無に徹するべし
由美の部屋は二階にあるようだ。
やや埃の目立つ廊下を、俺たちは無言で上っていく。
「ね……ねぇ、良也」
そして最後の一段を登り切ったところで、由美はもじもじしながら言った。
「ちょっと、先に部屋見てきていい? 散らかってるかも」
「お、おう」
身体をくねくねして言い訳する由美も、なんだかちょっと可愛かった。
「わかった。ここで待ってるよ」
「うん。ごめんね!」
由美は手刀をつくって謝罪すると、自室へと入っていく。
――と。
ドタバタドッカンバッタン!
「えっ」
すさまじい音が室内から響いてきた。すごい勢いで片づけているようだが、いったい部屋のなかはどうなっていたのか。
気にはなったが、さすがに覗きはしない。俺も自分の部屋は汚いしな。
ほどなくして、扉を開けた由美が、ひょっこりと顔だけを覗かせた。
「ごめーん。入っていいよ」
「あいよ」
返事をしてからなかに入る。
由美の部屋は……ある意味で想像通りだった。
学習机、ベッド、小型なテレビ。
そして部屋のあちこちに、パンダだか熊だか、可愛らしいぬいぐるみが置いてある。
かと思えば、なぜか木刀が置いてあったりするんだ。しかも本棚には某少年漫画の単行本が沢山ある。
よく言えば《なんでもある部屋》だが、所有者の性別がわかりづらい、ごちゃ混ぜの部屋だった。
……まあ、それが由美らしいとも言えるか。
「ふふふ」
ふいに含み笑いを浮かべる由美。
「――いつから、ここが私の部屋だと錯覚していた?」
「はぁ?」
意味わからん。
が、彼女が意味わからんことを言ったときは、たいてい恥ずかしさを隠しているときだ。
先日の同窓会で、30歳になった須賀も同じことを言っていたしな。
「ま、いいんじゃないか」
だから俺は、きっと由美が抱えているであろう不安を解消してみる。
「別に汚くないと思うぞ。漫画とか置いてあるし……俺にとっても居心地がいい」
「ほ、ほんと!?」
途端に目を輝かせる。
うん、やっぱりわかりやすいな。
俺は改めて、室内にある漫画に目を走らせる。
そこまで詳しくはないが、俺も人並みに漫画を読んできた身。パッと見て、懐かしいタイトルがずらずらと並んでいたんだ。
「お……これは」
ひとつのタイトルに目を惹かれ、俺は単行本を手に取る。
懐かしいな。
たしか幽霊が見える主人公で……物語が進むにつれ、強い幽霊と戦っていくんだよな。戦闘シーンが非常に長く、敵ひとりを倒すのに何年もかかっていた記憶がある。
俺はベッドに腰かけ、パラパラとページをめくる。
「あ……良也もそれ好きなの?」
由美が隣に並んだ。
さっきより距離がだいぶ近い。
女性特有の柔らかな香りと、彼女の息づかいが、俺の五感を刺激する。しかも前屈みになって漫画を覗き込んでくるので、胸元がかなり際どいことになっている。
俺はそれを無理やり意識の外に追い出すと、視線を漫画に戻す。
「そうだな。俺も読んでる」
「それ気になるとこで終わっちゃうんだよねー。なんか意外な人が黒幕だったし」
「そ、そうだな」
俺はもう結末知ってるから、なんとも反応に困る。
「それより由美……見えてるぞ」
「へ? なにが」
「そこ」
軽く指さすと、由美は初めて自分の格好に気づいたらしい。
「あっ!」
と慌てて胸元を抑える。
「ご、ごめん。困っちゃったよね……」
「あ、ああ……」
そのまましばらく、無言の時間が続く。
手元の漫画をパラパラめくるが、まったく内容が頭に入ってこない。緊張してるときほどこうなるよな。
「ベッド……小さいな」
「うん……」
「他に眠れる場所はないのか?」
「えっと……あとの部屋はお母さんの部屋と物置とトイレ……」
「マジか……」
まさか詩織の部屋では眠れないしな。かといって物置で寝るのもな。
「ねぇ……良也。私なら大丈夫だから」
「由美……」
「だって、私から呼んだんだよ。布団で寝ろなんて言えないよ」
「…………」
さすがに緊張するな。
安心して眠れるだろうか。
もちろん――間違いは起こさない。これまでの30年間で、望まぬ妊娠をさせられた話を沢山聞いてきた。主にネット上でだが。
時刻は夜の1時半。
さすがにもう、寝る時間である。
「じゃあ……一足先に寝てもいいか。由美は壁側でいいから」
「え……いいよいいよ。気にしないでよ」
「いいさ。こういうときくらい、かっこつけさせてくれ」
「う、うん……」
由美が頷くのを尻目に、俺はベッドに横たわる。
それからほどなくして、電気を消した由美が隣で寝転がった。
「…………」
「…………」
隣に異性がいるというのは、なんとも緊張するものである。リラックスしようとしてもできない。
精神年齢30歳ではあるが、こういった経験は皆無だからな。致し方ない。
と――ふいに。
「ん……?」
俺の右手を、温かな感触が包み込んだ。
彼女の手だ。
指と指とを絡み合わせてきている。
「……由美」
「今日はこうやって……寝たい」
「そ、そうか……」
これじゃもっと眠れなくなりそうじゃないか。
そう思いながら、眠りに落ちるべくひたすらに無に徹するのだった。




