太陽と月
しばらく気まずい沈黙が続いた。
俺も由美も、一言も発さない。
ただただ――時間だけが過ぎていく。
由美に至っては二の句が継げないようで、あわあわしたまま固まっていた。
「ふぅ……」
深く息をつく俺。
――まったく、この女は。
どこか抜けていて、おっちょこちょいで――その様が、俺には太陽に見えて。
そんな彼女が、俺は……
「まあ座れよ。落ち着けって」
「む、むぅ……」
唇を尖らせたまま、俺の隣に座る由美。長らく沈黙が続いたことで、彼女もすこしは冷静を取り戻しつつあるようだ。
まさか空気を読んでいるのか、レオはかなり大人しかった。自身の腕に顎を乗せ、ゆっくりとくつろいでいる。
周囲は――静かなものだった。
ときおり車の通り過ぎる音が聞こえるが、それ以外は無音。
俺と由美だけの世界が、ここに広がっていた。
まわりには、誰もいない。
「由美……ひとつだけ聞いてもいいか」
「うん」
「どうして、俺なんだ」
「……へ?」
質問の意図がわからないのか、由美は目を点にする。
「俺は学校でも底辺の……いわゆる陰キャだろ。おまえはそうじゃない。誰もが羨むポジションにいる。そんなおまえが……なぜ俺なんかに」
「…………」
そう。
俺と由美は幼馴染みではあれど、そこまで接点を持ってこなかった。
単に小学校からたまたま一緒にいて、志望する高校も同じで。
それだけでしかなかったのに。
それなのに、なんで彼女は俺なんかを気にかけるんだろう。
こんな――教室の隅っこで縮こまっているような俺を。
「……あのさ」
由美は小さくうつむくと、ぽつりぽつりと話し始める。過去の記憶でも辿るかのように。
「あの話覚えてる? 私のお父さんは……私が産まれる前に失踪したことを」
こくりと頷く俺。
忘れたくても、忘れられるはずのない話だった。
「それでね……お母さん、とっても辛かったと思うんだ。いまでも覚えてる。私がずっと小さい頃……保育園の園長先生が、お母さんに嫌味ったらしい態度で接してるの」
「なに……」
先生が母に嫌味な態度?
最初は理解できなかったが、由美はその理由まで詳しく話してくれた。
いわく、詩織は当時18歳。
母としては相当に若い。そして水商売として働いているためか、格好が派手そのもの。
母としてはあまりに似つかわしくない。
それが――周囲の《ママ友》からは異質に映ったんだという。
子どもを保育園に入れることができず、苦労する《ママ友》もいるなかで、詩織は攻撃の対象になった。
そのなかにおいて、由美は何度か見てしまったのだという。
ママ友や、老年の園長先生が、詩織に対して嫌味ったらしい態度で接しているのを。
そんな光景を見たら――忘れられるわけないよな。
「だから、いつもお母さんはこう言ってたんだよ。――ごめんね、駄目なお母さんでごめんね……って」
「っ……」
学校でいうイジメのようなものか。
いや。
イジメという可愛い言葉で片づけてはいけないな。
これは立派な迫害――人として恥ずべき行為だ。
くだらない。
どうして大人になってまで、そんなことするんだよ……!
「それでもお母さんは一生懸命に私を育ててくれた。昔はその有り難みを理解できなかったけど、私、お母さんに感謝してるもん」
「そうか……」
そうだな。
さっき見た写真では、詩織は楽しそうに笑ってた。
仕事では愛想笑いを強要され、保育園ではママ友から迫害され……
きっと辛かっただろうに、写真に映る詩織は立派な母親で。そんな辛さを微塵も出してなくて。
娘にみっともない姿を見せまいと、懸命に抗っていたんだと思う。
いつの日か……それがぷつんと切れてしまったんだろうな。
母子家庭における大変さは、俺なんかが到底語り尽くせるものじゃない。
「だからね、私、ちょっと人が怖くなったんだ。私に対しては優しい先生たちが、お母さんにはひどいことしてる……。誰を信じればいいのか、わからなくって……」
そして彼女は俺を見て、泣きそうな――もしくは嬉しそうな表情で言った。
「そんな私に救いだったのが――良也だったんだよ」
「え……」
「良也はたぶん自分で気づいてないけど……すごく良い人で、優しい人なんだよ。私が見たなかで……一番」
「お、俺がか?」
正直ピンと来ないが、それでも彼女はこくりと頷く。
「だって考えてもみてよ。私たちのためにチラシつくってくれて、配ってくれて、普通――ここまでしてくれる人はいないよ」
「…………」
「まあ、中学のあたりから良也はちょっと暗い感じになっちゃったけど、それでも私はわかってた。あなたの優しさを」
ああ……思い出した。
消しゴム拾ったり、重そうな物を代わって持ったり……
俺の優しさはその程度だった。
でも彼女いわく、そこまでやってくれる同級生は俺だけだったようだ。まあ、小学生だしな。
「だから……ね? 良也。あなたを好きになったのは最近じゃない。小学生の頃から、ずっとずっと……あなたが好きでした」
「…………あ」
はは。
ははは。
マジかよ。
俺なんて、クソ野郎で……親にも散々迷惑をかけてきたのによ。
こんな俺を。
俺なんかを。
「あのな。由美」
込み上げるものを懸命におさえながら、俺は震える自分の声を聞いた。
「おまえも自分でそうと気づいてないと思うが……俺にとって、おまえは太陽だった。陰気な気分をすべて吹き飛ばす、俺にとっての救いだった」
「え……太陽? 私が?」
やっぱりな。
気づいてなかったようだ。
俺たちは……互いにそうと気づいていなかっただけで、支え合っていたのかもしれない。
俺は彼女の瞳をまっすぐに見据えると、決意とともに言った。
「由美。俺もおまえが好きだ。こんな俺だけど……精一杯に支えていきたいと思ってる」
「あ……」
そのときに流れた由美の涙を、俺は一生忘れないだろう。




