おっさんのしりとり
話し合いによって、以下のことがまとまった。
・年内に学費を貯めるのは難しいので、奨学金を借りる。
・返済の半分を両親が出す。
・俺も大学の在学中にバイト等で金を貯め、返済に当てる。
・いまはひたすら勉強に徹する。
奨学金の利用には抵抗があったが、背に腹は変えられない。十二年後には色々と社会問題になっていたものの、利子自体は良心的だからな。
過去の俺は、奨学金を借りることすらできなかった。家はなんとかなるだろうと思ってやり過ごしている間に、家庭が崩壊してしまったから。とても奨学金どころの話じゃなかったんだ。
でも、いまは違う。
問題にきちんと向き合えば、きっと解決の糸口は見つかる。
そして現在やるべきは――勉強。
過去の俺ならともかく、いまならわかるはずだ。勉強がいかに大事であるかを。
だから俺は必死に机にかじりついた。不思議と苦痛は感じない。モチベーションを得た俺の頭は、嘘のように勉強内容を吸収していった。
「良也ー、まだ勉強してているー?」
またも由美から妙ちくりんなメールが届き、ときに癒されながら勉強に徹する。
ちなみに今日、父は帰ってこなかった。残業に追われているのか、どこかに泊まっているのか、よからぬ遊びをしているのか。
ともあれ、父との会話は次の機会になりそうだった。
それから約七時間の睡眠を取り、アラームの音で起床する。
久々の熟睡だった。
若い頃ほど深いノンレム睡眠となる――と聞いたことがあるが、その通りかもしれない。おっさんだった頃は定期的に目覚めてしまったのが、現在は綺麗すっきり眠ることができている。
でも、と俺は思う。
熟睡できたのは、きっと肉体的に若返っただけが理由ではない。
俺は柔らかな日差しの元で背を伸ばすと、一階のリビングに向かう。
母はいなかった。
すでに仕事に向かっているようだ。
あんなに遅く帰ってきたのに、俺より早く家を出るなんて……
大人を経験した現在だからわかる。その尋常ならざる辛さが。
そして。
「勉強がんばってね! 母より」
というメモ書きとともに、目玉焼きとベーコンが食卓に置かれていた。白米と味噌汁つきだ。
十二年前は当たり前のように食べてきた朝食。
それなのに、またしても視界が滲んでしまうのはなぜだろうか。
「はは……おっさんになったな。俺も……」
苦笑を浮かべつつ、俺は澄んだ気持ちで食卓に座り、いままでで一番美味しかった朝食を嗜んだ。
ちなみに今日はちょっとだけ早めに起きている。
さすがに学校までの所要時間は覚えていなかったためだ。朝風呂を済ませ、身嗜みを整えた俺は、深呼吸をして自転車に跨がる。
人生で一番瑞々しく、晴れやかな朝だった。
「よ!」
後ろから奇声が飛んできたのは、大宮バイパス道路のあたりだった。ふいに、聞き覚えのある声が響いてきたのだ。
「し!」
ああ、もう間違いない。
台風のごとく颯爽と現れるあいつの顔を、俺はありありと思い浮かべた。
「やぁーーーーーー!」
と、変な声をあげながら隣に並ぶ幼馴染み――桜庭由美。
うん、残念だ。
見た目は可愛いのにこれだもんな。
まあ、そんなところも含めて嫌いじゃないんだが。
って、朝からなにを考えてるんだ俺は。
「おはよう。朝から元気だな、おまえは」
呆れ声を出す俺に、由美は「いぇーい!」と敬礼する。
危ない危ない。
このへんに交番あるんだから。
「偶然、良也に会えたんだし! テンション上がるよ!」
「偶然……ねぇ」
歳を喰ったせいか、ちょっと穿った捉え方をしてしまう。
まあいいんだけどな。
「あれ? 良也……」
ふいに由美が首を傾げる。
「なんか顔つき変わった……? なんか、前とちょっと違うよ」
「ん? そうか?」
「なんか、うーん。陰が消えたっていうのかなぁ」
はは。
陰が消えたか。
言い得て妙だ。
「……陰が消えたとしたら、それはおまえのおかげでもあるな。由美」
「え……?」
「なんでもないさ」
昨日起きた一連の出来事は、俺に大きな変革をもたらした。
いや。
別に劇的なことが起きたわけじゃないな。
身近なものに改めて目を向けただけ。
ただ――それだけだったんだよな。
「よし! 良也! しりとりしよ!」
「し、しりとり……」
ずいぶん急だな。
ゆっくり話しててもいいのに。
それとも、単に話題に困ってるんかな。彼女の不器用さは昨日よくわかったし。
ま、いい。
のんびりと、しりとりに興じるのも青春ってやつだろう。たぶん。
「じゃーいくよ! しりとり!」
「理学」
「くま」
「埋設」
「ツナ!」
「内科医」
久々のしりとりに時間を潰しながら、俺は由美とともに学校に向かうのだった。
感想欄でも時々いただきますが、筆者は作中に登場する高校の卒業生です(ノシ 'ω')ノシ バンバン
閉校式行きたかったんですが、コロナの影響で延期になってしまいました。