友達
「…………」
自宅までの道のりを、俺は自転車を走らせながら見渡す。
……なんだろう。
どうってことない風景なのに、なんだか込み上げるものがある。
十年後は潰れてしまう小売店や、町の本屋、老朽化の進んだ建物の数々……
いけないな。
こんなもんで感動しているようじゃ、いよいよおっさんじゃねえか。
――いや、実際おっさんなんだけど。
最初は道を覚えているか不安だったが、案外いけるものである。妙に入り組んだ通学路を、さして戸惑うことなく進んでいく。
『懐かしい』なんて、前の俺なら絶対に馬鹿にしてたのにな。人は変わるもんだ。願わくは、人生も良い方向へ変えていきたいものである。
そうして自転車を漕ぐこと三十分。
「…………あ」
それが見えてきたとき、思わず俺は掠れた声を発した。
埼玉県上尾市、住宅街。
両親が越してきたとき、一緒に建てた新築。脇にはちょっとした庭があって、母が暇を見つけては植物を手入れしている。壁面には古い自転車が立てかけてあって、パンクしたまま放置してあって……
「はは……ははは……」
実家だ。
紛れもなく、俺が生まれ育った家。
両親と喧嘩して、成人してからは一度も来たことがない俺には、なんか不思議で――切なくて。
よくわからない感情が、胸のうちを支配した。
でも……そうか。
両親は若くして俺を生んだ。
この頃だと二人とも四十か。さすがに俺の精神年齢よりは上だが、あの頃よりは、理解し合えるようになっているはずだ。
「ただいまー……」
鍵を開け、おそるおそる扉を引く。
瞬間、湿ったような――どこか独特の悪臭が鼻をついた。
「ぬっ……」
そうだ。
すっかり忘れかけていたが、いまは家庭が荒れ始める時期。その兆候として、家族の誰もが身の回りを手入れしなくなっていた。玄関、トイレ、風呂、リビングに至るまで、汚れが目立つ。庭もちょっと荒れてたしな。
部屋の様子が心境を表す――とは言ったものだ。
この頃、俺はちょっとした不穏さを感じながらも、なんとかなるだろうと勉強に打ち込んでいた。
否、そうすることしかできなかった。
まさか自分の父がリストラに遭うなんて――考えもしなかったんだ。
「親父……お袋……」
いまは二人とも不在のようだ。仕事に出かけているんだろう。
だったら、いまの俺にできる親孝行はひとつ。
「さて……いっちょやるか」
俺はバッグを床に下ろすと、袖のまくった腕をぶんぶん回す。雑巾と掃除機のありかは奇跡的に覚えている。あとは身体を動かすだけだ。
俺はただただ夢中で、家の掃除に徹する。
汚いといっても、まだ荒れ始めの段階。各所の掃除にそこまで時間はかからない。約二時間ほどかけて屋内を清掃した俺は、今度は庭の草むしりを行うことにした。
――午後六時。
夕陽の儚げな輝きが、周囲をうっすらと照らし出している。日が暮れたらさすがに作業できないので、終わりきらないぶんは明日に持ち越しだな。こればっかりは仕方ない。
……両親は二人とも、まだ姿を見せない。
共働きの家庭だったから、きっと仕事に勤しんでいるんだろう。そして疲れきった身体で家事を行い、家族の飯をつくって、明日早くからまた仕事……
当時の俺はこうしてもらえるのが当たり前だと思ってたんだ。
だけど……
「あ、良也!」
ふいに間抜けな声が聞こえ、俺はぎょっと肩を竦める。
この声。まさか……
慌てて振り返ると、そこには予想通りの人物がいて。さすがにこれには吃驚仰天した。
「ゆ、由美……? なんでおまえが……!」
「だって……良也、そそくさと帰っちゃうんだもん。話しかけても返事してくれなくて……」
そ、そうだったか。
まったく気づけなかった。
……って、そうじゃなくて。
「まさか……わざわざ家に来たのか……?」
「――ああ。俺の独断でな」
「私もいるわよ♪」
由美の背後から姿を現したのは――同窓会で世話になった二人、田端と須賀だ。
俺の古い記憶によれば、この三人組は仲が良かった覚えがある。いまは廃止されてしまった連絡網の住所でも辿ってきたのだろう。
「すまんな飯塚。悪いとは思っていたが……なんだか思い詰めてる表情してるように見えてな」
「しかも由美の彼氏候補でしょー♪ これは気になるじゃん!」
「も、もう! 須賀っちは余計なこと言わんでいい!」
顔を赤くして反論する由美。
だが、俺はそれどころじゃない。
「な、なんなんだ……? なにをしにきたんだおまえら……」
まさか金を脅し取りにきたわけじゃあるまい。いったいなんのメリットがあって。
田端は眼鏡の中央部分をおさえ、キランとレンズを光らせて言った。
「ふふ。なんてことはない。生徒会長として、思い詰めてる生徒は放っておけなくてね」
「あと、由美の彼氏候補だし♪」
ドヤ顔を決める田端に、悪戯っぽい笑みを浮かべる須賀。
「いやいや……ますますわからん」
この二人とは学生時代ほとんど関わった記憶がない。
いったいなにを……
「さて! ここまで来たのもなにかの縁だ! 僕も手伝うよ、飯塚」
腕まくりしながら宣う田端。由美と須賀も同様の仕草を取っている。
「て、手伝う……?」
「そうさ。草むしりしてるんだろ? ひとりじゃ大変だ。僕たちも加勢するよ」
いやいやいや。待てよ。
「気を回さんでも大丈夫だ。手伝ってもらっても、謝礼とかは払えんぞ」
「謝礼……? はは、大人っぽいこと言うんだな、飯塚は」
にこっと笑う田端。
「いいんだよ。どうせ暇だし。同じクラスの友達だろ?」
「と、友達……」
なんだそれは。
わからない。
そんなもの……俺にできた記憶なんてない。
わからない……
「いいんだよ、良也。私たちが好きでやるんだから」
由美もやる気満々で片腕を振り回す。
「さ、みんなでやれば早く終わる! 頑張ろー!」