光褪せない宝物
由美の母には『泊まっても構わない』と言われたが、さすがにそれはできなかった。
なにしろ二日連続だしな。
由美に迷惑をかけてしまうし、俺にも家族がある。お袋や親父ともコミュニケーションを取っておきたいところだ。せっかくタイムスリップしたわけだしな。
だから俺は今日こそ帰宅した。
由美の家から自宅までは自転車で約十五分。
わりかし近いことが判明した。
……まあ、だからなんだって話だがな。
「ふう……」
懐かしの実家に到着した俺は、ため息をついて自転車を停める。さすがに眠いな。おっさんだった頃の身体よりは元気だけど。
「ただいまー……」
小声とともにドアを開ける。
「あ、おかえりー」
明るい声で出迎えてくれたのは飯塚香苗。
俺の母親だ。
リビングでパイナップルを食べながらくつろいでいる。
ちなみに父親はまたしても外出中らしい。駐車場に車がなかったからな。
「どうしたの良也ー。遅かったじゃん」
「ん。まあ、なー」
「もしかして……これ?」
言いつつ小指を立てる香苗。
やべぇな。
鋭すぎだろ。
……いや、俺がわかりやすすぎるだけか。昨日なんて帰ってないしな。
「う――」
っせえな……と言いかけたところで、慌てて言葉を飲み込む。
たしかに気恥ずかしいところだが、それでは親孝行にならない。
俺は頬を掻きながら、ぼそっと呟いた。
「……まあ、そんなところだ」
「あら! ほんと!」
目をくわっと開けて喜ぶ香苗。
そのまま根ほり葉ほり聞かれるのかと思ったが、意外にもそうはならず。皿に置かれたパイナップルの実を差し出しながら、
「そっかー」
と感慨深そうに呟いた。
「あの良也が彼女かー。大人になったねぇ」
「彼女ではないんだがな」
まあ、家に泊まっている以上、そう思われるのも道理か。
……恋人。
いままでずっと独り身だった俺には、彼女の作り方なんてわからない。どうしたらいいんだろうな、これ。
「ってか、いらねえよ。自分だって食いたいだろ?」
差し出されたパイナップルを返すと、香苗も拒む。
「いいよ。遠慮しないで食べて」
「してない。疲れてるんだろ? 気遣わなくていい」
「ふふ……。そっか」
本当に、大人になったね。
そう呟きながら、嬉しさ半分、切なさ半分といった顔でパイナップルを食べる香苗。
そうだ。
俺が子どもだった頃、母親も父親も、こうやって食べ物を分けてくれて。俺はそれを当然だと思っていて……
自分だって、仕事終わりで腹減ってるはずなのにな。
「…………」
込み上げるなにかを抑えつけながら、俺はゆっくりと口を開いた。
「なあ。ひとつ……相談があるんだが」
「ん? なに?」
俺はそこで、由美の家庭事情をほんの軽く話した。桜庭家の名前は伏せたうえでな。
由美の母親。
その名前を、桜庭詩織というらしい。
詩織は、見知らぬ男――つまり俺――が由美の家に泊まっていたにも関わらず、なんの口出しもしなかった。それどころか、まるで興味自体がないような……そんな気がした。
それが俺には信じられなかったんだ。
親としての情を、まるっきりなくしてしまったんじゃないか。由美への愛情など捨ててしまったのではないか。そう思えてならなかったから。
だから改めて、自分の母親に聞いてみたかったんだ。桜庭詩織が、いま、なにを思っているかを……
「なるほどねぇ……」
話を聞き終えた香苗が、難しい顔で深く頷く。
「私は詳しい事情を知らないから、安易なことは言えないけど。でもね、ひとつだけ言うなら……子どもは、いつまでも光褪せない宝物よ」
「光褪せない、宝物……」
「うん。『おまえが言うな』って思うかもしれないけどさ。本当だよ」
「…………」
そうなのだろうか。
あの桜庭詩織にも、母としての心が残っているのだろうか。
俺にはまだわからない。
そこまでの人生経験は積んでないからな。
「そのお母さんも、きっと色んな事情があると思う。大変で、苦しくて、辛くて……。それでも、子どもに対する心は残ってると思うんだ」
「そうか……」
でも――その通りかもしれない。
香苗だって、どんなに辛くても、俺のために動いてくれている。それが親心でないとしたら、いったいなんだろうか。
いまでも記憶に残っている。
詩織が現れたときの、由美の表情を。
たぶん、家庭内でも満足なコミュニケーションが取れていないのだと思われる。
そんな桜庭家にも、いつか光が射し込むのだろうか。
最後の一切れを飲み込んだあと、香苗が聞いてきた。
「どう? これでいいかな?」
「ああ……ありがとう」
俺は立ち上がり、改めてリビングを後にする。
勉強のこと。
レオのこと。
やることは沢山あるが、それでもきっと、届かない問題じゃない。
そう思いながら、自室に戻るのだった。




