抗え。
「お願いします! 里親募集してます!」
午前11時。
大宮駅東口。
俺は枯れた声で通行人にチラシを配り続けた。
「お願いします! お願いします!」
由美も同様。
泣きそうなのをこらえながら、それでも一生懸命に動き続けている。
今朝からずっと――その勢いが留まることはない。
そう。
昼過ぎには桜庭家に引っ越し業者が来る。
だから遅くとも正午までに里親を見つけなければならない。
さもなくば――レオは保健所行きだ。
引っ越し前の家に置いていては、行政の人間に回収されるのが関の山。もちろん回収後は《捨て犬》として保健所に送られるので、どの道、本日の正午がタイムリミットだ。
だから、急がねばならない。
本日中に――なんとしても。
それなのに現実は非常なものだった。
めぼしい結果は得られない。
すこし脈のありそうな通行人でも、老犬であることを伝えた瞬間に表情が曇ってしまう。
――駄目なのか。
――結局うまくいかないのか。
どんなに足掻いても、無理なものは無理なのか。それが現実なのか。最初からなにもしないほうが良かったのか。
……いや、そんなことはないはずだ。
最後まで諦めたくはない。
そう意気込んではみるものの――やはり現実は非常なもの。
俺たちの努力も虚しく――ついに正午をまわってしまった。
本日のめぼしい結果はゼロ。
チラシは配布できたが、里親になってくれそうな人物はついぞ見つからなかった。
名残惜しいが、これ以上、チラシ配布に時間はかけられない。
★
黒雲が空を支配していた。
どんよりとした空気が地域一帯に漂い、なんとなく気が重くなってしまう。
予報では《晴れ》だったはずだが、そんな気配は微塵も感じない。むしろ一雨きそうである。
――さいたま市動物愛護ふれあいセンター。
浦和からほど近い保健所に、俺と由美は向かっていた。
須賀や田端は呼んでいない。今日は平日だし、こんな悲しい場面を二人に見せたくなかった。
香苗もできることはやっておきたいと言ってくれたが、母が夜勤続きなのは知っている。だから無理するなと止めておいた。
「良也……」
由美は泣いていた。
レオを結んだリードをしっかり握りしめ、運命に抗うかのように。
「やだ……連れていきたくないよ……良也……」
「由美……」
彼女の頭を、俺はゆっくりと撫でる。
彼女の心痛は察するに余りある。
レオはまさに、長年寄り添ってきた家族のような存在。
その家族を、みずから保健所に連れて行かねばならない苦しみ。
その家族を、助けることのできなかった悲しみ。
――俺ごときでは、とうてい慰められる問題ではない。
「ヘッヘッヘ」
事情を知らない当のレオは、いつもの純朴な瞳で俺たちを見上げてくる。小さな足でテクテク歩くその姿が、なんとも可愛らしく、痛ましかった。
保健所の職員には事前に連絡を入れてある。きっと今頃、施設の入り口で待ってくれているはずだ。
電話の際、本当に預けてもいいのか、犬が死んでしまうことをわかっているのか、色々なことを聞かれた。
だが、俺たちのいままでの活動を話した途端、職員はさすがに納得せざるをえなかったようだ。
考えなしに動物を預ける飼い主が本当に多いらしい。だから最初は割ときつい口調で問いつめられたが、最後には納得してもらえた。
「そこまで頑張ってくださったのなら……仕方ないですね」
というのが職員の言葉だった。
俺だって、本当はレオを助けたい。殺処分の悲惨さは動画サイトでも見たことがあるし、絶対にレオをそのような苦しみを味わわせたくない。
でも……でも……!!
「ごめんね……良也……」
隣を歩く由美がふと呟く。
「いっぱい手伝ってもらったのに……こんな結末になるなんて……。私がもっとしっかりしてれば……!」
「由美……」
俺もこの歳になって泣いてしまうとは思ってもみなかった。
由美の心境とレオの今後を考えると、涙がどうしても滲み出てしまう……
ぽつり、と。
雫が空から落ちてきた。それはすこしずつ、勢いを増していく。本降りになるのも時間の問題だろう。
けど、だからといって保健所まで走る気にはなれなかった。
せめて――レオと過ごせるわずかな期間を伸ばしたい。
意味のない時間稼ぎだとわかっているけれど、まだなにか手があるかもしれないから。
だが、現実は非常なもの。
とうとう、お別れのときがやってきた。
「……桜庭さんですね」
保健所についた俺たちを、職員が出迎えた。
「話は窺っております。その子が……例の……」
「はい……」
答える由美の声が涙に濡れていた。
「わかりました。あなたがたの頑張りは聞いています。……きっといつの日か、この子もわかってくれるでしょう」
わかりやすい気休めだが、この職員も気を遣ってくれているんだろう。俺たちは特に言い返せない。
「レオ……ごめん。ごめんね……!!」
由美はその場に縮こまると、最後にレオを強く撫でる。その存在を確かめるかのように。手にレオの記憶を刻み込むかのように。
「クゥ……?」
最初はレオもなにがなんだかわからなかった様子。
だが――
職員の手にレオのリードが渡った瞬間、いつもマイペースなレオが豹変した。
「ワン! ワンワンワン!!」
激しく動きまわり、離れようとした俺たちに吠えじゃくる。
「ワンワンワン!!」
あんなレオは見たことがなかった。年老いて重いであろう身体を激しく動かし、懸命に吠えてくる。
「ワンワンワン!!」
「うっ……ううう……! あああああああ!」
その声に、由美も限界に達してしまったようだ。
滂沱の涙を流し、その場にうずくまってしまう。
俺も涙が止まらなかった。
――情けない。
彼女を助けようと決めたのに。
あんなに頑張ったのに。
結局、俺はなにもできないのか。タイムスリップする前から、なにも変わっていないのか……!
なんとしても彼女を助けたい。
でもその方法がわからない。
いったい、どうしたらいいんだ……!!
――と、その瞬間。
由美の右手にはめられた稲荷塚古墳の指輪が、きらりと光った気がした。
稲荷塚古墳。
それは大宮西高等学校の敷地内に存在する古墳で、祠に向かって祈り事をした場合、願いが叶うとされている。
――どんなに辛くても、必死にかじりついていれば必ずうまくいく。私はそう信じてる――
――だからどうか諦めないで――
飯島さんの言葉が脳裏に浮かび上がる。
そして、再び。
俺の視界は暗転した。
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