夏と思い出
土曜日の居酒屋はそれなりに繁盛しているようで、大学生の男女が時々歓声をあげてはそれを疎ましそうな顔で見る中年の男性、恋愛のもつれだろうか隣の女性を慰めつつ前に座る気弱そうな男性を叱咤する女性。
ふと僕らは周りの目にどのように写っているんだろうと考える、カップルにでも見えているのだろうか、自分で考えておきながらかなり落ち込む。
僕の目の前に座る彼女は、アルコールで少し頬を赤く染めながら、思い出話を繰り出している。
そんな彼女、秋本葵と僕、松原洋佑が出会ったのは、ちょうど10年程前。
夢を持って東京にあるタレントスクールに入った僕は、週末の学校終わりに高速バスを利用してそこまで通っていた。
少しずつ高校とタレントスクールを両立する事に慣れてきた頃、女優を目指す彼女に出会った。
第一印象は思った事をお構いなしに口にする失礼な女の子だった、苦手だとすら思うほどに失礼だった。
関わる回数が増える事にいろんな彼女を知って、タレントスクールを卒業する頃にはお互いを親友と言い合えるほどの仲に成長していた。
そしてその関係は今でも続いていて、大人になった僕たちはこのようにして一緒にお酒を飲むようにまでなった。
とは言うものの、一緒にお酒を飲んだのは彼女が上京する日の前日に彼女の家の近所の公園で缶チューハイを幾つか空けたぐらいだ。金欠バンドマンの精一杯の上京祝いだった。
「ジンジャーハイボールください」
少し思い出に浸り過ぎた。彼女のグラスは既に空になっている。
それを見かねた僕も負けじとビールの入ったジョッキを空にする。一瞬視界がぼやける。
「相変わらず私には負けず嫌いだね」
頬杖をついた彼女が僕に微笑む。
少し照れくさくなった僕は、彼女から視線を逸らしてお通しの冷や奴を箸で半分に割った。
「上京してたなら言ってくれれば良かったのに」
おしぼりを手で遊ばせながら、彼女が少し膨れる。
申し訳ない気持ちになる。これまでと言えば、自分の中の大ニュースは一番に彼女に伝えていた、優しい答えを出してくれるから甘えていたのだと思う。
そう思うと少し自分も大人になったのかもしれない。
「悪かった、いろんな手続きで参ってたんだ」
簡単な言葉で取り繕う。なにもかも彼女にはバレているようで、僕の目にいたずらに微笑みかける。
少しドキッとした自分に気づいて、必死に新たな話題を探す。
「そういえばお仕事の方は順調?」
最近テレビで流れている清涼飲料水のCMを彼女が務めているのを知っていながら、なにも知らない体で話を振る。
「大きな役が貰えそうなの」
とても嬉しい事なはずなのに、彼女の瞳には不安が浮かんでいる。
「あんま納得してない感じ?」
話が重くならないように柔らかい口調で語りかける。
「話をいただいた時はすごく嬉しかったの、だけど......」
彼女が言葉を止める。少し二人の間に沈黙が流れてから僕が口を開く。
「また昔みたいに話聞くからさ、今日は楽しもう」
彼女が黙り込むときはいつもこうしてきた、言葉にできるほどまだ整理ができてないのだと思う。ちゃんと話せるようになったらまた話を聞こう。
「ありがとうね」
少しぎこちない笑顔だが、先程のような不安の色は見えない。昔と変わらず彼女の強さに僕が勇気づけられる。
「俺も頑張らないとなー」
両腕を上げて伸びをする。
「洋佑なら大丈夫だよ、二人揃って有名になろうね」
顔をくしゃくしゃにして彼女が微笑んだ。
それからは、懐かしい話に花を咲かせて気づけば終電の時間が迫っていた。
「もうそろそろ帰らないとね」
僕がそう切り出す。
「えーまだ話足りないー!」
結構酔っているみたいだ、日頃の疲れもあったのだろう。
「ほら帰るぞ」
伝票を持ってレジに向かう。
会計を済ませようとしているところに彼女が口を挟む。
「私が出すよー」
毎度毎度律儀なものだと思う。昔からお金がかかる時は素直に奢られない。
「久しぶりなんだから俺が払うよ、次はちゃんと払ってもらうから大丈夫」
彼女は少し不満そうな顔を見せた後すぐに微笑んだ。
「じゃあお言葉に甘えて、ごちそうさまでした。」
少し照れくさくなって目を合わせないように歩き出す。
居酒屋で話し尽くしてしまったからか、二人とも無言のまま駅まで歩く。
生ぬるい風が夏の匂いを運んできて、アルコールで火照った身体に染みる。
歩いて5分程で駅についた。かける言葉が見つからなくて気づいたらもう改札前だ。
「じゃあ私行くね」
少しばかり寂しい気がするが、久しぶりにあった男友達に引き留められる程めんどくさい事もないだろう。僕自身酔っていて少しおかしいだけだ。
「じゃあな、また飲もうぜ」
雑念は置いて置いて彼女へ微笑む。
「今日はありがとうね またね」
そう言って彼女が改札を通る。
彼女の後ろ姿が見えなくなるまで改札前に立っていた。
軽く伸びをして一人で呟く。
「俺も帰るか」
駅を出て自分の家まで歩き出す。
家に着くまでどれだけの考え事が頭を巡ったことだろう。
とはいえまだそのどれも答えは見つからないままだ。
気持ちを切り替えて家の鍵を開ける。
先程とは打って変わって静かな部屋に、少し戸惑う。
糸をつけられた操り人形のように、くたびれた身体は意思よりも先にベッドへ向かう。
ベッドに倒れ込んでからの記憶はなくて、次に目を開けた時、窓の外はお昼の色をしていた。