鳳凰拳のやり返し
しばらく静謐な時間が続いた。
由美はずっと俺の胸で泣いていた。
いつも太陽のようで――みんなを明るく照らす存在で。
だからこそ、ずっと抱えているものがあったんだ。誰にも相談できずに、たったひとりだけで……
「ご、ごめん。良也……」
しばらく経った後、由美が恥ずかしそうに呟く。目元を拭いながら、顔を赤くして俺から離れた。
「え、えへへ。みっともないところを見せたね……」
「いいんだよ。別に不快じゃなかったからな」
「え……」
さらに顔を赤くする由美。
「む、むむむむ。そんなことを言われたら、もっと、す、す……」
「す?」
「な、なんでもないよっ!」
由美はなぜか叫び声をあげると、「はあ……」とため息をついてテーブルに向かう。
「……でも、本当にありがとう。おかげで気持ちがすっきりしたよ」
「そうか。ならよかったが……」
俺は彼女のように明るくはなれない。みんなに元気を与えることもできないし、みんなを照らし出すこともできない。
だけど。
そんな太陽を、すこしでも救ってあげることができれば。
陰からでも、助け出すことができれば。
きっと、数年後かに起こるであろう《交通事故》も避けられるかもしれない。
って……我ながらかっこつけすぎかな。
その後はレオと戯れつつ、お勉強タイムが続いた。
悲惨だった俺の学力も、すこしずつ上向きつつあると思う。学校の勉強を除いても、一日で六時間は机に向かってるからな。受験生としては足りないかもしれないが、俺にしては大きな功績。今後、これをちょっとずつ高めていけばいい。
「由美。これがわからないんだが……」
「なになにー?」
そうやって寄り添いながら勉強するのは、ある意味でとても至福だった。難解な問題でも、彼女といればすんなり頭に入ってくるというか。
これなら合格できるかもしれない……と思ってしまうのは、甘い考えだろうな。もっともっと、切り詰めていかねばなるまい。
それにしても。
由美って、ほんとにすごいかもしれない。
自分だけで悩みながらも、それでも懸命に勉強してきたんだろう。学力がお世辞抜きで高いんだ。
俺がわからなかった問題を、いとも簡単に解いている。彼女にとっては朝飯前のようだ。
俺はすっかり腐っちまって、なにもできなくなったのにな……
改めて思う。
彼女の強さを。
そんなことを考えていたから、由美にはぼーっとしているように映ったんだろう。
「どしたのー? 良也」
と、下から顔を覗き込まれた。
ちょっと悪戯したくなったので、彼女の両頬をむにゅっと掴む。
「……!? な、なにすんの!」
「鳳凰拳」
「意味がわからないよっ!」
っていうか、あれだな。
何気に、俺、初めて異性の顔に触れたかもしれない。もちろん母親を除いてだ。
より一層顔を赤くする由美だったが、特に不快を感じてはいないようだった。いつも通りポカポカ肩を叩いてくるので、俺もいつも通り片手であしらう。
気のせいだろうか。
今日で、由美との距離が一気に縮められた気がする。
心理的な面だけじゃなく、物理的な面でもな。
壁面の時計を見ると、もう23時を回っていた。夕方から勉強していたことを踏まえれば、けっこう頑張ったと思う。
と。
「ワンッ!」
いままで床で丸くなっていたレオが、急に吠えだした。同じところをくるくる回っている。
なんだ……? と思う間もなく、玄関の鍵が開けられる音がした。
「ただいまー、って……」
現れたのはやはり由美の母親。
昨日と同じく、相当に露出の激しい服を着ている。
「あんた……また来てるの?」
さしたる興味もなさそうに俺に訊ねてくる。というか、かなり眠そうだ。
前に会ったときもなんとなく思ったが、由美の母親の仕事は、たぶん……
「ええ……お邪魔してます」
小さく頭を下げる俺。
「大丈夫です。娘さんには一切手を出してませんから」
「はっ……本当かしらねぇ」
そう言って諦観の笑みを浮かべる由美の母。
その姿は、なにもかもに絶望しているかのようで。
不謹慎ながら、俺は自分の父と重ねてしまった。
「すみません。ひとつだけ……言っておきたいことがあります」
俺はそう言いながら、テーブルの脇に置いてあったチラシを提示する。
「レオの里親を募集してます。由美から色々と事情を聞いて……放っておけなくなったので」
「…………」
母親は無造作にチラシを受け取り、顔をしかめながらそれを眺める。
そして数秒後、やはり興味なさそうにチラシを返してきた。
「そう。勝手にやれば?」
「はい。そうさせていただきます」
「……あと、泊まるのはいいけど、片づけはしっかりやっていきなさいよね」
かなりつっけんどんな反応だが、俺は言い返さない。
社会人としての辛さは、わかっているつもりだから。
「ごめんね……良也」
だから母親が姿を消した後、由美に謝られても、俺は極めて冷静に返答することができた。
「いいさ。気にしてない」
「良也……」
「おまえは気にするなよ。さ、勉強を続けよう」
「う……うん!」
評価のお願いにつきまして、過去の掲載分は一部分を除き消しました。
極力やらないようにしますが、なろうではptがかなり大事なため、たまにお願いすることはお許しいただければと思います。
よろしくお願い致します。




