対照的に、ローズはこの悪状況の中でもすやすやと眠りについていた。
ノアは覚束無い足取りでようやく待ち焦がれた地面を踏み締めると、そのまま崩れ落ちるようにごろりと地面に寝転がった。
「……ついた………やっと…」
「なんだぁ?お前ほんと体力ねえな」
「おい、大丈夫か」
「よく寝たーー」
三人が口々に発した言葉が降ってくる。道中ここでいいから降ろしてくれと何度も懇願したのだがその願いも虚しく却下され、その結果がこの有様である。駅門の前で、ほとんど屍状態のノアは果てなく続く空を虚ろな目で見つめるのだった。
切符を買いもとめたオーウェンとローズが、駅舎の入口付近でふたりを呼んでいる。最後の姿がこの体たらくではさすがに面目が立たない。アルバートに手を借り、ノアはのろのろと立ち上がると、ふたりの待つ駅舎まで力を振り絞って必死に歩を進めた。
駅のプラットホームに着くと、予定していた蒸気機関車がすでに到着していた。線路の上で列車が静かに息をついている。小さな駅舎なためか客はわずかで、ホームでは閑散とした空気が漂っていた。
「結構あっという間だったな」
「じゃな、また飯でも食いにこいよ」
ノアに一言交わしたのち、アルバートとオーウェンが出発間近の列車に乗り込む。
「うん。じゃあな。いい思い出になったよ」
ノアはさっきよりは多少マシになった顔で、二人に向かって手を振った。
「ローズもあんま食いすぎんなよ、そのうち絶対腹壊すからな」
乗降口に足をかけたローズの背中に、ノアが語り掛ける。寝起きのせいなのか「はーぁい」と明らかに気持ちが乗っていない雑な返事が返ってきた。相変わらず、気分で生きてるような奴である。
少しして、出発を告げる汽笛がホームに深く響き渡った。蒸気が勢いよく噴き上がり、がたりと振動すると、ゆっくりと車両が動き始める。石炭の匂いが立ち込めて鼻を打つ。そろそろ別れの時間が来たようだ。
「じゃあな」「達者でな」
アルバートとオーウェンが、ローズの背後からノアに別れを告げる。車両が徐々に加速していく。
「おう、ローズもな。またなー!」
徐々に進んでいく車両のとなりを歩きながら、ノアも手を振り返す。だんだんと三人との距離が開いていく。
さて、ここからは14地区のルゼンバルドという聞き慣れぬ町まで一人で行かねばならない。これ以上何事もなく無事辿りつけると良いのだが、などと頭の隅で考えながら見送っていた、そのときだった。
それはあまりにも目を疑う光景だった。
何を思ったか、ローズが突然車両から飛び出し、こちらに向かって飛び掛っているのである。
ノアは飛び掛ってきたローズを、反射的に抱きとめていた。
「………え、何やってんの!??!?何やってんの?!?何やってんの?!何やってんの?!何やってんの?!?何やってんの?!何やってんの、おまえ!????」
錯乱状態のノアをほくそ笑むように、ローズが間近で見つめている。
「来ちゃった♡」
「『来ちゃった♡』じゃねえよ!!!何やってんだよ!!!!」
すかさずローズの肩を掴んで引き剥がし、後ろの車両を見る。遠のいていく列車から、怒涛の怒鳴り声が聞こえてくる。
「ローズ!!!!!!!!!!!!!!おいバカ!!!!何やってんだ!!!!!」
「どういうつもりだ!!!!!!!!!ローズ!!!!おい!!!!!!!!」
ものすごい剣幕の顔をしたアルバートとオーウェンが、窓から身を乗り出し叫んでいる。
叫び散らかす二人の声が、ノアの頭を徐々に冷静にさせる。これはとんでもない事になった。取り戻しつつあった顔の血色がまたもや引いていく。
「おれ………次会ったらぶっ殺されると思うわ………」
ふたりきりになったホームで、ノアは蚊の鳴くような声でぼそりと呟いていた。
迫力のあった怒鳴り声がだんだんと風景に吸収され薄れていく。ローズの予測不可能な言動に慣れたつもりだったが、まさかここまでとは。ローズの悪行が牧場まで知れ渡れば、真っ先に自分が唆したと疑われるだろう。ノアは背中に嫌な汗が伝うのを感じながら、遠く離れていく列車が見えなくなるまで、その場で立ち尽くしていた。
「あはは、何言ってんの。」
「おま………知らないだろ!どんだけ周りの大人が気回してたと思って…………まじで何してくれちゃってんの」
「別にいいじゃん、ちょっとした家出みたいなもんだよ〜」
「にしたってなんで俺を巻き込むかね……一人で勝手にしてくれよもう……てか本当になんでこんな事した?」
「気分…………かな!!」
「はあ、そうだよな、ローズはそういう奴だよな。納得出来る回答を期待した俺が馬鹿だったよ。」
「さ、お腹も空いたし、どこかで腹ごしらえとでも致しますか!」
「それ払うの俺の金だろ?!!!まじでお前ほんとおまえ」
静かな風景に似つかわしくない、騒がしい声があたりに響き渡る。ノアは重い足取りで、呑気に先をゆくローズの後を追いかけるのだった。




