桜色
そうこうしているうちに、夜の8時になった。
そろそろ帰る時間である。
明日は月曜だし、朝から学校があるからな。
夜更かしは厳禁だ。
「じゃ、また明日なー」
「またねー!」
須賀と浩二、渡辺たちが帰っていく。
彼らは帰る方角が一緒らしいな。
俺たちとは別の方向へ立ち去っていく。
つまり、由美の家にお泊まりすることになった日は、自宅とはまるで逆の方向を進んできたことになる。
……よくやるもんだ、あの二人も。
後には、俺と由美、香苗だけが残された。
「由美。それは……」
「うん……」
詩織から手渡されたりんごジュースを、由美は大事そうに抱えていた。
あれからそこそこの時間が経った気がするが、一口も飲んでいないらしい。とうに中身は温くなっているだろうな。――それでも彼女は、りんごジュースから手を離そうとしない。
「由美ちゃん……」
香苗は切なそうに彼女を見つめる。
母親として、なにか思うところでもあるんだろうか。由美に手を伸ばしかけて――やめる。
それからふいに俺に視線を向けるや、
「じゃ、お母さんは先に帰るね。一応、ご飯つくっとくから」
と言った。
「あ、ああ……。助かる」
きっと気を遣ってくれたんだな。
母はこれ以上なにを言うでもなく、俺たちに手を振ると、駅のなかへと消えていく。
最後に残ったのは、俺と由美だけ。
「ぎゃはははは!」
「うぇぇぇええい!」
南銀通りが近いこともあってか、いまから遊びにいく集団が多いようだ。連中の騒がしい声が、いやに大きく響きわたる。
周囲を見渡せば。
駅へ向かう者。
駅から出ていく者。
目まぐるしいほどの往来が繰り広げられていた。
みな立ち止まることなく、ただひたすらに歩き続けている。
そんななかにあって、俺と由美だけが静かだった。
彼女はずっと、ペットボトルを抱えていて。
端から見れば滑稽な状況だけれど、俺はずっと彼女を見守っていた。
由美がいまどんな心境か――すこし想像すればわかることだから。
「……由美」
俺はそんな彼女へ向けて、小声で語りかける。
「そろそろ帰ろう。明日も学校だ」
「うん……」
由美の首肯を確認し、俺たちはゆっくりと歩み始める。
ここは駅の東口だが、自転車は西口のソニックシティ駐輪場に止めてある。だから一度駅を抜けて、そこそこの距離を歩かねばならない。
「……なあ、由美」
その道すがら、俺は由美に問いかけた。
「その、大丈夫なのか。色々と」
「色々と、って……?」
「考え込むことが多かっただろ? 飯島さんの家に行く前だって……」
俺の発言に由美は一瞬だけ目を丸めるや、
「あはは」
と笑った。
「鋭いね。やっぱり……わかっちゃうか」
「ああ。なんとなくだが……」
里親を見つけること。
――それは疑いようもなく、俺たちが望んでいることのはずだ。
このままなにもしなければ、レオが殺処分されてしまう。保健所はあくまで一時的に動物を預かる場であって、永遠に世話をし続けることはないから。
だけど。
だけど……
「私。わからなくなってきたんだ」
母からもらったペットボトルをより一層強く抱きしめ、由美は絞りとるような声を発する。
「レオは。レオはずっと私の家族だった。小さい頃からずっと遊んできた。犬のほうが早く死ぬのはわかってる。だからそのときがきたらそばで看取っていたいと思ってた。なのに……」
その切なる声に、俺は安易な言葉を投げかけることができない。
桜庭詩織は女手ひとつで由美を育ててきた。それはきっと俺が想像もできないほど大変で――心身ともに追い込まれてしまうんだと思う。由美を立派に育てあげるために、身を粉にしてでも働いてきたに違いあるまい。
――だから、詩織はずっと家を空けていたはずで。
仕方ないことだし、これを責めるつもりはないが、由美はひとりの時間が多かったと思う。
そんな由美にとって、レオは間違いなく家族だったはずで。
寂しかった由美の癒しだったはずで。
そんな家族との別れが、悲しくないわけがない。
理屈では里親募集の重要性をわかっていても、まだまだ小さな女子高生が、大事な家族との別れを割り切れるわけがない……
「あはは。ごめんね、良也」
由美が乾いた笑みを浮かべる。
瞳に少量の涙があった。
母からの贈り物を持つ腕が震えていた。
「私、頑張るから。レオが幸せに暮らせるように……最後まで諦めないから……だから」
そんな彼女に、俺は。
優しく両肩を掴むと、その桜色の唇を塞いだ。
「あ……」
驚いたように目を見開く由美。
だが抵抗はなかった。
周囲には通行人がちらほら歩いていて、こんな状況で大胆な行動に出るなんて、俺らしくもない。
だけど。
俺は唇を離すや、彼女の目をしっかり見据えて言った。
「俺もできる限り頑張るから。あまりひとりで思い詰めないでくれ、由美」
俺の言葉に、由美は。
「うん。ありがとう……」
頬をやや染めつつも、俺の胸に頭を預けるのだった。
「ね……良也」
「なんだ?」
「今夜は……一緒にいたい」
か細いその言葉に、俺はゆっくりと頷くのだった。
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