偽らざる本音
里親募集のチラシは、今日の夜には教室に置かれるらしい。
つまり。
全校生徒がチラシを確認するのは、明朝ということになる。
それまでは、ひとまずこの件を脇に置いていいだろう。
俺も受験生。
人助けも大事だが、自分の将来も大事だ。ここで目標を見失ったら――すべてが台無しである。
だから俺は、再び由美の家にお邪魔することになった。
昨日はカフェで勉強したが、コーヒー一杯ですら学生の財布には痛いもんな。節約の意味も込めて、由美の家に行くことになったわけだ。
当の由美も、
「良也なら大歓迎だよ!」
と言ってむしろ喜んでくれている。
ちなみに田端と須賀は学習塾に通っているとのこと。そのため、二人とは放課後になったらすぐ別れることになる。塾が休みの日だけ、たまに三人で遊んでいたようだ。
桜庭家までの道すがら、俺たちの間を不思議な沈黙が包んでいた。
これぞ、心地よい沈黙ってやつか。
俺も由美もしばらく無言のままだったが、なぜか不快にはならない。むしろずっと、このままの時間が続けばいいと思った。
それと。
気のせいかもしれないが、由美の俺を見る目が若干変わった気がする。
前からそれなりの好意を感じてはいたけど、それがさらに強まったというか。目がより一層キラキラするようになったというか……うーん、なんとも例えがたい感じだけど。
二日連続で由美の家を訪れるのも、何気にすごいことだよな。女慣れしたチャラ男じゃなくて、俺が――だぞ。
「お、お邪魔しまーす……」
「ワンッ!」
おそるおそる訪問した俺を、レオが元気よく出迎えてくれた。
老犬なので動きは若干鈍いが、それでも歓迎の雰囲気は伝わってくる。
「ヘッヘッヘッヘ」
無邪気な表情で飛び込んでくるポメラニアン。
どういうわけか、昨日からすっかり懐かれているらしいな。俺は動物に好かれる人間じゃないと思っていたんだが。
「はは。由美の帰りを待ってたのか?」
「ワン!」
犬はただただ純粋に、飼い主の帰りを待ち望んでいる。飼い主の帰宅を察すると、嬉しそうに玄関まで駆け寄ってくれる。
その純朴なる瞳に、俺の心も幾分か洗われる気がした。
「ワン!」
そうして尻尾を振り続けるポメラニアンに、俺もなにかしら情を抱いてしまったのかもしれないな。ふさふさの頭を、俺なりの優しさで撫でてみせる。
「ふふ。完全に懐かれてるね」
由美も嬉しそうだ。
こういう姿を見てると、里親募集、絶対に失敗できないよな。
俺も過去、動画サイトで見たことがあるんだ。
――犬の殺処分の現場を。
通称ドリームボックスという名のガス室に追い込まれ、炭酸ガスによって窒息死されるさまはグロテスクという他ない。壁面には泣き喚く犬の爪痕が明確に残り、最期には抱き合って死を迎えた犬もいるという。
「ヘッヘッヘ」
純朴な瞳で俺を見上げるレオ。
汚れを知らないその顔を見るだけで、胸が苦しくなる。
殺させるわけにはいかないんだ。絶対に。
急に押し黙った俺に、由美はその理由まで悟ったのだろうか。俺と一緒にレオを撫でながら、ゆっくりと話し始める。
「その子ね……こう見えて本当に臆病なんだよ。ほら、ポメラニアンって怖がりな子が多いみたい」
「そうなのか……って、おい!」
いきなり顔面を舐められ、思わず体勢を崩してしまう。
臆病……ねぇ。
とてもそうは見えないが。
それとも、飼い主と仲が良さそうだから安心してるのかな?
そんな俺に由美は小さく笑い、話を続けた。
「だけど……いざというときには、勇気を振り絞ってくれるんだ」
「勇気を……」
「うん」
いわく、由美は昔、あらゆる動物が苦手だったらしい。
母の強い勧めで飼うことになったレオも、初めは苦手で苦手で――触ることすらできなかったという。
それが変わったのは、ある日の昼下がり。
嫌々レオと散歩していると、同じく散歩中の大型犬に遭遇したのだという。由美はそれだけで怖じ気づいてしまったが――そんなとき、レオが由美の前に立ってくれた。
「まあ、いま思えば、相手の犬は悪気なんて全然ないんだけどね。……でも私は怖じ気づいじゃって。レオはたぶん、私が動物嫌いなのを悟ってたんだよね。だからこの子は、自分も怖いはずなのに守ってくれて……」
言いながら、由美はレオを優しく撫でる。
「そっからなの。レオは私にとって、大事な家族になったんだ」
「そうか……」
現実とはなんと残酷なことか。
これほど仲の良い家族を――なんの躊躇もなく引き裂いてしまうんなて。
でも。
そうはさせない。
彼女が泣く姿も、レオがガス室に追い込まれるのも、見たくない……!
「俺が……守るから」
「え……?」
「おまえの苦しみを、全部俺が受け止めるから。だからおまえには笑っててほしい。ずっと俺にそうしてたように」
「あ…………」
我ながらクサいセリフだった。
けど、どうしても言いたかったんだ。
これが俺の――偽らざる本音だから。
「あれ。どうして。なんで。私……」
由美はぽかんと放心していて。
それでいて瞳からは涙が流れて。
慌てて目をこするが、涙は止まらない様子で。
止めどなく溢れる涙に、彼女自身が困惑の声をあげた。
「おかしいな……。私、ずっと、ひとりだったのに……。誰にも話せなかったのに……」
「ひとりじゃないさ。すくなくとも俺がついてるから」
「う、うう……」
とうとう我慢の限界に達したらしい。
由美は俺の胸に顔を預けると、盛大に泣きだした。
「うわああああああああっ!!」
殺処分の件は掲載すべきか迷いましたが、思い切って出しました。
この事実を、すこしでも多くの方にお届けすることができれば。




