現実に、抗え。
ほんのりとした陽射しが、視界にふっと差し込む。
失われた意識が、すこしずつ戻ってくるのを感じる。
「ん……」
寝ぼけた声とともに、俺はうっすらと目を開ける。
見慣れない天井。
俺の部屋ではない。
片手で目をこすりつつ、俺は脇に目をやる。
桜庭由美。
昨夜、晴れて俺の恋人となった女性がそこにいた。
「むにゃ……」
と可愛らしい寝言をあげながら、寝返りを打つ由美。
例によってパジャマが若干はだけていたので、上から毛布をかけてやる。
本当に、彼女と一夜をともにするとはな。
レオのチラシをつくっているときも意図せず泊まってしまったが、あれとは意味合いが違う。由美と同じベッドで寝るなんて、俺からすりゃ前代未聞の大快挙だ。
「にゃー……」
ふいに、隣の由美が猫なで声を発した――かと思いきや。
「!?!?!?」
抱きつかれた。
しかも力がかなり強い。
さすがは毎日のように鳳凰拳を繰り出しているだけあって、けっこう力強かった。
当たってる当たってる。
なにがとは言わんが。
「おい、由美。おい!」
「むにゃ……?」
「むにゃじゃねえよ。起きろ!」
「え……?」
うっすらと目を開ける恋人。
寝ぼけ眼の視線と、俺の目とが合った。
「あ! よよよよ良也!」
一転して由美は顔を赤くする。
「放せ」
「わ、わわああああああ!」
太陽は、朝っぱらから太陽だった。
★
さて。
朝っぱらから騒がしい起床を果たした俺たちは、とりあえず今日の計画を練ることにした。
現在時刻、朝の9時。
土曜日。
俺も由美も、終日手が空く一日となる。
やることは山積みだ。
受験勉強に里親募集のチラシ配り……
どれも失敗はできない。
絶対に成功させる必要がある。
俺たちは二人してベッドに座り、今日の計画を練る。
言わずもがな、俺たちはもう《友達》という間柄じゃない。二人の距離感も必然的に縮まっていた。
それこそ、互いに息がかかるほどの距離だ。
そして――俺は忘れていない。
この時間ともなれば、そう。
彼女の帰宅時間だった。
「あんたたち……また……」
俺たちが仲良く話しているところで、桜庭詩織が姿を現す。
派手な衣装はいつも通りだ。
嫌悪感も露わに、俺たちをきっと睨みつけてくる。
「お、お母さん……」
対する由美はすっかり萎縮してしまっている。
それも仕方ない。
詩織の態度は威圧的そのもの。
年端もいかぬ高校生には脅威だろう。俺はまあ――彼女より怖い上司とか大勢見てきたからな。
「お邪魔させてもらってます……詩織さん」
しかし詩織はそれには答えず、突っけんどんな態度のまま言い放つ。
「あんたたち……泊まってもいいとは言ったけど、面倒は起こさないでもらえる?」
「面倒……」
その言葉の意味を、俺はやや遅れて理解する。
彼女はたぶん――妊娠のことを言っているんだ。
もし何らかの間違いがあって由美が子を成してしまえば、それは詩織の手間にも直結する。だからやめろと言っているわけだ。
「それに由美。あんた受験生でしょ? こんなことやってていいの?」
「そ、それは……」
どもってしまう由美の代わりに、俺が答える。
「詩織さん。勉強のことなら心配無用です。昨日もちゃんとやりましたし」
「…………」
「それに」
そこで俺はしっかりと、詩織の目を見据える。
「あなたの言う《面倒事》も、絶対に起こしません。俺は――彼女を、なによりも大切な人だと思ってます」
「よ、良也……」
隣の由美が嬉しそうに呟く。
「あんた……なにを言うかと思えば……」
反して、詩織の表情が憎悪に蠢く。
母として、女として。
様々な嫌悪感がない交ぜになった怒りが、詩織のなかで動いている気がした。
「高校生のくせして、偉そうなこと言うもんじゃないわよ。口だけだったらなんとでも言える」
「ええ。わかってます。ですから――あなたの意見も否定はしません」
俺は毅然たる態度を取りながらも、詩織への配慮も忘れない。
彼女は意味もなく俺たちを否定してるわけじゃないはず。
桜庭詩織。
きっと、彼女も昔の俺と同じなんだ。
夫に逃げられ。仕事では異性の汚い面も散々見てきて。
彼女の言動から察するに、それ以外でも痛い目に遭っている可能性は否定できない。
詩織の壮絶な人生は、由美の話からもわかるから。
だから、俺は否定しない。
理不尽に呑み込まれ、腐っちまうのは俺にもよくわかるから。
「見ててください。俺たちで、絶対にレオの里親も見つけます。それなら……本気だってこともわかってもらえるでしょう?」
「……はっ。言ったわね」
詩織が薄ら笑いを浮かべる。
「レオはもう老犬。引き取ってくれる人なんてそうそう見つからない。それがわかってて言ってるわけね」
「ええ……もちろんです」
「ふん。もういいわ。好きにしなさいよ」
不機嫌そうに身を翻し、姿を消す詩織だった。




