拝啓、僕を殺したあなたへ①
「ね……お母さん」
ふと、由美が小声で呟く。
「あのね……ひとつお願いしてもいい?」
「お願い……?」
オウム返しする詩織の表情に、邪険な様子は一切なかった。
いままでのやり取りで、彼女にも思うところがあったのだろう。いつもの突っ慳貪な反応はすっかり消え失せ、ちょっと気まずそうにしながらも由美を抱えている。
「あのね……私、ずっと我慢してきたの。どんなに辛いことがあっても、笑っていようって……」
そうだ。
たしかにそうだった。
俺にとっては由美の眩しさが、まるで太陽に見えて。暗く閉ざされた俺の人生に、一筋の光を差し込んでくれて。
自分がいかに辛くとも、周囲にどんどん元気を振りまいていく。
それが桜庭由美だ。
だけど――彼女も『人間』なんだ。
レオのこと。詩織のこと。誰にも相談できず、ひとり泣いていたこともあっただろう。
俺だって、つい最近まで太陽の裏側を見ることすらできなかった。
「だから……ね」
由美が続けて掠れ声を発する。
「久しぶりに……泣いてもいい、かな……?」
娘の苦しみを、詩織は。
「うん……うん!」
やや涙目ながらも、受け入れてくれた。
由美は母の胸に飛び込むや、大声で涙を流す。
それは――俺も初めて見る由美の大泣き。
見たことのないその姿に、俺の涙腺も再び緩んでしまう。
その様子に、母も感極まったのだろう。
「ごめん。ごめんね……!」
娘の頭を撫でつつ、優しく呟いた。
その姿は――見間違えようもない。
桜庭家の壁に飾られていた、心優しき母の姿だった。
いつしか雨はやんでいた。
空を沈鬱に覆っていた黒雲は、上空のはるか彼方に消え去り。
陽の輝きが、一帯に差し込み始めていた。
「お母さん……レオは……」
ぼそりと訊ねた由美。
そんな娘に、詩織がぎこちなくも笑顔を浮かべる。
「……そうね。お金はきついけど……頑張ればいけるかな」
「お母さん。私、バイトする。全部渡すから、だから……」
「こらこら。受験生は勉強してなさい」
「で、でも……」
「一応、当てがないこともないわ。生活は苦しくなるけど……うん。たぶん大丈夫」
「え……じゃあ……!」
「うん。またレオも一緒に、三人で暮らしましょう」
「う、うああああああ!!」
また嬉しそうに号泣する由美。
「はは……」
頬を掻きながら、俺は苦笑する。
「なんとかうまくいったようだが……なんか複雑だな」
「ん? どうして?」
香苗が聞き返す。
「だってな。あんなにチラシを配りまくったのに……結果がこれだしな」
「あら。なにを言うの良也」
香苗は俺に振り向くや、頬に手の平を当ててくる。
「良也が頑張ったから、私も詩織さんも心を動かされたのよ。良也の頑張りは、決して無駄じゃない」
まあ……たしかにそうかもな。
詩織の心変わりがなければ、この結末にはなりえなかったわけだし。
香苗は若干瞳を潤ませながら続ける。
「いままでよく頑張ったわね。私は……あなたの母であることを誇りに思います」
「母さん……」
そう。
かつての俺も母を恨んでいた。
親の都合で、大学に行けない。
親の都合で、学歴を得られない。
それだけで人生を閉ざされた気がしたんだ。
あえて過激に言うなら――親に殺された気分だった。
だけど。
いまならわかる。
香苗も詩織も、決して加害者じゃない。
俺たちと同じく、人生の荒波に必死に耐え続ける、ひとりの人間なんだ。
だから俺も。
「母さん……いままでありがとう」
未熟で、馬鹿な俺だけれど。
もう、昔の過ちは繰り返したくないから。
タイムスリップ前にやらかしてしまった罪を、いまからでも拭っていければと思う。
と。
「ワン! ワンワン!」
聞き覚えのある鳴き声が聞こえた。
見れば、職員から解放されたレオが、由美の胸にダッシュしているところだった。
「レオ! レオぉ……!!」
「ワンワン!!」
由美はぎゅっとレオを抱きしめ、その毛並みをやや強めに撫でる。
「ごめん、ごめんねレオ……!」
「クゥン……。ヘッヘッヘ」
嬉しそうなその様子を見て、俺も再び涙腺が緩んでしまう。
本当に――良かった。
最悪の結末だけは避けることができた。
これが俺のおかげだなんて……そんなおこがましいことは考えていないけれど。
それでも、頑張り続けて良かったのかもな。
いつしか、空はすっかり快晴になっていた。
キラン――と。
由美の右手にはめられた稲荷塚古墳の指輪が、またしても控えめに輝いた気がした。
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